脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

11月の右脳訓練―ふるさと北九州

2017年11月30日 | 私の右脳ライフ

響灘緑地にはカンガルー園がありました。現在飼育中のカンガルー110頭はすべて触ることができるのです。

「あれ?どこか違う…」カンガルーのイメージは後ろ足で立っている…はず。

若く溌溂とした佐藤さんが、入口の戸を開けるところから、最後のお礼を言うところまで、掃除の手を止めて細かく説明してくれました。飼育員をされていることが納得できるやさしさや誠実さがにじみ出ていました。ありがとうございました。
さてカンガルーは臆病な動物ですって。だからいつでも走り出せるように後足で立っているのです。安心な状況だから四つ足で立っている・・・納得。

「カンガルーの赤ちゃんは10か月で毛が生えて、そうしたら袋から外に出て離乳です。外に出たら自分で食べないといけませんから、大きくなるとこうして袋の中から顔を出して草をちょっとだけ食べ始めます」この親子は正真正銘の親子。ところが、こちらは事情ありだとか。

「うちのお母さんカンガルーは、やさしいんです。よほど何かない限りは自分の子でなくてもお乳をあげます。袋から出た後でも時々はお乳が飲みたくなるらしく、そうしたらその辺のお母さんカンガルーのところに行って飲むんですよ」
なんとまあ!
「ここには110頭いますが、全部触れます!世界でここだけです」と佐藤さんはちょっとうれしそうに言いましたが、「そのためには信頼関係が大切で、大人のカンガルーと人間が仲良くしているのを袋の中にいるときから、見て、感じてるから人間は仲間って思えるのでしょうね」と説明が続きました。これも多いに納得。

「飼育員になって最初にやることは、カンガルー全部の名前を覚えることなんですよ。顔見たらわかります」って簡単に言いますが、人の顔でも110人になるとねえ。

ここのボス。ナルト。最近ボスになったのだそうです。お母さんはアルト。兄がソルト。
今気づきましたが、私は後足で立っていますが、ナルトは寛いでいる様子です。
先代のボス、香月はもっと寛いでお昼寝中。カンガルーは夜行性だから、昼前の今は寝るのは普通ですけど、「引退してナイナイ尽くしの生活になって居眠りが目立つようになると、小ボケの兆候」となんだかヒトの認知症と重ねてみてしまいました。

響灘緑地には熱帯生態園もありました。

首長亀。ながっ!

小倉城でも遊びました。
築城は細川忠興ですが、熊本転封後に譜代大名の小笠原家が入城。全国小笠原一族の総領家で、小笠原流礼法宗家の旗本小笠原家もその一族です。江戸時代は九州諸大名監視という重要な役目を負い、また諸街道の起点としても城下町が繁栄しました。幕末の長州征伐、明治になっての西南戦争で乃木将軍は小倉城から出陣等の歴史を誇ります。
ところで私、このクマさんのスタンプをラインで使ってます。

天守閣からの景色

お堀に沿ってリバーウオークという複合商業施設がありました。「ウーン」と思いましたが、このミスマッチは北九州らしい躍動感ともいえるでしょうね。90度回って、この方向からは小倉城公園を見下ろすことになります。

小倉城庭園は、小笠原家の別邸跡を復元した大名庭園に、典型的な武家の書院を再現した体験型の文化施設です。
天守閣から降りて小倉城公園の入り口に着くと、紅葉が時の彩りを見せてくれていました。

お茶室でお抹茶をいただきました。大服にとてもおいしく点ててありました。ごちそうさまでした。

書院から、池越しに見た小倉城。

丁度北九州市立美術館がリニューアルオープン。私は何年ぶりに行ったでしょうか!
小高い丘の上にあってロケーションがすばらしい。建物もおしゃれです。

最近は東博でも国立新美術館でも、写真OK。SNSで発信してもらって宣伝するという方向ですが、ここは厳しい制約が。上の写真も作品が写っているから、ほんとはだめらしいです。そのことを知る前に写していましたので、ご容赦を。

戸畑高校後輩の葉月けめこさんが脚本を書いた「戸畑祇園ヨイトサ」の観劇もスケジュールに入っていました。懐かしい戸畑弁が飛び交い、私の知らなかった戸畑祇園の歴史を知りました。ちょっと涙が出ました。

