脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

認知症の早期受診―友人への返事

2016年04月28日 | 正常から認知症への移り変わり

友人からメールが来ました。青字で書きます。
認知症についてですが、今日から読売新聞の「暮らしと健康」欄で「認知症のはてな」が始まりました。
その中で、「認知症は病気などが原因で脳の細胞が壊れることから発症する。記憶が抜け落ちたり、日時場所が分からなくなったり、家事の段取りが立てられなくなったりする・・・不安を感じたら、まずはかかりつけ医に相談する・・・早期発見し、適切なケアにつなげる機会を逃す恐れがあるからだ。詳しい診断を受けるには専門医の受診が必要だ。」
私のように義父が認知症に近づいているのではないかと不安を持っている人は、この記事を読んで感じることは「認知症は病気だから、まずは医者に連れて行かなくてはならない。それには神経内科?物忘れ外来?ともかく、MRかCT撮って検査しなくちゃ」ということです。
そうでしょうね。わかりますよ。
でも、認知症の専門医と呼ばれる方たちは、困り果てた家族に伴われて受診された重症の認知症患者(大ボケ)を診てきたのですよ。少なくとも今までは。

ネット検索をしてみればいろんなことがわかります。物忘れ外来がとても増えています。神経内科が認知症を診るということもよくあるようです。
ただし、ちょっと丁寧に調べてみると、認知症の分類や重症度の考え方など従来の説にしたがっていることがわかります。さすがに脳血管性認知症の割合だけはどんどん少なくなっているようですが、アルツハイマー病とアルツハイマー型認知症の差など全くあいまいなままです。また発病の原因もアミロイドβやタウ蛋白、脳の萎縮ということになっています。
このブログでも再々取り上げていますが、側頭葉性健忘症を初期のアルツハイマー型認知症と間違えていることは、まさにグローバルなレベルで起きています。前々回のブログでも書きました。「アルツハイマー型認知症と側頭葉性健忘症」

今、重症度と言いましたが、上の記事中にも、すでに実態の説明になっていない点が見受けられます。
「記憶が抜け落ちたり」
どの程度なのかが全くわかりません。どういうことが起きたら受診しなくてはいけないのかがわからないのです。
人や物の名前が出て来ないのか(小ボケ)、薬を飲んだか飲まないかわからず自分で服薬管理できないのか(中ボケ)、家族の関係すらわからないのか(大ボケ)。
じつは、年齢を重ねると誰でも物忘れは出てきます。専門的な表現だと「全体を忘れると認知症、部分を忘れるのは老化現象。例えば、食事の献立が思い出せないのは正常老化、食べたこと自体を忘れるのは認知症」とよく説明されていますね。正常老化でも、そのことそのものをすっかり忘れることもあります。記憶が刻み込まれていくかどうか、そして物忘れが起きても生活していくうえで困るか困らないかは、前頭葉が正常に働いているかどうかにかかっているのです。
前頭葉こそ、早期発見のカギなのです。

「日時場所が分からなくなったり」
この表現からは、夜中に騒いだり、徘徊したりという印象があります。そうなってから受診しても「早く」受診したことになるのでしょうか?
日時や場所を理解する能力を見当識と言います。見当識に起きてくる支障には認知症の重症度によって明らかな順番があります。今まで元気だった高齢者が突然徘徊するはずがないのです。
この下に紹介するブログのページは場所の見当識の落ち方を解説していますが、ふろくとして、人の見当識、料理作り、食作法、車の運転、着衣、時の見当識へのリンクも貼ってありますから読んでみてください。
「正常から認知症への移り変わり―突然徘徊しました!?」

