脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

木曽町だよりー木曽の人情に触れる

2023年11月28日 | 私の右脳ライフ
旅の目的は何?と自問してみると、いろいろ思い浮かびます。
海でも山でも景色を見るのは好き。特に満開の花に出会えると一期一会の気持ちが湧き上がってきます。
興味関心の持ち方が恥ずかしいほど広く浅いのです。大体何にぶつかっても楽しい時間を過ごすタイプで、事前学習もやる方だと思います。
ところが、旅先で誰かと親しくなると、その先の予定は全部キャンセルになってもその出会いこそ旅の醍醐味という気分になってしまうのです。
木曽町にも、思い浮かべると「お元気かな」と懐かしさが込み上げてくる人たちがいます。
いつものように、前泊で木曽町へ。宿に入る前にお寄りしたいところがありました。

木曽町の長福寺。辞去した夕方の一瞬に写すことができました。
もう15年くらい前になるでしょうか。講演の後、長福寺のお嬢さん(高校生?)が「心理職」について質問に来てくれました。認知症についての質問ならたくさん経験がありますが、こんなに若い方が来てくださっただけでも嬉しく、またまっすぐな生き方が感じられるような魅力的なお嬢さんでもあり、とても印象的な出会いでした。その時以来、時々は会ったり電話でおしゃべりしたり、賀状交換したりという交流が続いています。彼女は社会人として長野市在住ですから、せめてお寺に伺ってお母さまにお会いしようと思いました。

本堂を眺めながら長福寺檀信徒会館へ招かれました。

久しぶりのK沼さん。お茶のおもてなしを受けながら、お話が弾むこと…
エイジングライフ研究所は、お寺がかつて寺子屋として子供の教育を担ったように、この高齢社会ではお寺こそ高齢者に対して認知症予防の働きかけができるところだと思っています。その話の流れから写経についてお話ししてくださいました。「写経は皆さんいらっしゃるんですよ。それとは別にお檀家さんを中心に絵手紙教室も少し」
私「みなさんで集まって、楽しい時間をすごすことが認知症予防。絵手紙教室はきっと楽しい会だと思いますよ。色や形がテーマになるので右脳訓練ですね。ピリッとした言葉がいるでしょう?言葉は左脳」
K沼さん「みなさん楽しみにしていらっしゃるようです」
私「認知症予防なら、良いところを見つけて褒める。なんでも準備してあげてお客さま扱いをしない。例えば画材の用意はしてあげないほうがいい」
K沼さん「あ、やってます。作品を見ると褒めたくなります。それにご自分の描きたいものを持ってきていただいてます。
中学生にも教えています。中断もありましたが15年になるでしょうか。3年間続ける子もいたり、高校でも続けたり本当に嬉しい思いをさせてもらってます」
私「中学生と高齢者との交流はできないでしょうか」
思い出しても、楽しいエキサイティングな時間が過ぎていきました。

檀信徒会館の入り口です。縦横に立派な檜が使われて、心がスッキリする長福禅寺でした。

翌日の講演にも来てくださり、こんな素敵な袖カバーをいただきました。生地の選び方にセンスがひかり、縫製が素人離れしてました。
右脳が豊かなK沼さん、ありがとうございました。大切に使います!


もう一つ感じた木曽の人情は投宿した「街道浪漫おん宿蔦屋」での出来事でした。

名に違わず、まさに中山道に面した宿。以下はHPから。
「蔦屋は、江戸時代中期(元禄元年)に中山道・木曽路の宿場「福島宿」の旅籠として創業いたしました。
現在も変わらぬ場所で、木曽川沿いの露天風呂と地元素材の創作和食の心和む宿としてお客様をお迎えしております。
近年では、創業から守り抜く「おもてなしの心」と併せて、
四季を通じて美しい山々と江戸情緒が残る木曽路を歩く楽しさを提供しております。
(最後の一文も泊まってみれば納得です。外国の方がたくさんというか外国の方のほうが多かったのです)
帳場の雰囲気を残したフロント。素晴らしい宿の看板を見ただけで、老舗の旅館ということはすぐに納得できました。箱階段も今に生かされていますね。



館内の設えも、古いものを上手に活かして、宿の長い歴史を感じさせるものでした。これは女将の心情が反映されていると見ましたが、いかが?

