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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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トンデモを放置してはいけない

2013年08月07日 23時15分08秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな
 昨年の原爆忌、広島と長崎で開かれた平和式典に、原爆投下を命じたトルーマン元米大統領の孫に当たるクリフトン・トルーマン・ダニエルさんが出席して、話題になった。今年の外国人参列者の「主役」は、米映画監督のオリバー・ストーンさんだろう。
 ▼社会派監督として知られるストーンさんは昨年、第二次世界大戦前夜からオバマ大統領の登場までを、独自の視点で追いかけたドキュメンタリー「もうひとつのアメリカ史」を制作した。そのなかで、日本への原爆投下の主たる目的はソ連への牽制(けんせい)であり、軍事的な必要性はなかったと主張している。
 ▼全米で論争を引き起こした番組の脚本は、アメリカン大学歴史学科のピーター・カズニック教授と共作した。カズニックさんは毎年夏、学生を連れて広島、長崎を訪れており、今回ストーン監督も同行したというわけだ。
 ▼1995年、ワシントンのスミソニアン博物館が「原爆展」を企画したところ、退役軍人会などの反対で、事実上、中止に追い込まれたことがあった。そのとき近くにあるアメリカン大学で、広島、長崎の被爆資料の公開にこぎつけたのが、カズニックさんだった。
 ▼「原爆のおかげで戦争が終わり、アメリカ兵だけでなく、多数の日本人の命も救われた」。大多数のアメリカ人が今もこう信じている。誤った歴史観を正すために、お二人には今後も奮闘していただきたい。ただ、気になることがある。
 ▼カズニックさんは、最近の朝日新聞紙上で、核廃絶だけでなく、脱原発、憲法9条堅持、そして米国の軍事政策への反対を呼びかけていた。余計なお世話だ。きょうと9日は、何より原爆の犠牲者を哀悼する日でなければならない。政治を持ち込まないでほしい。(以上引用)
 http://sankei.jp.msn.com/life/news/130806/trd13080603040000-n1.htm
 http://sankei.jp.msn.com/life/news/130806/trd13080603040000-n2.htm

 前回記事でも少し触れたが、産経新聞のコラム「産経抄」8月6日付の上記内容が余りにもトンデモなので、ここで改めて批判しておく。

>社会派監督として知られるストーンさんは昨年、第二次世界大戦前夜からオバマ大統領の登場までを、独自の視点で追いかけたドキュメンタリー「もうひとつのアメリカ史」を制作した。そのなかで、日本への原爆投下の主たる目的はソ連への牽制(けんせい)であり、軍事的な必要性はなかったと主張している。
>「原爆のおかげで戦争が終わり、アメリカ兵だけでなく、多数の日本人の命も救われた」。大多数のアメリカ人が今もこう信じている。誤った歴史観を正すために、お二人には今後も奮闘していただきたい。

 ここまでは良い。しかし、

>カズニックさんは、最近の朝日新聞紙上で、核廃絶だけでなく、脱原発、憲法9条堅持、そして米国の軍事政策への反対を呼びかけていた。余計なお世話だ。きょうと9日は、何より原爆の犠牲者を哀悼する日でなければならない。政治を持ち込まないでほしい。

 その後のこれは一体何だ。
 別に原爆なぞ投下せずとも日本の敗戦は確定していた。原爆投下の目的は日本に勝つ為でなく、ソ連への牽制にあった。その軍事的には不必要で国際法にも違反する原爆投下で、多くの市民が犠牲になった。
 その悲劇は戦後にも及び、米軍占領やその後の東西冷戦下において、原爆被害の実態は軍事機密として隠蔽され、被爆者はABCC(原爆障害調査委員会)で人体実験のモルモットとして扱われ、まともに治療もされずに放置された。それを打ち破ってきたのが戦後の原水禁運動や憲法擁護の運動なのだ。その運動の広がりの中で、原爆症に苦しみ世を恨むだけだった被爆者も、「ピカが移る」と被爆者を差別していた国民も、共に核廃絶や戦争・抑圧からの解放を希求する、より高い次元に到達する事が出来たのだ。「核廃絶」や「憲法9条堅持」などの運動課題も、そこから導き出されたものだ。つまり両者は不可分一体なのだ。

