礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本ファシズム理論の宗家・高畠素之

2016-07-26 03:49:04 | コラムと名言

◎日本ファシズム理論の宗家・高畠素之

 今月二二日および二三日、木下半治著『新体制辞典』(朝日新聞社、一九四一)について紹介したが、本日は、同書から、「高畠素之」〈タカバタケ・モトユキ〉の項を紹介してみたい。

高畠素之(明治十九年〔一八八六〕一月生)
もと堺利彦の売文社にゐたが、国家社会主義に転向し、大正七年〔一九一八〕に大衆社を創立して尾崎士郎、茂木久平〈モギ・キュウヘイ〉、岩田富美夫〈フミオ〉、矢部周〈アマネ〉、石川準十郎〈ジュンジュウロウ〉、神永文三〈カミナガ・ブンゾウ〉、小栗慶太郎〈オグリ・ケイタロウ〉、津久井龍雄〈ツクイ・タツオ〉、北原龍雄、松延繁次〈マツノブ・シゲジ〉、大木雄三〈ユウゾウ〉等を集めた。その悉くが今日の国家主義陣営の幹部である。後、これを売文社と改め、大正八年〔一九一九〕五月より、「国家社会主義」誌を発行。又上杉慎吉教授と経綸学盟を作つた。社会主義者としてはマルクスの「資本論」の訳者として名高い。その他「国家社会主義」「マルクス主義と国家」等々の著あり。近代的ファシズム理論家の宗家であつた。

 ここには、高畠素之の没年が記されていないが、一九二八年(昭和三)である。高畠の著書として、「国家社会主義」が挙げられているが、そういう書名の本が出ているのかどうか不明。「マルクス主義と国家」とあるのは、『マルキシズムと国家主義』(改造社、一九二七)のことであろう。

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市民ケーンは反資本主義者だったのか

2016-07-25 01:18:26 | コラムと名言

◎市民ケーンは反資本主義者だったのか

 数日前、久しぶりに映画『市民ケーン』(一九四一)を鑑賞した。大学生のころ、映画館で、この映画を観て圧倒され、「これまで観た映画の中でベスト・ワン」だと思った。その後、半世紀近く生き、その間、多くの映画を観てきたが、私の中では、いまだに、『市民ケーン』が、「ベスト・ワン」である。
 ――かつては世界第六位の大富豪と称された新聞王チャールズ・フォスター・ケーン(オーソン・ウェルズ)が死亡した。さすがの大富豪も晩年は、大恐慌のあおりを受けて事業に行き詰まり、荒廃した大邸宅の中で、孤独の死を迎えたのであった。死の直前、彼は「薔薇のつぼみ」という謎の言葉を残した。またその手には、雪景色の一軒家が封じ込められたスノーボールが握られていた。
 ケーンの実家は、田舎で安宿を営んでいたが、客が宿泊代として置いていったコロラドの金鉱の権利書により、莫大な財産が転がり込むことになった。まだ幼かったケーンは、母親の強い希望によって、後見人を付けられ、ニューヨークで教育されることになる。この後見人が、銀行家のウォルター・サッチャー(ジョージ・クールリス)で、その後、ケーンは、サッチャーとの間で、激しい対立を繰り返すことになる。
