軍艦島は生きている!―「廃墟」が語る人々の喜怒哀楽 (長崎游学マップ 4) | |
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暑い日が続いていますが、読者の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。私も夏バテで、なかなかブログを更新する気になれませんでした。これからぼちぼち更新していく事にします。まずは旅行の告知から。既にツイッターでは告知しましたが、この8月5日、6日と一泊二日で長崎に旅行に行きます。行き先は世界遺産登録を巡る騒動で話題になった軍艦島です。そのついでに長崎市内も回ってきます。
軍艦島というのは、九州・長崎半島の沖に浮かぶ炭鉱で栄えた小島です。端島(はしま)と言うのが島の正式名称ですが、横から見ると軍艦のように見えるので軍艦島と呼ばれました。幅数百メートルしかない小島に最盛期には5千人余もの人々が住んでいました。現在は炭鉱も閉山して無人島になり当時の廃墟だけが残されています。その廃墟群の世界産業遺産登録を巡り、日韓両国の間で対立が起こった事は皆さんもニュース等でご存知でしょう。
私も最初は、なぜ韓国政府が軍艦島の世界遺産登録にまでケチをつけてくるのか、いぶかしく思っていました。たとえ、朝鮮人強制労働などの負の遺産があったとしても、それをきちんと後世に伝える為にも世界遺産登録は必要だと思っていましたから。
でも本当は、ケチをつけていたのは韓国よりもむしろ日本政府の方だったようです。「前述の私のような趣旨であれば、韓国政府としても登録申請に協力する」と言う事で両国間で合意していたのに、そこに安倍政権の方から急に、「登録対象とするのは1905年までの産業遺産だけだ。1905年までが対象なので、1910年の日韓併合以降に本格化した朝鮮人強制連行などには触れなくても良いのだ」と横槍を入れてきた為に、問題がこじれてしまったようなのです。
・世界遺産をめぐって露わになった、安倍政権ニッポンの時代錯誤に歪んだ歴史観と、事実・現実の認識から逃避する精神構造 by 藤原敏史・監督(FRANCE10)
http://www.france10.tv/international/5147/
・世界遺産「韓国の裏切り」報道は大嘘! 難癖をつけたのは日本政府と安倍首相だった(リテラ)
http://lite-ra.com/2015/07/post-1256.html
・韓国反発「明治産業遺産」は安倍首相のゴリ押し! 仕掛人の女性に「俺がやらせてあげる」(同上)
http://lite-ra.com/2015/07/post-1250.html
これは誰が見てもおかしな理屈です。1810年に炭鉱が発見され、1890年に三菱の手に渡って本格操業が始まり、1916年以降は島内に鉄筋コンクリート造りの高層アパートが建設され、軍艦島(端島炭鉱)は最盛期を迎えます。炭鉱の石炭は優良品質の瀝青炭(れきせいたん)だったので、戦後にエネルギー源が石炭から石油に代わってもしばらくは操業を続ける事ができましたが、それでも時代の流れには逆らえず、1974年の閉山で無人島になってしまいました。その軍艦島の歴史からすれば、最盛期はむしろ1905年以降です。少なくとも産業遺産として登録するなら、1810年の発見から1974年の閉山までを一体として捉えなければならないのに、なぜ1905年なぞという中途半端な年代で、その後の歴史を切り捨てなければならないのか。
それでも時代区分で観るというのであれば、私はむしろ、1945年を境とした戦前と戦後で区分すべきだと思います。軍艦島の案内サイトには、「テレビや洗濯機がいち早く普及した」なぞと、戦後高度成長期における炭鉱夫の豊かな暮らしぶりが紹介されていますが、これも戦後の民主化で労働組合の活動が認められるようになったからでしょう。それ以前の、労働組合も労働基準法も無かった戦前の時代には、朝鮮人だけでなく日本人労働者の間でも、タコ部屋労働や「蟹工船」「女工哀史」的な搾取がまかり通っていたはずです。
