脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

鎌倉の古民家縁側カフェ「麻葉屋の勝手口」

2024年12月14日 | 私の右脳ライフ

ポイント使用しての東京ミニトリップの続きです。
1日目は歌舞伎鑑賞。
その後予定通り、夕刻で混雑していましたが新橋駅で友人と無事に出会えました。チェックインした汐留の近代的なホテルでも、おしゃべりに花が咲くのは予想通り。





2日目も6時30分に、新橋駅で友人と待ち合わせ。ホテルでは、昨夜と同様おしゃべりを楽しみました。
3日目はモーニングビュッフェをいただいて、鎌倉に連れて行ってもらいました。

新橋までは歩いて10分なので、当然歩きます。
電通ビル

日本テレビ宮崎駿デザイン

鎌倉…一応小町通を歩きましたが人波に恐れをなして若宮大路へ。

二の鳥居で段葛終了…道幅が狭くなっていました。

今日の目的地はピンポイントで、鶴岡八幡宮の東門を出たところにある古民家縁側カフェ「麻葉屋の勝手口」店名の由来は、玄関から入るのではなく、裏口から入るから。




築100年という昭和の建物を、その雰囲気をできるだけ残しつつ、センスよくカフェに生まれ替わらせています。屋根付きの広い縁側を設けているので古民家縁側カフェなのです。




12月でも風がなく穏やかな日でしたから、縁側でお茶を楽しんでいるお客さんもいました。
普通のコーヒーカップではなく、お茶碗でした。茶道で言えば茶通箱に入れるようなちょっと小ぶりなもので、コーヒーカップの2杯分はあると思いました。

大福餅を炙った麻葉屋餅をいただきました。

店主のこだわりのインテリアにも感心しましたが、元々この家が持っているものたちにも心惹かれました。
襖に織布が使われています。

襖を開け閉めするスペースは網代天井。

これは扉のノブ。

カフェの佇まいもインテリアもこだわりがあり、女性店主も魅力的。お話も興味深いものでしたから、稿を改めて書くつもりです。「麻葉屋の勝手口」ご贔屓に!と言いたくなりました。



by 高槻絹子




伝統芸能にハマっています②

2024年12月10日 | 私の右脳ライフ
買い物などで貯まるポイントを「上手に」使う人をポインターというそうです。
今回私はとても良いポインター体験をしました。
ホテルポイントが年内に失効するというので、慌てて条件の合う東京のホテル宿泊(2泊)の手筈を整えました。14,800ポイントを1泊7,200ポイントを使って2泊したのですから、その段階でも大満足。先週も東京で十分に楽しんだばかりですが、テーマが遊びということになると私の脳はクルクルとよく動くこと!

大まかなスケジュールは、初日の5時30分に新橋駅で友人と待ち合わせてチェックインするのですから、早く行って映画か観劇するのもいいとまず決めました。映画のチェックをしてみましたがなかなか希望に合うものがない。それでは演劇といくつか劇場のチェックもして、時間や演目を見ると歌舞伎座ということに落ち着きました。
歌舞伎座の最寄駅の東銀座からだと、待ち合わせの新橋駅までは一駅というのも好条件。
贔屓の役者さんの追っかけでないということは、これほど自由なものだと自分で笑ってしまいました。

歌舞伎座で時間調整をするという贅沢な体験を、最近になって何回もしたので、結構なれてきました。
チケットはネットで予約して劇場の窓口や発券機で手に入れます。いつものようにパソコンで予約手続きを進めていって、途中の座席の選択画面で目が点!

2列目のほとんど真ん中に1席だけ空席表示。舞台に近すぎて見えないかもという心配が、ちらっと頭をよぎりましたが、こういうチャンスもなかなかないだろうとクリック!

図中のグレイ部分が一等席。2階にもあることを知りました。
歌舞伎座に行く2日前(夜遅くだったので1日半くらい前)にこんなラッキーなこともあるのですね!
時間的にもう一幕見られるのですが、さすがに二幕とも一等席は気が引ける…
幕見席も最近は予約席が設けられていたので、二幕目は4階席。
上の座席表を大きくしてみてください。赤印が当日の席です。実に対照的な席どりだったことがわかるでしょう?
幕見席へは普通の玄関に向かって左側に特別の入り口が用意されています。
普通はここから入ります。

この角度から客席を見たのは初めてです。
下の写真の右下部が柝を打つところです。
舞台のすぐ、かぶりつきといってもいい場所から見ると、緞帳がカメラに収まりません。





ちなみに4階席からだとこういうふうに見えます。




肝心の演目は絵本発刊30周年記念「あらしのよるに」。主演は獅童と菊之助。それに獅童の2人の子供たち。先日テレビで子供たちの稽古風景をちらっと見たこともこの決定には大きく関わってると思います。ミーハーですが、子供たちに注目することも歌舞伎を長く楽しむことになると思います。と書きながら愕然。この子たちが成人したころには、もう死んでいるか、生きていてもわざわざ歌舞伎座には行かないでしょう。
といかにも悲観的に思えるような書き方をしてしまいました。命が限られているからこそ、一日一日を私らしくイキイキと楽しく生きていくという覚悟を改めて決めるというような意味ですからね。
体験こそ宝。歌舞伎座に行けなくなった私は、なんらかの方法で楽しかった時間を反芻してはきっと満足の笑みを浮かべていると思います。


「あらしのよるに」はオオカミとヤギの友情物語ですから、ほのぼの感に包まれそうですが、なんといってもヤギはオオカミの餌。獅童が演ずるオオカミ「がぶ」がその葛藤を面白おかしく表現し、ヤギの「めい」は、本では性別の指定がないそうですが女形の菊之助が演ずると可憐な少女の風情が溢れてきます。
ミュージカル風の演出の戦いの場も興味がそそられました。歌舞伎の決まりごとを随所に入れ込んだミュージカル。
私は歌舞伎の音曲についてはその違いがよくわかりませんが、今回は獅童が舞台の黒御簾に隠れている語りの方のセリフを受け取って、軽妙な返しをしたり、初めての演出も触れました。

紙吹雪が舞い散るフィナーレでした。
今年は團十郎「星合世十三團」もみたのです。
7月の右脳訓練③-七月大歌舞伎
7月の右脳訓練③-七月大歌舞伎 - 脳機能からみた認知症