「家事の段取りが立てられなくなったりする」
これは、ごく早期、小ボケで起きることです。
でも、ほんとうに家事の段取りがたてられなくなっただけで受診するでしょうか?受診したらドクターからどのような診断や説明が受けられるでしょうか?
私が指導している市町の保健師さんたちは、困っていますよ。
小ボケレベルの方が受診すると「このくらい話せるんですから大丈夫。齢のせいですよ」とか、全く違う内容の「もしかしたら認知症の始まりかもしれません。様子を見ましょう」と言ってお薬が。有名な認知症の治療薬は効果がないことや副作用があることがだんだん知られるようになってきましたね。まあ、新しい薬も出てきてはいますが、効果はないと思います。
私は、実は受診していただきたいと思います。そうして専門の先生方に、本当の認知症の初期段階の人たちを見極めるノウハウを獲得していただきたいと思っています。継続的に見ていくことで、生活のあり方そのものが認知症を規定するという認知症の正体がはっきりしてきますから。

アルツハイマー型認知症は、普通に生活してきた高齢者が、何かのきっかけからナイナイ尽くしの単調な生活をしていくと、廃用性の加速度的で異常な脳機能の低下を起こしてきます。そのために社会生活や家庭生活に支障が生じてくるものです。大ボケ(家庭生活に介護が必要)になる前には、当然大ボケの症状はありませんが中ボケ(家庭生活にトラブルが多発)の症状はあります。同じように中ボケになる前には中ボケの症状はありませんが小ボケの症状(社会生活に支障)はあります。
小ボケや中ボケの状態で、専門医に受診するでしょうか?将来的には小ボケの診断もしてもらわなくては本当に困るのですが、まだ道は遠いと思います。もう一つのブログに小ボケや中ボケの詳しい症状を書いてありますから参考にしてください。
アルツハイマー型認知症の発病者の段階的症状と脳の働き具合(B-58)(少し下に進んでください)

「器質と機能」の話も繰り返しこのブログでしています。
ブログの右欄のカテゴリーの「画像だけにたよらない」に何例か書いてありますが、「器質と機能―形と働き(続)」でも読んでみてください。
MRIやCTは形はわかりますが、働きはわかりません。骨折後の治療が済んだ骨のレントゲンを眺めても、動くかどうかわかりませんが、どの程度動くかどうかは動かしてみるとすぐわかります。
MRIやCTなどの画像診断は、なんとなく立派な検査をしてもらったという印象にはつながると思いますが、高齢になるとごくごく小さな脳梗塞(ラク―ナ)や萎縮は誰にでも起きているといっても過言ではないのです。そしていったん起きてしまった以上、ラク―ナも萎縮も、消しゴムで消すようなことはできません。
単なる老化現象ともいえるそれを指摘されて、じゃあどうすればいいのでしょうか?
(貝母の実)

「形には問題があっても、働きが正常ならば問題ないですよね」といえたらいいのですよ。
そこで登場するのが脳機能検査。
これもネットで調べてみたらわかりますが、ほとんどの認知症専門病院で使われている
脳機能検査は、長谷川式かMMS…
長谷川式やMMSでは前頭葉機能がはっきり測定できませんので、正常老化と老化の加速が起きてきているかどうかを判別することができません。
このグラフは、ある小さなの高齢者全員に対して行った脳機能検査の結果です。MMSで合格とされる24点以上の人たちの中で前頭葉機能が不合格の人たちがいることがわかるでしょう。この前頭葉テストは「かなひろいテスト」と言ってひらがなで書かれたおとぎ話を読み取りながら同時に母音に〇を付けていくという、前頭葉機能の中でも注意集中力・注意分配力にターゲットを当てた検査です。

MMSが合格、「かなひろいテスト」も合格の人たちが正常な高齢者。「かなひろいテスト」が不合格の人たちを小ボケと言います。
そして、さらにMMSの点数が下がってくるにつれて、「かなひろいテスト」の成績もどんどん低下していくことがわかりますね。MMSが15点までを中ボケと言います。大ボケレベルになると「かなひろいテスト」はほとんど0点です。
最重度の寝たきり状態は、MMS=0点、「かなひろいテスト」=0点よりも脳機能はもっとずーと下になります。
このグラフを眺めると、小ボケは回復が容易、中ボケでも回復可能、大ボケになると回復が困難という私たちの主張がわかってもらえそうです。
これは、多くの自治体での認知症予防活動で実証されてきてはいますが、医学界の主流ではありません。
認知症を食い止められるかどうかは日本の将来を決めるほどの大問題ですから、国策として認知症の予防が声高に主張されてきました。それに呼応するように、認知症の早期発見とか早期診断とかようやく「本腰を入れて取り組まなければ」と思われてきている段階だと思います。