露天風呂からみた木曽川。玄関は中山道に面し、一番奥は木曽川に面している宿です。


食事処で目を引くディスプレイ発見。ここにも、おん宿蔦屋の姿勢が感じられます。

御岳山を写した木製盆の前菜から食事はスタートしました。「山型と言っても富士山ではありません。御岳です」という説明はちょっと誇らしげに聞こえ、微笑ましかったですよ。

地元素材を生かした少しずつのおかずは、朱塗りの器で供されました。たしかに健康志向です。完食の器の綺麗なこと。
馬刺しと淡水魚のお刺身。包丁さばきが綺麗でした。馬刺しのつけ醤油も「私たちが試行錯誤して決めたんです」って。

陶版焼きの蓋を取るタイミングがちょうどぴったり。それに蓋の取り方が機械的でない。この時もスタッフの心配りが実感されました。

トロロ汁の絶妙な味付けと器。味噌汁の具の多いこと。

お肉料理は豚肉のしゃぶしゃぶ。
前日の夕食が、やはり豚肉のしゃぶしゃぶ。こだわりがある店だったので、夫がいろいろと担当の方に説明していました。
「今はお忙しいんだから」と私が制するほどでしたが、「いえいえ。大丈夫ですよ!」と笑顔で確かに興味があるという対応をしてくださいました。

お料理の説明にも心がこもっていて、そのおかげで珍しいことに夫も真剣に耳を傾けています。

さて、翌日の朝食。
テーブルの上の一合枡にサンキューカードらしきものが。

「ああ昨日の担当の方。サンキューカードを下さって…お忙しいでしょうに」と思ったのですが、裏面にメッセージを書き添えてくださっていました。
通り一遍でないこの文面にびっくりするやら感激するやら。
「友人たちにも教えてあげたい。料理も温泉も風情も全部素敵だけど、一番のおすすめ点は『スタッフの皆さんが持っているもてなす心を感じられること』という言葉を添えて。本当にまた伺いたいです
講演会場の木曽町文化交流センターまで中山道を横切って1分という理由で選んだ宿でしたが、とんでもない拾い物をした気分です。
ありがとうございました。
by 高槻絹子















木曽町便りー中山道を楽しむ

2023年11月24日 | 私の右脳ライフ
木曽福島町の時代から何度も訪れてはいるのですが、考えてみれば目的は仕事。代官屋敷は行ったものの、中山道の宿場町の風情を感じるところには行ったことがありませんでした。
講演に伺った時には、隙間時間を利用した遊びを組み込むのが私流です。木曽町ではあまり遊び時間が取れなかったというのは、仕事をたくさんしたからでしょうか?(本当は、移動に時間が取られるために遊べなかったのです)
10月の同窓会での講演の時に親しくなったM下さんは後輩とばかり思っていましたが、先輩でした。先輩が「必ず食べてくるように!」と勧めてくださった老舗そば屋くるまや本店は、中山道からほんの少し外れて、店の奥は木曽川支流に面しているという立地。行列のできる人気店ですって。

美味しいお蕎麦が最初から2段。お蕎麦の水切れのいいこと!
てんぷらもカラッと揚がっていました。

調理場は広いし、
天井は高い。

道を隔てて、やはり広い間口のお店は木曽漆器の老舗。
くるまやで美味しい蕎麦をいただいて、中山道まんなかの福島宿をちょっと歩いてみることにしました。
すぐ先、木曽川支流を渡る手前に中山道の標識が。牛越小路を進むと木曽福島駅。
橋を渡ります。

いよいよ今に残る中山道「上の段(うえんだ)」
すぐのところにある井戸。

江戸時代に作られたもので、特殊な工法で度重なった地震にもびくともせず、昭和時代まで飲料水として使われたということです。

水が豊かなところなのですね。
町のそこここで外国の方にたくさんすれ違いましたが、この日本人の旅人も目的意識を持って木曽路を歩いていることがわかりますね。

築140年の建物を生かしたこんなおしゃれな和食屋さん。今度お邪魔しなくっちゃあ。

その向かいには、晴明神社。境内に資料館がありました。無料だったのですが内容の素晴らしかったこと!



木曽の夏祭りは地域の皆さんにとって大切なお祭りのようですね。さすが木曽。見事な檜(多分?)のお神輿でした。

先輩がくるまやさんをお勧めくださる時に、メールで教えてくださいました。
「祖父もこがらと言う鳥を飼っていて、このくるまやさんのこがらとなきあったんです。
つつぴーっと言う声。鳥かごを持ち合いなき合いと言う趣味の世界があったんですよ。
旦那衆の贅沢な趣味、江戸時代から昭和まで有りました」
なんとその籠が展示されているではないですか!予想よりも小さくて、コガラやヒガラのような小さな鳥で競ったことは知識として知っているだけで、姿、形は知りません。肝心の鳴き声も。
最近は便利な世の中ですから、早速検索してみました。
庭によく餌をとりにくるシジュウカラとヒガラとコガラの違いがよくわかりました。カラ類は胸の黒線で見分けます。シジュウカラはネクタイ。ヒガラはよだれかけ、そして頭に冠毛がある。コガラは胸は白く、頭はつるりとした黒帽子状。
なんと鳴き声まで聞くことができました。そして解説によるまでもなく、このカゴに入ったのはヒガラに違いないことが確信されました。変化とスピードのある可愛い声!それとヒガラは11センチでカラ類で最小ですって。M下さんにお尋ねしてみました。
木曽ではこがらと、言います。つつぴーつつぴーとひがらとおなじ鳴き方。…略…素敵な暮らし方ですよね。こがらの鳴きあい、にいってくると、出掛けた祖父が懐かしいです
こんな素敵なお返事をいただきました。

