川上未映子の村上春樹との対談集「みみずくは黄昏に飛びたつ」を読みました。
村上春樹好きにとっては面白い本でしたが、それでも読むのは少ししんどかったです。
好きではない人はたぶん途中で読むのをやめると思います。
実際、amazonの書評もそういうコメント多いですし(笑)。
筆者自身も一村上春樹ファンとしてインタビューしている形です。
興味深かったのは、他のエッセイなどではあまり書いていない内容について触れられていること。
言葉のプロとして長編小説などもそれほど労多くせず言葉を紡いでいるのかなと勝手なイメージがありましたが、
何度も何度も書き直して膨大な努力の上に本を完成させているのだと知りました。
自分でも妙な感想だと思いますが、なんだかうれしく感じました。
世界的に売れる本を書く作家もたゆまぬ努力の上によいものを作り出そうと腐心しているということが、新鮮に感じたんですよね。
「騎士団長殺し」を書き終わった後の対談ということで、それについて触れられている箇所が多いです。
そして「騎士団長殺し」と共通項も多い「ねじまき鳥クロニクル」についても多く言及されています。
大抵の小説やエッセイは何度かは読み返しているんですが、
ねじまき鳥のほうはおそらく2回、騎士団長のほうは1回しか読んでいません。
ねじまき鳥を何度も読まなかった理由は残酷な描写が出てくるからだと思います。
グロテスクな描写はあまり好きではありません。
だけど、「みみずく」を読むことで再度読み返してみようかという気持ちになりました。
細かいところはだいぶ忘れてしまっていますしね。
そしてねじまき鳥を読み終わり、今は騎士団長殺しを読んでいます。
ねじまき鳥を改めて読んでみて思ったのは、そんなにグロテスクな本じゃないじゃないかということ。
昔感じた抵抗感が薄れているの気が付きました。
職業柄グロテスクなものへ耐性ができているのはあるかもしれませんが、
それとは別次元の問題ですっと受け入れることができました。
年を重ねて色々な経験をすることで、つらく絶望的な状況に対して目をそむけたくなるだけじゃなくて、
まあそういうこともあるだろうなというある種の達観というか共感する視点ができてきたんじゃないかと感じています。
単に加齢とともに心が摩耗して鈍感になっているだけかもしれませんが。
初めて呼んだ14年前とは違って楽しむことができました。
年を取るのも悪いことばかりではありませんね。笑
ちなみにねじまき鳥のモデルになった鳥は小型のキツツキ、コゲラだと思われます。
「ギィー、ギィー」とその辺の木々で良く鳴いています。
今もこのブログを更新するとmixiに連動して更新表示されています。
多分あっちを見ている人は数人程度だと思いますが。笑
ふとメッセージの受信箱を見て見たら昔のやり取りが少しだけ化石みたいに残っていました。
普通のメールほどたくさん来るわけではないので、消えずにそのままになっていました。
14年前、アメリカに短期研究留学していたあいつとしょうもないやり取りしていました。
最後のメインは幻想交響曲がよかったらしい。
なんだかものすごい昔のような、そうでもないような。
mixiにしてもfacebookにしても登録している友人の数はそれなりにいます。
ただ友人・・友達ってなんなんだろうなと思います。
ネットでいつでもだれとでも連絡が取りあえる今、日常的にやり取りするような友達はいません。
会話するのは家族、もっぱら妻とだけです。
お義母さんからみると僕と妻の会話は多いらしいです。
というか、僕が外でほとんど雑談をしないからうちで多弁になっているだけなのかもしれません。
そもそも30代半ばにもなればみなそんなものなのかもしれません。
転勤で地方に住んでいることや、このコロナの時代の影響もあるとは思いますけどね。
騎士団長殺しの主人公も友人がほとんどないという描写があります。
唯一心を許していた妻には去られ、親しい友達もほとんどいない。
年齢もちょうど36歳でほぼ同じ、結婚して6年というところもほぼ同じ。
フィクションの世界に浸るたびにどこかで主人公との共通項を探しています。
最初読んだときはなんだグレートギャッツビーか…正直あんまりおもしろくないなと思いましたが、
今回読み直してみたときにどんな読後感が得られるか今から楽しみです。