脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

時が作るもの

2022年07月29日 | 私の右脳ライフ
よく言われることですが、歳とともに時がたつのが早くなる…「まったくね。」と日々実感しています。
ジャネの法則を引用して書いた記事を探してみました。
かくしゃくヒント3-1日10回感動する
加藤静枝さんのことを書いてあります。もう12年も前の記事ですが…
自分の歳のこともその流れを実感する毎日ですが、花を見ていても同じで時の流れに沿って生きていると思うのです。いろいろなハスの状態を見てください。


そのちょっと前。
上から見れば可愛い種が。
もう少し経つと。
さらに時が過ぎます。

これも上から。

この状態の蓮の花に目をやる人は少ないのではないでしょうか?どうしても花のきれいさに心惹かれます。花は蕾。

満開にも心惹かれる

よくよく見れば、どこか動物的。花も限られた短い時間に結実しようと必死なんですね。

おめでとう!

時の力を借りないといけないものは、食べ物だってそうですね。
天草をいただきました。「海が荒れた日の翌日、浜に行けばいくらでも打ち上げられている」と地元の友人持ってきてくれました。2度目の挑戦でしたから、手慣れたものです。最初はこのくらい濃い紅藻類がいろいろ混じってます。バケツに入れてよく洗って干しはじめます。

時とお日様の力

1週間くらい干しました。見事なサザエもついでに撮影しました。何年かかってここまで大きくなったのでしょうね。

このくらい白くなったら天草(ところてんの素)完成。小さな貝のかけらなど一つ一つ取り除くのに結構手間がかかりました。

水につけておいて長くぐつぐつと煮ます。その煮汁を固めるとところてんの完成です。2度3度と作れます。

こういうふうにもできます。

フェンネルがどんどん大きくなるので、種を取るつもりだったのです。

蕾、花と順調に大きくなってくれました。

いつとっていいかわからないままにこんな状態にしてしまいました。涙。


食べ物でも最近は熟成させることが流行ってますね。3週間熟成させた鶏肉を焼いてくださいました。淡白な上品なお味でした。独特なジューシーさがありました。

時間をかける食べ物といえば、発酵食品ですね。
伊豆高原で知り合った友人が教えてくれた手作り酵素。教えてくれた友人はもう亡くなってしまったのですが、春と秋に教えられたように酵素を作るたびに、その声もいつも用意してくれたランチも現実感を持ってよみがえります。そんなとき、生きていても亡くなってもそんなに変わりはないと私は思うのです。時が止まったという感じでしょうか?いや、別の流れがあると考えた方がぴったりかもしれません。死んだら別の時の流れに乗って、誰かの胸の中に生き続ける…父母は私の胸に生き続けているし、私が死ねば子どもたちや友人の中に生き続けることができると思っています。
ボケはじめには自覚があるようです



認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。

アジサイの花の色

2022年07月15日 | エイジングライフ研究所から
アジサイもそろそろ終わりですね。
この紅ガクアジサイは、ご近所に私が一枝差し上げたものがこんもりとした株に育ちました。散歩のときに毎回感動します。うちのはなくなりましたのであげておいてよかったです。

ピンクといっても様々。色だけでなく、装飾花の形も様々です。

ハイドランジアといわれる西洋アジサイをたくさん目にするようになったときにはその鮮やかさにくぎ付けになりました。ここまで濃いのは…

「酸性土壌なら青色、アルカリ性の土地だと赤くなる」と知ると「知識」としてそのまま入ってしまって納得していたのですが、今年ふと気づきました。「てまりてまり」というアジサイをいただいて挿し木で増やしたのです。ちょっとした株に育って、二株並んでいます。一つは水色っぽい青色、一つは赤味の強い紫色。同じ土なのに、色が違う!なぜだろう?

先日、伊豆高原にいらしゃるアジサイの専門家平澤哲さんが教えてくださいました。
「酸性土壌はアルミニウムが多くて、アジサイのアントシアニンと結合して青くなるというのはその通りだけど、結局はその株の根の吸収力が影響すると思う。日本は火山の影響で酸性土壌が多いからどうしても青っぽいね」
目からうろこ。土壌のpHやアルミニウム含有量も、花色を決める条件ですが、根の力といわれるととても納得できました。大きく育った株では、ひとつの株の中でもいろいろな花色が混じって咲いているのもありますね。
ここ城ヶ崎海岸は、アジサイの原種城ケ崎アジサイがたくさんあります。
数年前にも平澤さんからいろいろなことを教えていただきました。
城ケ崎アジサイについて勉強しました(今回、オタクサの話になって、中心が盛り上がったてまり咲きと教えていただき、可憐な山アジサイかと思っていたのでびっくりしました。新しい知識に書き換えました)
ここからのアジサイは、ニューヨークランプミュージアム&フラワーガーデンのアジサイ園で出会ったアジサイです。

