たまたま読んでいた本で「『7-38-55のルール』とも呼ばれる『3Vの法則』」ということばを見つけました。1971年にメラビアンという人が提唱したそうです。
メラビアン?聞いたこともない!『7-38-55のルール』も初めて見ることば。
『3Vの法則』も知りません。
興味津々。
「3Vの法則」はVerbal=言語情報 Vocal=聴覚情報 Visual=視覚情報の三つのVでした。
ウィキぺディアの解説です。
この研究は好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションについてを(ママ)扱う実験である。感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。
このような解説もありました。
メラビアン?聞いたこともない!『7-38-55のルール』も初めて見ることば。
『3Vの法則』も知りません。
興味津々。
「3Vの法則」はVerbal=言語情報 Vocal=聴覚情報 Visual=視覚情報の三つのVでした。
ウィキぺディアの解説です。
この研究は好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションについてを(ママ)扱う実験である。感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。
このような解説もありました。
「好意」「嫌悪」「中立」を示す表情の写真を用意し、それぞれの表情と矛盾するイメージの言葉と組み合わせて参加者に見せ、反応を確認しました。たとえば、「ありがとう」という言葉を、「怒りの表情」の写真や「不機嫌な口調」の録音と組み合わせ、参加者に聞かせたのです。このとき、参加者が本来の言葉の意味通り「好意」を感じ取れば言葉そのものの影響力が強く、逆に「嫌悪」を感じれば視覚や聴覚から得た情報が優先されたことになります。
このような実験を繰り返し、人が言語・聴覚・視覚から得られる情報のうち、どれがどの程度優先されるかを確認していったのです。その結果、コミュニケーションには「言語情報7%」「聴覚情報38%」「視覚情報55%」の割合で影響しているという「メラビアンの法則」が導き出されました。
私が知らないだけでビジネス分野ではよく引用されているようです。
そして誤解、誤用もされているということにも興味が惹かれました。「話の内容より第一印象が大切」というように独り歩きしてしまったという!
メラビアンの主張する「非言語情報と言語情報にずれがある場合には、非言語情報の影響力の方が大きく、優先される割合は93%である。非言語コミュニケーションが何より優先というわけではない」ということからは、むしろずれのないコミュニケーションを図る大切さを主張していると思いました。
私が知らないだけでビジネス分野ではよく引用されているようです。
そして誤解、誤用もされているということにも興味が惹かれました。「話の内容より第一印象が大切」というように独り歩きしてしまったという!
メラビアンの主張する「非言語情報と言語情報にずれがある場合には、非言語情報の影響力の方が大きく、優先される割合は93%である。非言語コミュニケーションが何より優先というわけではない」ということからは、むしろずれのないコミュニケーションを図る大切さを主張していると思いました。
何年か前のベストセラーに「人は見た目が9割」という本がありましたね。私は読んでいませんが、この言葉は結構独り歩きして「見た目をよくする」または「見目麗しい」ことが大切というような風潮を助長したと思います。「話の内容より第一印象が大切」まして「服装が第一、何なら整形手術も」とは、メラビアンは言ってないのですよ。
メラビアンの法則が誤解されていることに、つけこんだのかもしれません。
今度「『7-38-55のルール』とも呼ばれる『3Vの法則』」ということばに出会ったおかげで、メラビアンの主張は決してそのような意味ではなかったということがわかりました。
メラビアンの法則が誤解されていることに、つけこんだのかもしれません。
今度「『7-38-55のルール』とも呼ばれる『3Vの法則』」ということばに出会ったおかげで、メラビアンの主張は決してそのような意味ではなかったということがわかりました。
脳に入ってくる刺激は、視覚情報が80%、聴覚情報が15%、その他5%といわれています。そして「7-38-55のルール」を聞いた後でこんな課題が出たとします。
1.「嬉しそうに、悲しいことを伝えている」人と
2.「悲しそうにうれしい話をしている」人に出会ったときに、受け取り側はどうとらえるでしょうか?
