風吹く豆腐屋

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冷たいココロ、正義のココロ

2010-07-01 01:10:55 | Weblog
(この記事は長い、硬い、暗いの三重苦に加え、
元ネタを知らないとおそらく全く分りません 笑)


おそらく多くの人にとって、
正義とは炎のように熱いものというイメージがあるんじゃないでしょうか。
それが間違っているというわけではありませんが、
僕の思う「正義」は必ずしもそうではありません。


少し前に東野圭吾の「手紙」を読んだんですが、
その中になかなか興味深い言葉が出てきました。

短く言えば、理不尽な差別はあって当然のものだとする考え方。
むしろ差別や偏見を肯定するような言い回しでした。

(拡大解釈しすぎといわれるかもしれませんが…)

反感を覚える人がいてもいいと思います。
むしろいなければ大変なことだと思います。

でも奇麗事やウソを並べることが嫌いな僕からすれば
ある意味で胸がすくような思いもします。



次に思い出したのは、「ブラックジャックによろしく」のNICU編に出てきた弁護士。

僕は概してあの漫画が嫌い…というか主人公の自己満足的な正義感が嫌いです。
漫画だから主人公の独善的な行為が受け入れられる形で終わっているけれど
現実にはそんなに都合良く事が運ぶものか…と反感を抱かずには居られません。

ですが、NICU編だけは面白かったです。
障害を抱えていようと
命はそれだけで絶対的な価値を持つ貴重なものだという主人公の考え方には同意できるし、
一方で、所詮他人でしかない部外者(主人公)が奇麗事を並べるなと
憤る弁護士の気持ちも痛いほどに分かるから。
この世の中は弱者が生きていくには厳しすぎます。


偏見は絶対になくならないものだと思います。
自分の中にも確実にあります。
もっとも、世の中の大半の人間がそうだと思います。
それはある意味で自分の身を守る生理的な働きだから。


ただ、それが生理的なものだと分かってはいても、
障害児ゆえに時にいじめに遭い、
卑屈になりながら成長してきた弟を見てきた僕には
その弁護士の言いたいことが痛いほど分かります。


なのに、自分の中にも弱者に対する偏見の目があるのを常々感じているわけです。
弟に偏見の目を向けた人たちと同じように、僕も他の弱者に対してそうしてきました。
もしかすると弟にすらそういう感情を持っているのかもしれません。
だから、そんな僕には出生前診断が間違ったことだとは言えません。
弟を傷つけているのは心ない連中のせいだ、とは決して思いません。


他人に奇麗事など言われたくない。
何をもって幸せとするかなんて永遠に他人にはわかりっこないんだから…。
それはどこまで行っても変わりようのない事実。

たとえ親であっても子の幸せなんて分からないわけですからね。
期間を区切ったうえで法律的に「殺す」権利が親に与えられているというのも、
考えてみれば恐ろしく自分本位な制度です。
その目的が将来予測される子に降りかかる不幸を回避するためなのか、
それともそれによって自分が被る心労を避けたいと願うものなのかははっきりしません。
(今はどちらかだと仮定します)


血たとえ血のつながりがあろうとも、自分でないものはどこまで行っても結局「他人」。
人が原則的に自分の身を守るための選択をしてしまうのは
仕方のないところだと思うんです。
こういうことを考えることすら、自分の身の保身の一つ…。




ごちゃごちゃしてきたので、「手紙」の話に戻ります。

こういったことを踏まえたうえで、
「偏見」を容認してしまってもいいとは思いませんか?



冷めた考え方ではありますが、
正義にもとるようなものではないと思っています。
自分の弱さ・ずるさ・不正を認めたうえで、表面だけ繕うことはしない。

僕の今のスタンスとしてはこんな感じです。
だから、物議をかもしたらしいその言葉も僕には受け入れられます。


反論は当然あるでしょう。

この考え方を否定する人として真っ先に父親が思い浮かびます。
こういう話をし始めると結論の出ない不毛な口論になるので、
「大人になった」僕はそういう話は控えるようにしているんですが(笑












 


・・・あまりに眠たかったから早く寝ようと思っていたのに、
妙なところでスイッチ入ってたぎってしまいました。。

実習でそういうことを考えるきっかけはありましたが、
睡眠不足って妙な刺激を与えてくれるもんですね・・^^;