だから、本当に分けて考えるならば、1905年なんかではなく、1945年を境としたの戦前と戦後に分けて考えなければならないはずです。その上で、戦前の悲惨な暮らしも、戦後の比較的余裕のある暮らしも、その余裕(高賃金)も落盤事故の危険と隣り合わせのはかないものであった事も、きちんと見た上で、過去の光と影の部分を公平に紹介するものでなければならないはずです。そうしてこそ初めて、軍艦島を世界産業遺産として登録申請する価値もあると思います。それが、安倍政権のような「光の部分のみにスポットを当て、影の部分は闇に葬り去る」ような姿勢では、韓国政府の反発を呼ぶのも当然でしょう。
もしも他国が同じような事をしたらどうなるでしょう?たとえば、米国が、1940年前後で歴史を適当に区切って、原爆開発におけるアインシュタイン博士の功績のみを伝え、広島・長崎の惨禍については評価の対象外だとして全然伝えなかったとしたら、我々はそんな「功績」の世界遺産登録に賛成できるのでしょうか?軍艦島の問題もそれと同じではないでしょうか。
『日本残酷物語』を読む (平凡社新書) | |
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今、長崎では、軍艦島観光がちょっとしたブームになっているそうです。世界産業遺産への登録申請を機に、島への上陸ツアーが企画され、島内の一部には見学路も整備されました。その中で、どこまで島の「影の部分」の歴史についても、きちんと紹介がされているか。それをまず観てこようと思っています。そして長崎(野母)半島先端近くにある軍艦島資料館にも是非行ってみたい。年末年始以外は年中無休で、長崎市内から約30分おきに出る市バスで比較的容易にたどり着く事ができ、入場料も無料との事。
そのついでに、せっかく長崎まで行くのですから、グラバー邸や坂本龍馬、シーボルトの史跡や、オランダ坂、眼鏡橋や、原爆資料館なども観てこようと、有休を取って一泊二日の日程で、オリジナルの旅行計画を立てました。
交通費を浮かせるために、行きは夜行バス、帰りは格安航空便で、宿泊も長崎市内のビジネスホテルを使う事にしました。8月4日の夜に大阪を立ち、5日はまるまる長崎市内観光に当てます。午前中に、軍艦島資料館の他にオランダ坂、大浦天主堂、グラバー邸などを巡った後、午後からは平和公園や原爆資料館の方に行く予定です。その中でも特に、原爆の爆風で残された山王神社の一本足鳥居や、中国革命の父・孫文と交流のあった実業家・梅屋庄吉の史跡(旧香港上海銀行記念館)は是非観てみたい。その上で、坂本龍馬やシーボルトの史跡にも行けたらもう御(おん)の字です。
その夜、前述のホテルに泊まった後、6日の午前中に軍艦島に上陸します。長崎市内に帰ってきて昼食を食べたら、もう13時過ぎには遠郊の大村市沖の空港に向かわなければ、大阪に帰る格安航空便の搭乗手続きには間に合いません。そう考えると、ちょっとハードスケジュールかも知れません。念の為に、効率良く回れるように、下記のオリジナル観光マップも作りましたが、さて、どれだけ回れる事やら。この調子では旅先も酷暑だろうし、軍艦島ツアーでは船に長く揺られたりもするので、日射病対策や船酔い対策も欠かせません。では、旅の報告については、次回のお楽しみと言う事で。
ちなみに「軍艦島ツアー」は、世界遺産登録とは関係なく、数年前から始まっています。もっとも、建物が老朽化していて、観光客が入れるのはごく一部だけですが。
とにかく、熱中症とかに気をつけて、旅を満喫して下さい。
プレカリさんの仰る理屈はあまりにも韓国コンシャス(韓国向けに寄り添い過ぎ)。
ここに強制連行など存在しなかったと思います。戦前では炭鉱は収入の多い花形職種でした。うまく紛れ込んで朝鮮人が居た可能性はありますが、競争倍率があるような職場にどうして強制労働が入り込む余地があるのでしょうか。
そして韓国政府はここの議論から即「強制労働」「奴隷労働」という意味を牽強付会に導きだし、これの遺族らへの謝罪と金銭的補償、更には奴隷労働を禁じたILOなどの規定を用いての日本ディスカウントを開始しました。
そのことは長崎県の現地で見るだけではわからないと思います。
私は韓国の保守政権の一連の反日議論に対してある程度の「聞く耳」は持っても良いと思っていたものですが、知れば知るほど、学べば学ぶほど韓国がひどいと思うようになりました。
彼らの議論はまるで世界の人権運動の旗手であるかのように、時には第二次世界大戦の戦勝国であるかのように議論があっちからもこっちからも借り物なんです。日本以上に国内貧富の差が激しく、日本以上にベトナム戦争に直で参戦し、アフリカで、中東で日本以上に略奪的な帝国主義的進出を続け、武器輸出に血道をあげ、核武装に与野党ともにツユほども抵抗がない。