 二五歳で一人前になったケーンは、落ち目の新聞『インクワイアラー』を買いとり、新聞経営にのりだす。友人の劇評家リーランド(ジョセフ・コットン)とバーンステイン(エヴェレット・スローン)の協力を得て、斬新で強引な経営、暴露記事中心の編集方針で、同社をニューヨーク随一の新聞社に育てあげる。
 ケーンは、さらに、大統領の姪エミリー・ノートン(ルース・ウォリック)と結婚、これによって政界にコネを作り、ついには知事選に立候補する。将来、ケーンは大統領の椅子に座ることになるだろうと、誰もが予想した。しかし、好事魔多し、選挙戦の終盤、ライバル紙に、「歌手」スーザン(ドロシー・カミンゴア)とのスキャンダルを暴露され、選挙は落選。その後も、次々と不幸が押し寄せる。――
 映画の冒頭は、主人公ケーンが、「薔薇のつぼみ」という言葉をつぶやいて、死ぬ場面である。
 続いては、ケーンの死を報ずるニュース映画が試写される場面。この試写版はケーンという人物の核心に迫っていないということで、上映の延期が決まる。トンプソン(ウィリアム・アランド)らニュース記者が再取材に向かう。再取材の際のキーワードは、「薔薇のつぼみ」である。
 このニュース映画試写版の中で、後見人のサッチャーが、ケーンという人物についてのコメントをおこなう場面がある。「個人資産と自由主義に対する攻撃的態度から見て、彼はコミュニストだ」というコメントである。
 また、あとの場面では、ケーンが『インクワイアラー』紙で、企業批判に徹した報道をおこなっていることについて、サッチャーが、面と向かってケーンを批判している。この批判に対するケーンの回答は、「自分の使命は、勤勉な労働者を汚れきった資本家から守り抜くことだ」というものであった。
 州知事に立候補した際には、選挙演説で「私は貧困を絶滅する」と宣言し、聴衆から拍手喝采を浴びている。
 不況のあおりを受け、『インクワイアラー』紙を手放すことになった場面では、サッチャーが再び、ケーンを批判する。「君は、浪費するばかりで投資しない」。この批判にケーンは、直接は答えず、次のような言葉をつぶやく。「貧乏には慣れている。金持ちの生活は性に合わない」。
 こうして見ると、この映画の作者は(脚本は、ハーマン・ジャコブ・マンキーウィッツとオーソン・ウェルズ)は、主人公ケーンを、ことさら、「反資本主義」的な人物として造形しているかに見える。ケーンが晩年を迎えようとしていた時期、未曽有の不況によって、資本主義の欠陥が露呈し、ドイツでは、ヒットラーの率いる「国民社会主義ドイツ労働者党」が躍進していた。そうした時代背景を意識した場合、「反資本主義的な大資本家」というのも、十分にありうる人物設定だったのである。
 新聞経営者として大成功し、巨万の富を築きながらも、ケーンは、そうした生き方に満足できず、あくまでも「なりたかった別の自分」を求め続ける。そうしたケーンの姿を象徴するものが、「薔薇のつぼみ」だったということだろう。ちなみに、「薔薇のつぼみ」が何だったかは、この映画を最後まで観た人だけがわかることになっている。
 
