死は生の対極としてではなく、その一部として存在している
最近よく思うんです。自分の何割かはもう死んでるなって。
このところ自分の血糖値が高い状態が続いています。今検査をすれば糖尿病の診断基準を満たすと思います。34歳、BMI 20.8で立派に2型糖尿病です。不摂生だから自己責任なんて理解のないことをいう人も居ますが、色んな病態があることを勉強してから批判して欲しいものです。僕だって生活習慣で治るものなら治したいです。
2型糖尿病は家族性の疾患です。親から遺伝子的なリスクを受け継いではいるんだろうとは思いますが、発症年齢は親より早いです。この病気で何より怖いのが合併症。末梢神経がやられ、網膜がやられ、腎臓がやられます。その段階になると全身の血管が高血糖というストレスに長期間に渡ってさらされ、端的に言えばぼろぼろの状態です。色々な病気のリスクになります。突然死する確率も上がるし、認知症を発症し周囲に長く迷惑をかける可能性もあります。
もっと残酷な病気は他にたくさんあります。ただ、そういう比較は無意味です。僕自身これから他の病気になる可能性だって十分あるわけですし。
職業柄、生活習慣病の先にある暗い未来を実感をもって想像できてしまう。僕が今言いたいのはそういうことです。
ある日突然死したとしても、まあ悪くない人生だったなと思って死んでいきたい。いつどんな災厄が自分に降りかかるかなんて分からないから。
死は徐々に生を侵食するものだと思います。多くの場合はゆっくり、例外的な場合は急激に。多分僕の何割かはもう既に損なわれてしまっているんだろうと思います。
決して悲観的な気分になっているわけではないんです。きゃっきゃ笑ながら走り回る子供たちを見て、例え今死んだとしても‥と思いたいという方が実情に近いかな。
今しかできないことを後悔の残らないようにしておきたい。
周りを見渡すとそういう気持ちをひたすら仕事につぎ込んでいる殊勝な人たちも少なくありませんが、僕はそこまで立派な人間にはなれそうにありません。
自分にとって優先度の高いことを大切にして生きて行きます。