エイジングライフ研究所は「認知症はまさに生活習慣病。ただし食物とか飲酒喫煙などではなく生活の仕方そのもの。高齢になっても、自らの前頭葉を駆使して自分らしくイキイキと生き続けることが何よりも必要だ」と主張してきました。
医学界の常識を変えることは難しいですが、今からでしょう。
友人のメールは続いていました。
エイジングライフ研究所の考えを一応理解しているつもりの私でも、読売新聞にこう書いてあれば、そういう考えが頭をよぎります。もう一度教えていただけないでしょうか?
私の理解では「ナイナイ尽くしの生活を続けていると脳が衰え、小ボケになる。ここで、生活を少しでも変えて運動や刺激を与えたりすることで改善できる。MRなどは脳の機能を調べることはできないので、本当の意味での血管性のもの(だけではなくて脳の器質性のもの。血管の問題もあるし、慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症。稀に脳腫瘍もあります)は別としてあまり意味がない。」ということです。
正しい理解をしてると思いますよ!

さらに医者の適切なケアというのは何を指すのでしょうか。薬をのむことなどをさしているのでしょうか?

ドクターの対応として、予想されることは上の方に書きましたが、もしかしたらこのようなことも言ってくださるかもしれません。
「歩くこともいいでしょう。趣味もいいと思いますよ。もちろん友達と一緒に楽しむこともいいでしょう。家事も勿論」
ただし疑問が二つあります。
一つは脳機能のレベルがわからないままで、具体的に何ならできて、何なら助力が必要で、何なら無理という解説はできるのでしょうか?本人や家族にはその説明が必要ではないでしょうか?
もう一つはもともと、アミロイドベータやタウ蛋白が犯人であると考えるならば(研究の主流はそれらの生成をどうして阻止するかということです)そしてもしその仮説が正しいのなら、今のレベルからの改善はないということになります。既にアミロイドβなりタウ蛋白なりができているから、今の症状があるということですから。
エイジングライフ研究所が指導している自治体では、実際に改善している多くの症例があります。小ボケ以上の高齢者に対する月1度の認知症予防教室での実践では85%くらいが維持または改善という結果です!
その人が生き生きとした生活を取り戻せるような状況に変われば、認知症かな?(大ボケではないレベル)と思われていた高齢者が元気を取り戻すことは、ちょっと注意すれば目に入ると思いますよ。
じゃあ受診しても意味ないじゃない?という声が聞こえそうです。

はい。私は受診する必要はないと思いますよ。
先日、私は自分の膝痛で受診の限界を知りました。「変形性膝関節炎と膝蓋前滑液包炎(女中膝!)」
まず脳機能検査で脳の働きを調べます。その結果と小ボケ、中ボケ、大ボケの生活実態が一致するかどうかのチェックをします。次に、何らかのきっかけがあって、その人らしい生活ができなくなりその生活が続いてきたという生活歴を確認して、その生活歴と脳の機能レベルが一致すれば、ごくごく普通のアルツハイマー型認知症。中ボケまでなら改善できます。
エイジングライフ研究所は、このノウハウを市町村に教えて、「体の健康と脳の健康、ともに守りましょう」という保健予防活動を指導しているのです。
ブログ右欄の「画像だけにたよらない」や「これって認知症?特殊なタイプ」など、時間のある時に読んでください。
急いで受診しなくてはいけないのは、急激に症状が出てきた時だけですから。
その人(の前頭葉)が「自分らしく、生きていてよかった」と思えるような生活ができるように援助することこそ、認知症予防の王道です。理想論と言わないでください。ベストでなくてもいいのです。その配慮が受診することよりも大切だと思っています。


