友人からメールが来ました。青字で書きます。
認知症についてですが、今日から読売新聞の「暮らしと健康」欄で「認知症のはてな」が始まりました。
その中で、「認知症は病気などが原因で脳の細胞が壊れることから発症する。記憶が抜け落ちたり、日時場所が分からなくなったり、家事の段取りが立てられなくなったりする・・・不安を感じたら、まずはかかりつけ医に相談する・・・早期発見し、適切なケアにつなげる機会を逃す恐れがあるからだ。詳しい診断を受けるには専門医の受診が必要だ。」
私のように義父が認知症に近づいているのではないかと不安を持っている人は、この記事を読んで感じることは「認知症は病気だから、まずは医者に連れて行かなくてはならない。それには神経内科?物忘れ外来?ともかく、MRかCT撮って検査しなくちゃ」ということです。
そうでしょうね。わかりますよ。
でも、認知症の専門医と呼ばれる方たちは、困り果てた家族に伴われて受診された重症の認知症患者(大ボケ)を診てきたのですよ。少なくとも今までは。
ネット検索をしてみればいろんなことがわかります。物忘れ外来がとても増えています。神経内科が認知症を診るということもよくあるようです。
ただし、ちょっと丁寧に調べてみると、認知症の分類や重症度の考え方など従来の説にしたがっていることがわかります。さすがに脳血管性認知症の割合だけはどんどん少なくなっているようですが、アルツハイマー病とアルツハイマー型認知症の差など全くあいまいなままです。また発病の原因もアミロイドβやタウ蛋白、脳の萎縮ということになっています。
このブログでも再々取り上げていますが、側頭葉性健忘症を初期のアルツハイマー型認知症と間違えていることは、まさにグローバルなレベルで起きています。前々回のブログでも書きました。「アルツハイマー型認知症と側頭葉性健忘症」
今、重症度と言いましたが、上の記事中にも、すでに実態の説明になっていない点が見受けられます。
「記憶が抜け落ちたり」
どの程度なのかが全くわかりません。どういうことが起きたら受診しなくてはいけないのかがわからないのです。
人や物の名前が出て来ないのか(小ボケ)、薬を飲んだか飲まないかわからず自分で服薬管理できないのか(中ボケ)、家族の関係すらわからないのか(大ボケ)。
じつは、年齢を重ねると誰でも物忘れは出てきます。専門的な表現だと「全体を忘れると認知症、部分を忘れるのは老化現象。例えば、食事の献立が思い出せないのは正常老化、食べたこと自体を忘れるのは認知症」とよく説明されていますね。正常老化でも、そのことそのものをすっかり忘れることもあります。記憶が刻み込まれていくかどうか、そして物忘れが起きても生活していくうえで困るか困らないかは、前頭葉が正常に働いているかどうかにかかっているのです。
前頭葉こそ、早期発見のカギなのです。
「日時場所が分からなくなったり」
この表現からは、夜中に騒いだり、徘徊したりという印象があります。そうなってから受診しても「早く」受診したことになるのでしょうか?
日時や場所を理解する能力を見当識と言います。見当識に起きてくる支障には認知症の重症度によって明らかな順番があります。今まで元気だった高齢者が突然徘徊するはずがないのです。
この下に紹介するブログのページは場所の見当識の落ち方を解説していますが、ふろくとして、人の見当識、料理作り、食作法、車の運転、着衣、時の見当識へのリンクも貼ってありますから読んでみてください。
「正常から認知症への移り変わり―突然徘徊しました!?」
「家事の段取りが立てられなくなったりする」
これは、ごく早期、小ボケで起きることです。
でも、ほんとうに家事の段取りがたてられなくなっただけで受診するでしょうか?受診したらドクターからどのような診断や説明が受けられるでしょうか?