日本アジサイを主に自然の傾斜を生かした園内は、道の両側に直線的に続くアジサイロードとはまた違った風情です。

城ケ崎アジサイに近い品種もたくさんあります。

少しずつ色合いも形も違う…

名札もついてます。

日本アジサイは可憐です。

これは大輪でしたが、やっぱり風情がありました。

「アジサイの花色を決める大きな要因がアルミニウムということは間違いないけれども、そのアジサイが持っている根の吸水力の差が実際の花色を決めている」と教えてくださる平澤さんの言葉を聞きながら、私は気づいてしまいました。
認知症発症の原因をアミロイドβ(老人班)とかタウ蛋白(神経原繊維変化)と決めつけて、そのメカニズムを究明しようとしている研究者の方々に、今日のお話を伝えてあげたいと思いました。認知症になった方の脳を解剖してみるとアミロイドβ(老人班)とかタウ蛋白(神経原繊維変化)が見つかるのは確かです。だから、これこそが認知症発症の要因という前提で、研究を進めてきた…最近になってアミロイドβを除去する薬では認知症の発症を防止することはできないという結論が出てしまいました。こんどはアミロイドβがたまらないようにしたらどうだろうかというアプローチに方向転換していくようですね。
この研究スタンスなら、アミロイドβが行き詰まってしまったら、タウ蛋白やその他の物質を追求することになるのでしょう。
アジサイの花色とアルミ二ウムは間違いなく関係はあります。でも最終的にはそのアジサイの根がどのように土中の成分を吸収するかで花色を決めるのです。
認知症とアミロイドβやタウ蛋白はその関係性すら確実ではありません。ここは、研究者の方々にコペルニクス的転回を期待したいところです。例えば、エイジングライフ研究所が主張している「生き方(脳の使い方)に原因があるのではないか」というような見方はどうでしょうか?


柏葉アジサイ(最初から白色の品種は、アルミニウムとは無関係)

きれいですね。

認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。



「仕事を辞めて母の面倒を見るべきかと覚悟しました」

2022年07月05日 | 正常から認知症への移り変わり
大切な友人なのに、いつも思っているのに、連絡をしないことってありますね。ふと思い立ってそんな友人に電話をしました。
「うわぁ。なんというタイミング。聞いてほしいことがあるの!」そんな懐かしい声が返ってきました。でも、いつもの声とちょっと違うことに気づき
「どうしたの?なにかあったの?」という私の声にかぶせるように
「母がね、ちょっと事件を起こしたの。昨日が初めてだったんだけど、それが今日もまた!母も90になって、当然かもしれないけど、ちょっとボケてきちゃってるんですけどね」
ミロバランスモモ

私が言いたいことはありました。
「歳を取ったからといってボケるわけではないのよ。歳を取るとできなくなったり、時間がかかるようになることはあるけど。重たいものは運べないでしょ?家事だってテキパキはできない。でも、歳を取ってもできることの筆頭は状況を判断すること…」ことばをさしはさむことができないほど、友人は「話したいこと」があふれているようでした。
月桃(ゲットウ)

「昨日の夜中に、日付としては今日ですね。虫の知らせ、というかなんだかちょっと気になって、母の部屋に入ってみたんです。何をしてたと思いますか!
おむつを外して、それを破いてるんです。吸水ポリマーが散らばって…
びっくりするやら、悲しいやら、それに臭いんです。お風呂に連れて行って洗って着替えさせて、どうにか寝かせながら「もう無理…私のやり方のどこが悪いの…何が足りないの…もう仕事を辞めてずっと様子を見守らないといけないということ…」と思いがまとまらなくて、あれこれぐるぐる考えているうちに夜が明けました。
それでも、朝になるとご飯を食べさせてデイサービスに送りだして、私は仕事に行きました。