木曽節は、たくさんの歌詞があるのです。

猿田彦大神の衣装。

お祭りに使った垂れ幕でしょうか。見事な刺繍でした。

道が直角に折れ曲がるところに休憩所があります。旅人はきっとここで息をついたことでしょう。もみじに間に合いました。

さらに隣り合って高札場が。江戸時代の識字率は世界一だったのですから、旅人でも読める人は多かったと思います。
ついでに。幕末に日本に来た外人たちが、庶民が字が読めることと好奇心いっぱい(前頭葉が豊かであった証)ということに驚嘆したということは、寺子屋教育、江戸文化の成果に違いありません。

距離的にはゆっくり歩いても10分程度の「上の段」。ついたところは本陣跡。
そうです。講演会場の文化交流センター。
ここの一階は開架式の素敵な図書館でした。

カフェもありました。この奥にも屋台が展示されていました。

子供コーナーも魅力的でした。
こうしてまとめてみると、山も川も写していませんね。福島の中山道はちょっと歩くだけでも魅力がありました。
次回もう一度木曽町便りを書きます。

by 高槻絹子























木曽町便りー久しぶりの講演

2023年11月21日 | 認知症予防講演会
20年くらい前になるでしょうか「木曽福島町」から初めて連絡をいただいた時、失礼にも「木曽」という言葉に引きずられて岐阜県かと思った私でしたが、長野県!
何度か伺っているうちに藤村が言った「木曽路はすべて山の中である」ということがほんとうに実感されてきました。今はもちろん国道19号線が貫いているのですが、目を上げると山々が近く、ここを歩いた先人たちの思いに触れることになります。木曽川も山中の流れらしく勢いがあって、この山川の自然と対峙して生活していくと自ずからエネルギーはうちに秘める傾向が強くなるのでしょうか。
一方で、言わずと知れた5街道の一つ中山道の宿場が連なっている地域でもあります。福島宿は中山道の真ん中の宿場。木曽路には10を超える宿場が連なっています。宿場町には文化に対する開かれた姿勢がありますね。
木曽福島町は平成17年に合併して木曽町になりましたが、その合併前に周りの町村にもいくつか伺いました。
私が知りあった木曽の人たちは控えめな方が多かったように思います。ただ木曽の人といえば、木曽義仲。義仲まで出さずとも、心が通じると思いの深さや熱量に驚くことにもなりました。
今回の講演は、いつものように町役場から直接依頼されるものではなく「長野県保健補導員等連絡協議会 木曽支部研修会」の基調講演です。
木曽支部は木曽町、大桑村、南木曽町、大滝村、上松町、木祖村の6町村。今年の会長さんは南木曽町のH瀬さんということで、連絡は南木曽町のH口保健師さんが窓口になってくださいました。会場は木曽町文化交流センター。福島宿本陣あとに建っているのです。



広域ですから各地の役場でのパブリックビューイングもオンラインで。
いつもはステージを自由に動きながらお話ししますが、演台の前でじっとしたままでマウスを使い、ポインターに持ち替えて画面を示し、マイクから声が外れないように気を配る。
まさに注意集中分配力を発揮しなくてはいけません。もちろん話の趣旨を伝えることは最大のテーマですね。これこそ、前頭葉を鍛える場をいただいたと感謝しなくては。
司会進行も開会挨拶や閉会謝辞も保健補導員さん。緊張されたかも分かりませんが、前頭葉の訓練には最高だったはずですよ。
実は開会前の控え室で、南木曽名物「つまごの秋」という干し柿の中に栗きんとんが入ったお菓子をいただきながら H瀬会長さんから南木曽町の様子を伺いました。

会長「南木曽では、町内に何ヶ所もお年寄りのためのデイがあって、私たち委員ははそこの運営手伝いをしているんですよ。一緒に歌を歌ったりゲームをしたり、お茶飲みも。送迎もしますね。月に一度みんなで集まるこの会を、うちの94歳のおばあちゃんもとっても楽しみにしています」

私「コロナでお年寄りは元気がなくなったのではないですか?」

会長「そう変化はないと思うのですが…」

私「そうですか。全国的にははっきり低下が言われてるのですが。たいして落ちてないということは、それなりの関係性が保てて、寂しくなかったということですね」

会長「まず電話ですね。その時も具体的に〇〇さんの様子はどう?というようにお互い気にしあってました。お隣同士だとちょっと会ってお話しすることもあったようです。それと家でやるべきことがあるお年寄りが多いと思います」

私「やはり。三密を厳密に守ると脳の元気がなくなるのです。それと生きがいもどうしてもいるんですよ。今からお話ししますけど」

保健師さんがよく言われます。
「木曽の人たちはあまり反応されませんがよく聞いてくださってるのです」
今回の講演では、皆さんはよく聞いてくださっただけでなく、笑いを含め反応もたくさんしてくださったと思います。