葉月さんが北九州市文化大使に任命されたので、そのお祝いもフィナーレの後拝見しました。
葉月さん、おめでとうございます。その後のご活躍うれしく拝見してますよ。

 

 


かくしゃくヒント34-「公務員時代は変わり者と言われ続けました」

2017年11月28日 | かくしゃくヒント

久し振りの「かくしゃくヒント」です。
北九州市若松区にある響灘緑地グリーンパークのバラ園技術顧問 小林博司さん。81歳。この「グリーンパークローズ」は小林さんが育種されたのですって。


バラが新品種と認められるには、気の遠くなるような過程があると聞いたことがあります。
たまたま出来上がるようなものではないのだそうですよ。まず、自分の作りたいバラが鮮やかにイメージされているはずです。(それだけで豊かな右脳の証明ですが)花びらの形、色、そして数。葉も色や艶や大きさ。香りだって関係あるかもわかりません。そのイメージがあるから努力が続けられるのでしょう。

入口で「ローズフェアが終わったばかりで」と申し訳なさそうに言われたのですが、とんでもない!立派に咲いていました。

一つずつ近寄って確かめます。写真家秋山正太郎さんは霧吹きで水滴を付けてバラを撮影したそうですが、朝方の小雨が撮影効果をあげてくれます。

グラデーションのある花もきれいに咲いています。

清楚な白。

伊豆の踊子を発見しました。よく病気に弱いと耳にしますが株そのものが元気で葉もつやつやしていました。

そこに、小林さん登場。この腕が小林さん。

ここから会話が始まりました。
「もう、50年近くなるかな。家を建てて庭がちょっとばかりできたので花でいっぱいにしようと思ったんです。そこでバラ。植えてみると今度はきれいに咲かせたい。それであちらこちらのバラ園に行っては研究したんです。広島にも行きましたよ。
ところが何も教えてくれない!そこでどうやったかというとゴミ捨て場に行って、袋を見るわけですよ。肥料や薬やそれを表にして研究しました」と笑いながらお話が弾みます。
実は平成27年から3年にわたって「バラの育て方講座」を開かれたそうで、その記念誌を見せてくださいました。

この記念誌で、小林さんのお人柄がもっともっと迫ってきました。
「バラを育て出して多くの人たちとの出会いが有り共に勉強して来ました。平成27年から始めて育て方講座で出会った皆さんとの3年。多くの感動を戴き大変心豊かに過ごすことが出来ました。これからも皆さんとの出会いを大切にし共に楽しい人生を過ごしていきたいと思っています」この巻頭言で一番迫ってきたのは「共に楽しい人生を過ごしていきたい」というところです。そう、人生は楽しくなくっちゃあ!
受講生の皆さんのページもありました。

皆さんのコメントからは楽しかった教室の様子が伝わってきました。そして皆さんがさらに一層のバラ好きになられた様子も。受講して仲間ができて楽しいと書かれている方が何人もいらっしゃいました。
どんな教室だったのかは、裏表紙の言葉が象徴的に語ってくれます。
「あなたと過ごした時間は私達の宝物です」
小林さんのお宅の写真も発見しましたよ。すごい!

話は小林さんとの会話に戻ります。響灘緑地のオープンは1992年だそうですが、バラ園のオープンは聞きそびれてしまいました。
「ここにバラ園ができることになった時に、実は若松区役所に勤めていた関係で『バラやってるんだから、ちょっと行ってやってこい』と言われてここに来たんですけど。それからずーと。定年になっても結局、来続けています」
私「秋バラはけなげに咲いて好きなんですが、ここのバラたちはとっても元気ですねえ。株も元気で花も多い」
「秋バラを咲かせるのは簡単、簡単。夏の手入れひとつ。株を元気にしてやっておくとちゃんと咲きます。ここのバラたちは元気でしょう」と先に立って案内してくださって、グリーンパークローズのところに連れて行ってくれたのです。

