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鉄道も企業も大都市ネオリベ市民だけのものではない

2011年01月08日 22時14分53秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 

 正月明けはこの新聞記事から。鉄道関連の記事ですが、とても他人事には思えませんでした。「並行在来線」切りも「非正規」切りも、ともに企業の利益至上主義、新自由主義(強欲資本主義)の現われだと思います。少なくとも私にとっては、そういう意味で、非常に身につまされる記事でした。

・整備新幹線開業の陰で…どう守る地元の“足” 苦悩する沿線自治体(産経新聞)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110103-00000525-san-soci

 記事の内容は、東北新幹線の全線開通に伴って、並行在来線のJR東北本線が逆に存亡の危機に陥っている、というものです。
 昨年12月の八戸・新青森間開通により、東京から青森まで新幹線で結ばれるようになった一方で、並行して走っているJR東北本線については、盛岡から終点の青森までが、JRから切り離されて、岩手県内は「IGRいわて銀河鉄道」、青森県内は「青い森鉄道」と、それぞれ第三セクターに移管される事になりました。その為に、沿線では下記のような事態になっているというのです。

>開業から3日目、初の平日となった12月6日の朝、駅に入ってきたのは、JR時代の4両編成ではなく、たった2両編成の列車。車内は通学の高校生ですし詰め。病院へ通うお年寄りが列車に乗れず、ホームで立ち往生するほどだった。運賃も大幅に値上げされた。通学定期は据え置かれたが、普通運賃はJRの1・37倍、通勤定期は1・65倍となった。
>「当面は車両や運転本数をできる限り少なくして、輸送効率を高めるしか手がないのでは」(鉄道関係者)というように、縮小均衡以外の改善策は見あたらない状況だ。(いずれも当該記事より)

 これが所謂「並行在来線問題」というやつです。これは東北本線だけでなく、信越本線(軽井沢・横川間廃止と、軽井沢・篠ノ井間の「しなの鉄道」への移管)や、鹿児島本線(八代・川内間の「肥薩おれんじ鉄道」への移管)など、全国各地で起こっている問題です。
 何故こんな事態になってしまったのか。それは、1990年の政府・与党合意によって、それ以降に開通した整備新幹線の並行在来線については、不採算区間は全てJRから切り捨て第三セクターとする事で、沿線住民に赤字の尻拭いを押し付けるようにしてしまったからです。しかも、同じ並行在来線でも、まだ比較的採算が見込まれる線区についてはJRにそのまま留め置くという、JRによる「エエとこ取り」まで認めてしまっているのです。沿線住民には自己責任の名でとことん犠牲を強いておきながら。こんな不公正・不公平な話はありません。

>JRは沿線の自治体との同意が得られれば、新幹線開通後、並行在来線の経営を分離できることになっている。九州新幹線の鹿児島ルートの一部(新八代~鹿児島中央間)が開業した際は、肥薩おれんじ鉄道(八代~川内間)が第三セクターに分離されたが、同鉄道は少子高齢化や過疎化で沿線人口が減少し、厳しい経営環境にさらされている。
>ただ来春、開業する「博多~新八代間は「福岡、熊本の都市圏を走るため、通勤通学需要が大きく、新幹線開業後も一定の収益が見込める」(JR九州)という比較的、優良な路線でもある。さらにこの区間は私鉄の西日本鉄道が並走しており、「ライバルに客を取られたくなかった」(関係者)と指摘するように、結果的に路線が維持されたとの見方もある。(同上)

 しかし、そもそも国鉄時代からの巨額の赤字を生み出したのは一体誰か。選挙での集票の為に赤字ローカル線を作らせた自民党の族議員や、ゼネコンを儲けさせる為に不要不急の整備新幹線を作らせておきながら、高利で巨額の債務を当時の国鉄に肩代わりさせてきた鉄建公団などではないですか。そうやって、自らが巨額の赤字を作り出しておきながら、そのツケを一方的に沿線住民だけに擦り付けるのでは、話の筋が通りません。正に「マッチポンプ」そのものです。