今後、日本の左翼なり平和運動はこの韓国のなりすまし被害者ヅラや日本の運動への同調しつつの内政干渉とのかつて経験した事のない<何か>の戦いを経て総体的に言えば<手を切る>必要があると思います。マルクスもレーニンもホーチミンも経験したことのない未曾有の課題でありまして、私には漠とした疑問のような形しか見えてないのですけれども。
>採用試験で
それは無かったと思います。競争倍率があったら即採用試験という発想も時代が成したものであります。あいにくソースはありませんが、「なり手が居なくて苦労した」というソースもありません。戦争末期に成人男性が払底してどうしようもなくて官斡旋だとかを始めた様子は(それこそ嫌韓サイトにゴマンと資料が揃っています)ありますがそれで厚生省が日本に連れて来た朝鮮人が300人足らず。他の朝鮮人は自らの個人的な成功を期して出稼ぎに日本にわたって来たと言う理屈が経済法則から演繹すれば納得できました。
>とても共産党支持者とは思えない
自分でも現在の自分の認識には驚いています。しかし韓国政府の立場は誰がどうみても極右の立場でありまして、彼らが国際儀礼なり国際的な常識の範囲を厳しく自らに戒め踏まえた上で条理を尽くして切実な要求を日本に出しているとは思えません。
そして今回の世界遺産の件ですが、どうして韓国政府の横やりを飲まなければ韓国政府の告げ口外交による邪魔を受け入れなければならないのか。意見の違いがあろうとも邪魔までする事はない事柄と思います。
何と比較すれば良いかわかりません。本当に韓国政府の反日を国是とする立場にどう対処すれば良いのか。私も決めかねて居ます。
ただ、日本共産党に関して言いますと、理論可能性の中でほんのサワリだけさらっと言及しているのが「欧米の先進資本主義国であれば即ち”帝国主義国”としてきた事は改める。それぞれの国のそれぞれの個別の政策の中には帝国主義のような部分もあればそうではない国際政治の妥当な態度も存在する。それは20世紀後半から登場した新たな局面だ。またアメリカの政策ですら何から何まで全て帝国主義で敵なりとするものではない、現状はやはり帝国主義ではあるがその対処も敵対して戦争不可避というものではない」みたいな事は言及していたと思います。
それを韓国に適応するならば、韓国は「常に我が国だけは被害者」「常に我が民族だけは被抑圧者」という言い草であるけれども、個々の事例をつぶさに検討してそれが本当か検討する必要がある、となります。
まあ、だからといって私は私の認識を正当化しているのではありません。
しかし、プレカリさんの「韓国との交渉の結果を日本側が壊した」「だから韓国から横やりが入り、韓国の国際会議での邪魔によって世界遺産にならない事にプレカリさんは同意する」「今後も韓国政府や韓国人民と共に日本の世界遺産としてふさわしくない軍艦島を世界遺産から除外するまであくまで戦う?」というのは随分おかしいと思っております。
年度までの内地への動員割当数は合計91万人、移入実数は67万人とされる。このほかに樺太1万6千人(割当2万人)、南洋6千人(割当2万人)が労務動員計画にもとづいて移入された。
内地での動員先は、炭鉱48%、金属鉱山11%、土建16%、工場ほか25%と推定される。日本人の労務動員とは異なって朝鮮人の場合は、労働環境の劣悪な炭鉱・鉱山・土建が四分の三を占めていたのである。その結果、戦争末期には炭鉱労働者の三割余りが朝鮮人という状態になった。しかも集団移入の朝鮮人労働者のほとんどが危険な坑内労働を担わされていた。それらの労働現場では死亡する者も多数にのぼった。
同じく73pより…ところで、内地の労働力不足により強制連行が行われるようになったといっても、それまでの渡航規制が不要になったわけではない。渡航証明書などによる渡日規制は、朝鮮人が自らの意思と希望にしたがって、あるいは縁故を頼って仕事先を見つけて渡航することを制限するものであったが、労務動員計画の目的は、労働条件の悪さから労働力が不足している炭鉱などで朝鮮人を働かせることにあった。「自由に」就労先を選ぶ者が増えると、労務動員に支障をきたすことになる。むしろ渡航規制を続けることによって、炭鉱などに朝鮮人を誘導する必要があった。
ネットの怪しげな情報にふりまわされないよう、タマには真面目な本を読んでお勉強しましょう!