後家楽(ごけらく)

2016年04月25日 | 正常から認知症への移り変わり

今年(2016年)も、実務研修会はいつもと同じように開催します。
9月3日~4日に浜松市アクトシティ研修交流センターです。
2019年の実務研修会は9月5日~6日です。
(この研修会は、二段階方式導入済みか導入見込みの方だけのものです。参加ご希望の方は事前にFAX0557-54-2650でお知らせください。参加要項ができましたらお送りします)
今朝ベランダのナスのプランターで発見したカマキリの赤ちゃん。

山口県下松市の保健師さんから、要綱の請求が来ました。
「懐かしいこと!」下松に講演に行ったのは、かれこれもう20年くらい前のことです。

下松市と書かれた実務研修会受講要綱請求書に目を走らせているうちに、講演後の課長さんを交えての懇談のシーンが大きく思い起こされました。課長さんは男性でしたが
「よくわかる話でした。ボケるかボケないか(当時はまだ認知症の言葉はなかったのです)、確かに生活ぶりですねえ…『配偶者と別れて、半年たったら元気なのはどちら?』というのは面白かったです。みんな『おばあさん』って答えましたけど、確かに『後家楽』っていう言葉があるくらいですから、そう答えて当然というか」
そこで私は
「え~!『ごけらく』って後家さんが楽って書くのですか?初めて聞きました」
今度は課長さんが
「え~!『後家楽』って標準語じゃないのですか!」

「私は聞いたことがありませんから、たぶん違うと思いますよ。この辺りでは普通に使うのですか?」
課長さん
「普通に誰でも使ってると思います。内容から言っても当たり前の言葉だと思ってました」

「『後家楽』って内容が深いですね。夫がいなくなって世話を焼く必要がない。一日が全部自分の時間。さあ、何をして楽しみましょうか!という感じがありますね。『楽』という字のせいでしょうかねえ。とにかく、楽になったからといって何もしないでボーとテレビだけ見て居眠りしているという感じはしないのが不思議ですね」
課長さん
「確かに生活を楽しんでるという感じですね。『男やもめにウジがわく』かあ。男は大変だ!」

「自分で生活がちゃんとできることも必要。生活を楽しむすべや友達も必要。たしかに男性の方がハードルが高いかも」


 

 

 

 

 

 

 

みんなで笑いながら、ボケの正体について結構納得のいく楽しい時間を過ごしました。

アルツハイマー型認知症という、もっともふつうにみられる認知症のタイプは、原因がはっきりしないから治療の方法がまだ確定されていないことになっています。
A説ではアミロイドβというたんぱく質がたまることが原因ではないか(これは世界的にはもう否定されていますけど)、B説ではタウ蛋白のせいではないか、C説では脳の萎縮が原因と思われる…

世の権威ある方たちは上のように言われますが、エイジングライフ研究所は
「もともと、脳の力も老化が免れない。認知症はその老化のスピードが速くなってしまった結果である。なぜ老化のスピードが速くなってしまうかというと、種々のきっかけにより、それまでその人らしく生きてきた生活ぶりが変わってしまって、生きがいも趣味も交遊もなく運動もしない、ナイナイ尽くしの生活をし続けることで、脳の特に前頭葉の出番がなくなってしまい老化を加速させてしまう(その結果である)」と考えます。

カギを握るのは「きっかけ」です。定年退職、病気やけが、家族友人との別れ、心配事…
生きていれば、ほんとに様々なことが起きてきます。大切なことはその出来事をその人がどうとらえるか、それによって生きていく力がなくなるほどのダメージを受けるかどうかによって「きっかけ」となったり、ならなかったりするのです。

