礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

柏木隆法さん、『水戸黄門』を語る

2015-11-25 03:46:49 | コラムと名言

◎柏木隆法さん、『水戸黄門』を語る
 
 本日は、柏木隆法さんの「隆法窟日乗」を紹介したい。今月二二日に、九月一日の日付のついた日乗=通しナンバー534を紹介したが、本日、紹介するのは、それに続く日乗で、通しナンバーは535。ただし、日付は記載されていない。

 隆法窟日乗
 毎日見るともなしに午後四時からの『水戸黄門』の再放送を見ている。今の里見浩太朗の黄門さまはいま一つ馴染みがない。物語なんか全然見ていないからだ。演技が上手い下手も二の次、要は登場する脇役に注目している。一番懐かしいのは東野英治郎の黄門サマだった。杉良太郎と横内正の助さん格さんも似合っていたというよりも脚本が良かった。まだ40年前には日本語が綺麗で時代の雰囲気がよくでていた。最近の時代劇はトレンディードラマの延長で時代考証もなっていなければ立ち振る舞いも滅茶苦茶である。貧民窟のようなシーンならば許せるが城中のシーンでは見苦しい。藤沢周平の原作の映画化なんか貧乏の押売りで『たそがれ清兵衛』までは見れたが、『鬼の爪』なんかは武家の作法や武道の知識が全くない作者の欠陥がありありと見て取れた。拙も長い間、武道をやってきたが、小柄〈コヅカ〉で敵に立ち向かうなどという流儀は聞いたことはない。それに小柄は目釘が入っていないから、刺せば刃だけ抜けてしまう。時代劇で小柄で髭を剃るシーンがあるが片刃で急刃なので殺傷能力はない。一口に言って斬れないし刺せないのである。こんな「秘剣」なんかあるはずもない。曲者〈クセモノ〉に小柄を投げつけることはあったかも知れないが、着物の上から刺さってもせいぜい1㎝だから致命傷にはならない。昔の時代劇にはこんな無理なシーンはなかった。昔の『水戸黄門』を見るのは拙と一緒に仕事をやったカラミの俳優が元気で登場するらである。小田部道麿〈オタベ・ミチマロ〉は東映で毎日のように会った。福岡柳川の寺の出身で少年鑑別所の教官になり、次いで東映の契約社員になった。顔は厳めしいが親切な性格で拙も随分とお世話になった。戦後、満州から帰ってきて撮った内田吐夢〈トム〉の『血槍富士』でも片岡千恵蔵に鎗で刺されて死ぬ悪旗本の一人に顔を出したのが拙の記憶に残る最初だった。同じく『大菩薩峠』の第2部で、やはり鎗で刺される役だった。渡瀬恒彦〈ワタセ・ツネヒコ〉のピラニア軍団には加わらず、住職との二束の草軽で悪役を貫いていた。NHKの大河ドラマ『獅子の時代』でも出演していたが、これ以降は出演本数も少なくなり、2004年8月29日、白血病で死亡した。享年77、生涯独身であった。拙が撮影所に入る前からよく顔を知っている俳優ともよく撮影所で会った。菅貫太郎〈スガ・カンタロウ〉である。この人は元は東京を中心に生田〈イクタ〉撮影所で活躍していた。『水戸黄門』でも第3部になって助さんが杉良太郎から里見浩太朗に代わってからよくでるようになった。記憶に残るのは何といっても『十三人の刺客』の明石藩主だった。リメイク版では稲垣吾郎が演じていたが菅の冷酷な暴君ぶりには足元にも及ばない。拙が直接菅を知ったのは松竹で撮った『斬り抜ける』だった。この作品はなかなかの意欲作で近藤正臣と和泉雅子が主役、佐藤慶と岸田森〈キシダ・シン〉が脇を固めた。舞台は作州津山、暴君に仲を引き裂かれようようとした2人が藩主の非道を訴えに江戸に向かうというストーリーである。この藩主を演じていたのが菅貫太郎だった。半年の撮影期間であったが、これほどアクシデントが多くあった作品は拙が知る限り他にはなかった。物語の中心は「松平はずし」という変わった設定である。徳川の一門で全国にあった松平家で問題があったときには廻状がまわり、全国の松平が追手〈オッテ〉となる。それを掻い潜って幕府の大目付に直訴の旅にでる。この『斬り抜ける』の前年、『国盗り物語』で近藤は世に知られるようになり、火野正平も豊臣秀吉の大役を射て大ブレイクしていた。近藤も『柔道一直線』で出演していたが、明智光秀役でようやく知られるようになった。ところが8回目が放送されるころになると視聴率は最低ラインまで下がり、スポンサーが逃げてしまった。そこでレギラーの和泉雅子、佐藤慶、火野正平、志垣太郎が下りて近藤正臣一人が津山藩に戻って菅貫太郎を討ちに行く話になった。何とも辻褄が合わないストーリー展開になった。和泉雅子が単身南極に行ったのはこの直後だった。535