>JR西の佐々木隆之社長は昨年12月1日の記者会見で「これらの線は輸送量が少なく、経営が苦しい」として、バスへの転換、路線の廃止を踏まえた協議を地元自治体と始める意向を示した。北陸本線の当該区間をJRから分離する以上、同区間から伸びる支線も分離しないと、JRが「飛び地」の路線を運行する形となり、維持費用や運賃なども割高となってしまうためだ。
>ただ、安定的な路線の運営に不安を覚える沿線の自治体からは「支線は並行在来線とは違う。引き続きJRが担当すべき」(富山県)と、反発の声が上がる。地域に暮らす人々の足をどう守っていくのか、という重い課題。沿線の自治体はまだ明確な答えを見いだせていない。(同上、北陸新幹線開通に伴う並行在来線問題に関して)

 それが、この記事の書きようは一体何ですか。「地域に暮らす人々の足をどう守っていくのか、という重い課題」とか、「沿線の自治体はまだ明確な答えを見いだせていない」とか、まるで他人事みたいな書きようで。これでは、まるで沿線の自治体や住民だけが悪いみたいですね。
 確かに、沿線の自治体や住民にも、禄でもない自民党議員を選んでしまったり、鉄建公団の利権構造を黙認してきた責任の一端はあるかも知れません。しかし、それはあくまでも、企業・地域ぐるみ選挙の中で、やむなく圧力に屈してしまったという事でしかない。本当に悪いのは、そうやって住民や自治体を恫喝し、その中で利権を貪り食ってきた族議員やゼネコン、鉄建公団のほうです。「重い課題」や「明確な答え」を出す責任があるのも、沿線住民ではなく利権を貪り食ってきたやつらのほうです。

 そもそも、それ以前に、「整備新幹線と並行在来線のどちらを残すか」という選択の枠組み自体がナンセンスです。整備新幹線なんて、「在るには越した事がないが、今特に無くても別に困らない」、所詮はその程度のものでしょう。大都市圏の住民にとっては、在来線から新幹線に代わった所で、せいぜい観光地への到着時間が1~2時間早まるだけでしょう。しかし、沿線住民にとっては、新幹線は地域を素通りしていくばかりで、逆に並行在来線がズタズタに寸断される事で、通学・通勤・買い物・通院もままならなくなるのです。住民の交通権・生存権・生活権を保障する上で、一体どちらを優先すべきか。それは誰が見ても並行在来線のほうでしょう。

 整備新幹線なんて、並行在来線では交通需要を賄えない所にだけ敷設すれば良いのです。それを、わざわざ並行在来線を寸断するなぞという、本末転倒な真似をしてまで、無理に敷設しなければならないものだとは、到底思えません。そして、仮に敷設する場合も勿論、並行在来線はJRが運営しなければなりません。それが公共交通機関としての使命です。
 勿論、企業は営利を目的としています。しかし、その営利も、顧客や従業員・取引先の生活向上に還元されてこそ、初めて価値のあるものです。従業員や取引先の犠牲の上に、ひとり企業だけが胡坐をかくような真似なぞ、絶対に許されるものではありません。それは鉄道会社とて例外ではありません。

(参考記事:適宜追記)
・asahi.com:(2)もがく並行在来線-マイタウン青森
 http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000651011270001
・鉄道ウオッチングのすすめ3 各地で起きている「並行在来線問題」
 http://homepage3.nifty.com/kumanotaira-mura/tetsudou-watching3.html
・北陸・東北新幹線開業に伴う並行在来線のJR経営から分離の第三セクター鉄道比較
 http://www5e.biglobe.ne.jp/~thlt/hokuriku/hokurikuline.0005.html
・いま再び並行在来線問題を考える(レイバーネット)
 http://www.labornetjp.org/news/2011/1294242169882zad25714

(追記)
・記事のタイトル名を一部変更しました。「ネオリベ」とは、新自由主義(者)の略称(蔑称の意味合いも多少有り)で、ここでは「主に大都市に住み、先進国・財界・正社員中心の物の見方しか出来ずに、小泉構造改革や石原・橋下知事などの強権的手法をひたすら支持してきたような人たち」ぐらいの意味合いで使っています。
コメント (8)
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