 それを、前者を後者から敢えて切り離し、前者だけを「誤った歴史観を正すために今後も奮闘していただきたい」と持ち上げる一方で、後者は一転して「余計なお世話」「政治を持ち込まないでほしい」と切って捨てる。その特異な価値観は一体どこから来るのか。
 恐らく、原爆投下を現代の核廃絶の課題から切り離し、単に「米国への敵討ち」のレベルでしか捉えていないからだろう。「かつては鬼畜米英と憎んだ相手だが、今は中国や北朝鮮に対抗する為に、心ならずも米国の言いなりになるしかない」というのが、産経の本音ではないか。
 産経の頭の中にあるのは、「どうやって国益を守るか、戦争利権を守るか」という支配者目線だけで、被爆者の救援や核廃絶などハナから眼中にはないのだ。だから、原爆忌においても、最も重要な核廃絶や戦争防止、被爆者援護という喫緊の課題を他所に、「鬼畜米英」「大日本帝国万歳」の立場からしか物が言えないのだ。どのような価値観を持とうと産経の勝手だが、その特異な偏狭イデオロギーで原水禁運動を一方的に決めつけ、原爆忌まで政治的に利用するとは、もう言語道断という他ない。

 確かに原水禁運動にも、過去には産経同様の偏狭さに囚われた時期があった。「米国の核には反対するが、ソ連や中国の核には反対しない」という論理がまかり通ったり、被爆者の中にも在日朝鮮人や未解放民への差別や排除があったのは事実だ。原発にも反対しなかった。しかし、その誤った傾向は、長年に渡る運動の歴史の中で、徐々に克服されてきた。
 今や原水禁運動は、米国だけでなく、仏・露・中国・インド・北朝鮮など他の全ての核保有国に対し、核廃絶を訴えるようになっている。そして、単に「平和でありさえすれば良い」というのではなく、自由や人権こそが平和を保障するという観点で、脱原発や民族差別廃絶や格差是正も訴える中で、核廃絶を主張するようになっている。3.11以降は脱原発の立場を鮮明にするようになった。
 それに対して、未だに前述の特異な価値観に止まったままで、そこから今の原水禁運動に対して、やれ偏向しているだの反日だのと、十年一日の如くステレオタイプの批判しかできず、「鬼畜米英」「大東亜戦争は正しかった」とは言えても、沖縄でのヘリ墜落事故で露わになった米軍の治外法権や、日米一体で進めてきた原発推進の下で起こった福島原発事故や、日本の農業や医療を米国に売り渡すTPPには何も言えない産経こそ、逆ダブルスタンダードの偏向丸出しではないか。

 産経抄は翌7日のコラムでも、大正米騒動を例に引いて「中国の格差社会の方がもっと酷い」と書きたてている。確かに、中国の農民工(出稼ぎ労働者)の悲惨な現状や搾取の実態は告発されて然るべきだ。しかし、だったら尚更の事、何故もっと今の日本のブラック企業による搾取も告発・糾弾しないのか。中国の農民工も、日本のワーキングプアも、同じ一人の人間として、人権の重さに違いはない筈だ。ワタミに連日1日10数時間も働かされて過労死させられた女の子や、都心に無数にあるといわれる脱法ハウス(タコ部屋)は、言わば日本における「農民工」の縮図ではないのか。
 そういう逆ダブルスタンダードが鼻につくから、産経がいくら訴えても、北朝鮮やウイグル・チベットの人権問題が思う程には広がらないのだ。
 これは沖縄県民や我々本土のワーキングプアにとっても、中国や北朝鮮の民衆にとっても、どちらにとっても不幸な事態だ。どちらも、一人の人間として、その人権が尊重されなければならないからだ。その為にも、このような産経の逆ダブルスタンダードについては、それが幾らトンデモな言説であろうとも放置せずに、必要な批判を加えなければならない。

 その際、見かけのトンデモにばかり徒に目を奪われるのではなく、その本質こそ徹底的に批判するよう注意しなければならない。
 先日の麻生太郎による「ナチスの手口に学べ」発言も、その一つ一つの言葉尻に囚われる事なく、その文脈において批判しなければならない。たとえ、発言の前段でどれだけワイマール憲法を持ち上げていようとも、後段で「ナチスの手口に学び、人目に付かず改憲しろ」と言っている限り、それがナチス肯定以外の何物でもない事は明らかだろう。