講演の時「きっかけ」の例としての「配偶者との死別」に対して、都会でも田舎でも、北でも南でも会場からは「半年後、元気なのはおばあさん」という答えが笑いと一緒に返ってきます。下松もそうだったのですよ。

私は「おじいさんに死に別れたことがきっかけで、ボケていくおばあさんもいますよ。そんなおばあさんが皆さんのまわりにもいるはずです。
おじいさんのことをとっても愛して、愛しぬいている場合は、胸のさみしさが埋められない。それは生きていく力がなくなるほどということなのでしょうね。
もう一つ別のケースもあります。それはおじいさんが何から何まで指図して生活してきた場合です。おじいさんが、おばあさんの前頭葉だったわけですから、おじいさんがいなくなるとどうしていいかわからない。ナイナイ尽くしの生活に入るしかないですよね。
ただ、このようなタイプは、例外的。少ない。だからみなさんは『半年たって元気なのはおばあさん』って答えられたのです。この答えは合格点ですが満点ではありませんね」このように話します。

本当に世の中の人たちは、ボケるかボケないかは生活の仕方そのものと思っています。(大正解!)
だからこそ、東日本大震災にあった高齢者のことを異口同音に「ボケるんじゃないか…」「ああいう目にあってしまって…ほんとにお気の毒…ボケたってしかたないよね」という風に心配しています。今回の熊本地震でもしかり。
イキイキと生きられない状況はボケを呼び、たとえ夫に死別してもイキイキと生きられるならボケもせず人生を充実して生きていけると思っているのです。課長さんとのやり取りを上に書きましたが「後家楽」という言葉の向こうには認知症は感じられません。

この話を書こうと思ったので、ネット辞書で「後家楽」を検索してみました。三省堂大辞林にはなし。goo国語辞書(28万3000項目)にもなし。でも念のために一般的に検索してみるとなんとヒットするのです!
2007年の上野千鶴子さんのベストセラー「おひとりさまの老後」で使われたようです。その前の使用例はわかりませんでした。


アルツハイマー型認知症と側頭葉性健忘症

2016年04月21日 | 側頭葉性健忘症

前のブログで、私の膝に一瞬走る痛みを、世にありふれている変形性膝関節症と診断されたこと、ところがちょっと調べてみたら変形性膝関節症とは別物の膝蓋前滑液包炎だったことを報告しました。
庭の今。カラー

変形性膝関節症という診断を受けると、進行性であることやなかなか治らないことを承知している人ほど大きなショックを受けてしまうかもしれません。
ショックを受けた結果、それまでそれなりに、痛みにも負けずがんばってこなしてきたいろんな活動をセーブしてしまうことだってあるかもしれません。
そしてこの病気は、高齢者に特有のものですから、膝の痛みに引きずられてあれこれと楽しみごとをやめてしまい、趣味や生きがいもなくなり、交遊もなくなり、もちろん運動はできませんから、いわゆる「ナイナイづくしの生活」にはいっていくと…そうです。脳の老化が早まって認知症への道を進むことになるのです。
カイドウ

それでも、ほんとうに変形性膝関節炎になることもあるでしょう。その時には生活に不都合も出てくるでしょうし、正しい対応も必要です。筋肉を鍛えるにしても正しい方法があるようです。
それに保存的な治療にしても、手術にしても、納得したうえで「より良くしよう」という覚悟は不可欠でしょう。
でも、変形性膝関節炎でない時には?
私のように膝蓋前滑液包炎だとしたら「膝をつかない」ということだけ気を付けたらいいのです。生活を変える必要は全くありません。実際膝をつかなければ、何も困りません。
でも変形性膝関節炎と言われてしまったら、生活上は何も困ってなくても、旅行やハイキングに誘われたら遠慮するかもしれません。気分も晴れないかもしれません。繰り返しますが、その先には、認知症が待ってます。
冬アジサイ