7月の右脳訓練③-七月大歌舞伎 - 脳機能からみた認知症

歌舞伎を見に行くということになると、鑑賞したい演目が先にあるものでしょう。高校の後輩T田T子さんは、ちゃんとファンの歌舞伎俳優がいて、北九州在住ですから博多座、小...

goo blog

 
その時のフィナーレは光の灯った長い竿を持った黒子が通路を軽やかに動き回る豪華絢爛でありながら心に染みるものでした。命の象徴のように感じました。
比べてみて、どちらもピッタリ。
團十郎のは、早替わり宙乗りとケレン味たっぷりで皆を惹きつけるのですから、フィナーレも華やかな方がいい。
「あらしのよるに」の方はどこか素朴な風情が漂っていますから、この紙吹雪でピッタリです。
続けてみると、素人でもわかるところがありますね。

お掃除は大変!

二幕目は「加賀鳶」
いわゆる世話物と言われる演目で、パンフレットによると「序幕の加賀鳶たちの圧巻の七五調の台詞をはじめ…」とあったのですが、残念ながら4階のせいか、私の聴力のせいかそのやりとりが聞こえづらく。結果はたくさん居眠ってしまいました(笑)

まあ、たった1日で、歌舞伎座の演目も席も両極端を体験するという目的は一応達したのでよしとしました。

開演前に小さなチャレンジもしたのです。
普段歌舞伎座に行く時は、観劇という目的がはっきりしているので、冒険しても、歌舞伎座タワーでお茶をする程度です。
テレビか雑誌で目にした、歌舞伎座の道沿いにある手作りたまごサンドのお店が、下町っぽくて興味をそそられていました。
正面に向かって建物の右側に曲がります。

通りの名前は木挽町通り。

そのまま200メートルほど進むと、昭和っぽいかわいいお店が出現。たまごとポテトのサンドイッチをランチ用にゲットしました。800円。二人でも食べきれないほどのボリュームでした。

1列23番の後ろが私の2列23番。足元にビニール袋に入ったサンドイッチが。ミスマッチなところが私らしいのです。

近代的な歌舞伎座ビルの敷地の隅、木挽町通り側にあるこの神社歌舞伎稲荷大明神は、マッチしているのでしょうか?それともミスマッチ?
お参りしている方が続いているのにはちょっとおどきました。

二幕楽しんだら、5時前でしたが冬の日は早くも暮れていました。今日もよく遊びました。











伝統芸能にハマってます①

2024年12月06日 | 私の右脳ライフ
先週の土曜日。久しぶりに友人からお誘いが。
「国立能楽堂でお能を見ませんか?」
(企画は一般社団法人伝統文化交流協会ですって。興味ある活動をしていらっしゃいます。
演目を確認する前に「もちろん、行きます!」
後で友人が言うには「あまりの即答でびっくりしました」
私の心の動き方を振り返ってみると、
能鑑賞の機会はなかなかない。
国立能楽堂は行ったことがない。
千駄ヶ谷だとイチョウが黄葉しているはず。
久しぶりの友人とおしゃべりも楽しみたい。
というような気持ちが湧いてきたのです。
源氏物語「澪標」の勉強会もあり、能の演題はその「澪標」から生まれた「住吉詣」。ちょっとだけ復習をしていざいざ国立能楽堂へ。


奥山先生による歯切れのいい源氏物語「澪標」解説の後、久しぶりの能楽鑑賞。前席背面の小さなスクリーンにセリフが表示されとっても助かりました。筋が追えると眠らずに済みます。
都に復帰できた光源氏が住吉大社にお礼参りしたというシチュエーションなので、供揃いが10人くらいも用意されていて、能舞台いっぱいの役者さんたちに圧倒されました。子方も二人。とにかく賑やかな舞台でした。
能はシテが「実はすでに死んでいる」ということが多いですが、今回は現実の世界の出来事に終始していました。そうそう。全員が直面…でも見事な無表情でした。
能楽堂の佇まいは建物も庭園も洗練された日本美を感じさせてくれました。





神宮外苑の銀杏並木は予想通り。友人が撮ってくれた銀杏の写真が素晴らしいのでここに紹介させてもらいます。


大満足のひとときを過ごして、友人と東京一泊。
翌日は、大倉集古館の「志村ふくみ生誕100年記念展」へ。甲府に住む友人が「素晴らしかった」とメールで知らせてくれました。

学生時代、東京から北九州に帰省する度に、私を可愛がってくださっていた京都の知人宅にお邪魔していました。その方が志村ふくみさんのいわばお弟子さんで、草木染めで染めたり織ったりされるのをそばで眺めるという、今考えると滅多にない体験をしていたのです。1963年頃、60年も前のこと…
今回展覧会で年表を確認したら「染めを母から習い始めたのが30歳の頃(70年くらい前)」「1957年に、第4回日本伝統工芸展に初出品で初入選」「その後連続4回特選受賞」とありましたから、私が「志村ふくみ」の名に触れたのはもう世に認められたあとだったのですが、知人宅では「なんと素敵な色が出せるのでしょう。不思議なほど。同じ媒染剤を使ってもどこか違うの」というような声を聞いていました。
知らないということは勿体無いことです。
写真不可ですから何もご紹介できませんが、作品名に想いが込められていることに心動かされました。心の中に哲学があるのですね。
閑話休題。
私の夫は超がつく方向音痴ですが、正直なところ、認めてはいるものの理解はできない!と思っていました。
日本初の私立美術館である大倉集古館が、ホテルオークラヘリテージの真ん前にあることは十分承知していました。


「汐留のホテル出発。新橋から地下鉄銀座線溜池山王。下車して後は徒歩」とグーグルマップも教えてくれました。
ちょっと感じた不安は「『溜池山王』という駅は昔はなかった。使ったことがない」
「でもどうにかなるだろう」と溜池山王の改札口を出ました。
ところが、ここがどこかわからない!案内板を見てもビルの名前は書いてあるのにこの目の前のビルがどの建物かわからない!
ようやくわかったのが首相官邸。