 ナチスが政権を獲得した際も、得票率自体は過半数には及ばなかった。当時のドイツにおいても、ナチスのトンデモを批判する声は決して少なくはなかった。にも関わらず、ナチスが権力を握り、ワイマール共和国を骨抜きにし、ユダヤ人虐殺に突き進んで行ったのは何故か。その一つの原因は、本来なら反ファシズム統一戦線を組んでナチスに対抗すべき社会民主党と共産党が、互いに足を引っ張り合い、その他の諸党も小党分立でナチスに対抗できなかった事だ。そしてもう一つは、そんな政治に絶望した国民が、「たとえトンデモでも今の混乱から抜け出し不況を打破してくれるなら」とナチスに淡い期待を寄せ、ナチスの暴力にも見て見ぬふりをしたからだ。トンデモを必要以上に恐れる必要はないが、さりとて決して軽視もしてはならない。
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平和とは、一人一人が輝いていること。

2013年08月07日 00時33分36秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
平成25年度「平和への誓い」

今でも、逃げていくときに見た光景をはっきり覚えている。
当時3歳だった祖母の言葉に驚き、怖くなりました。
「行ってきます」と出かけた家族、「ただいま」と当たり前に帰ってくることを信じていた。でも帰ってこなかった。
それを聞いたとき、涙が出て、震えが止まりませんでした。

68年前の今日、わたしたちのまち広島は、原子爆弾によって破壊されました。
体に傷を負うだけでなく、心までも深く傷つけ、
消えることなく、多くの人々を苦しめています。

今、わたしたちはその広島に生きています。
原爆を生き抜き、命のバトンをつないで。
命とともに、つなぎたいものがあります。
だから、あの日から目をそむけません。
もっと、知りたいのです。
被爆の事実を、被爆者の思いを。
もっと、伝えたいのです。
世界の人々に、未来に。

平和とは、安心して生活できること。
平和とは、一人一人が輝いていること。
平和とは、みんなが幸せを感じること。

平和は、わたしたち自らがつくりだすものです。
そのために、
友達や家族など、身近にいる人に感謝の気持ちを伝えます。
多くの人と話し合う中で、いろいろな考えがあることを学びます。
スポーツや音楽など、自分の得意なことを通して世界の人々と交流します。

方法は違っていてもいいのです。
大切なのは、わたしたち一人一人の行動なのです。
さあ、一緒に平和をつくりましょう。
大切なバトンをつなぐために。

平成25年(2013年)8月6日
              こども代表 広島市立吉島東小学校 6年 竹内 駿治
                      広島市立口田小学校  6年 中森 柚子

https://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1374108253266/index.html

>平和とは、安心して生活できること。
>平和とは、一人一人が輝いていること。
>平和とは、みんなが幸せを感じること。

 小学6年生にして、既に「平和」の本質をつかんでいる事に驚嘆します。
 「安心して生活できない」「一人一人が輝いていない」「みんなが幸せを感じていない」なら、それは決して「平和」であるとは言えないのです。
 いつまた事故を起こすとも限らない原発やオスプレイといつも隣り合わせで、軍法会議設置や「ナチスの手口に学べ」という発言が大手を振ってまかり通る「先行き不安な」社会。
 弱肉強食・競争至上主義の下で、ブラック企業にこき使われ、パワハラ・セクハラ・過労死・うつ病の危険に苛まされる「一人一人が全然輝いていない」社会。
 俺らが苦しいのは公務員や生活保護受給者がごね得だからだと、苦しみ自体を取り除こうとはせず「みんな平等に苦しくなければ」不公平だとする、そんな倒錯した価値観が大手を振ってまかり通る「みんな不幸せな」社会。
 そんな社会を変えない限り、平和なんて実現できっこありません。
 日本をそんな国にしてきた自民党政治を変えない限り、憲法の理想実現なんて永遠に無理です。
 また、そんな自民党が、日本を「不幸せ」にしてきた自らの責任を棚に上げ、憲法の理想を「奴隷の平和」と貶め、憲法改悪で国民の自由や人権を制限しようとするとは、正に天に唾する行為という他ありません。
 上記の小学6年生の気持ちをそのまま歌にした「世界に一つだけの花」の歌詞を軟弱だと謗り、あろうことか原爆忌まで米国への単なる敵討ちと大日本帝国美化に貶めようとする(8月6日付産経抄)自民党や改憲勢力に、そもそも自由や人権を云々する資格はありません。

>平和とは、安心して生活できること。
>平和とは、一人一人が輝いていること。
>平和とは、みんなが幸せを感じること。

 これこそが民主主義の精神です。日本の政治に今一番欠けているのが、この言葉、この精神ではないでしょうか。
 いつもは、この季節には広島平和宣言を紹介するのですが、今年は上記の理由で、この「平和への誓い」を紹介する事にしました。
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