*このブログの人気記事 2015・11・25(6位にやや珍しいものが入っています)

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よい童話は心を美しくする(カバヤ児童文化研究所)

2015-11-24 04:18:12 | コラムと名言

◎よい童話は心を美しくする(カバヤ児童文化研究所)

 昨日の続きである。カバヤ児童文庫の『ピノキオの冒険』(カバヤ児童文化研究所、一九五二)の巻末に、カバヤ児童文庫、カバヤ・スクール・グラフ、カバヤこども絵本の紹介が載っている。本日はこれを紹介してみる。

よい童話は心を楽しく美しくします
――カバヤ児童文庫―― すでに出た本
◆シンデレラひめ
かなしく、うつくしいシンデレラひめのおはなし
をわかりやすくかいてある。 三四年生向
◆ピノキオの冒険
えいがやラジオでおなじみの世界一おもしろい
コロデイ原作の冒険小説。  三四年生向
◆乞食と王子
同じ日に生まれた、二人の子供が運命のいたず
らで、王子と乞食になつた話。  五六年生向
◆母をたずねて
まぶたの母を尋ねて三千里、さすらいの旅の涙
と愛の悲しく美しい物語。  五六年生向
◆アラビアンナイト
アラビア伝説を皆さんにわかりやすくまとめた
ゆめと冒険ものがたり。  三四年生向
◆しらゆきひめ
グリムのうつくしいどうわ、世界中のこどもに
よろこばれているどうわ。  三四年生向
◆宝島探検
絶海の孤島にかくされているすばらしい宝物を
めぐつての少年冒険小説。  三四年生向
◆若草物語
貧しいけれど純情な四人の姉妹がかもし出す美
しい人間愛の名作物語。  五六年生向
◆孫悟空大暴れ
西遊記というおもしろいお話に出てくるゆうか
んな孫悟空のぼうけん話。  三四年生向
◆人魚のお姫さま
うみのそこにすむゆめのようにうつくしい人魚
のお姫さまの夢ものがたり。  三四年生向
◆ロビン・フッドの冒険
弓をもてば天下無敵のロビンフッドが弱い者の
為めに働く正義と勇気の物語。  五六年生向
◆可愛い小公女
早く両親に死に別れた少女が世の荒波のなかで
清くけなげに生きぬく物語。  五六年生向
・・次々に刊行されるもののお知らせ・・
□ジャックと豆の木  □モンテクリストの復仇
□おやゆび姫     □アルプスの少女
□少年探偵イルレ   □子鹿物語
□レ・ミゼラブル   □赤い靴
□イソップ物語    □ロビンソン漂流記
□たけとり物語    □家なき娘
――カバヤ・スクール・グラフ―― すでに出た本
表紙多色刷・本文 グラビア刷
◇パ・リーグ花形選手集
◇セ・リーグ花形選手集
プロ野球本年度のオールスター第一回・第二回戦
の写真、各選手の紹介写真、思い出の熱戦場面や
ホームランダービー、打撃ベストテンなど野球
フアンの話題を呼ぶ、すば
らしい写真で画いたベース
ボール・ブツクです。
◇歌のアルバム
母を慕いて、リンゴ園の少
女、みかんの花さく丘を
はじめ、現代少女愛唱の歌を
美しい写真と組み合せた情
緒豊かな歌のアルバムです。
………………………………………………………………
カバヤこども絵本
●ひこうき・ヘリコプター・きしゃ・でんし
や・きせん・じどうしや・モーターボート
・ケーブルカーなど動き走つているありさ
まを四・五才から幼稚
園・一年生の子供さん
むきにつくつたきれい
な原色刷の絵本です。
●すでに出た本
 のりもの
●近く出る本
 ジャングルの
  どうぶつ
………………………………………………………………
                       カバヤ児童文化研究所編

