新しい「教育格差」 (講談社現代新書)増田 ユリヤ講談社このアイテムの詳細を見る |
突然ですが、みなさんにお尋ねします。次の言葉の意味を、ほぼ正確に説明できる人や、そこまでは無理としても、大まかにでも理解出来ている人が、自分の周囲に一体どれ位いると思われますか?―(1)新自由主義、(2)ネオコン、(3)帝国主義、(4)ファシズム、(5)右翼、(6)左翼、(7)与党、(8)野党。
上記の質問に対して、以前の私ならこう答えていたでしょう―(1)(2)に関しては、90年代以前にはあまり馴染みのなかった言葉なので、「説明可能」「大まかにでも理解」ともに4割位と比較的少ないものの、(3)(4)については「説明可能」でも4割、「大まかにでも理解」まで含めると8割以上、(5)(6)についてもほぼ同様だが、ひょっとしたら「説明可能」が少し下がるかも、(7)(8)に至っては「説明可能」「大まかにでも理解」ともに9割以上。
ちなみに、(5)(6)の「説明可能」が(3)(4)より少し下がるかも知れないと見たのは、この言葉には歴史的背景が絡むからです。一般的には、右翼というのは資本主義者や国家主義者、左翼というのは社会主義者や共産主義者を指すと思われています。しかし、元々はフランス革命当時の革命議会での議席配置に由来する言葉で、穏健派(主に議場の右側に陣取った)と急進派(同じく左側に陣取った)ぐらいの違いでしかないのです。だから本来は、時代や国情によっても内容が微妙に変化するのです。そういう歴史的背景も含めて説明できなければ「説明可能」とは言えないので、少し割り引きました。
ところが、今やそんな生易しい状況とは思えないのです。―(1)(2)については「聞いたこともないし勿論知らない」という人が少なく見積もっても6割はいる、(3)(4)も、「聞いた事はあっても意味もろくすっぽ知らない」まま、単なる「レッテル張りの代名詞」としてしか通用せず、(5)(6)も、「ネトウヨとかサヨを漢字で言い換えるとこうなる」という程度の認識しかなく、(7)(8)でようやくまともに使いこなせるようになる―こんな感じではないでしょうか。
何故こんな事を書くかというと、これまでの私のバイト経験の中で、例えば休憩時間などで、よもやま話や芸能ネタの合間に交わされる、派遣村の話題や、橋下知事の評判、小沢献金問題といった政治談議の中で、他のバイトの発言などから、上記の状況が次第に見えてくるのです。
実際、私の勤務先の例で言っても、バイトの政治レベルはもう千差万別、ピンからキリまであります。ピンのレベルでは、まるで斎藤貴男や小熊英二がお忍びでウチに働きに来ているのかと見間違えるような人もいます。そういう人には上記(1)(2)レベルの言葉も難なく通用します。しかし、そのような人はやはりごく稀です。その一方で、キリも酷いのになると、今の首相の名前も言えない、小学生レベルの算数の計算も出来ない人も、実際にいるのです。
そこまで行くと、単に「難しい言葉を簡単なものに置き換えて説明する」だけでは対処不能です。例えば「新自由主義」という言葉を、幾ら別の「弱肉強食資本主義」「マネー資本主義」「市場原理主義」などに置き換えても、「資本主義とは何?」以前に、「弱肉強食」や「マネー」の意味すら分からないのですから、もうお手上げです。
問題はその様な「世論の知的劣化、社会認識力(物事を社会的関わりの中で捉える力)の衰え」ともいうべき状況を、我々ブロガーがどこまで肌身に感じているかです。先にあげた例でも、首相の名前や「弱肉強食」の意味を知らないのはもはや論外としても、その他については、決して私の職場だけに限られた話ではないと思います。それに対してどう対処し得ているか。はっきり言って、どこのブログも、相も変わらず高尚で小難しい議論を展開しているだけではないでしょうか。私の所も含めて。
「じゃあ、お前はそれをどう乗り越えたんだ?」と問われたら、私も「相も変わらず高尚で小難しい議論を展開しているだけ」という点では全く同じです。実際、職場の同僚からも「××さん(私の本名)のブログ、難しすぎて書いてある事がよく分からない」という声がありましたので、この間ブログ記事の文章を手直ししたりしてみましたが、余り効果はなかったようです。
しかし、これをただ単に「政治系ブログの宿命」として片付けてしまって良いのでしょうか。「24時間営業のコンビニや、低価格の百円ショップが増えて便利になった」という見かけの便利さだけに目を奪われ、その裏にある「深夜営業や安売りの店でしか買い物が出来なくなっている消費者の長時間労働・貧困」や、「それらのコンビニ・量販店に言い値で単価を買い叩かれる生産者の苦しみ」には気付かない視野狭窄・知的劣化状況が、我々が思っている以上に広がっているのではないでしょうか。だが、そこを突破しない限り、みんなに明日はない。それを最近強く感じます。
(追記)
ちなみに、以下はヤフー辞書からの引用。
【新自由主義】(出典:大辞泉)