「初めての事件だったのね。脳機能の状態が悪いことは間違いないけれど、例えば脱水とか、熱発とか体が原因でとんでもないことをすることもある。お薬は変わってないかな。デイでは何もなかったのかしら」と私が言いかけると、友人の話はまだ続くのです。
「それが、今日デイから帰って、気が付くと洗面所で又おんなじことをしてたんです。昨日もショックだったけど、正確に言うと半日、一日も経ってないのにまた!いけないとわかってるんですけど、きつく叱ってしまいました。
どこかいけないということですよね?入所させられたら楽だろうと思う気持ちがちらっと浮かぶたびに、一人娘の私が、実の母なんですから面倒を見なくてどうする。世間様だって当然と思うはず。と慌てて打ち消すんです。だからもう仕事を辞めて家で母の面倒を見なくてはいけないと思ってたんです。今日の出来事なんです。ほんとに電話くださってありがとうございます」
私は「この状態が続くなら、それは家庭介護の域は超えている。早急に入所できる施設を探さなくっちゃあ。まず話をよく聞いてくれるケアマネさんとつながらなくてはね。かといって入所はなかなか難しいかもしれないけど。お金の問題だってあるでしょう」と答えました。

私は認知症の方の話を聞くときには、どんな症状を起こしているかをまず聞きます。今回は青天のへきれきのような症状から始まりましたが、これが常体ならば大ボケですが、まだ2回なら譫妄状態だって考えられる。お母さんの脳機能をもう少し推理するために、生活の様子を聞くことにしました。そして小ボケ・中ボケ・大ボケのどのレベルなのかを推理しなくてはいけません。
かなひろいが前頭葉機能。MMSEが脳の後半領域の機能です。




私「お勤めに行ってるときはお母さんはどうしてるんですか?」
友人「おかげさまでデイサービスに週4日お世話になってます。私の休みが週2日。あとの一日は夫がいますから」具体的に症状を聞かなくても、脳の機能レベルがわかりました。必ず誰かがついています。小ボケのレベルではないということです。
私「お世話がいるということですね。一人で留守番ができないんですからね。子どもには目も手も掛けますよね?お母さんは何歳くらいの子どもと同じくらいだと思いますか?
あ。言ってることを聞くのではなくて、やってることを見て判断するという意味よ」
友人「けっこうしっかりしてるというか…あ、しゃべることじゃなくやってること…ですね。
足が弱ってるので、家の中を少し動くくらいなので外へ行ってしまう心配はしてない。
食べることはそれでも一人で食べられる。でも、どうしても一人になる時にお弁当を作っておいても、食べられない。幼稚園の子でも年長さんならチンして食べるって聞きますよね?、食べ物でないものを食べたりはしませんけど。
洋服は、一応着ます。でもどこかだらしないというか、そうだ、小さな子が一人で洋服を着たときに、シャツを引っ張ったり、ズボンをキチンとあげてやったりするのと同じ!変に重ね着したりもします。
薬は袋も渡していません。一日一回ですが私が管理しています」

私「そのくらい手をかけているのね。ということは?」
友人「幼稚園でも小さいほう!」
私「そうなんです。そのくらい手をかけないと一人で生活はできないということ…」
じつは今までに訴えられた症状はすべて中ボケで起きてくることばかりでした。
中ボケと大ボケを区分けるのは、人に関する見当識がどの程度揺らいでいるかというところから知ることができます。
友人のこともご主人のことも、わかっていらっしゃる。
ただ数年前の大学入学時点から家を出たお孫さんのことは、実際に目の前に来てもあいまいになっている様子でした。
友人「だって離れてしまって、顔を見ることもないからでしょう?」とかばう発言が。家族って面白いです。困った症状を言い募っている最中でも、何かの拍子に「いや、以前のままの母なんです」と訴えてくることがしばしばあります。
私「名前が度忘れで出てこないとかはあるけど、この子が孫であることはわかるものよ。とにかく話していることを聞けば、以前のお母さんのような気がするのでしょう?でも、よく考えてみて。いくら正しいことを言っているようでも「その状況で、そんなことを言う?」ということがほとんどのはず」
友人「いろいろ思い出してみると、確かに…」
私「いくらしゃべることができても、状況の判断力とか決断力とかがなくなっている。ちょうど…」
友人「幼稚園児。それも年少さん、3歳くらいでしょうか?」

ちゃんと介護をしている家族の方は、よりよく見たくなることはあるのですが、そしてどうしても言葉の力に引きずられてしまう傾向はありますが、ちょっと方向を正してあげると実に正確に症状(ということは脳の機能レベル)をとらえています。
友人のお母さんは、中ボケ下限からそろそろ大ボケに入ろうかというところでしょう。