さて予告したACジャパンの広告の話。「認知症サポータ―キャラバンの活動を支援している」というCMです。
最初に明らかにしておかなければいけないことはアルツハイマー型認知症と側頭葉性健忘症とは違うものだということです。
アルツハイマー型認知症は、趣味なく生きがいもなく交遊も楽しまないで運動もしないというナイナイ尽くしの生活を続けていくうちに、脳の老化が加速された結果であるとこのブログで何度も主張しています。ナイナイ尽くしの生活では、意欲や注意集中・分配力を発揮することがない。状況判断も不要、発想や見通しも使われない…これらの働きこそ、その人らしさの源である前頭葉。その前頭葉を使わないから前頭葉機能の老化が進む(廃用性の、異常で加速度的な機能低下)ところから認知症は始まります。
アルツハイマー型認知症の一番初期、その時には、実は記憶障害はないのです!
ドウダンツツジ

ところが残念ながら、世の専門家と言われる人たちは、認知症は記憶障害から始まるといわれます。

側頭葉性健忘症は、間違いなく記憶障害はあるのです。しかもザルで水をすくうくらいのひどいレベルで。
でも、前頭葉機能は正常なのです!その人らしさを保ち、状況判断力も正常、発想もわくし、恥じらいもあり、反省もできます。動作も機敏です。何より表情が生き生きしています。当意即妙の会話も楽しめます。
専門家でない普通の世の中の人たちは「こんなボケはない」と口をそろえて言います。

脳機能から症状を理解すれば、このような間違いが起きるはずはないのですが、「記憶障害」に惑わされて、認知症でないものを認知症という間違いが横行しています。早期の認知症を理解するためには、カギとなるのは前頭葉機能です。
さてCMに戻ります。ドキュメンタリータッチの作品の主人公は佐野正孝さん私の住んでいる伊東市に講演にいらっしゃった時の様子を 「若年性アルツハイマー型認知症」の後半に具体的に解説してあります。
こんな認知症はありません。介護をした人たちの意見を聞いてみればすぐにわかります。今まで知っていたアルツハイマー型認知症(重度)の症状と違う大きな差を「早期に発見できたため」で片付けています。
ヒイラギナンテン

佐野光孝さんのお名前も年齢も、もちろんアップにされたお顔も出され、
・58歳の時、認知症と診断されたこと
・周囲の人が「それがどうした」といってくれたこと
・ギターや山登りを始めた(とてもいい表情で楽しんでいるシーンが続く)
・支えがあれば、あきらめることよりやれることの方が多くなる
「見守る支援する認知症サポーターキャラバンの活動を支援します」と続くのです。

普通のアルツハイマー型認知症の場合も、もちろん早期発見して早期に対応すれば(前頭葉機能だけ低下している小ボケの段階)、容易に改善します。もう少し進んで家庭生活にトラブルが起きる中ボケの段階でも回復可能です。中ボケの段階を脳機能から解説すると前頭葉機能だけでなく、左脳や右脳の機能低下も起きています。中ボケの最終段階に至ってもまだ重度の症状がないために、世の中では早期発見と言われるレベルなのですが。
「見守る支援する認知症サポーターキャラバンの活動」は大切だと思うのです。
ただその対象をもっとはっきりさせなくては、混乱につながります。前頭葉機能が満足に働いていないアルツハイマー型認知症の方に対して、佐野さんのような反応を求めても、それは無理なのです。
言い換えれば、認知症を脳機能から理解しておかないと、側頭葉性健忘症をアルツハイマー型認知症の初期と間違えてしまうことになります。
ナバナ

そういえば新幹線にポスターもありました。「若年性認知症の定義を調べてビックリポン」の最後で触れています。


変形性膝関節炎と膝蓋前滑液包炎(女中膝!)

