アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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チュニジアの独裁政権打倒も民衆の格差社会への怒りから

2011年01月16日 14時18分10秒 | その他の国際問題
Tunisia: protests continue(アルジャジーラ動画:蜂起が成功したチュニジアの最新映像)


 今回は予定を変更して、まずこのニュースから。北アフリカのチュニジアで、23年間も事実上の独裁者として君臨してきたベンアリ大統領が、民衆デモによって、この14日に遂に退陣に追い込まれました。このデモは、失業し野菜の露天商として細々と生計を立てていた若者が、警察の横暴な取り締まりに対して、抗議の焼身自殺を決行した事から始まりました。この事が、20%にも上る若者の失業率や、物価高騰に苦しめられてきた民衆の怒りに火をつけました。デモや暴動が首都をはじめ全国各地に飛び火し、非常事態宣言や夜間外出禁止令などを以ってしても抑えつける事が出来なくなり、とうとう政権崩壊にまで至りました。
 
 この国は、アラブ諸国の中でも近代化が進み、最近は観光業にも力を入れていました。カルタゴの古代遺跡や、チュニジアンブルーと呼ばれる青色の窓の装飾、古都カイラワーンや、シディ・ブ・サイドやジェルバ島などの地中海岸の保養地、サハラ砂漠のラクダツアーや先住民族ベルベル人の穴居住宅などで、とりわけバックパッカーの間では、ちょっとした有名観光地になっていました。
 また、政治的にも、曲がりなりにも議会制民主主義が機能し、野党も活動している、アラブ諸国の中では数少ない国のひとつでした。

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 でも、それはあくまでも表面上だけの事でした。国内では秘密警察の網の目が光り、野党はあっても形だけで、労働組合も単一の御用組合以外はすべて弾圧されてきました。その下で、独立後30年ほどは初代大統領ブルギバの下で「社会主義」を真似た独裁政治が行われた後、ブルギバを追放して第2代大統領に就任したベンアリによって、今度は逆に、日本で言えば小泉政治に相当するような、経済規制緩和や輸入自由化、国営企業の民営化が、世界銀行やIMF(国際通貨基金)からの融資と引き換えに強行されました(←この事は日本のマスコミは殆んど取り上げない)。
 その結果、貧富の格差がどんどん拡大し、80年代以降はイスラム原理主義勢力(アルナハダ)によるテロも頻発するようになりました。政府はそれらの抵抗を悉く力で抑えつけ、「西欧流民主主義のショーウィンドー」を今まで装ってきたのが、ここに来て遂に破綻したのです。

 これは何もチュニジアだけに限った話ではありません。エジプトのコプト教徒による反政府デモも、きっかけは先日のコプト教会での自爆テロに対する政府の不手際から起こったものですが、その背景には同国のムバラク独裁政権やその下での格差拡大に対する民衆の不満増大がある事は間違いありません。
 経済危機に端を発したギリシャのデモ・暴動や、年金制度改悪に端を発したフランスのデモ・暴動も、本質的にはチュニジアやエジプトのものと全く同じものです。また、かつては「米国の裏庭」とみなされてきた中南米諸国でも、親米独裁政権が次々と一掃され、今や左派政権だらけになってしまった理由も、それと全く同じです。
 去年、菅総理が「日本もギリシャのようになってはいけない」と発言しましたが、そんなものは、所詮は財界の言い分にしか過ぎません。労働者の側からすれば全く逆です。ここは寧ろ「日本の民衆も、チュニジア・ギリシャ・フランス・中南米の民衆や、チョン・テイルさんの焼身自殺を機に奴隷根性を乗り越えていった韓国の民衆のように闘わなければならない」と言い換えなければならないと思います。

(関連記事)