*このブログの人気記事 2015・11・24

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カバヤ児童文庫のもらい方

2015-11-23 03:30:12 | コラムと名言

◎カバヤ児童文庫のもらい方

 昨日、書棚の整理をしていたら、カバヤ児童文庫の『ピノキオの冒険』が出てきた。カバヤ児童文化研究所が発行していた、カバヤ児童文庫の第一巻第二号にあたり、一九五二年八月刊。コロデイ原作とあるが、訳者(作者)の名前はない。
 小学生時代、カバヤミルクキャラメルというものがあり、そこに入っている券を集めると、「本」がもらえるということは知っていたが、当時、実際にカバヤ児童文庫というものをもらったことはない。そもそも、私が生まれた村の商店には、カバヤミルクキャラメルが売られていなかった。今、架蔵している『ピノキオの冒険』は、中年になってから、古本屋の通信販売で買い求めたものである。
 当時の少年少女は、このカバヤ児童文庫をどのように入手していたのか。『ピノキオの冒険』の奥付ページに、「ひきかえる方法」と「あとがき」が載っている。本日は、これを紹介してみよう。改行は原文のまま。

カバヤミルクキャラメルの中に入つている
文庫券【カード】をためれば、あなたのすきな
どの本でもさしあげます。
ひきかえる方法
文庫カードが五十点たまりましたら、御近所の
引換店でお好きな本を貰って下さい。もし引換
店がない場合や引換店にお好きな本がない時は
岡山市下石井カバヤ文庫係宛、あなたの住所・氏
名・学年とすきな本の名を書いてカードと共に
封筒へ入れて送って下さい。すぐ本を送ります。
文 庫 券【カード】
大 当 り……10点
カ   バ …… 8点
ターザン…… 2点
ボ ー イ …… 1点
チ ー タ …… 1点
あ と が き
 いつもカバヤキャラメルを可愛がつ
て下さる、ニッポンの二千万人の子供さ
んの心を、美しく、清くたのしくするよう
な、童話・絵本・グラフを、つぎからつぎに、
みなさんにおくるために、カバヤ児童文化研究
所のおじさんたちは、一生懸命やつています。
 毎月つぎつぎに出る、カバヤの本を楽しみに待つて
いて下さい。
 カードがなくてこの本がほしい人は本代と送料を
お送りになれは本をお送りします。 (原)
【以下は奥付】
昭和二十七年 七月三十日 印刷
昭和二十七年 八月十日  発行
 (毎週一回・日曜日発行)
編集兼発行人 カバヤ児童文化研究所 原 敏〈ハラ・サトシ〉
印刷所    夕刊岡山新聞社
 定価 ¥120 〒16
発行所 京都市中京区壬生花井町三 カバヤ児童文化研究所
販売総取次所 岡山市下石井一九八 カバヤ販売株式会社
 電話(岡山)・七六四一―七六四五
 岡山郵便局私書函第八七号

 あとがきの中に、「童話・絵本・グラフを、つぎからつぎに、みなさんにおくる」とある。「童話」というのは、「カバヤ児童文庫」を指している。「絵本」とは「カバヤこども絵本」、「グラフ」とは「カバヤ・スクール・グラフ」を指している。【この話、続く】

*このブログの人気記事 2015・11・23

 

 

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一滴の朝露を味わって今を生きる(柏木隆法)

2015-11-22 05:10:20 | コラムと名言

◎一滴の朝露を味わって今を生きる(柏木隆法)

 本日も、柏木隆法さんの「隆法窟日乗」を紹介したい。九月一日の分で、通しナンバーは、534。文面から、活力・体力が極度に低下されていた際の「日乗」であることがわかる。

