新宿西口のヒルトン東京に友人と一泊しました。
友人は仕事のため、新宿駅に翌朝10時半過ぎには着かないといけません。つまりそれからは一人の東京タイム。
考えてみたら新宿に行くことはあまりありません。ここはひとつ新宿で過ごしてみようとまず第一段階の決断。(庭のビオラを見てください)
新宿で体験してみたい新しいニュースがない。そういう時、歳を重ねた人たちだけができることがあります。思い出の中を探ってみる…
母が体調を壊して長く慶應病院に入院したのですが、主治医の異動に伴って東京医大に転院しました。大学3年生の時だったか。
地上が開いている地下1階の西口広場は、もうできていました。今の新宿中央公園はまだ淀橋浄水場。もう使ってなかったかもしれませんが大きな浄水池が並んでいました。
最初の高層ビルの京王プラザホテルは建築中。
その頃新宿西口は、学生たちの町。フォークソングから始まってプロテストソングが響き渡るそんな町だったのです。一方で大学では急進的な学生たちが大学紛争と言われることになる大学当局との対立を繰り広げていました。大学構内のあちらこちらに、全共闘、革マル、中核派などの言葉が踊る、特徴的な字体の立て看板が立てかけられていた景色が今胸の中に広がります。
学生たちの活動はどんどんエスカレートしていきました。国際反戦デーの新宿西口では投石放火などだったでしょうか、とにかく駅の機能をストップさせてしまい、機動隊と激しく対立、多くの逮捕者まで出てしまうような事件すらありました。
そんな学生闘争真っ盛りに大学生活を送ったのですが、当時の言葉で言えばひよっていた私…正確に言えば幼すぎて問題意識を持つところまで至ってなかったと思います。
通学は池袋↔︎渋谷の山手線を使っていました。毎日新宿で途中下車して東京医大病院に寄って、母とあれこれ今日の出来事の話をしあって、夕食を見守り(残ったら私が食べて)帰宅。世の中の騒がしさとは無縁の学生生活でした。
私の生きてきた人生があるので「新宿」という言葉がこんなにも厚みを生んでくれる…歳を重ねるということもいいものですね。
私は、たまたま東京で学生生活をし、母の入院もあったので「新宿」が厚みを持って立ち現れましたが、もし全く知らない地名や言葉であっても「その時の私」は何をしていたか、何を思っていたかなどに思いを巡らせることで、きっと同じように厚みが生まれてくると思います。これが長く生きてきたことが持つ力です。
第二段階の決断は「そうだ。末広亭に行ってみよう!」
大学生になった時には2歳上の兄と一緒に暮らしました。入学後ちょっと落ち着いた頃に末広亭に連れて行ってくれました。
「こういうところも東京らしいよ」と兄が言ったことは覚えていますが、演目はすっかり忘却の彼方。
だいたいの計画が立ったところで、さあ行動開始。友人と二人でまずは新宿駅西口を目指してスタートです。
中央公園も木々が大きくなって、ここに浄水池があったとは誰も思わないでしょうね。
新宿西口まで歩いて行ったら小田急デパート大改築中…今度はどんな西口になるのでしょうか。
JR新宿駅で友人と分かれた後、ホテルへのシャトルバスを見つけたので、今チェックアウトしたホテルまで乗ってみることにしました。ピストン輸送していましたから、そのまままた新宿西口まで。都庁をはじめ高層ビル群の位置関係がよくわかりました。こういうことは私の趣味のようなものです。(好みは十人十色です)
まさに淀橋浄水場の跡に建てられた東京都庁舎。展望台に行ったのはいつのことでしょう?行けるようになったらすぐ行ったような…今度また展望台に行ってみましょう。
末広亭に行くには新宿駅を西口から東口まで連絡通路を使って横切ります。
私が住んでいるところにはUber Eatsがありません。半世紀経っても東京と地方には大きな格差がありますね。
東口のネコちゃんに会わなくっちゃあ。2021年の公認心理師試験を受けに来たときには、新宿駅が乗換駅だったのでわざわざこのネコちゃんを見にやってきました。
しばらくネコちゃんを見て、紀伊國屋を横目で見ながら通過、伊勢丹は1階を通り抜けて、さらにもう一区画進んで左折。右を見るともう末広亭の通りになります。
ちょっと検索してみたら、新宿末広亭は昭和21年に建てられた木造の建物。あらま!私とほとんど同じだけの歴史を持っているということです。
お弁当とお茶を持ち込んで、左右の桟敷席にも心惹かれましたが、一番前の椅子席に。
一番ずつの出し物が短いのです。5分くらいでしょうか。落語だとさわりの部分だけみたいな感じです。だんだん名前の知られている人たちが出てくると、持ち時間が長くなる。
春風亭昇太はもちろん「笑点」の話から入りましたが、なんと「時そば」を語ってくれました。私の目の前に、昨日見たばかりの深川江戸資料館のそばの屋台が見えましたよ。想定外の出来事が起きてくるのも生きていくときの楽しみの一つです。
色物というそうですが、落語以外の出し物も合間合間に演じられます。講談。切り絵。漫才。手品。曲芸。イキイキとした表情が手に取るようにわかります。小劇場というより、芝居小屋はこうでなくっちゃあ。
客ぶりというか、笑声のタイミングがいいお客さんがいて、雰囲気を引っ張ってくれました。歌舞伎の大向こうからの掛け声のようなものですね。
もう一つ。切り絵のモデルになった男性が、その作品を受け取りに行きながらお札を小さくたたんで芸人さんに手渡していました。「お。粋だなあ。経験を積まないとこうはできない」と拍手に力を込めました。
12時から、新幹線の時間に間に合うように4時半まで。楽しみました。
建物内の写真は不可ですから、せめて寄席看板を。
帰宅後、江戸文字について調べてみました。
江戸時代に使用された図案文字。
芝居文字:勘亭流。歌舞伎の看板、番付に使用。
相撲字:根岸流。大相撲の番付、広告に使用。
寄席文字:橘流。空席がないように字間を詰めて書くのが特徴。
新宿のビルの場所を知るのも、江戸文字の種類を知るのも、新しい知識を得ることは私の喜び。喜ぶ時間は脳を活性化しますが、これはあんまり深くはないかもしれません。
私的な遊びの記録をブログにあげるのは、こういう脳の使い方もある。こういう楽しみ方もあるという具体例を提示しているつもりです。参考にはならないかなあ…
by 高槻絹子