講演終了後、控え室にお客さまが。
10月の母校同窓会での講演の時に「とても納得できた」と駅までだけで足りずに、乗り換え駅までおしゃべりが弾んだ後輩のM下さん。その後のメールのやり取りで、彼女は木曽町に深い縁があることがわかりました。
木曽町のお友達に講演を聞きにいくように勧めてくださった、そのお友達がなんだか明るい興奮ムードいっぱいでお顔を出してくださったのです。

だいたい私の講演後は、ニコニコしながら会場を出る方が多いのです。「どういう生き方をすればボケないのか納得できた」ということだと思います。
N木さんとK村さん。口々に「希望と自信とこの生き方で良かったという確信」を語ってくださいました。
ほんの数分のお話だったのですが、今思い返しても素晴らしい展開でした。それぞれが講演の感想を口にしたら、今度はお互いがどういう方かを実に手際よく説明してくださるのです。
N木さんは、ゴルフ場の敏腕マネージャーで大活躍されて退職された後は、食育分野で活動されてつい先日総理大臣表彰を受けられた。料理教室も長く継続していると。
K村さんは、老舗麹店とシューフィッター資格を持つ靴店とおしゃれブティックの代表取締役を現役で。「『失敗は恐れないでやりなさい』という役割だと思ってます」星野富弘さんと親交があってお願いして書いていただいた葉書を「後で」(これが木曽人らしい)届けてくださいました

お二人とも、若い人たちを育てることにこれからの目標や生きがいを定めていらっしゃると思いました。
間違いなくこのブログの「かくしゃくヒント」の候補者です!

付記
輝く星のようなお二人を喜んで紹介しました。
ただ、講演で何度も強調したように、私たちは十人十色の前頭葉を持っていますから、それぞれが自分らしくイキイキと暮らすことが大切だということをもう一度言わなくてはいけないでしょう。

右脳・全開 伊那市みはらしファームの佐野さん
右脳・全開 伊那市みはらしファームの佐野さん - 脳機能からみた認知症

右脳・全開 伊那市みはらしファームの佐野さん - 脳機能からみた認知症

仕事で飯田市から木曽福島に移動する必要がありました。グーグルマップで見てください。飯田市や伊那市の東側には南アルプスが、西側には中央アルプスが聳え立っています。...

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この記事に待ち合わせと書いてありますが、木曽町のK井保健師さんがお迎えに来てくださったのです。15年以上も前…2008年2月のことです
思いもかけないことに、そのK井保健師さんが会場に!「退職後もあれこれとお手伝いしてるんですよ。私のボケ予防」と笑って話しかけてくれました。どこも変わってないですよ!
講演終了後に、お若い保健師さんが「祖母がこの夏に亡くなったのですが、高槻先生のお話を母と一緒に聞かせてもらってたんです。おかげで元気なままで」
脳が、お元気なままだったということですね?時間がなくてどういう生活ぶりか伺えませんでしたが、おばあさまはおばあさまらしい生活をし続けてくださったのだと思いました。
どなたでも、前向きに、生きていて良かったと思えるように、自分らしく三頭立ての馬車を走らせて続けてください。


by 高槻絹子


池田大作氏逝去の報から

2023年11月19日 | エイジングライフ研究所から
旅をしていたので、ネットニュースで「創価学会 池田大作氏逝去」を知りました。
ずいぶん高齢でいらっしゃること、表舞台に出てこられないことなどから、健康を害されていらっしゃるかもと思っていました。
解説によると、この池田名誉会長逝去の影響は大きいと。
私はすぐに思うところがありました。
今年の6月、ひっそりと「認知症基本法」が成立しました。その大きな問題点をブログに挙げました。
この法律は超党派の議員立法となっていますが、牽引役は公明党だったのです…
声なき声に耳を傾けることは大切なことだと思いますが、そこに大きな過ちがあってはなりません。過ちに関してはブログをお読みいただくとして、このような公明党のあり方の変化が起きるのかどうか、注目して行きたいと思います。
ブログを再掲します。

「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」が成立 - 脳機能からみた認知症

「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」が成立 - 脳機能からみた認知症

わざわざ「共生社会の実現を推進するための」という冠語をつけて、認知症基本法が6月14日成立しました。私の知る限りでは、ニュースの扱いは小さなものだったように思います...

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by 高槻絹子




山中湖への旅を楽しむ

2023年11月19日 | 私の右脳ライフ
「今年の紅葉狩りは遅きに失っしたかも」と思いながら山中湖への旅を企画しました。
御殿場でランチをとって、須走の道の駅に立ち寄って…と通常の山中湖への道筋をなぞって行きましたが、いつも気になっている富士浅間神社にお参りすることになりました。
予想以上の、信仰心に支えられた歴史ある佇まいに驚きながら進んでいくと、なんと紅葉のお出迎え!