 隆法窟日乗(9月1日)
 本日からインターネットを始めることになった。拙にとっては65の手習い。これも時代の波には抗えない文明開化が拙にも及んできたということだ。さりとてこうなるとマックス〔中川剛マックス〕が先生、拙が生徒と立場が逆転する。拙の方が可愛い生徒であらねばならぬ。生徒といえば今日9月1日は一年の内で一番自殺が多い日だという。去年はこの日だけでも全国で131もの中学生が自殺したという。拙よりスマホやパソコンを使いこなせる知識がありながら無になってしまうことは勿体ない。拙がパソコンなんかに手を出したのは病気が悪化して調査なんかとても自分の脚では行けないことがわかっているからだ。拙のようなアナログ型のモノカキは早稲田鶴巻町や神田神保町を足繁く徘徊して古本屋を一軒一軒捜し、国会図書館ヘノートを持って通い、朝から閉館までメモをしっぱなし。いやはや交通費を多く遣った。インターネットをいじくっていたら修正なしのエロ動画が流れていたのには驚いた。こういうものも若者は見ているのだと感慨ひとしお。パソコンも使い方次第だが拙の名前を検索してみたら10頁も出てきた。因みにマックスは6頁。知人を片っ端から検索してみたら出るわ出るわ、それだけで楽しくなった。ここまで書いたところで急に立ち眩みが起き、書けなくなってしまった。暑さの疲れが出たようである。以下10日間ほど休筆する。拙の周辺では拙が養生次第で恢復すると思っている人がかなりいる。中には運動がたりないから早朝マラソンをやれとか青汁が効くとか無理なことを仰る。そもそも腎臓が悪いから絶対安静にしているものを医学的知識のない人からいらぬことをわざわざ云いにくる神経が判らない。拙の病気なんか如何に摂生して長く生きるかが当面の課題であって、いらぬおせっかいは迷惑である。ようやく筆を持つ気力が湧いてきたところで、茨木、栃木県一帯の洪水のニュース。生きたくても生きられなかった人々の事を考えると何ともいいようもない。自分が望んでいなくてもシリアの難民のように着のみ着のままで自国を逃げ出そうとする人々が50万人もいるという。ドイツのことを考えると積極的平和主義とは何であるかこんな病人でも考えざるを得ない。タイで爆弾テロをやった犯人は新彊ウイグル出身の27歳の青年だったという。中国共産党に屈しない新彊ウイグルの人々に同情の念を持っていたが、何故タイの通行人を狙ったのか拙にはわからない。ナロードニキのテロリストでも無差別殺人はやらなかった。テルアビブ空港の乱射事件からオウム事件、ニューヨー一クのセントラルビルヘの体当たり自爆テロのように拙はどうしても関係ない人を巻き込むテロは認めることはできない。秋口のコオロギのように自分の命が長くないことを知ってか、鳴く声は「生きたい生きたい」と鳴いているように聞こえる。若いころは死について観念的に考えても現実に自分が死ぬことは考えていなかった。今は寸暇を惜しんで少しでも長く生きることを考えるようになった。そして何事につけても「勿体ない」と考えるようになった。茶の湯は朝露の一滴を大切にすることだそうだ。拙も自然から与えられた一滴の朝露を味わいながら今を生きている。こんなことを考えるようになったのは東日本大震災で拙の親しい友人が2人まで難死してしまったことだ。1人はまだ死体も出てこない。これには拙も応えた。友人の死は家族親族よりも衝撃を受けた。それ以降、自分の死も考えるようになった。そして自分の限界を知るようになった。カメラー台を持って戦場を走った時も何も怖いことはなかったが、最近は血が流れることを恐れるようになった。若いころは疲れてフラフラになってもリポビタンの一本も飲んで寝ていればすぐに回復した。今は皇潤を飲んで蝮ドリンクを飲んでも一向に効き目はない。老いは薬効よりも体力をなくしている。精神的なショックはそれにも増して応える。どうも話が暗くなったからここで打ち切る。534