私が指導している市町の保健師さんたちは、困っていますよ。
小ボケレベルの方が受診すると「このくらい話せるんですから大丈夫。齢のせいですよ」とか、全く違う内容の「もしかしたら認知症の始まりかもしれません。様子を見ましょう」と言ってお薬が。有名な認知症の治療薬は効果がないことや副作用があることがだんだん知られるようになってきましたね。まあ、新しい薬も出てきてはいますが、効果はないと思います。
私は、実は受診していただきたいと思います。そうして専門の先生方に、本当の認知症の初期段階の人たちを見極めるノウハウを獲得していただきたいと思っています。継続的に見ていくことで、生活のあり方そのものが認知症を規定するという認知症の正体がはっきりしてきますから。
アルツハイマー型認知症は、普通に生活してきた高齢者が、何かのきっかけからナイナイ尽くしの単調な生活をしていくと、廃用性の加速度的で異常な脳機能の低下を起こしてきます。そのために社会生活や家庭生活に支障が生じてくるものです。大ボケ(家庭生活に介護が必要)になる前には、当然大ボケの症状はありませんが中ボケ(家庭生活にトラブルが多発)の症状はあります。同じように中ボケになる前には中ボケの症状はありませんが小ボケの症状(社会生活に支障)はあります。
小ボケや中ボケの状態で、専門医に受診するでしょうか?将来的には小ボケの診断もしてもらわなくては本当に困るのですが、まだ道は遠いと思います。もう一つのブログに小ボケや中ボケの詳しい症状を書いてありますから参考にしてください。
アルツハイマー型認知症の発病者の段階的症状と脳の働き具合(B-58)(少し下に進んでください)
「器質と機能」の話も繰り返しこのブログでしています。
ブログの右欄のカテゴリーの「画像だけにたよらない」に何例か書いてありますが、「器質と機能―形と働き(続)」でも読んでみてください。
MRIやCTは形はわかりますが、働きはわかりません。骨折後の治療が済んだ骨のレントゲンを眺めても、動くかどうかわかりませんが、どの程度動くかどうかは動かしてみるとすぐわかります。
MRIやCTなどの画像診断は、なんとなく立派な検査をしてもらったという印象にはつながると思いますが、高齢になるとごくごく小さな脳梗塞(ラク―ナ)や萎縮は誰にでも起きているといっても過言ではないのです。そしていったん起きてしまった以上、ラク―ナも萎縮も、消しゴムで消すようなことはできません。
単なる老化現象ともいえるそれを指摘されて、じゃあどうすればいいのでしょうか?
(貝母の実)
「形には問題があっても、働きが正常ならば問題ないですよね」といえたらいいのですよ。
そこで登場するのが脳機能検査。
これもネットで調べてみたらわかりますが、ほとんどの認知症専門病院で使われている脳機能検査は、長谷川式かMMS…
長谷川式やMMSでは前頭葉機能がはっきり測定できませんので、正常老化と老化の加速が起きてきているかどうかを判別することができません。
このグラフは、ある小さなの高齢者全員に対して行った脳機能検査の結果です。MMSで合格とされる24点以上の人たちの中で前頭葉機能が不合格の人たちがいることがわかるでしょう。この前頭葉テストは「かなひろいテスト」と言ってひらがなで書かれたおとぎ話を読み取りながら同時に母音に〇を付けていくという、前頭葉機能の中でも注意集中力・注意分配力にターゲットを当てた検査です。
MMSが合格、「かなひろいテスト」も合格の人たちが正常な高齢者。「かなひろいテスト」が不合格の人たちを小ボケと言います。
そして、さらにMMSの点数が下がってくるにつれて、「かなひろいテスト」の成績もどんどん低下していくことがわかりますね。MMSが15点までを中ボケと言います。大ボケレベルになると「かなひろいテスト」はほとんど0点です。
最重度の寝たきり状態は、MMS=0点、「かなひろいテスト」=0点よりも脳機能はもっとずーと下になります。
このグラフを眺めると、小ボケは回復が容易、中ボケでも回復可能、大ボケになると回復が困難という私たちの主張がわかってもらえそうです。
これは、多くの自治体での認知症予防活動で実証されてきてはいますが、医学界の主流ではありません。
認知症を食い止められるかどうかは日本の将来を決めるほどの大問題ですから、国策として認知症の予防が声高に主張されてきました。それに呼応するように、認知症の早期発見とか早期診断とかようやく「本腰を入れて取り組まなければ」と思われてきている段階だと思います。
エイジングライフ研究所は「認知症はまさに生活習慣病。ただし食物とか飲酒喫煙などではなく生活の仕方そのもの。高齢になっても、自らの前頭葉を駆使して自分らしくイキイキと生き続けることが何よりも必要だ」と主張してきました。
医学界の常識を変えることは難しいですが、今からでしょう。
友人のメールは続いていました。
エイジングライフ研究所の考えを一応理解しているつもりの私でも、読売新聞にこう書いてあれば、そういう考えが頭をよぎります。もう一度教えていただけないでしょうか?