実はここへは中学校の同級生の岩男さんが連れて行ってくれました。先日フェイスブックで「友だち」になっていましたが、会うのは55年ぶり。ちゃんと分かり合えるだろうかとちょっと心配でしたが、運転席の笑顔を見てほんの少し時間がかかりましたがもちろんわかりました。面影は半世紀たってもちゃんと感じられるものだと感動しました。
笑顔のお二人。岩男さんも海外から帰国後は地域の皆さんとカラオケを楽しんだり介護予防の体操教室に行ったり、サイクリングが趣味です。先日もしまなみ海道までサイクリングに行ったんですって。(フェイスブック情報)

こういうイキイキとした笑顔を見ていると、私達はほとんど同時に「認知症にはなりそうもないなあ」と思うものです。イキイキとした表情は、その人の前頭葉が元気がいいことの証明です。
前頭葉が「何をして楽しもうか」とワクワクしているんです。

ちょっとためらいもあったのですが、思い切って伺ってみました。
私「公務員時代、変り者って言われたでしょ?」
「ああ、そうだよ」とこともなげに言われて言葉は続きました。
「公務員って、だいたい新しいことをやったり挑戦してみたりってしないんだよね。ボクは人と同じ事やるより、何か工夫して独自のことがやりたい方だったからね。それに組合もやったし、『やめます』って言おうかと思うことも何度もあったけど、仲間がね~『小林さんにやめられたら困る』って言ってくれた。ま、いずれにしても変わった公務員だったことは間違いないけど。何度も変わってるって言われたよ(笑)」

認知症への近道は「生きがいも趣味も交遊もなく、運動もしない」つまり脳を使わないナイナイ尽くしの生活をすることなのです。ナイナイ尽くしの生活は、もともと持っている脳の老化を加速させます。

逆に、認知症の予防は、いかに脳を使うかということにかかっています。そうすることで脳の老化はなだらかになり、年齢に比べてより若い脳機能を保つことができるのです。その状態を「かくしゃく」と言いますね
自分らしく、楽しく、仲間と一緒に。
小林さんの生き方は、お手本のように脳の元気を保つ生き方でした。とっても嬉しかったです。





11月の右脳訓練ー戸畑高校18回生古稀同窓会

2017年11月22日 | 私の右脳ライフ

私のように、高校を卒業以来故郷を遠く離れて生活したものにとって、故郷はやはり遠いところです。特に両親もなくなった今は同窓会が無かったら帰省することもないでしょう。
出身が北九州ですから、同窓会に参加するには飛行機に乗って帰るのです。

漫画の街、小倉。いわれは松本零士さんの出身地ということですって。小倉駅での出迎え。

会場は小倉駅側のリーガーロイヤルホテル小倉。二次会は29階のリーガトップですが、出席予定者が多数で貸し切りになっていると聞きました。

小・中・高と同窓の藤吉さんが関東地区の同窓会の幹事になった6年前から、同窓会とのご縁が深まりました。同窓生とも同期生とも関係が深まっていって、そのことは新しい人生の喜びを見つけたような気持ちです。
今回は同期生たちとの会ですから、またお楽しみはひとしおです。途中で会っている人たちも勿論いるのですが、中学は同級生、高校は違うクラスというとほとんど接点がなくなって、そういう同期生とは55年ぶりということになります。
半世紀!卒業生は約450人。出席は99人。亡くなった友人たちは38人にものぼっていました。
卒業して半世紀以上たってのこの出席率はすばらしいですね。幹事が25人くらいいた模様ですが、それでもどんなに大変な作業だったか…幹事さんたち、ありがとうございました。八丁さんが「今わかる範囲のことは漏らさずやったので、同窓会本部の把捉率よりずっといいはず。済んだら本部に報告しますけど」と言ったこと、ちゃんと聞きましたよ。
フェイスブックでつながっている同期生も何人かいます。幹事会開催のたびにフェイスブックにアップしてくれ、こういう情報もあげてくれましたから離れていてもよくわかりました。
考えてみたら、フェイスブックでつながっている人はほとんどが幹事役を買ってくれています。そして幹事の皆さんの話をきいていると結構面白い。
それぞれが役割というか、立ち位置を認め合ってるんですね。女子は「今回は男子ががんばってくれて楽をさせてもらったのよ」
男子はそれぞれに「藤吉が帰ってきてくれたから」「野球部キャプテンの下薗の存在が大きいよ」「まとめ役としては、区長までやった石田だな」「谷川が会議室提供してくれて助かった」「普段からの付き合いが深いから…」などなど。
電話魔の八丁さんが、たくさんの同期生とつながってくれているのは誰もが認めるところです。普段もよくお楽しみ会をやっているようですが、誰かが帰省するとウエルカムパーティを企画してくれますよ。