境内を進むと謂れのある巨木が何本も屹立…丁寧な説明板もあって良い散歩になりました。

満足しながら山中湖へ。
大きな富士山はいいですね。何度も声を上げながら山中湖一周ドライブを楽しみました。
名残の紅葉が…
対岸の小さな白い建物が今日のホテル、マウント富士です。
チェックインしたら、富士山に微妙な雲が出現。

一夜明けた富士山です。
山中湖を入れてみました。

ホテルマネージャーから勧められて、富士急ハイランド内にあるフジヤマミュージアムへ。横目でジェットコースターを見たことはあっても富士急ハイランドには行ったことがありません。
ハイランドホテル

リサとガスパールランドを通り抜けて。

フジヤマミュージアム

ホールの窓から。

作品は見事の一言。対象はみんな同じ「富士山」ですが、制作者自身を投影しているとしか思えません。
小倉遊亀(左)、横山大観(右上)ともに80歳時の作品がありました。高齢になっても作品制作を続けた葛飾北斎の作品も一緒に。

新しい時代というか現代の人たちの作品もありました。
上は草間彌生。下は左から作宮杏奈、八代亜紀、片岡鶴太郎、長嶋茂雄と絹谷幸二。
この人たちの80歳の作品はどう変化しているでしょうね。(草間彌生のように高齢の方もいますが作品はまだ若い時のものです)
河口湖の富士山がメタリック調。初めてみましたがうまく表現できているでしょうか。


by 高槻絹子



TV番組「認知症の第一人者が認知症になった」も教える認知症予防

2023年11月11日 | エイジングライフ研究所から
友人から「NHKテレビで長谷川和夫先生のことを見ました。認知症になっても広報活動を続けられていたようですが、なにより認知症にならないことが大事ですよね」というメールが来ました。「長谷川先生のことをブログに書いたなあ。彼女に送ってあげよう」と検索したら、下書きフォルダーに入っていましたので掲載します。2020年の11月に書いてあります。

11月3日文化の日に二つの対照的なTV番組を見ました。
一つが、このひとつ前の記事「TV番組『餅ばあちゃんの物語』が教える認知症予防」でした。
制作者の狙いは「知恵と工夫でいっぱいの心豊かな暮らし。仕事とは?人生とは?幸せとは?こんな時代だからこそ心にしみる、つつましく温かな、餅ばあちゃんの物語 」であって、決して認知症予防の実例を提示するという意図はなかったと思います。
ところが、脳機能から認知症を理解する私たちの考え方から言えば、餅ばあちゃんはまさに究極のみごとな認知症予防の生活実践者でした。
左、利島。真ん中に薄く三宅島。右、新島。

もう一つの番組はNHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」の再放送です。
こちらの番組の制作意図は「誰もが認知症になりうる時代。長谷川さんの姿を通して認知症を生き抜くための手がかりや希望をつむぐ」と番組紹介に書かれていました。この番組を見た人たちは生き抜く手がかりや希望を感じたでしょうか?
同じ番組を見た友人からのメールは「偶然みました。『生活の確かさがなくなってくる。一生懸命一所懸命にやってきたこの結果がこれだ。歳を取ることは容易ではないな』っていわれたよね。涙が出ました」
また別の友人との会話です。
「歳を取ったらみんなボケるのよね…長谷川先生だってボケるんだもの。お気の毒で正視できなかった。私ボケたくないっていつも思ってるけど、防ぎようはないんだって思った」
「先生の奥様は達観していらっしゃるようにお見受けしたけど、信仰の力かなあ。優しい対応だし、言葉かけも無理がない感じだったよね。あ、奥様の介護負担が大きいからと何度も言ってたから、精神的にはクリアできていても実際の負担は大きいのね。印象的だったのは、お嬢様は介護しながらお幸せそうには見えなかった」
私は、あまりにも長谷川先生らしくないそのお姿に胸がつかれる思いと、世の中の認知症の理解が間違っていることに歯噛みする思いでした。何故何故といくつもの疑問符が飛び交いました。

2009年に長谷川先生が下田市にいらっしゃって講演をなさいました。わざわざ下田までお話を伺いに行きました。というのは今からだと30年近くも前になるでしょうか。学会で意見を戦わせた時代があるのです。
その時のことを記事にしてありますのでお読みください。

「長谷川先生の講演」

長谷川先生の認知症に対する考え方がわかります。長谷川先生は日本の認知症分野の第一人者ですから、日本の専門医や専門家たちの考え方であるということになります。もう10年以上もたっていますが、小さいところでの変化はありますが(レビー小体型認知症の増加、前頭側頭型認知症という表現とか)根本的には何も変わっていません。
伊豆大島