でも、地図上でどこを向いているのかわからない!もっと悪いことに、目的地が地図上にない!
つまり、「どこにいてどこに行く」その道筋が全く掴めない状態に陥っていました。人通りがほとんどなく尋ねる方法がない!
糸口はコンビニ。このファミリーマートが溜池山王店ということが地図上ではっきりした時に目の前がパッと開けました。同じファミリーマートが見えるところにもう一軒あって、確認すると溜池山王駅南店。何度眺めたかわからないグーグルマップがイキイキと方向をさし示してくれた気がしました!
その線の向こう、横断歩道を渡れば全日空ホテルが見えて「あ〜ここならわかる!」
確かにそこにも地下鉄溜池山王の看板がありました。一番遠くの出入口から地上に出たようです。

ところがさらにもう一回小さなつまずきがありました。桜坂から登ってグーグルマップのいうように進んだのは正しい道だったのですが、左折の時一つ先の角を曲がってしまい「れいなんざかようちえん」の文字発見。どうも違うらしい…
後戻りして曲がり直しました。
すると霊南坂教会の看板が。

これで良さそうと直進しているとアメリカ大使館。

次の角の信号の向こうに目的地発見。ようやく到着できました。「どちらに向かうかわからない」以前に「今ここがどこかわからない」という方向音痴の実体験ができました。これは確かに不安なものですねえ。

信号を渡ったら、大きな看板発見。

歴史を感じる建物。

入り口の彫像。

2階休憩コーナーにも。

大倉父子によるコレクションの大倉集古館。志村ふくみ展で懐かしさを呼び覚ます感動的な体験の前にも、「方向音痴になる」という得難い体験ができました。






11月の正統的な右脳訓練-MOA美術館

2024年11月25日 | 私の右脳ライフ
友人から誘われてMOA美術館の「光琳 国宝『紅白梅図屏風』✖️重文『風神雷神図屏風』」を鑑賞してきました。行きたい展覧会だったので渡りに船と喜んで!


最初に行ったのは、光琳の「紅白梅図屏風」が毎年2月に展示されるというニュースを聞いたその翌年だったか長男次男ともにまだ小学生だった頃。もう40年以上も前になると思います。
当時住んでいた磐田から熱海まで東名高速を使って大体2時間でしょうか。
「運転が下手だから静かにしてね」と頼んだら本当に静かにしてくれたこと(下手だったんでしょうね)。入口が山の斜面の巨大なエスカレーターというところから度肝を抜かれ、登りきったところにあるホールはまるで異世界に足を踏み入れたよう。ムーア広場から見た相模灘。当時は今ほど整っていませんでしたが、それでも地形を生かしたシャープな設計は基本的には今と変わりません。そのセンスと先見の明には脱帽です。
そしてお目当ての紅白梅図屏風!モダンで大胆なデザインに「これが琳派」と感動しました。

もうひとつの国宝色絵藤花紋茶壺はその時に見たのでしょうか?

記憶は曖昧…でも多分その時は紅白梅図屏風だけだったと思います。ただご安心ください。最近は常設展示になっていますよ。
昔のホールはレーザー光線だったかな?

ムーア広場からの相模灘は何も変わらず、穏やかな秋の初島や大島。伊豆半島に目をやれば大室山、小室山がのぞめました。



MOA美術館訪問が初めての友人だったので、型通り秀吉の黄金の茶室から始めました。
私は、遠くから来る友人のために何度もMOA美術館にはきています。それでもいつも「ああ!そうなんだ」という気づきがあります。
今回の気づきは、風炉などの皆具は「金張」と思っていましたが、「純金」ですって!
「金には赤が似合う」と利休が決めたそうですが、障子紙ではなく、絹織物ということも教えていただきました。確かに組み立て式茶室ですから紙では不都合です。

ロビーを抜けて特別展の展示室に入って行きますが、このロビーも数年前の杉本博司監修のリニューアルで一新しました。よく気を付けてみると椅子の脚は杉本博司らしいガラスです。

さあ。本題。
実は今まで行った中で一番混んでいました。屏風のところは人だかり。なかなか写真が撮れません。11月に三男(自称)夫婦が帰省してくれたのですが、その時「ぜひMOA美術館に行くように」と勧めました。オッケーをもらってその時に送ってもらった写真を使いますね。
並列でないところがいいでしょう?

まるでカタログ写真のように撮れています。
紅白梅図。伊豆に住んでいるおかげで、何度も見ることができています。2015年には国宝燕子花図屏風とのコラボ展もありました。2月の右脳訓練「琳派アート」MOA美術館
風神雷神図。これは宗達の風神雷神図を模写したものですが、二神を画面内に収めるとか雲を黒く強く表現するとか光琳らしく工夫がなされているそうです。

光琳の落款。

宗達の風神雷神図屏風を、京都建仁寺で見ましたが、考えたらそれは

キヤノン:綴プロジェクト

キヤノンならびに特定非営利活動法人 京都文化協会が共同で行っているプロジェクト「綴(つづり)プロジェクト」(正式名称:文化財未来継承プロジェクト)に関するご案内で...

綴プロジェクト|Canon

 
キャノンの高精密デジタル複製でした。複製なので、あるべきところに裸のままに置かれていて、美術館で見るのとはまた違う迫力がありました。
今回の展覧会で私が撮った写真はこんな感じです。どうしても人が入る…



ビデオのところでこんな迫力ある画面に遭遇しました。


光琳の虎図屏風。可愛すぎる。デザインもおもしろい。

宗達の龍虎図。龍に比べてやっぱり虎は可愛い。

龍は最初から想像上のものですが、虎は見たことがないので、どうしても猫っぽく可愛くなるのでしょうね。
多分一番有名なのが、和歌山県串本町無量寺にある長沢蘆雪の虎図でしょう。伊豆高原で親しくしていたお坊さんが無量寺のご住職になられたのでお尋ねしました。ユーモア溢れた作品がたくさんあって心和みました。2021年訪問。

若い時には、その作品の世界だけ楽しむという見方をしていたように思いますが、歳をとってくるとその作品にまつわるあれこれの思い出がじわっと迫ってきて、脳がより活発に動き始めるような気がします。
琳派というと金箔銀箔などの派手やかな装飾性、個性的で現代にも通じそうなデザイン性というイメージが沸きますが、上の虎図のようなもの(デザインは秀逸)やむしろ素朴な水墨画もありました。


10日ほど前に小布施町に行きました。保健師さんが、おやつのお焼きの箱に、もみじを載せるというニクイ心遣いをしてくれました。
センスある女性は、昔からもみじを大切にしていたようですね!


