脳の老化が加速された時、つまりボケ始めたら人に関する見当識にはどんなことが起きてくるのか、話してみましょう。
白鳥山ハイキング中に出会った花(雪もち草)
おばあちゃんが、自分の娘に対していくら丁寧な言い方であったとしても
「どちらさまか存じませんが、ほんとにいつも親切にしてくださって・・・ありがとうございます」といったり、
自分の夫に対して
「こんなおじいさん、誰だか知ってるはずなんかない!」と怒鳴ったりしたら?
例えそれが今までに一度も言ったことがなく、初めての発言であったとしても「ボケてる」と暗澹たる思いに駆られることでしょう。
世の中では、このようにごく身近な家族に対してもその関係がわからなくなったら、安心して「ボケてしまった」といってるはずです。
ここで質問。
昨日まで、人に関する見当識に全く何の問題も無かった人が、突然こんな発言をするでしょうか?
その回答は「そんなことはない」以外考えられません。
だから、このような発言にいたる道筋を少し解説したいと思います。
勿忘草(わすれな草)
脳 の機能レベルが小ボケ状態になったら、孫の説明に戸惑いが出てきます。
一番最初は年齢です。
それもほとんどの方(9割くらい)がより若く説明します。
例えば「幼稚園・・・」というと、実はもう小学生だったり「大学に行ってる」はずの孫が、とっくに社会人だったりするのです。
次に、名前もおかしくなってきます。
面白いことに子供の配偶者と取り違えるのです。女の孫だと息子のお嫁さん、男の孫だと娘の連れ合いという具合です。
子供の名前と取り違えることは、小ボケのレベルではまずないといっていいでしょう。
間違えるだけでなく年齢も名前もでてこないこともあります。いずれにしろ本人が
「おかしいなあ、どうしてわからなくなっちゃったんだろう。わかってるはずなのに」と素直に不思議がることもあれば
「この子はちっとも顔を見せないんだから。年に一度も帰ってこない」と不機嫌そうに言うことも、悲しそうにいうこともあります。
悲しそうに言われると、それ以上何も聞けなくなってしまいがちですが、そのとき同席している配偶者にたずねると、実にスムーズに
「アレ、どうしたの。~ちゃんでしょうが。今年中学に入ったといってきたでしょ」と年に一度しか帰省していないはずの孫の名前や年齢を説明できるのです。
(帰省が年一度かどうかは、更なる確認が必要です。小ボケの方の発言は、言葉どおりにとってはいけません)
二輪草(直径2センチくらい)の群生
名前が出てこないときには、ヒントを出してみます。
ヒントの鉄則は語頭音ですから、同席している方に聞いて例えば絹子なら
「き・・・(語尾を上げて)」という風に言います。
早いうちは、このヒントですらすらと名前が出てきます。
少し進むと、ヒントが全く役立ちません。
何人かいる子供のうち、とりわけどの子供かで、孫の説明に苦労することが目立つ場合には、その子供との関係性に問題があることが多いのです。
トラブルがあったとか、そのために接触がほとんどないとか。
このように疎遠な場合でも、正常老化の場合には、度忘れすることはあっても孫の名前も年齢もちゃんとわかっています。
中ボケレベルになると、子供の説明がおぼつかなくなります。
第1段階:子供の居場所が曖昧になったり間違えたりします。
「長男は大阪・・・」と口ごもると、家族が「お兄さんは、今東京でしょ!」と訂正するような状態が起こります。
第2段階:子供の数は正しいのですが順番を間違えます。3タイプ紹介します。
タイプ1
「男が2人女が3人で、長男の次が女の子、それから男・・・」といい始めると
「一番上は女でしょ。それからお兄さん」と訂正が入ります。
タイプ2
「一番上は静岡で、これが長男。次男は熱海にいて・・・」すかさず家族が「逆でしょ!どっちが長男なの?!」
タイプ3
「ここにいるのが娘のA子です。長女なんです」A子さんがびっくりして「私は末っ子でしょ!」
第3段階:自分の生んだ子供の数がわからなくなります。
「4人だか5人だか・・・」
こういう答えに対しては「幼いころに亡くしたお子さんがいるのかな?」と考えがちですが、正常老化の人たちはこのようには答えません。
「5人授かったんですが、1人亡くしまして」これが正しい答えです。
子供の数が曖昧になるということは、中ボケでもかなり進んだ状態です。
第4段階:同席しているのが自分の子供ということはわかるのですが、何番目の誰かがはっきりしなくなります。
「あんたはどっちだったかねえ。A 子?B子?」とか、2人いれば「どっちがお姉さんだったかねえ?」
一輪草(直径4センチくらい)
ここまでくれば、もう家族すらわからなくなる大ボケはすぐそこまで迫っています。
老化が加速していくにつれて、自分の年齢がだんだん若く逆戻りし始めます。(中ボケから2~3歳くらいの違いは見られ始めます)
自分が若くなってるものですから、息子を夫と間違えたり、さらに若くなると兄弟と間違えたりします。その次の段階で誰だかわからない状態になるのです。
こういう方に会ったことがあります。
初めてお会いしたときが既に大ボケでした。
数年の経過でしたが、最初
「実家に帰ったら、母しかいませんでした。父は病気で死んだんですって」から始まり、次には
「実家に帰ったら、父も母もいるんです」とニコニコ話してくれました。
この次の段階で、未婚の気分になり、女性の場合は旧姓をいったり書いたりすることもあります。この人は
「仕事は忙しい」と訴えました。娘時代と同じ仕事をしているつもりらしいのです。
大ボケの人が、老人ホームやデイで、仕事をしている気分になっていることがよくありますが、そのときには年齢もかなり若返っていると思います。
山路来てなにやらゆかしスミレ草
大ボケの人は体調の影響も受けやすいので、体調の波に従って多少よくなったり悪くなったりすることはありますが、人に関する見当識が全く正常に戻ることはないと覚悟しなくてはいけません。
ただし、ここに至るまでは「人に関する見当識が揺らいでいる」という数多いサインを発し続けるということはわかっていただけたでしょうか。
サインを見落とさないことも大切ですが、もっと簡便で重要なことは脳機能検査をして、客観的なその時々の能力を知るということですよ。
その指標がないと、早い段階での生活改善指導はとてもやりにくいからです。
小ボケの多くの人は言い訳をします。
「だってこの子はちっとも顔を見せないんだから・・・」などとね。