幹事の皆さんは、何度も何度も集まっての準備、とても大変だったでしょう。
でも「情けは人の為ならず」。はっきりとした目的があり、仲間がいて、結果がわかりやすい。脳は活性化されたと思いますよ(笑)フェイスブックにあげられた途中の写真も、参加したくなるような楽しそうなシーンがたくさんありました。
でも、ここまでの準備!この名札は卒業記念アルバムの写真を切り貼りして作ったんですってね。女子は旧姓で(笑)
やっぱりほんとにありがとうございました。
もう一つ御礼を言わなくてはいけません。返信されたコメントを全員分(100人以上)用意してくれていたのです。A4版で6ページ半。一つずつ懐かしく読ませてもらいました。大変だったことでしょう。

同窓会はとてもオーソドックスなスタイルで始まりましたが、後半になってさすが18回生!とうれしくなりました。
世界的になった!書道家幕田さんが壇上で二枚掛軸を書いてくれました。論語の「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」から「従心」と「寿」。幹事代表の石田さんと元書道部員に渡されました。

次も見事です。なんと若々しい!

船越さんと吉井さんand one のバンドは、二次会ではビートルズナンバーをご披露してくれました!私たちがまさに高校生の時、ビートルズ旋風が始まったのです。
音楽が好きということは、人生を何倍も楽しくさせるものですね。

2組鶴先生、4組安永先生、6組加藤先生、7組今石先生がご出席くださり、人生の先輩としてのお話をしてくださいました。「70歳から80歳までの生き方は大切」「80歳になると社会的な虐待が始まる(様々な契約に制限が出てくる)」「健康であれば、社会的活動からはリタイアしても趣味を楽しむことは十分にできる」などなど正直に心情を吐露してくださって、会場は盛り上がりました。
幹事が登壇し、恩師に幕田さんが揮ごうした色紙と花束を贈呈し、応援歌斉唱。そして万歳三唱してお開きとなりました。たくさんの友人とお話ができて豊かな時間を過ごすことができました。
幹事の皆さん、ありがとうございました。

29階リーガトップからの夜景。レストラン内と外の夜景がかぶっています。
実は、丁度こんな気持ちだったのですよ。現在と半世紀前がオーバーラップして不思議な気持ちでした。




 


続 慢性硬膜下血腫にご注意

2017年11月17日 | これって認知症?特殊なタイプ

「慢性硬膜下血腫」のエピソードをまとめなくっちゃあと思いながらようやくまとめたのですが、今日またその友人から別件で電話がありました。
駿河平の銀杏並木

用事が済んだら「その後、いかがですか?」になりますよね。と言っても、本当に確認の気持ちだけで特別心配したわけではありません。
なぜかというと、慢性硬膜下血腫は、タイミングを逸さず手術を受けることさえできたら、何の後遺症も残さないのはごくごく普通のことですから。彼女のご主人は「あれ?これはおかしい!」とすぐに受診したので、心配はしていなかったのです。もちろん、経過は順調、というか元通り!

電話の声は続きます。
「それがね。今度は、昨日私が頭を打っちゃって。車のトランクを開けていたところにガンってぶつけて」
私「まあ!ご主人の時のように出血はあったの」
「出血はなかったんだけど、痛くて、痛くて…」
私「手足がうまく動かないとか、言葉が変とか、見え方が変とかはなかったんでしょ?それだったら脳はやられてないということよ。脳は痛みは感じないものだから、その痛みは頭皮の問題だから。よかったわね。じゃあ、カレンダーに印をつけて、3か月くらい先までは、頭を打った日を記録しておくのよ」と。
これで一件落着と私は思っていました。