2016年04月18日 | 正常から認知症への移り変わり

1か月くらい前、右膝をついたとき一瞬、膝に痛みが走りました。表面的には何の変化もないようですし、どこが痛いか押してみてもよくわかりません。
膝をついたときでも痛い時もあれば全く痛くない時もある程度です。それ以上に歩くことに何の支障もありません。坂でも階段でも平気ですし、スピードも落ちていません。もちろん歩き始めに問題があるわけでもありません。そうそう、正座も問題なくできます。
たいしたことはないと思ってましたが、もし何かが入り込んでいたら早めに取り除いた方がいいと思って受診しました。ちょうどガラスの破片でも入っているかのようなチクっとした痛みでしたから。
(庭のハナミズキの様子を見てください)

「膝をついたとき、チクっと痛い時があるのですが、そのほか日常生活では何の問題もありません」と症状を説明します。
内科・外科を看板に掲げているドクターは「ああ、それは変形性関節炎と言ってね、まあ齢をとるとねえ…」とちょっと笑いながら言われました。
私は、高齢者外来(早期痴呆相談窓口)で働いていた時に、膝に支障があるおばあさんにたくさんお会いしましたので、病名も承知していましたし症状もよく知っている方だと思います。(不思議なほど女性に多かったと思います)
「歩き始めや階段昇降に支障があり、正座ができない」とよく訴えられました。上に書いたように私にはその症状は全くありませんしたが、「え~!」とちょっとショックを受けながらも「元気に過ごしているようでも、私も齢なんだ。それにしても変形性膝関節炎とは…」と、とても素直にドクターの説明を聞きました。

なぜ、「普通の変形性膝関節炎の症状がない」ということをもう一度訴えなかったかと後で思ったのですが、私の知らない「跪いたときに痛みが走るタイプの変形性膝関節炎がある」と思い込んだのです。
しばらく周りの人たちに「私、変形性膝関節炎なんだって!齢をとるとこんなに急に来るものなのね」と言い回り、逆に「あら、私も膝が痛いことはよくあるわ」とか「痛くてもそのうち痛くなくなることもあるのよ」など、皆さんが結構膝の痛みを持っていることもわかってきました。

でも、ある時「歩き始めや階段昇降に支障がなく、いくらでも歩け、正座もできる変形性関節炎はあるのだろうか」と疑問が起きてきました。
困った時のネット検索。ネットは玉石混交だからすべて信じることはできません。
でも「膝をついたときに痛みが走る」と検索したら、同じ症状を訴えている人がいるのです。
しかも10代20代、そして中年層の人も。
痛みの表現が「思わずウッと言ってしまうような痛み」とか「息が詰まってしまうくらいの痛み」とか「針を刺し込むような痛み」とか「激痛」などいかにも痛そうで、私の痛みもこのくらい痛いといってもいいのかと妙に感動しました。そして、ほとんどの人は、日常生活には支障がないことを書き足しています。私と同じ症状です。

素人の私から見てもはっきり的外れと思われる回答も多かったのですが、1.オスグッド成長痛というもの(若いか、若い時にり患していた場合)2.半月板損傷などはそれなりの解説と思われましたが、私には当てはまりません。
自分の体験を、善意でしょうが無責任に回答していることもあり、いかにもドクターの回答の場合は受診を勧める回答になり、私と同じ症状があることはよくわかりましたが、病名は納得できるものがなかなかヒットしません。
いくつも見ていくと「女中膝」という説明を見つけました。
「これだ!」膝をつく動作をし過ぎたために、跪いたときに痛みが出るというもので、私は使い過ぎた実感はありませんでしたが、症状の説明としては一番納得できる解説でした。

「女中膝」を検索して「膝蓋前滑液包炎」という病名にようやく行きつきました。
細菌による感染症でない場合は保存的。よほど水がたまったりした場合は水を抜く。積極的な治療はしない。対処は膝をつかないようにすること。

ちょうどそのころ、おもしろい新聞記事に目が留まりました。
走ることを習慣としている医師・歯科医師の全国組織「日医ジョガーズ」代表理事の小嵐正治さんの言葉です。「日医ジョガーズ」のことは、マラソン大会のときに伴走して参加者の心臓発作に備えて下さっていることで知っていました。
以下は記事(日経新聞ですが日付不明)から。
「かかとが痛んだときは、かかとを浮かせて走っていた。人間の体はよくできていて、どうやら自力で治るようになっている。治療とはどの程度、必要なものなんだろうと思ってしまう」
小嵐先生は整形外科医…
私も自分の自然治癒力を信じましょう。と、とってもいい気分になりました。