http://blog.livedoor.jp/rakukan/
この楽韓というサイトは反共も薄く親安倍でもなく、更には所謂嫌韓ヘイトとするにはヘイト成分がほぼないスタンスで参考になります。
引用されているのは韓国朝鮮日報の直近のコラムで、韓国人学者が書いているものです
> ・世界遺産騒動における外相会談での合意からの手のひら返しはひどい。
> ・しかし私はチニルパではない。
> ・日本の言っていることはもっともだ。
> ・しかし私はチニルパではない。
> ・韓国外交は嘘をつきすぎる。
> ・しかし私はチニルパではない。
> ・韓国社会は日本と手を結ぼうとすると「チニルパ(親日派)」を叫びすぎている。
> ・しかし私はチニルパではない。
> ・冷静になってみれば韓国と日本の間には合意すれば利益を生むものが幾多ある。
> ・しかし私はチニルパではない。
> ・中国を見てみろ。
> ・一方では日本の戦争責任を責めてはいる。
> ・しかし手をつなぐところは手をつないでいる。
> ・しかし私はチニルパではない。
> ・韓国もこうあるべきだ
> ・しかし私はチニルパではない。
> というようなことを言っているんじゃないかな……たぶん。
これ↑は傑作ですね。「チニルパ」は親日家という程度の朝鮮語ですが、”売国奴”程度の強い意味を持つそうです。
あゝ、なんと言うか私は元々そっちの系統でどっぷりと「お勉強」を蓄積してきたのでした。相手が何も知らないと決めつけてお勉強を躾けるみたいなスタンスも自分の過去です。
例えば「日本人の行きたがらない」はその著者の偏見で、既に戦時で日本人の男性はかなり戦地に行っていたのです。朝鮮人は徴兵はギリギリまでされませんでした。
勤労動員もギリギリまでされません。
> その結果3割が朝鮮人
→ 戦時中でも7割は日本人ですね。
また仕事の職種としては熟練工と素人工とがありますが朝鮮人は素人工として働かせる以外は無かったろうと容易に想像付きます。日本人は女子学生までヒロポンを打ちながら働かされた時代ですね。例としては不破哲三氏。確か16歳で終戦を迎えますが後に4進で易易と東大に入るエリートでしたが15~6歳でやはり労働強度の強い軍需工場での労働を強いられて居ます。これが国民総動員体制でした。
総動員体制は南北朝鮮自身も朝鮮戦争時代に双方で行いました。
米中の軍需品や経済力に全面依存した戦争でしたからあまり国内産業の製造現場ではなく、労働に駆り出すと言うよりいきなり兵士とされたり戦場での荷物運びの労役。女性は無理やり村を襲って銃剣突きつけてドラム缶に詰めて戦地への「第五補給品」と言う名の慰安婦でした。
修正資本主義者さんご紹介の楽韓というサイトですが、モロ嫌韓サイトじゃないですか。記事のトーンも他の嫌韓サイトと瓜二つで。とても「ヘイト成分希薄」とは思えませんでした。
そのサイトの中で紹介されていた朝鮮日報の当該記事についてですが、確かに、何が言いたいのか私も意味不明です。まるで安倍の国会答弁みたい。
最初の方で「次々と新たに明らかになる歴史的事実を否定、あるいは過小評価する日本政府の一貫した態度は、国際社会の誰も正当化できないはずだ」と書いておきながら、後の方では「韓国の期待を完全に充足させるには至らずとも、これまでできる限りそれを充足させようと努力する思いが相手にあったのなら、われわれも歴史問題で自分たちの原則と立場をあらためて見直すことを考えねばならない」と、全然逆の事を書いているのですから。
そして、その間に、これまた唐突に、日韓基本条約で、戦争被害に対する賠償請求権を韓国が放棄した事を肯定的に捉える文章が出てくる。これは、当時の日本の保守政権と韓国の軍事独裁政権という、同じ保守反動支配者同士による談合の産物でしかなく、戦争犯罪の清算・克服につながるものではなかった事が、既に明らかになっているにも関わらず。