ご主人が、典型的な慢性硬膜下血腫の経過を見せてくれて、そして何の問題も残していないのだから心配しなくてもいいと納得できていると思ったのです。が、続いた言葉に絶句。
「お父さんみたいになったらいやだから、一生懸命冷やしたのよ」
私「慢性硬膜下血腫になるかならないかは、時間がたってみてわかることなの。頭を打った時に血腫ができるかどうか決まってて、ただし症状が出るのに時間がかかり、症状が出ないと血腫ができたかどうかわからない、という説明でわかるかなあ。
冷やしたら、血腫ができないわけじゃなくて…」と言いながら「そうか!頭を打った時にできる『たんこぶ』の処置をしてる…頭蓋骨の外の問題(頭皮)と、中の問題(脳)がまぜこぜになっている」ことに気づきました。

前回ブログの説明でもちょっと言葉足らずのところがありますから、もう一度まとめておきます。
病気にしろ事故にしろ、脳の実質が壊れたら、必ず何かの障害が起きてきます。場所によってできなくなることがかなりはっきりしています。(後遺症)
慢性硬膜下血腫は頭を打ってから起きる症状なので、頭部打撲に少し絞ってまとめましょう。

頭を強く打った→その衝撃で外部への出血がなくても脳の実質に大きなダメージをこうむった。頭蓋骨骨折を起こした時には鼻や耳からの出血がある場合もある。→意識障害や嘔吐やけいれんなど生命の危機的状況。このように損傷が大きい時は脳挫滅、軽微な場合は脳挫傷と使いわける。

頭を強く打った→脳震盪を起こし短時間意識がなくなる場合もあるがその後、何の後遺症も起さない。この場合は脳の実質には損傷はなかったと考えればいい。
かけがえのない脳を守るために、脳膜や脳脊髄液や頭蓋骨や頭皮や毛髪で、脳は幾重にも大切に守られている。

ただ、強く打ったために頭皮に内出血は起きることはよくある。頭蓋骨があるために外にぽこんと膨れ上がる(たんこぶ)また頭皮はとても厚いし毛髪もあるので出血しているように見えにくい。
体だと内出血しても内部に出血できるのでコブにはならないし、出血したところが色づく。からだの骨は保持や運動するために筋肉に覆われているが、頭蓋骨は動かす目的はなくて脳を守るためだけにあるから筋肉は不要。筋肉がないためにコブになる。同じ頭部でも顔面の額から下の方は、表情を作るための筋肉が細やかな働きを果たすために発達しているから、コブはできないし内出血の色も外から確認できる。

強く打った時に、内出血ではなく、頭皮が切れる場合もある。そのときは頭皮には多くの血管があるので出血量が多くなりがちで驚くことになるが、脳内出血とは全く意味が違うので心配することはない。いわゆる「傷の手当て」をすればよい。

私は医者ではありませんので、以上に書き記したことは仕事上や生活してきた中で理解し、蓄積したことです。今日の青空のようにすっきりと理解できますように。




慢性硬膜下血腫にご注意

2017年11月13日 | これって認知症?特殊なタイプ

久し振りに友人から電話がありました。8月に入ったころだったでしょうか。
写真は「城ヶ崎海岸Jガーデン、秋。」
Jガーデンのオーナーの石井さんはシダの収集家として有名ですが、珍しいネストリーブス

 
「変わりなくお元気?」と問いかけるのと「実はね…」という言葉とどちらが早かったのでしょうか。
ご主人(76歳)が納屋の二階から落ちてしまった!というのです。
絶句してしまった私に「すぐ病院に行ったけど、おかげさまで大したことはなくてそのまま帰っていいことになったのよ。骨も折れてなかったし不幸中の幸いだったと思ってる」と安心の言葉が続きました。
「頭は打ってないの?」と尋ねると「それが打っちゃって、すごく出血があったの。びっくりしたぁ。でも、脳外科の先生がCTだか撮ってみてくださって何ともないですよって」
ネストリーブスの二種類の葉

私「頭の外に出血した時は、頭蓋骨が大丈夫だったら頭皮からの出血ということでしょ?血はたくさん出るけど大丈夫なのよ。」
専門医にかかって「大丈夫」と診断されたのだから、これ以上言う必要はないかなあと思いながら、やっぱり言ってしまいました。
私「頭を打った時には、カレンダーに、打った日と、3か月くらい先に事故のことを書いておかなくっちゃあダメよ」