あくまでも、アミロイドβが悪さをするという立場です。
なぜたまるのかわからないけれど、悪さをするのだから除去するとか、たまらないようにするとかというアプローチ…研究者や製薬会社はしのぎを削っています。そしてアミロイドβ犯人説に異論を唱える研究者や製薬会社が現れるところまではきましたが、日本では依然アミロイドβ説が席巻しています。
長谷川先生は嗜銀顆粒性認知症と診断されています。初耳でしたから、少し調べてみました。
先生が触れられなかった神経ネットワークの邪魔をするもう一つの原因にタウ蛋白説があります。嗜銀顆粒性はアミロイドβではなくタウ蛋白に近いもののようでした。発生場所がある程度限られているということです。
大島遠望

何故かわからないけれど、有害なものが増えてしまって正常な機能が発揮できなくなる。その理由の一つは老化だろうと。
それならば、もうひと飛躍してアミロイドβやタウ蛋白が見つかったら歳のせいと思ったらどうでしょうか?前記事の餅ばあちゃんの脳にもきっとアミロイドβやタウ蛋白が見えるはずです、たぶんたくさん。だって長谷川先生よりも年上なのですもの。
脳の器質がどう変化しようとも(アミロイドβやタウ蛋白がたまっていようとも)その機能がどういう状態であるのかに注目しましょう。
脳機能も年齢とともに低下を起こすのは正常老化といえますね。その年齢を超えて機能低下が始まったら(必ず前頭葉機能から低下は始まります)、それは認知症への道を進み始めたということです。
その時には必ず、それに先立つ生活実態の変化があります。それまでその人の生活を支えてきたものがなくなる、それをきっかけとして生きがいや趣味や遊びや交遊など何もしない単調な生活が続く。それは前頭葉を筆頭に脳の使い方が極端に減る状態なので、いわゆる廃用性の機能低下(今はやりののフレイル。筋肉だけではありません)を起こすというふうに、エイジングライフ研究所は考えます。

認知症にかかっていると公表されたのは2017年88歳の時。取材が始まったのは2018年8月からでした。
どのような生活をなさっていたのか?どのような脳の使い方をなさっていたのか?何がきっかけでナイナイ尽くしの生活に入ってしまわれたのか?
番組が始まったとき、傍らにいた夫が「脳機能でいえばどのくらい?」と尋ねてきました。
その時ちょうど長谷川先生が「曜日の感覚があやふや」といわれました。二段階方式のものさしを当てるとそれは、前頭葉機能は不合格、脳の後半領域の機能も合格ラインを切った状態の時の症状(中ボケレベル)です。ただことばはなかなか説得力のあるものでしたから「そこまでいっていらっしゃるかしら」とちょっと違和感がありました。
その直後に、奥様から「服薬管理ができない」といわれ、納得。服薬管理ができないのは中ボケレベルの脳になるとみられる症状ですから。
そうすると、ナイナイ尽くしの生活はその時点で3~4年続いていたはずです。きっかけは2014年~2015年に起きたのではないかと推理できます。
テレビを見た後にネットで検索してみました。

2009年に高齢者痴呆介護研究・研修東京センター長退職 という情報を見つけることができました。これでは全く合致しません!退職後、5〜6年経ったところで生活が大きく変わってしまうような変化があったに違いありません。そしてその後ナイナイづくしの生活になっていかれた。
その生活ぶりを知ることが「今の長谷川先生」を理解できる一番重要な鍵なのです。そしてその始まりの時にこそ「状況に応じて生活を立て直す」ことが必要であったと思います。
餅ばあちゃんが息子夫婦のガン宣告の時に別人のようになったことを思い出さずにはいられません。そして葛藤の末「餅を作り続ける」と言う生活を取り戻しました。その時、私だけでなくテレビを見ていた人たちは、皆ホッとしたはずです。
番組内では86歳(2016年?)まで診療を続けたといわれていました。2年間でここまでの低下はちょっと早すぎるのではないかと思いました。
一線を退かれてからの生活はなかなか知ることができませんでしたが、精神科医である息子さんのインタビュー記事を発見。
「2006年ごろから川崎市内の診療所で、月数回診療していた。2014年まで」辞められた時のお年は85歳。もともと月に数回の診療だけで長谷川先生の前頭葉は満足されていたのでしょうか?勤務体制の変化はなかったのでしょうか?続けてもうひとつ情報が。
「2017年に転倒し、肋骨と腕を骨折。在宅だったがそこで介助が増えた」
そうです。いったん老化を加速させ始めた時に、さらに安静状態が加わるとさらなる老化は避けられません。骨折から回復されたときにはお仕事もなく単調な生活が続いた、もしくは転倒を恐れてもっと慎重な生活になったかもしれません。

