Hさんの訃報が届きました。
「ほんとうに、お疲れ様でした。どうぞ安らかにお眠りください」と、ご逝去を知らせて下さっている電話の声を聞きながら心から祈りました。
初めてお目にかかったのは平成14年、場所は地区公会堂、ボケ予防教室の会場でした。
その町の保健センターは、「地区を選定して、それぞれの地区にひとつずつ教室をたち上げていきたい。そして自主的に継続していくようにしたい。ボケ予防は正常者から!」という大きな夢を持っていました。
その最初のモデル地区でした。
エイジングライフ研究所として指導したことは「まず脳機能テスト。そしてテスト結果を基にした生活実態の確認や生活歴に言及した生活指導が不可欠。テストなしでは、単なるお楽しみ教室になって、自主活動は夢のまた夢」ということでした。
その教室の開講式の日、何しろ「テスト」を実施するのですから、保健センターのスタッフの皆さんも、緊張感が隠せません。
私も、テスト結果を基にして生活指導を手伝っていました。
テストの担当者が「なんだか普通ではありません」と結果を持ってきました。その時一緒に私の前に現れたのがHさんと奥さんでした。
お二人ともセンスのよいおしゃれな服装でした。それから、全体的に漂う雰囲気も上品なもので、純農村地区でしたから、それはちょっと違和感を覚えるほどでした。
MMSを一読して「これは失語ですね」とテスターに小声で説明しました。
時の見当識は正答なのですが、どうもやり取りがギクシャクしています。
一番の特徴は三段階口頭命令が零点。一文ずつ言っても理解できない点でした。
もちろん模写は完璧です。
生活実態は、奥さんは「前とは何か違う。何か起きている」ことは十分に承知していました。
「耳が遠くなったように思えませんか?」という問いに
「そういえば、なんだかトンチンカンなことが多くて」
もともとおしゃれな方だったことを確認したあとで
「今でも、おしゃれでしょ?」と問うと
「ハイ。着るものも気に入ったものがちゃんとあります。ヒゲも丁寧にそります」
MMSの成績が悪いのに、それに比して生活実態がよいときに一番に想定するのが失語症です。
ピッタリです。
失語症は脳の器質障害ですから、病気かケガをしなかったかどうかを確認していきます。どんなに確認しても何もなかったというのです。
脳に病気かケガによるダメージを受けていないのに、脳機能に異常が起きる。こういうこともあるのですよ。
皆さんが一番わかりやすいのは、遺伝子異常によるアルツハイマー病でしょう。
左脳の言語野に特定した変性疾患による失語症を「緩徐進行性失語」といいます。詳しくはマニュアルC94P
Hさんはまさにこのタイプでした。
ところが、Hさんは2年ほど前に退職なさっていました。
ちょっと前に、会合での挨拶で見当違いがあったとのことで、なんとなく「あんなに立派な方でも退職したら・・・」の声がささやかれ始めていたようです。
ところが実際は、退職後にもボランティア活動に精を出し、趣味も楽しむ毎日だったのです。穏やかな性格で皆からも慕われていたそうです。
退職後にこういう生き方ができる人たちにとって、脳の老化は加速されるはずがありません。
なんというタイミングの悪さでしょう。退職なさった頃から、言語野の支障が徐々に出始めてきたのでしょう。
私がかかわった緩徐進行性失語の方は、そのすべてが「感覚性失語」のパタンを持って発症していました。詳しくはマニュアルC95P
「何を言われているのかがわからない」のですから、日常生活には大きな支障をきたします。
一方で話す力は、まだまだ大丈夫ですから余計にトンチンカンが目立つことになります。
もちろん、専門医受診を勧めました。勧めながら、このように指導してくださるドクターはいらっしゃるだろうかと不安にもなりました。
そのくらい稀なケースといわれています。
(ただ、二段階方式を導入している町の保健師さんで、この緩徐進行性失語を見つけた方が何人もいることを付け加えておきます)
「世間の人は、『退職後、ボケた』というかもしれませんが、退職後ボケたのではなく、言語に支障が出る非常に珍しい病気になったのです。生き方が悪いのでも、家族の対応が悪いのでもなく・・・」と説明しながら、進行していく病気ですから、早く治療法が確立して欲しいものと痛切に思いました。
あれから5年たったのですね。
by うーさん(伝説の伊豆高原日記)