人生の大きな出来ごと・生活の大きな変化をきっかけに、ナイナイ尽くしの生活(趣味も生きがいもなく、交遊を楽しむこともない。そのうえ運動もしない生活)が継続し始めてから、小ボケの期間は大体3年間。それから2-3年が中ボケの期間で、6年たつと大ボケに入っていくことが多いのです。
とすれば、お母さんの「きっかけ」はだいたい5~6年くらい前に起きたことになります。
こんなアジサイ発見

友人「ご存じのように、私たちは東日本大震災で被災しました。その時父も愛犬も亡くし、全く思いもかけないことだったので大変でした。いろんな意味で…私たちのところは津波で全部がダメになってしまったところだから…でも、おかげさまで、いろいろな援助の品物や手は届いたのです。
そのうえ仮設のころは、今考えると不思議なほど一体感があったんです。みんな同じ経験をしてるわけだし、もともと同じ地区の人たちだから気心も知れている。だから何でも言えて泣いたり慰めあったりできました。
そのうち家を建てて仮設を出ていく人たちが増えてきて、私たちも新しく家を建てることができました。経済的には大変ですが、それでもこれで安心して生活できると喜びあったのが5年前です。
今日お話ししていてよくわかりました。新築転居してからの問題は、母を支えたコミュニティがなくなったこと。相次いで孫たちも進学のために家を出たこと。そうそう、そのころから耳が遠くなってきたこともよくないですよね」

友人の言葉が続きました。
「震災後たくさんの支援をいただきました。感謝してるんですよ。ただ、地域をまとめて復興住宅を建てられるような場所の提供は、本当に無理だったのでしょうか?今日いろいろお話ししてみて、もしも母が長く暮らした、母の人生そのものだったといってもいいあの地区が、まとまって再復興できていたら…と思わずにはいられない。高齢になるということは、家族からも周りからも支えられる部分が大きいですよね?言っても仕方がないことですが」
重い言葉でした。豊かなコミュニティがあったのですね。
白花アガパンサス

私は、先日改訂した「アルツハイマー型認知症は防げる・治せる」でこれからの日本社会(当然、高齢社会です!)を持続可能にするためには「自助・共助・公助」の考えが必要であることを書きました。
自助は、自分の人生を自分らしく生き抜くという覚悟。ボケてなるものかという気概は、脳全体を使い続ける、楽しく変化に富む生活をすることで支えられるのです。
共助は、近隣の高齢者との触れ合いを積極的に。地域のためになる小さなボランティアを考えましょう。例えば祭りの復興ならば青少年も巻き込めます。
公助は、介護費用に毎年12兆円もかかっている現実を考えると、予防にシフトしなくては財政的に立ち行かない。そして予防の方が対費用効果は高いに決まっています。これは国民からの声ということも必要だと思っています。
カラマツソウ

親の介護のために本意でないのに離職した人が、累積で100万人を超えたそうです。そうなる前に国もコミュニティも個人もなすべきことがあるのではないかと思うのです。
友人の現実としては入所できる施設がすぐに見つかる可能性は低いでしょう。
施設に預けることはタブーと思い、それがためにきつく叱ることが増え、そして叱っては自己嫌悪に陥る。「あのお母さんが」と悲嘆にくれることも。そんな大変な日々が続いたことは、私にはよくわかります。脳の機能レベルという物差しを持って話を聞くと、お母さんの生活が浮かび上がってくるようです。
一つ前に書いた「篠田節子著『介護のうしろから「がん」が来た!』を読んで」の話もして、施設入所の道を閉ざすことはない。決して棄老ではない。共倒れを防ぐための工夫。落ち着けばいくらでも面会に行ける。実際に経済的に働く必要もあるはず。などことばをいろいろ尽くしました。
友人「施設が見つからなくても、暗い道の先に施設入所という小さな光が見えた気がしました。考えてもいいんですね…
震災で父を亡くした時、悲しくて悲しくてどうにも気持ちがおさまりませんでした。でも…今は父は父らしく生きぬいたんだなあと、もしかしたら満足しているのかもしれないと思えるようになりました。長く生きることだけではなく、どのように生きるかが、一番大切ですよね」
話がどんどん深まって、電話を切ったときには思いがけない満足感とでもいえるような気持ちが沸き上がってきました。
敬子さん。また電話で話しましょう。無理はしないようにしてください。



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