それで思いついて、小布施町にこんな写真を送りました。見てない人も楽しませたくなります。

とにかく多くの人で賑わっていて、ランチを取るのが一苦労。お蕎麦屋さんは45人待ち。レストランは25人待ち!
そうそう、紅葉もまだまだ待ち時間が必要な色づき状態でした。下のお蕎麦屋さんの行列写真の奥の紅葉が一番はっきり色づいていたと思います。
一緒に行く人がいると、また新しい味わい方ができますね。「UKIYO-
E江戸の美人画」「北斎富嶽三十六景Digital Remix」に引き続き今年3回目のMOA美術館を堪能しました。


by 高槻絹子















仕事の後に本格的に遊ぶ②-東武ワールドスクウェア

2024年11月15日 | 私の右脳ライフ
小布施の仕事を終えたあとの目的地は、1/25に縮尺された世界遺産などの建物が立ち並ぶテーマパーク、東武ワールドスクウェアでした。
急遽入れ込んだ鬼怒川ライン下りを満喫した後は鬼怒川温泉の船発着場までバスで送ってくれます。手前にある東武ワールドスクウェアの真ん前で降ろしてくれ、幸先よいテーマパーク巡りの始まりです。

紙の場内案内図はないんです!「QRコードを読み取って一人で進む」方式でした。
予想よりコンパクトだったので、少々行きつ戻りつしたところで問題はありませんでした。(肉離れの足でも大丈夫でした)
友人が言っていた意味はすぐにわかりました。
単に小さくしただけでなく、権利者の許可を得てできるだけ正確に再現し、建材の工夫も凝らしてありました。できればその精神まで再現したかったのではないかと感じるところすらありました。
実物っぽく見える理由の一つは、その状況に応じてだいたい7センチの人形が置かれていることでしょう。(7センチ✖️25🟰175センチ)全部で15,000体の人形が参加してるそうです。
入口近くの国会議事堂。正面にいるのは何と石破総理で、議事堂から列を作って出ている一団は歴代総理ですって。一番前は小泉さんで一番後は福田さん。言われると確かにそんな感じです。



東京ドームには力士が。

ホワイトハウスは裏が見学路を向いていますが、そこに大統領夫妻と副大統領をたたずませるための状況設定です。コロナ禍でマスク姿のバイデン大統領夫妻とハリス副大統領プラスSPまで。
トランプさんが選出されても来年1月まではこの3人がホワイトハウスの主ですものね。


庭師も!選定が終了すると世話をする樹木が変わるとか。つまりこの人形はどこでも移動ができると言うことですね。

建築物が本物らしく見えるもう一つの理由は、建物のすぐそばの樹木は、何と盆栽!
何と言うアイディアでしょうね!自然をその姿にとどめると言われる盆栽だからこそ、違和感なく実物らしさを強調する役割を担っていました。
東京スカイツリーには、ジュウガツザクラが咲いていました!

日本エリアの盆栽は見事なものでしたよ。
1/25サイズですから、背が高い建物はやはり大きい。
東京スカイツリー
ピサの斜塔

ウエストミンスター寺院
ビッグベン

ミラノ大聖堂
このオランダの水車の景色を見た時、私の住んでいる伊東市の道の駅マリンタウンのモデルではなかったのかと思ってしまいました。

エジプトゾーン!私にここを勧めてくれた友人は、若い頃、ピラミッドのそばで観光客をラクダに乗せるアルバイトをしていたそうです。どう言う思いでここを見たでしょうね。

ラクダ発見

とちおとめのソフトクリーム

アブシンベル。私の大切な友人と一緒に行きました。彼女が亡くなってもう3年。

思い出深いところもいくつもありましたが、ふじ丸に再会できたのは想定外。南太平洋〜豪州のクルーズの講師として2度乗りました。

私はニューヨークに行ったことがありません。束の間のアメリカ体験です。
ワールドトレードセンターは同時多発テロの後、いろいろな議論があったそうですが、花を手向けた外国の方の姿を見て存続を決めたそうです。







確かにちょっとしたアメリカ旅行の気分になりますね。でも巨人の庭師さんを見つけてしまいました!

下を見ないで上を見ることにしましょう。

今年の夏、たまたま時を同じくして長男も次男もヨーロッパへ。
いつも行く先々から写真を送ってくれます。
パリの長男から。右が現地撮影。



バルセロナの次男から。右が現地撮影。
絶対に同じアングルがあるはずと真剣に探しました。キリスト像が一番上。確かにここなのですが、周りの様子が今ひとつ一致しません。
そうです!サグラダファミリアは、いまだ建設中。だから次男の写真には回廊があるのです。
東武ワールドスクウェアのサグラダファミリアは、その当時の状態を写したのでしょうね。開園は1993年だそうですから、この31年間のサグラダファミリアのたゆみない進展を知ることができました。
2024年7月は右のような状態ですよ。

アジアゾーンも、日本ゾーンも興味深い建物がたくさんありました。流石に日本のものは全部わかりましたが、アジアのことを知らないなあとしみじみ思いました。
韓国の「娘」に送るつもりで写した写真です。
ソウル市南大門

景福宮

もう一度学びに来ましょうか?
そうですね。誰かを案内してくるのは楽しいと思いますが、やっぱり私は現地主義のような気がします。

思いがけず、丁寧に精巧に作られているので、このポスターへの回答はYES だと思います。
背景にありえない建物が見えるところも、楽しかったです。


by  高槻絹子



























仕事の間も楽しむー小布施町で出会った心ときめくもの

2024年11月14日 | 私の右脳ライフ
小布施の仕事のことはまたまとめることにします。
11月10日夕刻小布施駅に着き迎えを待つ間、この菊が飾られていることに気づきました。
「さすが小布施。シックな色合いの菊だこと」




