今日は終戦記念日。
毎年この日はほぼ同じような報道番組が繰り返されます。
政治家の誰が靖国神社に参拝した、しない、私人だ、公人だ云々。
問題の本質はそんなところにあるものではないと思うのですが。
では、何が問題かということを、果たして今の子供達はどう考えているのでしょうか。
答えは簡単。
「何も考えていない」です。
これでよいのかどうなのかは分かりません(良くないのだろうと個人的には思うのですが)。
なぜ子供達がこうした毎年の恒例行事にも似た現象に無関心であるのかといえば、その原因の一つは、学校の社会の授業でこうしたところまでは踏み込まないからです。
私自身が子供のころからそうだったので、今更の話ではないのですが、学校の歴史の授業では何とか頑張って学年の終わりごろに第二次大戦のあたりに入りますが、それも駆け足で、あっという間に終わってしまいます。
時間的な猶予がないのかもしれませんが、こんな授業で子供達に「戦争とは何か」「この前の戦争とは何だったか」などについて考えさせることなど出来るはずもありません。
学習塾の立場でのみ言えば、これ(学習単元のいくつかの部分、もしくは最後の部分)がスルッとやり過ごされているように感じること、或いはそこに入ることなく「これでおしまい」になってしまうことが結構あるように思える点への疑問があります。
目先のことで言えば、たとえば公立高校入試でも少しはこうした単元から出題されますので、仮に学校の授業で足りていない場合であっても十分対応できるように、塾の授業ではしっかりこれらの単元の中身に入り、これを消化しています(現実面では、多少の緩急はありますが)。
別に、「おかげで得点になりました」などと言って欲しいわけでは勿論無く、「必要だからやっている」という義務感と充足感だけで十分なのですが、中にはこうした勉強を通じて社会という科目、特に歴史や公民(憲法のあたりなど)の面白さに目覚めてくれる子も少なくなく、長い目で見た時、学習塾の役割の一つに、いわば民間教育的な要素が確実に含まれているんだなあとあらためて感じます。
ただし、そこは学習塾のこと、勿論保護者の方、そして塾生本人が、成績を如何に引き上げていくか、その末にある受験で見事合格を勝ち取っていくかに最大のご期待を頂いていることは、十二分に承知いたしております。
執念記念日にそんなことを感じ、考えました。