 七月二二日、民主党の大統領候補ヒラリー・クリントン氏が、副大統領候補として、元バージニア州知事のティモシー・マイケル・ケイン(Timothy Michael Kaine)氏を指名した。ケーン(Kane)とケイン(Kaine)は、日本語の表記も英語の綴りも異なるが、発音はたぶん同じだろう。はたして、ケイン氏は、副大統領になれるのか。

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外出中の兵士二名が殴り殺される

2016-07-24 03:36:14 | コラムと名言

◎外出中の兵士二名が殴り殺される

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、七月二四日~七月二六日の日誌を紹介する(二二九~二三二ページ)。

 七月二十四日 (火) 晴
 今日も暑さ朝から最高で、午後になるとどんなになるかと思うくらい。昨日十時間勤務で汗を拭く手拭が一枚では足りなかったので、今日は二枚持ち込む。
 午前八時、上番する。
 午前八時五分ベル。「連隊本部から、隊長もしくは代理者を呼べ」ということで、情報室におられた上山中尉に出てもらう。電話の内容は、一昨日、麓湖【れいこ】のそばで外出より帰営中の他部隊の兵二名が酒酔いもあってか、支那人に殴り殺されたという。
 一昨日の日曜日、二名が帰らず夜半、車を出したがわからない。そこで昨日、十名ずつの調査隊を何組も出したところ、麓湖の北側白雲山の真南の林の中に全身打撲し、頭蓋骨はじめ胸骨、手、足と骨折していて通常の転倒とは考えられず、憲兵隊も通訳をともなって聞き込み調査中である。
 二人連れが二人ともで、外出に関しては十分配慮されたいと要望があり、上山中尉は、当情報室は一昨二十二日から隊長命令で外出を禁止しておりますと電話された。たまたまそこへ隊長が入って来られて、上山中尉は隊長に詳細に報告された。隊長は、
「無理もないなあ。みんな今の日本は、敗け戦さ〈イクサ〉のさなかにあるとは思ってないから、外出したら遊び回ったり、大酒を呑んだりするのが普通だろう。殺【や】られた連中を悪くはいえないよ。うちはよかったなあ、上山」
「はッ、そうであります。しかし、一般兵を集めて敗けてる、敗けてるはいえません」
「敗けてる、敗けてるはいえないが、比島が落ち、沖縄はやられ、いま日本は大変なんだ。内地の空襲も何百機という桁はずれの敵機にやられてる、くらいは、話の折々にしてやった方がよいと思う。それにしても、若い人材を惜しいことをしたもんだ」
 隊長は偉いと思った。普通だったら、自分はこう処置した、だからこうよい具合になったと自惚【うぬぼ】れるのだが、隊長にはそれが全然ない。朝からこの事件で聞き耳を立てていたが、昨日、敵機の来襲があったせいか、今日はどこからもベルは鳴らず。静かな一日である。
 午後六時十分、田原候補生が上番し勤務下番。下番後、田中君と入浴、洗濯、夕食を共にする。
「他の班の者と話をする機会はあるか」と聞くと、
「他の人と話など絶対にできません。高橋中尉殿がびしびしとやられて恐いくらいで、話ができる状態でありません。そんなとろとろしたら、敵の機関銃の餌【えさ】になるぞとやられます。自分らにはよい勉強になります」という。
 横になって、よい隊長や博学多識な上司とよい部下に恵まれている自分の今の幸福【しあわせ】が夢のように思えてくる。

 七月二十五日 (水) 晴
 午前八時上番。下番者田中候補生の報告は、
「前勤務者の田原候補生の申し送りですが、昨夜午後十時のニューディリー放送によれば、昨日(七月二十四日)、米海軍機動部隊と策応した米空軍B29約六百機は、同時に艦載機約一千機と共に二組に分かれ、大阪と名古屋の両都市を空襲し銃爆撃を加えたといっております」
 われわれは十機までの敵機としか会ってない。それが二桁多い一千機とは見当もつかないが、大変なものだろうなあとしかいいようもない。
 放送の文面通り二組とすると、それぞれにB29三百機、艦載機五百機となる。大阪、名古屋ともに過去五百機近いB29がそれぞれ二回ずつある。名古屋は五月十四日、十七日、大阪は六月七日、十六日で、今回はB29の数量を減じて小回りの効く艦載機を大量に投入、両都市ともに蟻の逃げ道もないくらいにそれぞれ合計八百機という大編隊、さぞかし両都市とも昨日は大変だったろう。名古屋では金の鯱【しやち】は大丈夫かしら、大阪の通天閣は、大阪城はとつぎつぎに心配だ。大阪城の東の陸軍工廠は狙われてるだろうなあ。朝一番の報告に、ただ唖然とするだけだ。
 今日は隊長も上山中尉もおられない。いろいろとほかに仕事も多いことだろう。こちらはいつベルが鳴ってもよいように準備万端ととのっているが、今日もあらわれない。
 正午、NHK放送のニュースでは、本日より八月十日までの期間を本土決戦に備え、松根油〈ショウコンユ〉増産割当完遂運動をするという。大阪や名古屋の爆撃のことなどなんにも放送しない。したがって、ニューディリー放送は本当かいなあと思う。
 午後も電話まったくなし。当初、基礎歩兵訓練中に空襲でもあったら大変なことになるがと思っていたが、その懸念まず心配いらぬようだ。
 午後六時五分、上下番交替の挨拶をして下番する。十時間勤務も慣れて来ると、そんなにも苦痛と思わぬようになって来た。【後略】
 さて、ここでの勤務、一体、いつまでつづくのだろう。ここよりも内地はどうなるのだろう。あるいはここで歩兵基礎訓練が役立つ時代が来るのだろうか。まったく一寸先は闇のような気がする。ただ隊長、上山中尉という二人の上司のもとなれば、何も心配することはないだろう。