夕食後、お店の前の皇大神宮に菊花展の看板を見つけました。ライトアップしているし「寄ってみましょうよ」
ほとんどが駅で見つけたあのシックな色合いの菊です。友人が教えてくれました。「北斎の菊の絵があるでしょう?あそこに出てくる菊で巴錦と言う品種です」
「ああ。北斎菊図。北斎館で見たことがある…」
駅で見た時はシックと思ったのですが、内側が真紅で外側が金と言う色合いから絢爛豪華な古典菊で大名菊とも言われるほど。
一本の茎から三本仕立て。

これも一本の茎から九本に仕立てていますね。
これも一本の茎からです。これは小布施町章。

形も大変でしょうが、同じ時期に咲かせるのも大変でしょう。

小学6年生は、全員が菊作りに挑戦することになっているそうです。

全体を眺めてみました。

翌日は雲ひとつない快晴。その青空をバックにたわわにリンゴがなっています。移動の時にちょっと撮らせてもらいました。








小布施には、桝一(スクエアワン)鴻山(コウザン)碧い軒(ヘキイケン)白金(ハッキン)などを醸造している市村酒造と言う超有名なお酒屋さんがありますが、高沢酒造という女性杜氏が作っているお酒屋さんもあるのです。
豊賀





脳のリフレッシュ教室のおやつ…名物おやき。色づいた葉を手で受け止めて飾りにしたH保健師さんの右脳に乾杯。ちなみに参加者(全員高齢者)もこの配慮に声をあげていました。

講師特権。

脳リフレッシュ教室では、お菓子だけでなくお漬物や煮豆やお浸しのようなお茶受けが振る舞われます。







温かい風習ですね。
移動の時に新しいお店にちょっと寄りました。
森の中のアイスクリーム&チーズショップ。

目の前の森の中で子牛を放牧するのですって!来春に行きたい。

私がいつもお邪魔する珈茅(こち)でいただいた12日の朝ごはんの綺麗だったこと。あ、もちろん美味でしたよ。

珈茅の紅葉。表アプローチ。

いわば古民家カフェですね。

裏道。

店内。
11日の夕食は酒蔵をリノベーションしたレストラン蔵部(クラブ)でした。久しぶりに会ったので話が盛り上がりすぎて写真は撮れませんでした。

小布施の中心には魅力的なお店が固まっています。
栗菓子:小布施堂

酒造場:市村酒造

レストラン:蔵部

お菓子工場:傘風楼

小布施には20年以上も通っています。いいところです。きれいな町ですよ。
蔵部からの帰途(と言ってもほんの3分)
何のお店かと目をこらして見てしまいました。美容室。

私がお世話になったプチホテル。

小布施はオープンガーデンで有名ですが、それ以前に「修景まちづくり事業」があるのです。
じっくり知ると、キラキラしたアイディアを出し合ってまちづくりをした人たちの声が聞こえてきそうです。
ここにも小布施の魅力の源がこもっています。


by 高槻絹子









仕事の前に遊ぶ-東京ステーションギャラリー

2024年11月13日 | 私の右脳ライフ
「私の右脳ライフ」として遊んだ記録ばかり続いています。
11月13日、今日も一日かけて、脳の活性化に励みました。
そもそもは11月11日午前中から11月12日長野県小布施町の仕事が決まったところから始まった話です。
伊豆と長野は遠いので、前泊が必要になります。
この文章の持つニュアンスはどう言うふうに伝わりますか?「遠くて大変…」と言う感じでしょうか?私の気持ちとしては「やったぁ」なのですけど。同じ言葉を使って、全く違うニュアンスをこめることは、生で対面しているならばごく簡単。
そう言う声の調子、高低、表情や身振りをつけ加えて話せばいいのですから。ここのところは前ブログ「片寄純也 テノールコンサート」でもちょっと触れましたね。
とにかく私にとっては朗報でした。
夕方までに小布施に到着すればいいので、小布施の友人と夕食を一緒にして積もる話に花を咲かせる。とするとどこかへ寄り道もできる。
小布施へは20年以上通っているので、流石に寄り道しなくてはいけないスポットが見当たらず、もう一工夫。

東京ステーションギャラリーで「コンラン展」開催中と言うことがわかり「これだ!」私は全く知らない分野でしたが、こんなエピソードがあるのです。
もう10年以上も前になりますが、次男の家に行っている時「ちょっと買い物があるからコンランショップに連れて行ってあげよう」と言われて、東京駅前の丸ビルか新丸ビルかに行きました。
一つ一つのものもシンプルなデザインですっきりしていましたが、フロアー全体が見事に統一が取れていてびっくりしました。家具も小物もみんな同じことを言ってるようでした。フライヤーによればコンランの言葉として「デザインが暮らしを豊かにすること、いつでもこれが私にとって一番大切なことだった」と紹介されていました。

あの時、びっくりしたのはその事実と、コンランの世界を全く知らなかったことそのものです。
私は「負うた子に教えられる」ことが多いです。自分の子供というだけでなく、若い人という意味なのですが、一般論として言ってしまえば、情報をキャッチしようとする姿勢がなければその情報は、流れていってしまうような気がします。
高齢になっていくとき、なるべくなら多くのテーマに対して知らないことを知ろうとする姿勢は大切です。
東京ステーションギャラリーは、開館当時から興味が惹かれていて乗り換えでよく使う駅にも関わらず行きそびれていました。
もちろん一人でもいいのですが、大学時代の友人に声をかけてみました。
「いいわよ。行きます」
これで喜び三重奏。
1。コンランを知る。
2。東京駅ギャラリーの見物。
3。久しぶりの旧友との再会。
コンラン展は前の言葉通り生活空間そのものと密接な関係があるので、コンランデザインの家具、テキスタイルや食器など生活のさまざまな物が展示されていました。写真を撮りたいものばかりでしたが撮影不可。入場券の半券はこんなに可愛いものでした。

一箇所だけ撮影可能なところがありました。
コンラン邸。

コンランの机。

机上のアップ。「簡素の美」と言う日本語が。

コンランはこんな車(ペダルカー)の蒐集家でもあったそうです。検索してわかったことはブガッティと言うイタリア高級車。デザイン性に惹かれたのでしょうね。



東京駅の大規模工事の様子はこの鹿島建設のサイトに詳しく記録されています。
「東京駅丸の内駅舎保存復原工事」

ドームが復原されたこと、ホテルに手が加わり、ギャラリーが新設されたことを、左脳の知識として知っていても、実際に体験してみなくては脳の刺激としては片手落ち。体験が無理なこともたくさんありますが、できることはしたい…と私の前頭葉は訴えます。