「慢性硬膜下血腫」の説明をしておいた方がいいのじゃないかと思ったのです。
頭を打って、そのときはCTをとっても異常はないのに、1~3か月くらい後にいろいろな症状が出てくる場合があります。何しろ電話ですからどこまで伝えられるかと思いながら説明しました。ここに再掲してみましょう。
私「脳は大切なものだからとっても守られてます。柔らかい軟脳膜がピタリとカバーしてくれて、その外側に、よく聞くでしょ?クモ膜下出血。そのクモ膜っていう血液がたっぷり含まれた膜がカバーします。さらにその外側に硬脳膜があるの。そして全体は脳脊髄液という液体におおわれていて、その外側に頭蓋骨。そして頭皮。そして毛髪ね。
だから、頭を打ってコブができても、そのコブは頭蓋骨に守られている脳とは無関係。頭皮の問題ね。
さっき言ったように、頭蓋骨に骨折がなくて頭の外にたくさん出血しても、やっぱり頭皮の問題だってわかるでしょ」

「ただね。こんなことも考えなくてはいけないの。お弁当箱に水を入れてお豆腐を運んでる時に落としちゃったとするでしょ。お弁当箱は何ともないのに、中のお豆腐が崩れることもあるでしょ。
脳が水に浮かんでるから、激しい衝撃で頭を打ったらもちろんその部分は頭蓋骨にぶつかって壊れちゃうけど、その揺り戻しで、ちょうど逆の場所もやられることもあります。そんな時には、左の前頭葉を打ったのに右脳の後ろ側の症状が出たりするのね。
今言ったことはとっても怖がらせたかもしれないけど、CTを撮れば見えるから見落とすことはないと思えばいいのよ」

「いよいよ慢性硬膜下血腫の説明です。
頭を打ったその時は、脳には何の損傷もなく、だからCTをとっても『何ともありません。きれいです』と言われるのだけど、しばらくたった後で『おかしなこと』が起きてくることがあります。
頭を打った衝撃で静脈が傷ついて、徐々に出血していって硬膜の内側、これを硬膜下って言いますけど、ここに血腫を作るの。その血種が大きくなっていくと、硬い頭蓋骨は押せないから、柔らかい脳を押さえることになるでしょ。押さえられた部分の脳はうまく機能できないから症状が出るというメカニズムなの(正確にはちょっと違う点もありますが一般的にはこの理解でいいでしょう)。
どこに血種ができるかによって出てくる症状は全く違うことになるのね。
うまく歩けない。手に力が入らない。ボーとしている。何を言ってるかわからない。変なことをする(確かに右脳障害は『変なことをする』としか言いようがないけれど)。またはできていたことができなくなる…こうして症状を説明するとボケたみたいでしょう。この慢性硬膜下血腫と正常圧水頭症は手術で治る認知症として、マスコミでセンセーショナルに取り上げられることが多いから、気を付けていてね。
(関心がある方はこちらもお読みください)

正常圧水頭症の診断には「急激な変化」が必須条件

高齢者やアルコールをたくさん飲む人は脳の萎縮が進んでいることが多いから、頭を打ってから時間がたってから症状が出ることが多い。だって脳がピチピチ状態で頭蓋内に収まっていたら、血腫ができたらすぐ圧迫が始まるでしょ。とはいえ血腫のできるスピードの差もあるでしょうし、だから1か月から3か月くらいの期間を見るのよね。

だから10月くらいまでは気を付けていてね。変なことが起きたら、すぐ脳外科に行くのよ。冬になるころまで大丈夫なら、もう忘れていてもいいけど」
当然ですが、「どんなことが起きるのか」と心配そうな返事がありました。
「ウーン。どこに血腫ができるかわからないからどんな症状か言えないけど、絶対わかるから。それとあれあれという間にどんどん症状が出てくるから見落とすことはないから」と励ましにもならないような励ましをして電話は終わりました。
トックリヤシ

10月末に電話がありました。
「ありがとう!この前、慢性硬膜下血腫の話してくれてて!」
私「えっ!血腫ができちゃったの!」
「でも、もう手術も終わって退院もして普通に元気にしてるから心配しないで!」
私「慢性硬膜下血腫は、タイミングを外さないで先生のところに行けたら、脳外科では一番簡単なオペって言われてるくらいだから、そして後遺症なんか残さないから心配はしないけど…万一のためにと思って言ったんだけどねえ、まさかね!」
ふたりの間では「!」の連続みたいな会話が続きました。
リュウゼツラン