見るからに紳士でいらっしゃった長谷川先生のお姿をよく知っています。
ボケると性格が先鋭化するといわれることはその通りだと思いますが、番組でも、穏やかで優しい人間性を何度もうかがうことができました。ご家族からも慕われた様子もよく伝わってきました。素直なかわいらしいとしか言えないようなやり取りもありました。
認知症専門医として、長い長いキャリアをお持ちですから言葉の応答は、何げなく聞くと、「そうなんですね!」とか「やはり、的確な表現されるな」とか思ってしまいがちですが、行動やごく普通の言動の頓珍漢さを見逃したらいけないと思います。
娘の年齢がわからない、娘の名前を妻の名前と間違える(後で訂正可能)ような状態で社会活動はとても無理。こう言うレベルで、電波に乗せる意味はあるのでしょうか?ハッと気付きました。それなりに言葉を紡ぎ出される。まさにここで惑わされしまうのですね…
講演会では打ち合わせと違う進行をしてしまいお嬢さまがあたふたと処理に追われていましたし、出版物の打ち合わせ会でも関係ないことを滔々と話し出し、お嬢さまが制止しても止まりません。
言葉を出すことはできるが、その場の状況を判断して自分が何をなすべきか判断する前頭葉機能は信じられないほどの低下が起きてしまっている。長谷川先生なら当然保持なさって当然なレベルを遥かに逸脱して。脳はできないことはできませんから。
「間違いを指摘すべきかどうか」というお嬢様の質問に対する主治医の言葉「権威とか威厳とかつぶさないように周りがサポートするように」を聞きながら、「もっと早く手を打つべきだったのに」と悔しく思いました。
今は、権威や威厳を大切にするよりも介助や介護で心地よくいていただくしかないのですから。

番組の最後は「認知症になっても見える景色は変わらない」という長谷川先生のことばの大写しでした。
それも違う…
この仕事をするようになったごく初期に、中ボケだった方のご家族に積極的に、回復のための生活改善指導をしました。
「『変化のある楽しい生活を』といわれたので、わざわざ白糸の滝に連れて行きました。なんといったと思いますか?『あ、滝か』ですよ。一日かけて行ったのに」それでも半年。ご家族の努力は続きました。
「また白糸の滝に行ったのですが、今度はなんと『繊細な滝じゃのう。でもわしはこっちの方が好き』と、音止めの滝を指さしました!」感動は前頭葉がするのです。
小ボケの方々を集めて合宿で脳機能の改善を図るという先駆的な活動にもかかわったことがあります。
その時、合宿が終わるころになると参加者の方々が異口同音に「ここはこんなにきれいなところだったんですね。来たばかりのころはなんだかボーとしていてはっきりしなかったから気にも留まらなかった」とよく言われていました。注意を集中するのも前頭葉機能です。

憶測で文をつづることに抵抗はありましたが、たとえ日本の認知症学会を牽引された方といえども、脳をその人なりに使い続けなければ認知症の道に進むことを知ってほしいと願ったので、重い筆を執りました。
餅ばあちゃんは、93歳でも自分らしく生き続け、そして輝いています。

by 高槻絹子

ハイビスカスローゼル摘みー落合ハーブ園

2023年11月07日 | 私の右脳ライフ
この歳になるまで、あの赤くて綺麗だけど酸っぱいハイビスカスティーは、南の植物であるハイビスカスの花のお茶だとばかり思っていました。今年になって親しくさせていただいているS崎さんとお茶を楽しんでいた時に「ハイビスカスティーはハイビスカスローゼルという植物から作るんです。しかも花じゃあなく種を包んでいる、なんというのか…花もかわいい…」私の間違いをやんわりと正しつつ「話より、現物をあげましょう」のお約束通り、この夏ハイビスカスローゼルの苗をくださったのです。
S崎さんからお誘いがありました。
「有機無農薬で植物を育てている月ヶ瀬の落合ハーブ園がハイビスカスローゼルの花摘みイベントをやるので行きませんか?」
友人と喜んで参加させてもらいました!
まず、函南駅で横浜から参加される方をピックアップして、三島のハイビスカスローゼル畑に行って摘み取り作業です。予想の何倍もの広さ、我が家のハイビスカスローゼルの何倍かの勢い。
うちのハイビスカスローゼルのお花は薄いピンクですが、ここは薄黄色。実はそっくりです。

落合ハーブ園月ヶ瀬店は、国道414号に面して広い駐車場を備えた明るいお店です。
ペットオッケーでカフェのしつらえですが、ランチも楽しめるようになっています。
ドライハーブや種々のエッセンス。
お店の一角には、有機栽培のお野菜の販売もありました。

お店に入って、さあ体験が始まります。
カモミール入り石鹸作り。
ハーブたっぷりの松花堂弁当。
ハーブティー2種。

専務さんが熱を込めてドライハーブやエッセンスの説明をしてくださいます。私が買ったのはローズゼラニュウム。ジャーン!「弾力回復」のキャッチフレーズに惹かれました。香りにも惹かれました。幸せ気分に浸れそうです。