 七月二十六日 (木) 晴
 午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、
「前勤務者田原候補生が聞いた情報でありますが、昨夜午後十時のニューディリー放送によりますと、昨日(七月二十五日)、米機動部隊は日本近海にあって艦載機約一千機が呉、舞鶴の海軍基地をはじめ、近畿、中国、四国地区の各都市を空襲し銃爆撃を加えたといっております。同じく昨二十五日、米海軍艦隊は串本港を艦砲射撃を致しております。以上であります。なお斑長殿から指示のありました勤務につきまして勤務表を作り、田原に渡しました」と。
 またも一千機の艦載機である。呉、舞鶴以外どこがやられたのかつまびらかでない。しかし、通り道でも見渡す限りの敵機が空に雲が浮かんだようになって、だんだんと迫って来るブルンブルンという騒音は、内地の人々にとっては恐怖のどん底に落とし込められるような気持だったろう。
 正午のNHKニュースでは、アルミニウム不足で、機体の一部に木材を使用する案が研究されてきたが、六月ごろからすでに量産化がはじまった。木材はプロベラ、翼、胴体、尾部に使われ、近日中にその第一陣が完成して初飛行が期待されているそうだ。成功を祈ってやまない。
 今日も昨日の呉、舞鶴の爆撃や一千機の空襲と串本への艦砲射撃などまったく何もいわない。ニューディリー放送は本当やろかと疑う。【後略】

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貧困児童の教育は国庫支弁(ナチス綱領より)

2016-07-23 03:14:05 | コラムと名言

◎貧困児童の教育は国庫支弁(ナチス綱領より)

 昨日の続きである。木下半治の『新体制辞典』(朝日新聞社、一九四一)を紹介している。本日は、「国民社会主義ドイツ労働者党」および「ナチス綱領」の項を紹介してみたい。
 見ていただくとわかるが、この辞典は、項目の説明が、詳細かつ周到なものになっている場合がある。

国民社会主義ドイツ労働者党(独 Nationalsozialische Deutche Arbeiterpartei=N.S.D.A.P.)
「ドイツ労働者党」が一九一九年九月、ヒットラー氏入党後改称したもので「ナチス」と略称する。一九二〇年二月、初めて演説会を開き二十五綱領を発表。同年三月のカップ叛乱を支持。同年夏、鉤十字〔ハーケンクロイツ〕の党旗を制定。このころ「突撃隊」の萌芽組織徐あつた。十二月機関紙「フェルキッシェ・ベオバハター」を創刊。一九二三年一月第一回党大会、同年十一月ルーデンドルフ・ヒットラー一揆。失敗。ヒットラー氏入獄。一九二四年十二月、ヒットラー氏出獄(一九二四年九月、ドーズ案)。一九二八年五月の総選挙にナチス十二名当選。同年九月、プロシャ、ヒットラー氏の演説解禁。同年一月、ヒットラー氏初めてベルリンで演説(一九二九年六月ヤング案)。一九三〇年一月チューリンゲンでナチス党と人民党との連立内閣成立。フリックがその内相となつた。同月内紛、オットー・シュトラッサーらの脱党。九月の総選挙に百七名当選(一九三一年六月戦債モラ)。一九三二年三月、大統領選挙にヒットラー氏一一、三三八、五七一票を得、同年四月の第二回投票に一三、四一九、六〇三票を得て落選。同年七月の総選挙に二百三十名当選して第一党となり(社民党百三十二名、共産党八十九名)、ゲーリング議長となる(同年十一月の総選挙には百九十五名当選。社民党百二十一名、共産党百名)。やゝ後退したのでパーペンと妥協。一九三三年一月二十九日、ヒットラー氏は連邦首相となつた。二月二十七日議事堂放火事件を契機として共産党弾圧。次いで社民党に及んだ。同年三月の総選挙に二百八十八名当選(社民党百十九名、共産党八十一名)。ナチス党の独裁が始まつた。一九三三年六月国権党及び国家党を、七月ドイツ人民党、バヴァリア人民党並びに中央党を解散し、七月十四日を以て新党の樹立を禁じた。一九三四年六月三十日、レーム以下のS・A〔突撃隊〕を弾圧、同年八月ヒンデンブルグ大統領死去し、九日ヒットラー氏総統に就任。爾来着々ドイツ再建に成功し、今次大戦〔第二次世界大戦〕における輝かしい勝利となつたのである。