東京ステーションギャラリーもレンガ壁をむき出しのままにして効果を狙っている壁面がありました。

レンガ壁のアップ。
ギャラリーの出口は、ドーム型天井の回廊部分でそこは資料館の体裁でした。

展示されていた興味惹かれるものたち。東京駅を設計した辰野金吾博士による有名な十二支レリーフ。東京駅には8枚で、佐賀県の武雄温泉にもう4枚はあるのです。

ブランケット

階段手摺

いつもはドームの下にいると思えば、乗り出してみたくなりました。







ランチは東京駅のお隣KITTE。今まで中から見ていた東京駅丸の内駅舎を外から見ると、明治以降の日本も頑張ってきたなあと先人たちへの感謝の気持ちが湧いてきました。東京駅丸の内駅舎にはそんな魅力がありますね。

2時過ぎの新幹線で長野に出発するまで二人でおしゃべりに花を咲かせて。
花と言えば、朝庭にホトトギスがたくさん咲いていたので少し切って持って行きました。
友人はお母様を去年見送ったので、仏様にお供えしてもらおうと思ったのです。「すぐ花も葉もイキイキしています」と写真を送ってくれました。

友人は、私の仕事の後の予定を聞いていたのでこの本を。彼女は小学校の校長先生でしたから、子供たちの宿泊訓練で何度も日光や東武ワールドスクウェアに行き、この本は先生用のものだとか。重いのにありがとう!
前日ようやく連絡がついて、翌日デートが実現できたと言うちょっと無謀な計画でした。でも楽しく嬉しく満足でした。「やはりやりたいことはやる。会いたい人には会っておく」と言う高校同級生の言葉通りですね。


小布施には、まだギリギリ明るいうちにつきました。

by 高槻絹子

片寄純也 テノールコンサート

2024年11月11日 | 私の右脳ライフ
ちょっと遅ればせの報告になります。
11月9日、斎藤真知子さんプロデュースのラグジュアリー&カジュアルコンサート「心揺さぶるテノール片寄純也さん、ピアノ木下志津子さん」に行きました。
ラグジュアリーはコンサートのなかみ。
カジュアルは会場の親しみやすさ(毎回二公演で、伊東市街地国道沿いのライブレストラン「カリプソ」と、伊豆高原林の中の割烹おーべるじゅ「木瓜」)と思っています。
片寄純也さんがどんな人なのか、今春の二期会の公演詳報を貼っておきます。
あの感動をここでどう伝えようかと思う時、いくつかの言葉が思い浮かび、そしてその度に「うーん、ちょっと違う」と逡巡してしまいます。
聴き手のためでしょう。「椰子の実」と「宵待草」と言う馴染みのある日本の歌が幕開け曲に選ばれていました。
「えっ。涙が出ている」
音楽そのものの凄さは、音楽を聴いて体験してもらうしかないと、言うことは、脳機能からいってもある程度は仕方のないことです。
それにしても、メロディに浸る前にその声の迫力に圧倒されます。
そしてピアノが支えると言うのでもなく、とにかく一体になってその場を作り上げている、そんな気がしました。

言語は左脳、音楽は右脳と言うことはよく耳にされると思います。よく考えてみれば、音楽は右脳と単純には言い切れません。
メロディは間違いなく右脳的な処理で理解すると思いますが、リズムはむしろ左脳、そして今回のように歌曲であれば言葉の理解も当然左脳。
ただその言葉に感情を乗せたり、微妙なニュアンスを付け加えるのは右脳が主役と考えていいと思います。
興味深いお話を聞きました。
日本語、イタリア語、ドイツ語で発声法が違う。そこまではわかる気がします。発声法が違うことで、歌いやすい歌がある。各言葉がもともと持っている感情みたいなもののことをおっしゃっているのかしらと聞きました。

こんなことはどうでもいいですね。ワーグナーを歌うために、体を大きくしたとも言われていました。
声楽家は、身体が楽器と言うこともよく聞きますが、確かに喉から声だけ出ているのではない。丸いたまが連なって跳ねながら飛び込んでくる。
とにかく圧倒されたと言うことだけを記録しておきたいと思います。

奥さまが司会をされました。





「声が素晴らしくて結婚しましたが、ほんとにいい声です。いつもは大きな会場の後ろの方で聞きますが今日はこんなに近くて…感動しています」涙が浮かんだことも私の席からはよくみえました。優れた肉声、鍛えられた肉声の持つ力ですね。

木下志寿子さんも紹介しておきたいと思って検索したら、こんな素敵なページを見つけました。
初めて聞いたコンペティトールという解説もよくわかりますから読んでみてください。
曲の終わりに、片寄さんは木下さんに、木下さんは片寄さんに、讃え合いの拍手を贈り合います。
木下さんの拍手は「とてもよかったですねえ」と言っているように感じたのはコレペティトールのお仕事を知ったからでしょうか?
木下さんとは同窓ということで、勝手に親近感を持っています。
また伊東にいらっしゃってくださいね。
素晴らしいコンサートをありがとうございました。
会場のカリプソ





by  高槻絹子




糸島便りー喜寿同窓会に引き続き

2024年11月06日 | 私の右脳ライフ
「山内恵介って知ってる?糸島の出身なんだよ」
誰にとっても故郷は特別な場所。今回はその思いをひとしお感じた旅でした。
(確認したら再生ができません。画面下部左端の「coverひろし」ならどんな歌かわかります。そして晴れの日の糸島巡りができます。2024年9月25日リリースですって)
糸島富士

九州入りして3日目。
入院中の友人のお見舞いを予定していましたが、コロナのせいで「お見舞いは家族だけ。10分間」と言う厳しい規則のため、あえなく消滅…
北九州市戸畑区と言う地方の町で育ったので、小、中、高校が同窓という友人がいます。お見舞いに行きたかった友もそういう繋がりの友人でした。
「捨てる神あらば拾う神あり」で、その仲間が「今注目されてる糸島へ連れていっちゃる(連れていってあげる)」と言ってくれました。
糸島市のイメージキャラクターいとゴン

