アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

世紀の駄作 全ウソと全ゴマカシの菅政権

2020年12月05日 22時05分12秒 | 映画・文化批評
 
少年漫画の「鬼滅の刃」が大人気で、アニメやテレビ、映画でも盛んに取り上げられ、キャラクターグッズが一杯売られていますが、私はこの漫画の一体どこが良いのかサッパリ分かりません。
 
テレビでも毎週金曜日夜7時から放送されるようになったので途中から見始めましたが、一話完結の番組構成になっていないので、サッパリ話の内容が分かりません。
 
大正時代の山中で慎ましく暮らしていた炭焼き少年の竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が、街に炭を売りに行っている間に、家族が鬼に襲われ、妹の禰󠄀豆子(ねずこ)以外は全て殺されてしまい、禰󠄀豆子も鬼にされてしまった。そこで炭治郎は、鬼退治を生業としている鬼滅隊という組織に入り、禰󠄀豆子を人間に戻す為に鬼退治の修行の旅に出る…これが、その「鬼滅の刃」の大まかなあらすじです。
 
ところが、私が観た場面では、鬼が鼓を打つたびに屋敷の中が反転し、床と天井が入れ替わり、その中で炭治郎は、鼓打ちの鬼だけでなく、猪の面を被った狼藉者(ろうぜきもの)とも戦わなければならない。
 
この狼藉者の嘴平伊之助(はしびら・いのすけ)も実は鬼滅隊の隊員なのですが、何の説明もないので、私は番組が終わるまで、伊之助もてっきり鬼の一味だと思っていました。
 
しかも、この伊之助と来たら、ちょっとした事でも一々ブチ切れて、誰彼なしに喧嘩を吹っかけるトラブルメーカーなのです。こんな、鬼退治のヒーローとは似ても似つかない、むしろ鬼でいてくれた方が話がスッキリする、そんな奴が何故、鬼滅隊の一員なのか?
 
「鬼退治のヒーローとは似ても似つかない」という意味では、もう一人の鬼滅隊隊員の我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)も同様です。金髪頭はまあ良いとしても、女たらしで女性の尻ばかりを追いかけて、鬼と戦う中でいきなり居眠りを始めるという、到底理解し難い行動を取ります。この居眠りの最中にトランス状態の中で術を使い鬼と戦う訳ですが、余りにも常識外れした設定に、私の頭が付いて行きません。
 
色々ネットで「予習」して初めてあらすじがおぼろげながら理解出来るようになりましたが、ネットで「予習」までしなければ理解出来ないようなアニメなぞ、金払ってまで観る気にはなりません。観ているだけで疲れます。
 
しかも、鬼退治の最中にも、伊之助は炭治郎や善逸としょっちゅう喧嘩するし、善逸もすぐに泣き喚いたり女の子を追っかけ回したりしています。これでは、炭治郎は鬼と戦っているのか、伊之助や善逸と戦っているのか分かりません。
 
鬼滅隊内部の争いを伏線として取り上げても一向に構いませんが、それはあくまで伏線、つまり脇役のエピソードとして取り上げるべきなのに、それを超えて、まるで炭治郎と伊之助の対決で話が進んでいるようなストーリーにされても、観る方は混乱するだけです。
 
そういえば昔、バイトの同僚にもそんな男がいました。磯野(仮名)という奴ですが、昼休みに雑談してても、磯野が、いきなり次々と話題を変えるものだから、周囲の人はもう話に付いて行くのがしんどくなり、最後には誰も磯野に寄り付かなくなりましたw。仕事の話をしていたかと思うと、いきなり芸能人の話をやり始め、芸能人の話をしていたかと思うと、今度はいきなり近鉄電車の話に変わる…という感じでw。
 
