私(マスターK)は個人としては「テスト?たかがテスト、されどテスト」というスタンスで子供たち、授業、そしてテストに対峙しています(ここでいうテストは主として中学生の学校の定期テスト)。
で、こういう状況下、子供たちが一体どれだけの量の勉強をしなければならないかという意味の質問をしてくることが少なくありません。
「たかがテスト、されどテスト」というスタンスの私は「キミがどれだけのポジションを狙うのかに拠るよ」と答えます。
すると、彼らは大抵「???」という顔をします。私は続けます。「前回のテストに対して今回どれだけ(点が)上がったか、他の子たちの平均に対してどれだけ上に立ちたいか、自分自身が目指す地点(目標点)をどこに置くか、の三つがポイントだよ」
何とも当たり前の話です。
でも、こうして「道はこっちを向いている。進み方はこれとこれとこれとこれ」といくら言い、寄り添うようにやって見せても、仏作って魂入れず、というのも現実には沢山あって、先日もこんなことがありました。
中学生のA君は、どちらかと言えば覚えるのが苦手で、且つ一つのことを継続するのがこれまた苦手。保護者はというと、あまり論理的とは言えないほどの、敢えて言えば、突拍子もない目標数字をその子に課して、しかも具体的なサポートはあまりないまま、来る日も来る日もがみがみ喧しく尻を叩くといった具合。
こういうとき、多くの子供たちは、目先を誤魔化すという方法に逃げ込みます。やってもいないのにやったといって、要するに嘘を吐いてその場をやり過ごすのが彼らの常套手段です。
A君も大いにそういうところが見て取れます。それがあまりに長い間続き、その嘘も次第に巧妙化、悪質化してきたある日、私は彼を呼んで、やる気がないということをそうした行動で訴えているのなら、そしてこうして面談してもそれを改めようと心底から思うのではなく、いつものようにこの場だけやり過ごそうと思っているなら、もう通塾もしなくて結構と言いました。
子供は保護者の手前もあったのでしょうが(その場の面談に同席)「やります。反省してちゃんとやります。もう嘘は吐きません。本当です。ちゃんとやります」と言いました。
定期テストが近づいてきた時、私は次のテストに向けて彼に上に書いた三つの目標とするべき指標について何度目かの説明を言葉をかみ砕いて言って聞かせた上で、その日から向こう3日間でやる宿題を25ページ分課しました。
テストまで一か月の猶予があり、暗記することが致命的に苦手な彼でしたから、まずは英単語や理科や社会の暗記事項をこの一か月の前半2週間でしっかり押さえた上で、後半の2週間で応用問題に入るという作戦でした。
因みに、25ページを3日間というのは普通に考えればちっとも多くはないのですが、彼に限れば、その半分くらいでもやってくればよしという気もしていました。
4日目、やってきた彼に聞くと、胸を張って「やりましたよ。2ページ」。
「2ページ?なにそれ。1年生の子でももっとやってくるのに」というと、「その子はその子。僕は僕。僕にはできない」としらっと言います。
私が「2ページやるのに3日間の全てを使ったわけじゃないよね。あとの多くの時間をキミはどう過ごしていたんだ?」
彼は「部屋でごろごろしてゲームをしてました」
私は言いました。
「そうか、キミが”ちゃんとやります”といった、その”ちゃんと”というのはその程度なのか。自分で勝手に限界を設けて、そのぬるま湯の中でしかやろうとしないことを普通は”ちゃんと”とは言わないんだよ。結局そうやって目の前のことを誤魔化し誤魔化ししてきた結果が今表れているんじゃないのか?そんなやりかたで3つのポイントをどうしてクリアできるんだ?」
保護者の方はよく「子供がゲームばかりして」と愚痴をこぼします。でも、多くの場合、子供が家の中でゲームに興じていることを彼等の保護者が知っています。時には子供と一緒になって興じていることさえあります。その状況を改善しようとせず、口先だけ「勉強しろ」と子供に言い、学校や塾には「どうにかしろ」と言う、そのおかしさがどうにも言えない虚しさに変わります。
一部脚色しましたが、ほぼ実話です。