楽しみにしていたのに、11月にしたら記録的と言われるほどの大雨予報。でも誰からも計画変更の言葉が出てこないところが北九州気質なのでしょうか。
雨中のドライブ。「ほらあれが福岡ドーム!」

「野球と言えば西鉄ライオンズ。ホークスなら南海ホークス」と声には出さずに、長い年月を噛みしめていました。
高速から見える右前方のきれいな山を「あれが可也山(カヤサン)別名糸島富士」と運転しながら古澤さんが教えてくれました。古澤さんは中学校の同級生。一緒に生徒会をやったような気がするのですが。
「天気が良ければねえ…」と言いながらも「一応、糸島観光王道の芥屋の大門(ケヤノオオト)と二見ヶ浦は外せないなあ」と友人二人が話してくれています。
私は雨が降っていても車から降りて近付きたいタイプですが、あまりの雨に言い出せないと思っていたら、「ちょっと行ってみようか」と言ってくれるではありませんか!雨の中本当にありがとうございました。

芥屋の大門は日本最大の玄武岩洞。天気が良ければ観光船で中に入れるとか。柱状節理は伊豆のものとは少し違います。
せっかくの景勝地ですから、看板をあげておきましょう。綺麗ですね!天気だとこの先の展望台からの景色もこんなにすてきです。途中はトトロの森といわれてるんですって。

海岸に近づいたり離れたりしてドライブを続けて次のスポット、二見ヶ浦に到着。
ここも言うまでもなく大雨(笑)なので駐車場からパチリ。「いつもだと駐車場に入るのに待つくらいだよ」雨でいいこともあります。

帰ってからちょっと復習をしてみたら、伊勢の二見ヶ浦は朝日をのぞみ、糸島の桜井二見ヶ浦は夕日のスポット。白い鳥居も神々しいものでした。
実は希望を一つ伝えてみたのです。
伊都国歴史博物館に行ってみたいのだけど…」
幸いというか雨だったので、むしろ喜んでいってみようと言うことになりました。きっと意味があると思うのですが、巨石を配した旧館玄関。何が展示されているかと期待が高まります。

ちょうど、伊都国歴史博物館開館20周年記念の「吉備と伊都国 巨大墳丘墓と大鏡」展が開催されていて、早くから開けた両所ですが、その歩み方の違いなどを知るようにという説明から始まりました。
吉備の王墓である楯築墳丘墓 の出土品がたくさん展示されていました。
立派な銅鐸

デザイン性のある分銅型土製品

伊都国は朝鮮半島からの入り口であり、瀬戸内海の真ん中に位置する吉備は交通の要衝だったということはすぐにわかります。




常設展に移動するところに、素朴な展示がありました。ほんとにこの程度の船で移動したのでしょうか?あの玄界灘を?

常設展。伊都国

平原遺跡の鏡などの出土状況を再現した原寸大の模型が展示室の真ん中にありました。

その前にビデオで伊都国の成り立ちを学べるようになっています。私たち3人並んで勉強しました。





そして圧巻の銅鏡群。全部国宝!












装身具のような細かいものの展示もありましたが、こんな大きいものも。三雲南大路墳丘墓の棺は当時としては最大級だったとか。伊都国が発展していた別の証拠でしょう。

「見応えがあったね」と言い合って出口に進むところで雨が上がって靄がかかっているようなちょっと幻想的な景色が飛び込んできました。手前の農業用ハウスは意識に上らなかったのです。
糸島市街の山はみな低いのですが、西側には背振山系が広がって、その向こうには吉野ヶ里遺跡がある!北部九州はいち早く開けたところに間違いありません。

先ほどみた伊都国展示場の模型をみても、住みやすさが実感されます。

ランチについては、小学校からのクラスメート藤吉さんが「角屋食堂にしよう」と提案してくれていました。勿論なんの異存もありません。
よほど美味しい玄界灘の魚でもいただけるのかと思っていたら「いやあ。普通の駅前食堂。昭和の香りがぷんぷんすると思うよ。NHKの『おむすび』でおじいさんをやっている松平健がこの食堂で食事をするシーンを撮ったんだよ」こういうノリが大好き。私も負けず劣らずのミーハーですから。

店横の看板には、唐津街道前原宿の文字が。
店内は確かに昭和!

この裏側が撮影場所だったと店員さんが教えてくれました。

チャンポンをいただきました。

我が家ではごくごく普通の夕食に作られていました。その母の味を思い出しながら美味しくいただきました。
雨中とは言え充実した旅の道連れお二人。

「すぐそこだからちょっと唐津街道見てみよう」と誘ってくれて、傘をさして唐津街道までちょっと歩きました。何度も言いますが、私はこう言う旅が好き。

雨は降ったのですが、それすら思い出を深めてくれたような気がします。
筑前前原(ちくぜんまえばる)駅まで送ってくれて、三者が三様に別れました。
「今度はいつ会えるかなあ…元気でいましょうね」
空港行きの地下鉄が乗り入れていて、乗り換えなしで福岡空港へ直行です。

どこか九州らしい車内。先日東京で副都心線に乗った時、車両間のドアがガラスで驚きましたがこの車両もガラスでした。

藤吉さんが「戸畑高校の記事が出てるから」と渡してくれた新聞を見たり、雨中の写真を眺めているうちに無事に空港到着。

もちろん家にも無事につきました。が、その翌日は九州の大雨がどんどん東に移動して山陽新幹線や東海道新幹線が運休してしまうと言うニュースが飛び込んできました。確かに記録的な大雨だったんですね!
それにしたら上手に遊びました。
ドライバーを引き受けてくださった古澤さん。 
「お天気が良かったらお寺にも白糸の滝にも連れて行って…」と思ってくれているのがよくわかりました。ありがとうございました。そして雨の中の運転お疲れさまでした。また!