政府などによる規制の最小化と、自由競争を重んじる考え方。規制や過度な社会保障・福祉・富の再分配は政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由な経済活動を妨げると批判。市場での自由競争により、富が増大し、社会全体に行き渡るとする。ネオリベラリズム。→リバタリアニズム
大企業や資産家などがより富裕化することを是認し、それらによる投資や消費により中間層・貧困層の所得も引き上げられることで、富が再配分されるとする。しかし、再配分よりも富の集中や蓄積・世襲化が進み、貧富の差を広げるという見方もある。
【ネオコン】(出典:新語探検)
ネオ・コンサバティブ(新保守主義)を略したもの。「強いアメリカ」を信奉し、それを推し進めようとするする政治勢力を指す。ネオコンが力をもち始めたのは1980年代初頭のレーガン政権時代からで、軍事力を背景として「民主主義」「人権」「市場経済」といったアメリカの伝統的価値観の拡大を目ざしている。副大統領のディック・チェイニー、国防長官のドナルド・ラムズフェルド、国防副長官のポール・ウォルフォウィッツなどが代表的。この人脈を保守系雑誌『ウィークリー・スタンダード』の編集長ウィリアム・クリストルが作ったタカ派団体「新たなアメリカの世紀のためのプロジェクト(PNAC)」が強力に後押ししている。現大統領ジョージ・ブッシュもこうした背景に守られて「単独行動主義」を推し進め、「悪の枢軸」イラクを攻撃することがアメリカの利益になるとしている。
【帝国主義】(出典:大辞泉)
政治・経済・軍事などの面で、他国の犠牲において自国の利益や領土を拡大しようとする思想や政策。狭義には、資本主義の歴史的最高段階として19世紀後半に起こった独占資本主義に対応する対外膨張政策。「―戦争」
【ファシズム】(出典:大辞泉)
極右の国家主義的、全体主義的政治形態。初めはイタリアのムッソリーニの政治運動の呼称であったが、広義にはドイツのナチズムやスペインその他の同様の政治運動をさす。自由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする。
農家に行って民主党の農業政策への反応調べてみなさいよ。
中・低所得層家庭の奥さんに民主党の子育て政策について感想を聞いてみなさいよ。
民主党(とりわけ小沢軍団)のやってることは単なる選挙向けパフォーマンスに過ぎませんよ。
それに、そもそも日本のような先進国では「地上戦」にも限界があることを良く見ておく必要もあります。
川田龍平親子をみてください。大谷昭宏みてください。橋本聖子や桝添要一みてください。ヤンキー先生見てください。そんな連中が過去「赤旗」にいっぱい登場してたんですよ。偉そうなこと言ってね。
つまり、個別問題、特殊領域の政策問題だけについての認識や活動だけではダメなんです。貧しい労働者の間でだって宝くじでも当たれば「喉元過ぎて熱さ忘れる」っちゅうことが頻繁に起きるんですからね。
要は、先進国の有権者には、社会や政治の問題で、普遍的な総体的な理解への道を歩んでもらうようにすることこそが肝心なんです。
今の日本は、パンと平和が希求された20世紀初頭のロシアなんかとは違うのですからねw
郵政「再国営化」と子供手当と農家の所得保証などの政策を
軍団に辻立ち一万回で説いて回らせて、
(自民党に見捨てられた)地方から勝利を手にしました。
やはり具体的な生活の保証や未来を話題にする必要があるんですよ。
マスコミ(と心情右翼)の絨毯爆撃に「地上戦」で対抗してる訳ですね。
この傾向は、政治や社会問題の領域だけに限ったことではないですね。現在の日本人は、時間的空間的諸事象に無知ですし、たとえ知識をたくさん記憶しているような人間でさえ考えることは非常にヘタです。おまけに感性はもっと鈍っている。
先日もジミ・ヘンドリックがウッド・ストックで演奏したアメリカ国歌をアメリカ国家への賛歌だと誤認していた若い人の音楽論に驚かされましたが(どういう感性しとんじゃ~!!)、以前には右翼の黒い街宣車を見て「あっ!共産党だ!」と反応した20代に悶絶させられたこともありますwww
今、日本人は、相対的に衰えてきていますね。
技術力も想像力(=構想力)も体力も分析力も・・・・・政治でも経済でも文化の分野でも、全ての生活領域にわたって日本人の肉体的・精神的能力が衰退しはじめていると思います。
オレは、こういう状況もふまえて以前「何でも易しく解りやすく」主義に反対したんです。
不破共産党お得意の「何でも易しく解りやすく」主義は、日本人の人格的衰退に迎合する愚民主義でしかないからです!
斯様に、右翼は単純で理屈がいらないから、逆にとっつき易いのだ。それに対して左翼はというと、自身の論理性に過度に寄りかかり、「分かり辛さ」を右翼に対する優位性と勘違いしている節がなかったか。
フリーライターの雨宮処凛が、「最初左翼の集会に行ったが、言っている事がチンプンカンプンだった、それに対して、次に行った右翼の集会は、理屈が一切無いので次第に引き込まれていった」という趣旨の発言をしていたが、本質の一端を言い当てていると思う。これを新興宗教や霊感商法に騙される典型的な手口と切り捨てるのは簡単だが、果たしてそれだけで良いのだろうか?