*このブログの人気記事 2015・11・22

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柏木隆法さんが回想する反戦映画

2015-11-21 05:35:13 | コラムと名言

◎柏木隆法さんが回想する反戦映画

 本日は、久しぶりに、柏木隆法さんの「隆法窟日乗」を紹介したい。八月一一日の分で、通しナンバーは、522。
 
 隆法窟日乗(8月11日)
 幽霊の話がでたところで拙が好きだった怪奇映画が一本あったのを思い出した。想い出したというのは拙が『少年探偵団』に出て、母の容態もよくなったから二子玉川〈フタコタマガワ〉から東京の町田に移り、そこから北里病院に通った。拙は二カ月ほどで土岐市に帰った。新東宝は奇妙な会社で髪や小道具、衣装なんかは全て有りあわせ。『湯の町エレジー』を撮った時なんか出演者で決まっていたのは水島道太郎だけで片山明彦なんかは半分ほど撮り終えてからロケ隊に合流した。酒場のシーンなんかは東十条で撮っておいて機材の運搬は銭高組の工事車両が好意で受けもった。監督は近江俊郎。舞台は熱海と修善寺。温泉旅館を一軒借り切っての合宿形式で自炊生活だった。現場では乳母車2台とリアカーで移動していた。監督がギターを弾きながら「湯之町エレジー」を歌い、同時収録で撮影をするという現在では有り得ない方法だったが、撮影に入っても脚本が出来ておらず、歌詞に合わせて撮影していったらしい。こんな撮影は現在では香港映画では使われている。大蔵貢〈オオクラ・ミツグ〉という人はオープンセットに金を使うことを嫌がったから全篇ロケも珍しくなかった。拙が小学4年生のころ、『幽霊部隊故郷に帰る』という映画が公開された。戦争映画は東映や東宝でもよく製作されていたが、この映画ほど製作費をかけていない映画はなかった。そして拙も幼いころながら反戦を印象づけた映画は他にはなかった。南海のテニアン島で一発の艦砲射撃で日本軍の一個中隊が一瞬にして全滅する。戦闘行為もないままに全滅したから兵隊も自分が死んだことに気付かない。その一個中隊が隊列を組んで海から現れ、3日の帰宅を許されてそれぞれの家庭に帰っていく悲喜劇である。疑似爆弾を使うような派手なアクションシーンは全くないが、3日を経てまた同じ海岸から隊列を組んで海へ帰っていく。死んでも死に切れぬ霊が平和な家庭に憧れつつ帰るところもなく永遠に同じことを繰り返す。ここには靖国神社も皇居広場も出てこない。一目散に故郷に向かう幽霊たちが哀れであった。これと比べれば『日本でいちばん長い日』などは戦争を起こしたことに自己反省もなければ責任の所在もない。阿南惟幾〈アナミ・コレチカ〉が割腹したところで縄目の恥から逃れただけの話である。生きて帰ることを念じつつも帰ることができなかった人々ヘの視点が欠けている。昭和27年に公開された成瀬巳喜男〈ナルセ・ミキオ〉の『雲流れる如く』でも特攻隊は確信犯である。砲火の下を逃げ惑って近代兵器にあっさりと殺された兵隊とは異なる。東映の『ひめゆりの塔』でも「戦う」シーンはあったが『幽霊部隊』はいとも簡単に殺されるところから物語は始まる。戦争映画は厭戦までは許されるが反戦は表現されない。NHKの『坂の上の雲』のように日露戦争に反対した一団もあったはずだが全然描かれなかった。ここにも政治的意図が見え隠れする。敗戦記念目が近づいてくると、さまざまな戦争秘話が出て来る。当事者は声を揃えて「二度と戦争の悲劇を繰り返してはならない」というが、自分が最もくだらない生き方をしたことに反省はない。戦争に懲りた経験があるならば黙して語らず、そのまま墓場まで持って行けといいたい。なまじ戦争を懐かしむような発言をされると迷惑である。厭戦と抑止力は紙一重のところにある。中国との戦争回避は相手の軍事力に拮抗するだけの最低戦力を保持することで避けられるというが、相手国と同等になれば際限なくエスカレートすることくらいは中学生でもわかる。軍拡競争になれば抑止力にはならないからである。沖縄の本土返還からすでに46機のヘリコプターが墜落している。米軍基地の74%が沖縄に集中しているときに普天間から辺野古への移転は軍用基地の拡大に他ならない。現に沖縄には死してなお帰れぬ『幽霊部隊』が彷徨って〈サマヨッテ〉いる。同じことを繰り返すのか。522

 柏木さんによれば、日本の戦争映画の場合、厭戦までは描かれても、反戦映画はほとんどない。その数少ない例外が、『幽霊部隊故郷に帰る』であったという。柏木さんのこの一文を読み、同映画に強い興味を抱いた。しかし、インターネットで調べてみても、該当する映画が見つからない。
 一九五六年公開の大映映画『姿なき一〇八部隊』と設定が似ているが、ディテイルは微妙に異なっている。『姿なき一〇八部隊』も観てみたいが、柏木隆法さんの記憶の中にある反戦映画『幽霊部隊故郷に帰る』は、それ以上に観てみたい。

*このブログの人気記事 2015・11・21(7・9位にやや珍しいものが入っています)

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