今日、いつものように(←というのも悲しいですが)宿題をやってこなかった生徒に、「一体君は何しに塾に来てるの?」と、その目をまじまじと見つめながら言いました。
というのも、この子はいつも宿題をやってこないそのことにすっかり慣れきっていて、初めの頃はそうでもなかったのですが、最近は出たとこ勝負的な嘘でその場をやりすごす、言い換えれば誤魔化してなんとかなるだろうという極めて安易な考えをするようになりつつあるからです。
どの子もそうですが、入会して頂くに際しては、短期・中期・長期の学習目標をお互い(生徒・保護者と塾)が確認して実際の授業を進めています。
その目標を確実に達成させるためには、塾での勉強だけでは到底足りませんから、その分を家での宿題にします。
それを、やってこない。
一回や二回なら仕方ない場合もありますが(←ここでなあなあになると結局はダメになる)、これが続くようであれば、責任を持って指導に当たる我々としましては、どうしたってきついことを言わなければならないこともあります。
そうすると、気の弱い子、或いは平素からそういう癖のある子は、その場しのぎの嘘をつくことがすくなくありません。
よく「子どもを信じる」と言います。
「信じること」それ自体は素晴らしいことだと思います。
しかし、同時にそこにはそうすることによって得られるであろう、安易な安心感の欲求が大人の側にないと言い切れるでしょうか。
大人(もちろん親を含みます)が子供を信じることは、そのまま「事実に対して目をつぶってしまうこと」であってはなりません。