私「ところで、どんな症状だったの?すぐわかったでしょ。病院に行かなくっちゃあいけないって」
「ほんとに、言われたとおりだったの。
なんか『左手がおかしい』って言い始めたの。
スーパーに行って買ったものを袋詰めにする時、いつもきちんと入れて『上手だなあ』と感心するんだけど何だかメチャクチャで、私が代わったくらい。それから、自転車に乗ってるのを見たら左へ左へ寄って行ってしまって落ちそうになるし、車に乗ったら『変だなあ。シートベルトがかけられん』というの。
だからすぐに病院に行ったらそのまま入院だった。
考えたら、けがをした時に先生から『何かあったらすぐ来なさい』って言われてたけど、この前の説明で慢性硬膜下血腫のことがよくよくわかってたから、あまりビックリもしないで病院に行けたし、手術と言われてもショックじゃなかったのね」

このブログを読んでくださってる方は、まさに右脳の症状が出ていることがわかるでしょう。
私「CT見せていただいたの?血腫ができていたのは右耳のちょっと上のあたりだったんだけど」
「え!なんでわかるの。ここが右耳なんですけどと説明があったの。その上だった!」
説明が重なる部分もありますが、脳の左側に慢性硬膜下血腫が起きた場合にはこんな症状が。左右でまったく違うことに感動しますね。

慢性硬膜下血腫で初笑い

バオバブの実

この話には続編があります。長電話になったことを白状しなくてはいけませんが。
「お父さんの幼なじみがおんなじ慢性硬膜下血腫でオペしたのよ」
私「頭を打ってからどのくらい?」
「それが、いつかは分からなかったんですって。ただ慢性硬膜下血腫の症状があってオペしたみたいの」
私「どんな症状だったの?」
「靴を履いたまま、寝ちゃったり、ボタンがかけられなかったりで洋服がうまく着られない…それも急にそうなったんだって」
私「やはり、右側ね。頭を打ったのがいつか分からないって、もしかしたらお酒をたくさん飲むんじゃないの?この前言ったみたいにアルコールが過ぎる人は脳の萎縮が進んでいて血腫が大きくなって初めて症状が出るから、頭を打ってずいぶん経ってから症状が出ることが多いのよ。しょっちゅう酔っぱらっているのかも。だからどこかで頭を打ったに違いないということで皆が納得したんでしょう。オペがうまくいっても、後の家族関係は難しいかも」
なぜこんな話になったかというとこの友人とはいつも認知症の話をしている間柄だからです。これも彼女とのおしゃべりでした。よかったら。

「親をみたことがない男って所詮こんなものよ」と看護師さんが。



 

 

 




10月の右脳訓練ー江之浦測候所その2

2017年11月09日 | 私の右脳ライフ

杉本博司さんの哲学的なオープンスタイルの美術館の続き。
近代的な建物群と歴史的な造形物が、一人の人の中で違和感なく融合するにはどのくらいの体験が必要だったことでしょうね。自分の感性に対する絶対的な肯定感をベースに、多くのものにあたり、制作し、さらに感性への信頼を深めていかれたのでしょうか。
古代の人たちのように、太陽の光を取り入れた作品は、説明だけでその光が差し込む「時」を体験することができないのがもどかしく思われました。
夏至光遥拝100メートルギャラリー。標高100メートルの地に作られています。
海に向って直線的に伸びています。北側はガラス板が37枚。

ガラス板を支える柱はありません。

ギャラリーには、杉本博司さんの代表作「海望」のシリーズが。

先端部、12メートルは海に向って突き出た形状になっており、いちばん先端が展望スペースという見事さです。展望スペースのまっすぐ先の相模灘から、夏至の日の出が拝めるのです。

南側は大谷石。

展望スペースを、南側から望みます。すこし曲がった道の突き当りに茶室「雨聴天』があります。

冬至の太陽光は「冬至光遥拝隧道」と名付けられた、地下から進むトンネルの先端から射しこむようになっています。謂れのある巨石を組み上げた円形石舞台に、その入り口はあります。
「夏至光遥拝ギャラリー」の下を潜って進むことになっていました。