・チュニジア、ベンアリ政権崩壊=23年間の独裁体制に幕-大統領はサウジに亡命(時事通信)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110115-00000015-jij-int
・デモ隊と警察衝突、市民14人死亡…チュニジア(読売新聞)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110110-00000464-yom-int
・チュニジア暴動の発端は「就職できなかった大卒者の焼身自殺」(低気温のエクスタシーbyはなゆー)
 http://alcyone.seesaa.net/article/180089094.html
・中東の窓
 http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/
・チュニジア研究 on Hatena
 http://d.hatena.ne.jp/beautifultunisia/ 
・チュニジア経済:政府管理の下、安定成長を持続(三菱東京UFJ銀行、PDFファイル)
 これはあくまでも財界目線からみた記事である事に注意。
 http://www.bk.mufg.jp/report/ecostl2010/ldnreport_20101202.pdf
・テュニジア-織り成す文明の闘争と調和(原清という人のチュニジア滞在記)
 たまたま見つけたHPですが、この国の姿が分かりやすく説明されていると思います。
 http://www2.pf-x.net/~informant/tunisia/tunisiaessay.htm

●追記1 チュニジアの「普天間問題」

 チュニジアは旧仏領植民地から1956年に独立した国だが、独立後もフランス軍は国内第4の都市ビゼルトの海軍基地に居座ったままだった。このフランス軍基地が返還されたのは1963年だが、そこに至るまでは決して平穏な道のりではなかった。駐留フランス軍と政府軍との間の戦闘では、千人からのビゼルト市民が犠牲になった(←この事も日本のマスコミは前者以上に取り上げない)。
 それには勿論、当時の情勢の助けもあった。当時はアフリカ諸国の独立が相次いだ民族独立の時代で、チュニジアも独立後は隣国アルジェリアの独立闘争を物心両面で支援した。初代大統領ブルギバが形だけでも「社会主義」を唱えたのも、この当時の世相による所が大きい。しかし、所詮はそれは形だけのものだった。農地改革で誕生した協同組合の幹部には旧地主が居座り、「独立の父」ブルギバも次第に独裁色を強め、やがて腹心のベンアリによって国外追放されてしまう。そのベンアリも、ブルギバと同じ道を歩んだ挙句に、最期には同じ様に追放されてしまったのだから、正に歴史の皮肉という他ない。
 しかし、そんな親西欧の独裁国家ですら、日本よりは遥かにマトモな自主独立外交を展開してきたのだ。そして内政面においても、一時は「社会主義」を標榜し、上辺だけとはいえ格差是正に乗り出した事もあったのだ。普天間問題、派遣法改正骨抜き、消費増税・法人減税一つとっても、財界・米国第一で国民生活の事なぞまるで眼中にない、今の民主党政権や自民とその亜流政党に、チュニジアの独裁政権を批判する資格が果たしてあるかどうか。

●追記2 チュニジアと日本共産党

 何故、中東のイスラム国家チュニジアの話に日本の共産党が登場するのか。それは、日本の将来を考える上でも、決して避けて通れない問題があると考えるからだ。イラク戦争に反対の共産党は、アラブ諸国との連帯を唱え、サウジアラビアなどの王制諸国の政府とも活発に交流を続けている。この「野党外交」自体は無碍に否定すべき事ではなく、寧ろ当時の自民党や今の民主党政権の対米従属外交と比べたら、遥かにマトモな姿勢だと思う。
 しかし、仮にも労働者の国際連帯を謳う以上は、政権党以上に本来の友党(共産党系その他の左翼政党)や労働者との交流を優先すべきではないか。そして今回の事態では、いち早く同国民衆の闘いを支援すべきではないか。それが、幾らイラク戦争反対の為とは言え、同国の独裁与党RCD(立憲民主連合)との交流ばかりに目が行っているようでは、自民・民主の与党外交とも本質的には何ら変わらないではないか。(「しんぶん赤旗」2006.11.6付「チュニジア国際シンポ開幕/緒方副委員長出席/49政党・組織参加」)
 この問題が如実に現れているのが、同党と中国・北朝鮮との関係だ。それらの国々における人権侵害や少数民族抑圧と、どう向き合うかが問われている。その点をクリア出来ない限り、今後日本での支持拡大は難しいだろう。
 勿論、その共産党を批判し、普天間問題や格差問題でも米国の提灯持ちをするしか能のない、今の政府・財界、自民党その他の右翼保守勢力や、チュニジアの事態についても他人事の報道にばかり終始している日本の御用マスコミに、共産党の野党外交を批判する資格はない。しかし、当の共産党自身も、そこに安住している限り、万年野党から抜け出す事は出来ないだろう。
コメント (4)
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