私の理解では「ナイナイ尽くしの生活を続けていると脳が衰え、小ボケになる。ここで、生活を少しでも変えて運動や刺激を与えたりすることで改善できる。MRなどは脳の機能を調べることはできないので、本当の意味での血管性のもの(だけではなくて脳の器質性のもの。血管の問題もあるし、慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症。稀に脳腫瘍もあります)は別としてあまり意味がない。」ということです。
正しい理解をしてると思いますよ!
さらに医者の適切なケアというのは何を指すのでしょうか。薬をのむことなどをさしているのでしょうか?
ドクターの対応として、予想されることは上の方に書きましたが、もしかしたらこのようなことも言ってくださるかもしれません。
「歩くこともいいでしょう。趣味もいいと思いますよ。もちろん友達と一緒に楽しむこともいいでしょう。家事も勿論」
ただし疑問が二つあります。
一つは脳機能のレベルがわからないままで、具体的に何ならできて、何なら助力が必要で、何なら無理という解説はできるのでしょうか?本人や家族にはその説明が必要ではないでしょうか?
もう一つはもともと、アミロイドベータやタウ蛋白が犯人であると考えるならば(研究の主流はそれらの生成をどうして阻止するかということです)そしてもしその仮説が正しいのなら、今のレベルからの改善はないということになります。既にアミロイドβなりタウ蛋白なりができているから、今の症状があるということですから。
エイジングライフ研究所が指導している自治体では、実際に改善している多くの症例があります。小ボケ以上の高齢者に対する月1度の認知症予防教室での実践では85%くらいが維持または改善という結果です!
その人が生き生きとした生活を取り戻せるような状況に変われば、認知症かな?(大ボケではないレベル)と思われていた高齢者が元気を取り戻すことは、ちょっと注意すれば目に入ると思いますよ。
じゃあ受診しても意味ないじゃない?という声が聞こえそうです。
はい。私は受診する必要はないと思いますよ。
先日、私は自分の膝痛で受診の限界を知りました。「変形性膝関節炎と膝蓋前滑液包炎(女中膝!)」
まず脳機能検査で脳の働きを調べます。その結果と小ボケ、中ボケ、大ボケの生活実態が一致するかどうかのチェックをします。次に、何らかのきっかけがあって、その人らしい生活ができなくなりその生活が続いてきたという生活歴を確認して、その生活歴と脳の機能レベルが一致すれば、ごくごく普通のアルツハイマー型認知症。中ボケまでなら改善できます。
エイジングライフ研究所は、このノウハウを市町村に教えて、「体の健康と脳の健康、ともに守りましょう」という保健予防活動を指導しているのです。
ブログ右欄の「画像だけにたよらない」や「これって認知症?特殊なタイプ」など、時間のある時に読んでください。
急いで受診しなくてはいけないのは、急激に症状が出てきた時だけですから。
その人(の前頭葉)が「自分らしく、生きていてよかった」と思えるような生活ができるように援助することこそ、認知症予防の王道です。理想論と言わないでください。ベストでなくてもいいのです。その配慮が受診することよりも大切だと思っています。