そういう、何が言いたいのか全く意味不明の記事ではありますが、それでも「日本側だけでなく韓国側にも反省すべき点はある」と書いているだけでも、日本の嫌韓サイトやネトウヨ政治家の言説よりも「中庸」な分だけまだマシですね。嫌韓やネトウヨはそんな事、絶対に言いませんから。ひたすら「日本スゲー」「韓国バカ―」としか言いませんから。まるで何かに憑りつかれたかのように。
ところで、私の事を修正資本主義者さんは「韓国寄り」と評されますが、肝心のその根拠は余りお示しになられていないようです。
私は、「1905年という中途半端な年代で時代を区切り、それで軍艦島の価値を裁断してしまう安倍政権の姿勢はおかしい」「軍艦島を世界遺産として登録申請するなら、1974年の閉山までの生活史を全て含めて捉えるべきだ」と、具体的事実を挙げて、安倍政権のやり方や、それを容認する保守系・ネトウヨ人士の言説を批判しています。
だから、私を批判する場合も、他の色々な断片的事例を全部ごちゃ混ぜにして「だから韓国は」と一般論に流してしまうのではなく、「どの点について、どう思うのか」具体的に反論して欲しいと思います。
私はヘイト臭が無いとは申しましたが、左翼的立場、共産党と同意見、プレカリさんと同意見などとは書いて居なかったと思います。ヘイトクライムとかヘイトスピーチに類する態度が無いのです。
この楽韓さん程度の比較的カッチリとした韓国ウォッチサイトを「こんなの嫌韓じゃないか!見るんじゃなかった!!目が汚れる」みたいに毛嫌いするのではなくヘイトではない立場の違う人の意見を踏まえて話をした方が建設的だと思いました。ちなみにプレカリさんと同様に何かの市井の労働者で居らして、学者でもなければ党派でもなく、私の知るプレカリさんの時々なさるレッテル貼りや、やや悪罵のような記述も楽韓さんはほとんど見られません。
>そういう、何が言いたいのか全く意味不明の記事ではありますが、それでも「日本側だけでなく韓国側にも反省すべき点はある」と書いているだけでも
ええ、そうなんですよ。この韓国のコラム筆者はそういう立場。だがそういう立場を公然と掲げると社会的に抹殺されかねない。だから「しかし私はチニルパではない。」と論旨が矛盾してしまうのも厭わずに一々釘を刺すように書いている。楽韓氏は【韓国って21世紀の御代にもそういう”イソップの言葉”で書かねば身の危険が伴うほど言論が弾圧される反日の国】と指摘しているのですね。「安倍首相に阿ったから安倍首相の様に言葉が矛盾した」わけではありません。
> ところで、私の事を修正資本主義者さんは「韓国寄り」と評されますが、肝心のその根拠は余りお示しになられていないようです
韓国政府の主調が日本政府の主調よりも妥当性があるからとの趣旨でプレカリさんは書いておいでだったとお見受けしましたよ。違いますか?これが次節に続くのですが
>私は、「1905年という中途半端な年代で時代を区切り、それで軍艦島の価値を裁断してしまう安倍政権の姿勢はおかしい」「軍艦島を世界遺産として登録申請するなら、1974年の閉山までの生活史を全て含めて捉えるべきだ」と、具体的事実を挙げて、安倍政権のやり方や、それを容認する保守系・ネトウヨ人士の言説を批判しています
私は自民党支持ではないので、1905年を何の区切りとしたのかはよくわかりません。
しかしながら、国家総動員体制に朝鮮人も巻き込んで日本人の兵役のために労働力が払底した時に動員した時期は、恐らく1940年を遡る事はないと思います。今手元に「在日・強制連行の神話」がたまたまないもので、一々引用できないのですが、「官斡旋」という事実上の勤労動員に準じる役所の制度が開始されて以降に急激に朝鮮人の動員が始まります。4x年から45年までの数年間です。