ちょっと不安になるほどの暗さのなかを、先端のあかりを頼りに進みます。

途中に明り取りが開いています。後で、上から撮った写真です

隧道は、最後はギャラリーと同様に空中に突き出した形で終わっています。気を付けないと落ちちゃいます。もちろん止め石が置かれていますが、同行の夫は「事故があると責任が問われるなあ」とつぶやいていました。

階段を上ると、もう一つの注目作光学硝子舞台に沿っていることがわかります。

このガラスでできた能舞台は、冬至の日の出で輝くように作られています。
お能を鑑賞するのは、古代ローマ円形劇場を実測して作られた客席からです。

ここに座ると、舞台と海は一体化していました。

庭園内のそこここに配置されている多くの石や石造物は、飛鳥(法隆寺若草伽藍の礎石)、白鳳(川原寺礎石)、天平(元興寺礎石)から始まって、平安(日吉大社礎石)、室町(渡月橋礎石)、桃山(京都五条大橋礎石)、鎌倉(内山永久寺十三重塔)。江戸期のものも近代のものも含まれます。こうしてまとめてみると各時代からまんべんなくチョイスされていることがわかりました。
1000年以上前のものが残るとしたら、石。これから長い時を経て残るものは、石。
長い時の流れを、感じさせる展示でした。
とても書ききれませんが、一人のアーティストが自分の世界を作り上げたという意味で、いままでには体験したことのない時間と場所でした。




10月の右脳訓練―江之浦測候所その1

2017年11月08日 | 私の右脳ライフ

杉本博司さんが作った「江之浦測候所」に行ってきました。10月9日公開で、早く行ってみたいとウズウズしていましたが10月31日に行くことができました。私にとっての杉本博司さんと言えば写真家でした。ところが今年リニューアルオープンしたMOA美術館に行ったとき、案内パンフレットを読んでびっくり。「前近代の光を近代美術館の中に再現する」「なになに?この哲学!」

杉本博司さんは2017年度の文化功労者に選ばれました。毎日新聞による紹介記事は「杉本博司(すぎもと・ひろし)写真家。長時間露光撮影の「劇場」シリーズなどを発表。ハッセルブラッド国際写真賞を受賞、日本文化の著作も多い。69歳。東京都出身。米国ニューヨーク市」位しか説明されていません。
箱根外輪山を背に相模灘に開けた敷地を舞台に、一つずつずつは独立していながら、人類意識の原点という表現したいことを全体で訴える形をとっています。
そして後世に残すという意味で、石が多用され、その敷地に多く配置された石には、古今東西の歴史のあるものもたくさんありました。
これは謂れははっきりしませんが「亀石」と名づけられていました。

「亀は北東の方角に向き泳いでいるように据えられた。北東は鬼門の方角にあたり、その先には首都圏がある。文明が滅びた後、亀の頭が見据える先には、古に栄えた都があった方角を指し示している」パンフレットから。
正門は室町時代の明月門

門を入って左に振れたところから背に海に向って石舞台があります。同行者二人が橋懸りに立っています。それぞれの巨石にも謂れと意味がありました。

正面の壁は古代ローマ円形劇場の写し。切れているところは意味があって、春分、秋分の日に朝日がそこを通って石舞台を照らすのです。
春分と秋分の日の出は、お茶室にも関連付けられていました。
お茶室への門は旧奈良屋門。この壁作りの工法は古代工法で、法隆寺の塀は現存していると説明にありました。

杉本博司さんは、ミカン小屋のさびたトタン屋根に「利休なら現代のわびさびを感じるだろう」と。そして雨が当たる音を愛でて「雨聴天」と名付けられました。

茶庭の雰囲気も楽しめます。

春分、秋分の日の出の太陽光は、この躙口の前に置かれた光学硝子の沓脱石に当たって反射して茶室内を照らすのです。

茶室内は、利休の待庵を一分の違いもなく写したものですが。ちょっと楽しい。

海に開けたほうには石作りの鳥居が。これは古墳時代の様式とか。

江之浦測候所といえば、夏至光遥拝ギャラリーと冬至光遥拝隧道そして光学硝子の能舞台でしょう。次にまとめてアップします。






ブログ村

http://health.blogmura.com/bokeboshi/ranking_out.html