授業をしていてふと自分自身を疑問に思うことがあります。
それはついつい効率重視に陥ってしまっている自分に気付くときです。
暗記する術を教えるとき、構文や公式や法則をなるべく苦労せずに頭に入れるテクを話すときなどは、こんなものは勉強じゃない、ただの無機質な作業でしかないと、そんな風に思います。
勉強するということは、勉強して賢くなるということは(←この言葉にも嫌らしさがあります)、こんなところに価値があるのではないという意識。
こういう時、我に返って子供たちに言います。
本当の勉強はこんなものではないし、こんなところ(テクニックなど)にあるのではないよ。自分の頭で考えて苦労して答えを見出す、或いは追求するところに勉強本来の価値があるのであって、思うに、そういう経験の場である塾以外の場所やステージに立つためのいわば入場券を手にするための訓練の場、そんな風にこの塾をとらえてもらってよい。
こんな風に思います。