北九州便り-火野葦平旧居

2024年11月02日 | 私の右脳ライフ
久しぶりの故郷で、ちょっとした要件がありました。残りの時間は遊んでくれるという同級生八丁さんからのありがたいお話で「お任せします」と甘えることにしました。
1。火野葦平の旧居は隠れたスポットだからぜひ!
2。前回の帰省の時、皿倉山に登って洞海湾を見せたけど、あの逆、若松側から南側を見なくっちゃあ片手落ち。

要件を片付けるために戸畑区内を車で回ってくれましたが「え〜ここなの?」とか「どう考えても逆な気がする」など連発しながら要件終了。
「若松に行くのに、渡し船に乗りたくない?」
「もちろん乗りたいけど。自転車しか乗せてもらえないでしょう?」
「大丈夫。若戸大橋で行ってピックアップするから」
運賃は市内の人は50円。私たちは100円。乗船時間は3分と聞きました。

びっくりしたことに多分船長さんは若い女性。戸畑側の渡船場に着船した方向から動き始めた途端に180度回転して舳先を若松側へ変えてしまいます。そして若松の渡船場に着くまで3分。きっと操船には技術を要すると思います。頑張ってくださいね。
赤い若戸大橋と船を写真に同時に収めるのは、難しかったのです。

戸畑側には日本水産、若松側には上野海運というクラッシックな建物があり、往時の繁栄が偲ばれました。
船着場から歩いても行けるところに、河伯洞(河伯はカッパの意)と名付けられた火野葦平旧居はありました。
街並みがちょっとオシャレでどこか共通項を感じるものがありました。後で聞いた話ですが、この一帯は、八幡製鉄を支える、筑豊の石炭の運搬や鉄鉱石の輸入、もちろん輸出や輸送でしょうか。とにかく大きな富を築いた人たちのいわばお屋敷街だったそうです。

門構えにも風格がありましたが玄関を入ってびっくりしました。

一枚板を横遣いにした廊下、庭に向かう梁は屋久杉の一本材で4間か5間もあるものです。
直ぐに「案内しましょうか」と係の藤本さん登場。

廊下から手入れのされた庭も素敵。ちょうどマユハケオモトが開き始めていました。
「あら。マユハケオモトが!」とつい声に出てしまったら、説明してくださっていた藤本さんが「茎が平べったいところから厚みが出てきて、蕾もふくらんでくるのですよ」
さあ、そこから楽しい説明が始まりました。
「火野葦平はこの庭で動物を飼いました。ゾウ、キリン、ライオンのどれでしょう?」
「ゾウは大きすぎるし、キリンは背が高すぎる。ライオンしかない…」
「大当たり!ライオンといっても大阪のキグレサーカスで生まれたライオンの赤ちゃんだったのでネコみたいなものでしょう?家族みんなで可愛がったようですよ。葦平が亡くなった後に死んでしまったらしい…」
「だいたい1,000円で家が建つと言われた時代に11,450円かけたそうです。葦平の印税を使ってお父さんが作ったのです」
さあ、お座敷に入ります。
しめ縄が張られた床の間。床柱もいわれがありそうだし書院の壁も見事なものと見ていると、詳しい説明が始まりました。

「床柱は鉄刀木と書いてタガヤサン。とても読めませんがなぜこういう当て字なん
でしょうね。黒檀、紫檀と並ぶ三大唐木の一つ。とにかく硬くて重くて水に沈むそうですよ」
帰宅後検索してみたらいろいろ発見がありました。
Wikipediaを貼っておきます。
タガヤサン

南方特産ですがなんと蛇結茨(ジャケツイバラ)の仲間だということがわかりました。ここ伊豆でも目を凝らせばみつけることができるジャケツイバラ!
今年5月に書いたブログ記事のはじめに近所に咲いた蛇結茨の写真を載せていますので、興味ある方はご覧ください。
「2040年に認知症高齢者は584万人に」

名前の由来は「フィリピン語のtambulianが変化したもの」らしいです。

書院の袖壁も見事な細工でした。
藤本さんが「欄間を見てください。黒柿と言って柿渋が固まって景色を作るんですね。それを生かしながら木工品をプラスして作った欄間です」
上から、刀、兜、河童、富士山。

葦平のお父さんは刀が好きだったらしく、下の写真の真ん中にある箪笥の中身は全て日本刀だったというお話もありました。

箪笥の引き手。
この箪笥の側面に発見。奥に床の間が見えます。


奥の間にはアイアンアートの展示がありました。
北九州は鉄の都なのです。
トイレもお風呂も意匠を凝らしたものでした。天井に注目!


いよいよ書斎。



葦平は1960年、この書斎で自死…
戦中に大ヒットした兵隊三部作などもかえって深い傷になっていたのでしょうか?
玄関脇のお部屋は、前列右から二人目、葦平(後列左端)の妹さんの子である、あの中村哲さんのコーナーでした。

個性的な玉井家の人々。左端ヒゲの男性が父、玉井金五郎。その右は、不本意ながら大学を中退して故郷に帰らされ事業を継ぐように言われた頃の葦平。

下の写真は、九州の文壇人を招いた宴席の記念写真だそうです。
自死を選ぶような一面と九州の文壇をひとまとめにするような豪放さが葦平にはあったと思いました。

一方で、庭の河童と遊ぶのも日課だったとか。


私たちの戸畑高校校歌と応援歌は、こんな火野葦平さんが作ってくださったのです。


最後の最後に、玄関の上り框の亀の細工に驚かされました。
藤本さん 小松さん 
長い時間、楽しませていただいてありがとうございました。

それから、もう一つの目的遂行に。
「高塔山展望台から皿倉山を見る」





洞海湾には小さい入江や岬がたくさんあってびっくりしました。
山頂には釘を打たれたお地蔵さまが安置されていました。悪戯をするカッパを封じるためにお地蔵さまに釘が刺さっている間は、悪戯をしないという約束を取り付けたという伝説があるそうです。実は河伯洞のアイアンアートの作品の中に全く同じテーマの作品がありました。葦平はこの伝説を「石と釘」という作品にしたそうです。



若松を堪能して、若戸大橋を渡って、戸畑へ帰りました。
八丁さん。素敵なアイディアのミニトリップありがとうございました。今度はいつご案内いただけるでしょうね〜
どうぞ体を大切に楽しくお過ごしください!

by 高槻絹子




















ブログ村

http://health.blogmura.com/bokeboshi/ranking_out.html