「鬼滅の刃」もそんな感じです。だから、感動する、しない以前に、観るだけで疲れてしまいます。
 
それでも、「鬼滅の刃」が人気なのは、「鬼にも鬼になるだけの理由がある」、つまり「盗っ人にも三分の理」という訳です。例えば、鬼の一味である蜘蛛人間の家族が炭治郎たちを襲う場面でも、妹の蜘蛛人間は父、母や兄貴の蜘蛛人間から虐められ、渋々従わざるを得なかった。それを兄蜘蛛が「これが蜘蛛家族の絆だ」と見せびらかしたのに対し、炭治郎は「虐めと恐怖で相手を従わせるような絆なぞ偽物だ」と切り返す場面があります。
 
そこで妹蜘蛛が虐待されていた事に初めて気が付き、蜘蛛家族をやっつける場面でも炭治郎が妹蜘蛛に「次生まれてきた時には幸せになれよ」みたいな事を言うので、皆それに感動してウルっと来るのです。(詳しいあらすじは忘れたが、確かそんな話だったと思います)
 
でも、私に言わせれば、それこそ偽善です。何故なら、「盗っ人にも三分の理」に感動している観客が、実生活でも非行少年や犯罪者に同情しているかと言えば違うでしょう。中にはそんな人もいるかも知れませんが、むしろ逆に、「犯罪者には厳罰をもって臨むべき、死刑廃止なぞ論外だ」という人の方が圧倒的に多いはずです。
 
ところが「鬼滅の刃」では、そんな薄っぺらな「盗っ人にも三分の理」に簡単に同情し、それで人格者になった気分でいる。しかし実生活では、その「人格者」が少年犯罪の厳罰化を主張し、その一部はホームレス襲撃や在日朝鮮人に対するヘイトスピーチ(差別扇動)までやらかす。そんな弱い者虐めが大手を振ってまかり通る世の中だから、児童虐待も一向になくならない。
 
そんな「偽物の同情」なら、むしろ無い方がよっぽどマシです。だから、エロ雑誌の「実話BUNKAタブー」にまで「世紀の駄作」と書かれてしまうのです。
 
それに時代考証も無茶苦茶です。普通この手の他愛のない妖怪漫画は、江戸時代あたりの話にするのが一番無難です。そうすれば登場人物も単純に着物姿に統一出来る。ところが、なまじっか大正時代の話にしてしまったばっかりに、着物姿だけでなく、制服や洋服の人物も登場させなければならなくなってしまいました。話の筋が明快ならそれでも一向に構わないのですが、前述した様にストーリーが支離滅裂な中では、この時代設定の中途半端さが、混乱に更に拍車をかける事になってしまう。
 
おそらく作者は、大正時代の事もろくに調べずに、単なる大正ロマン(当時の和洋折衷、レトロモダンなファッション)へのノスタルジーだけで、この時代の話にしてしまったのでしょう。本気で大正時代の事を取り上げる気なら、大正デモクラシーや米騒動、ロシア革命や関東大震災なども背景に織り交ぜるはずです。それら全てを取り上げるのは無理としても、そのいくつかは織り交ぜて然るべきです。大正時代は、ある意味、近現代史の始まりとも言うべき歴史の転換期だったのですから。
 
でもまあ、所詮は漫画アニメ。どんなに酷い出来栄えでも、そんなに目クジラ立てて批判する事もないでしょう。
 
しかし、このコロナ禍の中においても、国会を開いたかと思うと直ぐに閉会し、ろくに記者会見も行わない、開いても御用記者相手に原稿の棒読みしか出来ない、「GoToどうするのか?」「休業補償どうするのか?」肝心な事には何も答えない、「問題ない」「指摘には当たらない」と繰り返すばかりで逃げ回っている、その裏では自分への批判を全てデマ呼ばわりして、周りをイエスマンばかりで固めようとする卑怯者の菅義偉(すが・よしひで)が、テレビカメラの前では「鬼滅の刃」人気に便乗して「全集中の呼吸で答弁する」と言ったのには呆れました。
 
漫画は「世紀の駄作」でも別に構いませんが、総理も「世紀の駄作」では、取り返しのつかない事になります。「駄作」総理には今すぐ退陣してもらいましょう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人を物扱いするな! | トップ | 神戸屋ウーピーの1日1時間... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画・文化批評」カテゴリの最新記事