とてもラグジュアリーなお話しをしましたが、有機無農薬のお野菜もたくさん買いました。こちらの方が私らしい(笑)
ニンニク、ニンジン、ジャガイモ、サツマイモ、ダイコン、カブ、ネギ、原木椎茸。
お邪魔する直前に、三島サイコの話になりました。「何に効くのですか?」という質問に対してのおこたえが気に入りました。「特に何というのではなく、とにかくいろいろ必要なところに効くんです」万能のハーブ!三島、伊豆に自生していたものは、品質がよくとても珍重されていたそうです。
「国道向こうの畑に、今ならお花が咲いてるからみますか?」もちろん喜んで!
何しろ有機無農薬ですから、虫や蝶々がたくさん目に入りました。

ピンクはエキナセア。黄色が三島サイコです。
ミント畑も元気モリモリ。初めて見るモヒート用のミントもありました。
タイムも多くの種類が繁ってました。
ハーブって見るだけでも元気になることが実感されました。
帰宅して、ハイビスカスローゼルの始末をしました。種を包んでいる部分は乾燥器に。
萼の小さな棘状のもの(ほとんどゴミ)を捨てきれなくて、ホワイトバルサミコ酢に漬けたらこんなに素敵に変身。とってもロマンチックな気分になりました。




by 高槻絹子












北九州と東京で歌舞伎鑑賞

2023年11月05日 | 私の右脳ライフ
北九州に住んでいるT田T子さんは、戸畑高校の同窓生。といっても実は彼女は39回生、私は18回生なので21歳もの年齢差があります。
今日の散歩で発見。サネカズラ



出会いを振り返ると、私が戸畑高校天籟同窓会関東支部の支部長をやらせていただいていた時に、同窓会本部の事務担当をしてくださっていたので、自然にやり取りが生まれました。関東支部総会の時に参加してくださって、しかも二次会の時は私の隣の席。
早速ラインを交換して、北九州と伊豆高原という長距離をものともせず「お付き合い」が始まりました。
当時、ラインを覚束なく使っていたと思います。
かわいいスタンプを使いこなしているのを羨ましくみていたら、なんとプレゼントしてくださった。その後もスモールプレゼントが何度も届きました。スタンプ以外にもおしゃれな紅茶セット、かわいいハンカチ。日曜日には「エアーブランチ召し上がれ」
ラインでのやりとりもありますが、FBに生活断片をあげてくれるのを楽しみに「元気にしているな」と見守っていると書けば、まるで親子のようだと思われるでしょう。確かにそういう側面もありますねえ。
かといって、何もわからないとも言えるのです。何しろ、お近づきになる前のことは何も知らない…でも知り合ってから、記事を通してT子さんが実に丁寧に生活をしているなあと感心するばかり。特に食生活への心配りには一目置いています。美味しそうなお弁当、自分用だけでなく周りの関係者にも届けてあげるのですよね。お菓子作りやパン作りはプロ級。焼きたてパンを送ってくださって感激したこともあります!
それから、生活を楽しむ姿勢には脱帽です。ライブによく行くこと!行きたいかどうかが最優先。チケット料金はもちろん、遠くても距離も無視してるでしょう。
お友達との小さなお楽しみ会で、同級生から教えてもらった居酒屋さんに行った時には、ビックリしましたが、どれもこれも生活を充実させていると応援しているのです。
キク

ふと気がつくと「あれ?T子さん、記事の投稿がしばらくない」と1週間ほど気になっていました。いよいよ今朝メールで安否確認。「忙しい上に体調不良も。でも今日は今から平成中村座歌舞伎に母と行きます。メールいただいて元気が出ました」
「いいねえ!私も歌舞伎に行ったけど記事にしていなかったから書こうかな」というやり取りをしました。
T子さんの記事も楽しみですが、私の報告も見てください。
10月23日。同窓会の後泊まった汐留のホテルから歩いて歌舞伎座へ。歩いたのは大正解で15分とかかリませんでした。
「文七元結物語」寺島しのぶが歌舞伎座の舞台に立つ。山田洋二監督が脚本監督。とても気になっていました。有名な人情話ですが、演出のせいか落語のように笑わせる仕上がりになっていました。
もう一つの「天竺徳兵衛韓噺」特に期待していなかったのですがこれが面白かったのです。ケレン味たっぷり。江戸の人たちは度肝を抜かれたことでしょう。実は私も。

ほぼ満席。
観劇した後で、5階だかのカフェに急ぎます。歌舞伎座を正面から見ると、まるで高層ビルを背負ってるようです。そのビルの中からの景色!

店内から。
茶そばを注文しました。



デザート。絶品。おさじもすてき。
歌舞伎も楽しみ、付録も楽しみました。
T子さん
平成中村座の小倉城公演は、北九州市制60周年記念公演なんですってね。
「義経千本桜」!「風流小倉俄廓彩」!
朝のやりとりでネットで検索して、見てもいないのに、小倉城勝山公園の緑の木々が目に見えるような気持ちになっています。離れていても交遊ってできるのですね。
寒くなります。お身体大切に。

by 高槻絹子










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