視覚情報優位ならば1はうれしいこと、2は悲しい話ということになりますがそんなに簡単でしょうか?具体的に考えてみるのですよ。
脳機能からの解釈がスッポリ抜け落ちていますね。伝達法によって、どの脳部位が主に働くかをまとめてみました。
想像以上に、圧倒的ともいえるほど右脳のもつ機能に頼って判断していることがわかります。
とは言いながら、言葉の持つ情報量も現実には無視できるはずがありません。こういう状況の時には、まずは混乱します。そしてどちらに結論付けるかは視覚情報と聴覚情報と、言語情報だけではないような気がしませんか。右脳からの情報と左脳からの情報を受け取った後に、どのように状況判断するかは、実は前頭葉にゆだねられるのです。それはずれがあろうとなかろうと同じです。
コミュニケーションをしているときの、私たちの脳の働き方は、想像するよりもはるかに複雑ということです。
ことばの理解は単純です。その意味を知っているかどうかですから。わからなければ教えてもらうところから始まります。そして、なぜその言葉が選択されたのかを考えるのも、話し手を理解するための一助になりますよね。
話し手は伝えたいことを、その右脳を通してアナログ情報の形として、視覚情報や聴覚情報に乗せてコミュニケーションを図ります。そのアナログ情報を受け手の右脳がキャッチできているかどうかという視点は重要です。そのことは、単なる言葉の理解をすることに比べるとすでにはるかに高い段階の作業ですが、もちろん前頭葉がどのように総合判断するか…が最終的なカギ。
その人の生きてきた事実そのものがその人の前頭葉を育むことを考えると、コミュニケーションをすることは、想像するよりもはるかに脳を駆使しているといえますね。
2016年にこのようなことを書いていました。
1.「嬉しそうに、悲しいことを伝えている」人と
2.「悲しそうにうれしい話をしている」人に出会ったときに、受け取り側はどうとらえるでしょうか?
視覚情報優位ならば1はうれしいこと、2は悲しい話ということになりますがそんなに簡単でしょうか?具体的に考えてみるのですよ。
脳機能からの解釈がスッポリ抜け落ちていますね。伝達法によって、どの脳部位が主に働くかをまとめてみました。
想像以上に、圧倒的ともいえるほど右脳のもつ機能に頼って判断していることがわかります。
とは言いながら、言葉の持つ情報量も現実には無視できるはずがありません。こういう状況の時には、まずは混乱します。そしてどちらに結論付けるかは視覚情報と聴覚情報と、言語情報だけではないような気がしませんか。右脳からの情報と左脳からの情報を受け取った後に、どのように状況判断するかは、実は前頭葉にゆだねられるのです。それはずれがあろうとなかろうと同じです。
コミュニケーションをしているときの、私たちの脳の働き方は、想像するよりもはるかに複雑ということです。
ことばの理解は単純です。その意味を知っているかどうかですから。わからなければ教えてもらうところから始まります。そして、なぜその言葉が選択されたのかを考えるのも、話し手を理解するための一助になりますよね。
話し手は伝えたいことを、その右脳を通してアナログ情報の形として、視覚情報や聴覚情報に乗せてコミュニケーションを図ります。そのアナログ情報を受け手の右脳がキャッチできているかどうかという視点は重要です。そのことは、単なる言葉の理解をすることに比べるとすでにはるかに高い段階の作業ですが、もちろん前頭葉がどのように総合判断するか…が最終的なカギ。
その人の生きてきた事実そのものがその人の前頭葉を育むことを考えると、コミュニケーションをすることは、想像するよりもはるかに脳を駆使しているといえますね。
2016年にこのようなことを書いていました。
同じディゴでもカメラの構え方ひとつでこれほど印象が変わります。
緑のバックを青い空に変えたら、受ける日差しも変わりました。
感情がこもっていない単なる2枚の写真。この視覚情報の差は、見ただけでよくわかりますが、写真を見せずに言葉を使って誰かに伝えるとなったら至難のことになりますね。
それにもし好き嫌いとか、思い出などの感情を込めるとしたら。写真なしではあまりにも難しいので、写真を見てもらいながら伝えることにします。その時、私たちは言葉を選び、声のトーンや高低や速さを考慮し、表情や身振りを工夫しコミュニケーションを図ると思います。一つずつ考えると大変な作業ですが、「わかってもらいたい」という意志さえあれば、結構苦もなくやってしまいます。
脳ってすごい。
コロナによる自粛は、このような豊かな脳の出番を阻止しているのです。怖いことです。