全く私的なことで恐縮ですが、我が家は子供がみな巣立っており、一緒に過ごした日々は、今は全て思い出の中です。
手がかからなかったというと聞こえは良いのですが、反面どこか寂しいものを感じないではありません。そんな日々でした。
ものの本には、反抗期と言うのは必要なものであって、適切な時期にそれがないと、大人になってから別の形で反抗されて余計に厄介、というようなことが書いてあります。
我が家のように、これといった反抗期も無く、そのまま成人して結局今に至っているといのは珍しいことなのかもしれません。
塾に来る子供たちの何人かは、年齢的に今まさに反抗期の真っ最中で、それは親・保護者に対するものばかりでなく、学校の先生や、塾の私たちに対するものまで様々です。
といっても、私たちに対するものについては、私たちの側に厳しさがありますので、一回あたりの反抗がいつまでも尾を引くことは表面上は余りありません。
これが学校の先生相手ですと、「どうせ先生たちは自分たちに危害を加えないはず」という、ある種卑怯ともいえる安全地帯に自分たちがいることをよく知っていますから、そこは遠慮なく反抗し放題ということがありえます。
別に私たちが彼らに危害を加えることは無いのですが、但しそこはやはり学校や親・保護者とは違い、「やる気ない?だったら一回は警告するが、二度は無いぞ。改める気が無いなら今すぐやめろ」という姿勢は、彼らには少なからず脅威ではあるようです。
反抗それ自体は、上に書いたように、或る時期必要なことだと思いますので、それを全否定はしませんが、反抗しつつもやること(勉強)をすることが最低条件であり、それが無いなら塾にいる意味がないですからね。
そういうスタンスも、まあ、これまで何百人もの色んなタイプの子達と接してくる中で、こちらが彼らを受け止める余裕というか、力は、学校の先生や親・保護者ともまた一味違ったものがものがあるという前提があってこその話ですが。