散歩の途中で発見しました。大きい方で3センチくらいのまるで作り物のようなかわいいツル性の植物の実。
もう何年も前に友人からもらったことがあります。
「ウーン…なんだっけ…そうだオキナワカラスウリだったような…」まで思い出したところで、困ったときのネット検索(ほんとはウエブというべきですが慣例で)。
「おもちゃのようなカラスウリ」で検索しました。即ヒット。
「オキナワスズメウリ」でした。カラスウリでないところが言いえて妙。
白花のヒガンバナ
学生時代の友人たちとメール交換をしています。まったく不定期に、思いついたことをおしゃべりしたり、困ったことを相談したりの大切な交流です。
先日、FBに紹介された中村桂子先生の対談記事が面白く熱心に読んでしまいました。「生きものとして生きるということ」
『トイビト』という、研究者ともう一度学びたいという大人を結び付ける意図を持ったサイトのインタビュー記事でした。あ、特別学びたいわけではありませんが。
とにかく、内容が面白かったので友人たちにも読ませてあげたいと思ったのです。
ルリマツリ
『トイビト』という、研究者ともう一度学びたいという大人を結び付ける意図を持ったサイトのインタビュー記事でした。あ、特別学びたいわけではありませんが。
とにかく、内容が面白かったので友人たちにも読ませてあげたいと思ったのです。
ルリマツリ
FBをしているのは私だけですから別の方法を考えなくては。
メールに全部コピーして貼り付けるのは、いくらなんでも長すぎる。
最初に思い付いたのは、全部コピーしてワードに張り付けて、ワードのファイルを作って、メールに添付しようという案でした。
そしてその次。
「なんだ!この記事のアドレスを送ってあげたら、クリックで開けるわけだから。私も簡単だし、そうしよう」
葛の花
さっそく的を得た返信が続きます。「人間だけが『未来』を知ることができる」というテーマに対して、お孫さんやペットのことまで話が広がり、ほんとに一緒におしゃべりしてるような気持です。
一段落したら、続けてK子さんからメールが届きました。以下要約。
「昨日のコラムに美学者の伊藤亜紗という人が『感情を表に出したり、揺さぶって・揺すぶられてしまうことを警戒する若い人たちがたくさんいる』『SNSの炎上や芸術作品の撤去など、尖るのを避けたい、ということかも』『理性を補助する、[理屈ではなく良い・悪い・気持ちよい・嫌い]などを出さなくなると成長も変革もなくなるだろう』と」
ハナニラ
「省略してるからわかりにくいかも」と添えられていたので、そこからまたちょっと頭を巡らせました。
「K子さんは朝日新聞だから、朝日新聞デジタルで読めるはず!」
さっそく開いてみたのですが、後半は有料記事…残念。
でももう少し読んでみると一か月間は無料で体験できるというお知らせを発見しました。もちろん登録して一か月だけの会員になりました。
全文、苦も無く読めました。
後半の「理性を補助する『理屈ではなく良い・悪い・気持ちよい・嫌い』などを出さなくなると成長も変革もなくなるだろう」ということは、まさに左脳(理屈)と右脳(良い・悪い・気持ちよい・嫌い)から説明できることですね。
私たちは認知症を脳機能から理解していきますが、脳機能から説明した方がわかりやすいことが世の中にはたくさんありそうです。
夏の花の寄せ植え
こんなに便利な先端技術の世界ですが、もちろん限界もたくさんあります。
中村桂子先生は、ロボットではなく人間に近づけたアンドロイドに対しては厳しい意見を語っていらっしゃいました。確かに38億年の歴史を持った生きものとしての人間とAI技術で作られるアンドロイドは、そもそも土俵が違っているから比較はできないものです。なのにAIは人間を超えたというような表現がまかり通るのはおかしいと。
はい。同感です。AIが前頭葉を持てるとはとても思えません。
ミゾソバ
フィッシングサイトの危険性については、よく言われています。
私は友人たちへのメールにアドレスを書き込みました。
どこかのサイトに入って読んでいるときにそこに現れるアドレスをクリックすることは、本当に危険らしいですね。ちょっと前までは、名前の通ったところからお知らせメール(例えばパスワード変更とか)が来て、クリックしたらフィッシングサイトに誘導されるというような時、いかにもおかしい日本語とかアドレスがちょっと変とか見分け方がありましたが、最近は本当に精巧になっているそうですから、クリックするときは十分に気を付けましょう。
アドレスをそのままコピーして、検索してみるという防衛法があるようですね。
彼岸花。今年はお彼岸には遅れました。
今の世の中は、ネットにつながっていさえすれば、なんでも検索できるし、買い物も自由。新しい情報をすぐ得ることもできます。面白いと思ったことは文書であれ画像であれ音楽すら共有することができます。多数の人に向かって、勝手に自分の意見を述べることもできます。
ほんとに便利です。高齢者にとっては必須のツールではないかと私が思っていることも事実です。それはその通りで、まだ開かれていない人は、一がんばりすべきだと思います。
でも、と何かが訴えてきてるような。
今春Stay Homeが言われたときに、誘われて本を一日一冊ずつFBにあげていきました。7日間ブックカバーチャレンジ
その時に50年前のお菓子作りの本がありました。どれだけページを繰ったかわかりません。ボロボロの本を眺めて見ると本の周りには子供たちがいます。声も聞こえるようです。
今なら。そう、今ならレシピは全部ネットで検索します。しかも最近は動画の方が多いですね。手軽に様々なコツまでもすぐに手に入れることができます。でも、何かが違います。その時だけ、便利に使って過ぎ去ってしまう感じとでもいえばいいのでしょうか
問題1:玉石混交。情報を見極める力がないと使えないことにもなるでしょう。
問題2:なんとはない味気無さ。それを埋めるべく例えば顔文字やスタンプやライブの様々な工夫があります。それでも人と対した時に右脳ベースで感じる「理屈ではなく良い・悪い・気持ちよい・嫌い」という感情を体験することとは、大きな距離があることは否めません。
ところが友人たちとのメールは、離れていても心がつながる実感があります。その差は、私たちにはその感覚を過去にはっきり実感してきたからではないでしょうか。
ネットを使うことは、確かに便利でとくべつ傍迷惑になることもなくマイペースで、他人に対する配慮はいりません。感情のやり取りも不要です。伊藤亜紗さんが指摘されていることですね。
でもネットを苦もなく使いこなしている子供や若い人たちにも、生身の人間と対応するときの面倒臭さを体験してほしい。書物に接するエネルギーを使ってほしい。長い時間がたった時にそれこそが深く心に刻みこまれたものだと気づくはずですから。
オキナワスズメウリ(かわいい)
私たちは、たまたまメンバー全員が11月12月生まれということで、毎年誕生会をやっています。今年、リモートじゃないライブの誕生会ができるかな?