プレカリさんは、「日本人がやりたがらない3K仕事を下賤な奴隷階級たる朝鮮人に押し付け、鞭打ち、ビタ一文もやる事なく、日本軍兵士として戦場に送るよりも過酷な仕打ちを、朝鮮民族抹殺のために日本政府が、戦争と無関係に、1905年以降から開始したのだ。そうに決まっている。だから韓国政府は110年も前の朝鮮人の名誉だけの問題で、本当は一円の賠償も必要なく、世界に日本の不名誉を印象付ける意図もない、誠実で一貫した、国際儀礼に乗っ取った外交エスタブリッシュメントらしい態度で、日本に紳士的に問題提起したのだが、野蛮で侵略的な日本政府と日本外務省がそれを拒絶した。だから韓国政府と韓国のマスコミは一体となって日本を非難するキャンペーンを一斉に始めたけれども、それは扇情的な大衆動員でもなければ、偽史運動でもなく、正しい歴史認識なのだ」とおっしゃるのでしょうか。
案外自民党は韓国の横やりが当然想定されたので、それを回避するために「1905年」と区切ったかも知れません。しかし横やりを入れてくる韓国政府の立場というのが私にはわかりません。それは名目上は「世界遺産」と大層なものですが、実質どの国でも観光名所の肩書みたいなものでしかないからです。「歴史の審判の前に厳粛に」とまなじりを決して検討するような事柄か?と。
>「軍艦島を世界遺産として登録申請するなら、1974年の閉山までの生活史を全て含めて捉えるべきだ」と
「近代」というのがいつまでなのかという事とも関係あるのではないかという気も致します。「産業革命」というのはそんなに1970年代の閉山までの区切りでなければならないという信仰の根本に関わる「薔薇の名前」なのでしょうか?
まさに韓国政府が横やりを入れる際に問題にしたのはこの朱子学的な建前議論でありました。
今回、安倍政権が「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコに登録申請したのは、八幡製鉄所や三池炭鉱、三菱長崎造船所や、私が今日上陸する軍艦島(端島)も含め、8県の15施設に及ぶ。単なる近代化遺産ではなく「明治日本」限定で、そのくせ松下村塾や萩・韮山の反射炉、海軍伝習所跡などの幕末(江戸時代)の遺跡を多数含んでいる点に注意されたい。安倍にとっては、「外国の脅威という強烈な危機意識の中、幕末から始まった西洋技術の導入を支えた」(長崎市の観光パンフレットより)遺産でなければならなかったのだ。
だから、登録申請遺跡の対象年代を1855年から1905年の50年間だけに限り、端島での朝鮮人強制労働の歴史については対象外と排除したのだ。安倍にとっては、日本の近代化とはあくまでも、松下村塾の勤王志士や小説「坂の上の雲」に出てくる「富国強兵」路線に沿った物でなくてはならない。だから、朝鮮人強制労働の歴史だけでなく、中国革命の父・孫文との親交を偲ぶ梅屋庄吉ミュージアム(旧香港上海銀行長崎支店記念館)や、地元・長崎の行政関係者や観光業者が宣伝して止まない、端島での炭鉱夫の「豊かな暮らしぶり」も、安倍にとっては遺跡登録の対象外であり、いわば「どうでも良い事」なのだ。
今回私が巡ろうとしているのは、その安倍にとっては「どうでも良い」裏メニューが中心だ。だから、本当はシーボルト記念館や坂本龍馬関連の遺跡も回りたかったのだが、限られた日程の中で訪問地を取捨選択するに当たり、有名なシーボルト記念館を外しても、それよりマイナーな梅屋庄吉ミュージアムの方を敢えて選んだのだ。次回のブログ更新では、安倍の欺瞞を暴く形で、「裏メニュー」に特化した旅の報告とするつもりだ。