ナチス綱領(独 Programm der N.S.D.A.P.)
ゴットフリート・フェーダーの起草にかかる一九二〇年の綱領である。内容は次の如し。(一)民族自決権に本づく全ドイツ人の合同。(二)民族平等権の要求。従つてヴェルサイユ、サン・ジェルマン両条約の廃棄。(三)植民地の要求。(四)ユダヤ人の公民権否認。(五)ユダヤ人の外国人待遇。(六)一切の官職からのユダヤ人の排除、及び政党的官吏の排斥。(七)市民の生活保護とそのための異民族(ユダヤ人)の追放。(八)非ドイツ人の新入国禁止。(九)全公民の平等なる権利・義務。(十)各公民の精神的、肉体的完成の義務。(十一)不労所得の廃止。利潤奴隷の打破。(十二)全戦時利得の没収。(十三)社会化産業(トラスト)の国有化。(十四)大経営の利益参加。(十五)養老制度の大施設。(十六)中産階級の創設維持。大百貨店の即時的公有化と小営業者へのその賃貸。(十七)国民的要求に適応する土地の無償没収。地代の廃止。土地投機の禁止。(本項は一九二八年四月ヒットラー氏によつて取消された。理由は「私有財産制の上に立つナチス党に矛盾する」が故である。)(十八)反公共的国民犯罪者、投機者、高利貸の極刑。(十九)唯物的ローマ法の排除とドイツ普通法の主張。(二十)教育の改革と貧困児童教育の国庫支弁。(二十一)国民保健。(二十二)傭兵制の廃止と国民兵制の創設。(二十三)新聞の統制。非ドイツ人及び非ドイツ新聞の排除。(二十四)宗教の自由。公益は私益に先行する。(二十五)強力な中央国家権力の創設。等族=職能議会の形成。なほ一九二六年五月の党大会は本綱領の「不変」を確認した。

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国家社会主義と国民社会主義は違う

2016-07-22 04:17:20 | コラムと名言

◎国家社会主義と国民社会主義は違う

 最近、木下半治の論文「世界政治の潮流」(現代日本政治講座第一巻『現代政治の展開過程』昭和書房、一九四一、所収)や、同じく木下半治の『日本ファシズム』などを読んだので、いくらか、ファシズムについての理解が進んだ気がする。
 この間、ひとつ認識を改めたことがある。それは、国家社会主義(Staatsozialismus)と国民社会主義(Nationalsozialismus)とは違うということ、また、ナチスのイデオロギーは、国民社会主義であって、ナチスの正式名 ‘Nationalsozialische Deutche Arbeiterpartei’ は、「国民社会主義ドイツ労働者党」と訳すべきであること、などである。
 本日は、木下半治の『新体制辞典』(朝日新聞社、一九四一)から、「国家社会主義」および「国民社会主義」の項を紹介してみたい。

国家社会主義(独 Staatsozialismus)
日本において通俗には国民社会主義、もしくは国粋社会主義(Nationalsozialismus)と同一視されるが、厳密にいへば異なる。即ち国家社会主義とは、近代ドイツにおいてラッサール、ロドベルトスなどが唱道したそれを指し、労働者に対する富の正しき分配と、労働条件の改善とのために国家の干渉を要望するものである。必ずしも資本主義制度の根本的変革を要求せず、銀行、住宅、保険、鉄道、瓦斯、電灯などの重要公共事業を国営に移し、立法的には社会政策をもつて労使関係の円滑化を計る。故にビスマルクの国家主義もまた一個の国家社会主義といひ得るのである。

国民社会主義(独 Nationalsozialismus)
国家社会主義、または民族社会主義とも称す。国民主義と社会主義とを結合したもので、狭義にはドイツのヒットラー主義をいふ。わが国で通俗には国家社会主義と称せられるが、区別は厳密にすべきである(「国家社会主義」の項参照)。国民社会主義は、国民主義の名においてマルクス主義の国際主義に対抗し、社会主義の名において資本主義に対抗して、自由主義、民主主義を撃破せんとする新世界観である。全体主義、ファシズムと同義と解すべきであり、現代ドイツの隆隆たる復興の精神的基礎たるものである。(「ファシズム」の項及び「国民社会主義ドイツ労働者党」、「ヒットラー」などの諸項参照)。

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