それで約1か月たった現在ですが、たぶん改善はしていると思います。ただ膝は付かないように気を付けていますから、痛みがないかどうかまではわかりません。

とても個人的なこのテーマでブログを書いたのは、変形性膝関節症は「歩き始めや階段昇降に支障があり、正座ができない」ということと、「そのすべてに問題がないのに膝をつくと激痛が襲う」膝蓋前滑液包炎のことをお知らせしたかったのです。
開業医ですら、その差を考慮してくれない場合があるということもお伝えしたかったことですが。
この体験から、ひとつお話ししたいことがあります。ACジャパンがテレビで流している「認知症」のCMの件です。以下続く。

以前に書いたこの記事のことも思い出しました。
(椎間板ヘルニア≠慢性腰痛の原因)=(多発性脳梗塞≠認知症の原因)


号外ーさくら便り

2016年04月13日 | 私の右脳ライフ

前から気になっていた、富士吉田のさくらを見に行ってきました。
事前情報はしっかりチェック。「多分ベストタイミングのはず」と見計らって、4月13日に決行しました。静岡県側は曇天でしたが、山梨県に入ると青空が広がり絶好のお花見日和。

なんだか、カレンダーを見るような。
「京都と富士山を一度に楽しめる」という理由で外国の方々に人気だという情報もありましたが、確かに多くの外国からの旅行者の姿が目につきました。
ここ、富士吉田市の新倉浅間神社(新倉山浅間公園として整備されています)は、新富岳百景にも選ばれているさくらの名所です。
最初にお参りした浅間神社の本殿の千木には面白いお面がありました。

富士の手前のさくらと五重塔がチャームポイントなのですが、この五重塔は日露、日清そして太平洋戦争の戦没者慰霊塔で1963年建立されました。一緒に行った友人たちと「ウーン。せめてもう少し古びていてくれたら」とささやきあいました。

富士山から目を外すと、まるでジオラマ。眼下に広がる富士吉田の町には、電車も走っているし、中央高速道も横切っています。それにさくらの彩りがあるわけですから。

この記事がなぜ「号外」かを説明しましょう。
4月13日、今朝の日経新聞「窓」欄に、「新倉山浅間公園で12日、桜が見ごろを迎え、多くの観光客の目を楽しませた」という記事とともに、最初の写真とほとんど同じ写真が掲載されていることに気づいたからです。
ベストタイミングで新倉山浅間神社に行けました!


カメラスポットへの道に、春竜胆が一輪咲いていました。誰も見てはいないようでした。
むかし、磐田市に住んでいたころの茶道の先生が「この花は遠州弁で『あさねんぼ』というのよ」と教えてくださったことを思い出し、お茶室のたたずまいやそこでのやり取りなど、びっくりするほど胸の中に湧き上がってきました。
このようなひっそりした花にも心惹かれるものがありますね。


4月の右脳訓練ー更にさくら巡り

2016年04月06日 | 私の右脳ライフ

近所に住むS塚さんが「今年、我が家のオオシマサクラはかわいそうなの。ちょうど留守にしている間に満開になりそうで」というので、私が代わりにその満開のオオシマサクラに面会に行ってきました。雨だったので夕方に上がった時を見計らっていきました。(4月3日)

ちょっと夕暮れに近く、きれいに撮れていませんが、花びらが一枚も落ちていなかった!ベストタイミング!


その帰りに「さくらの里」へ。

大室山の山すそに広がるさくらの里にはたくさん種類の桜が植えられています。

入口の枝垂れ桜。初々しい乙女のようでした。

ズームアップ。

さらにアップ。


修善寺にも行きました。(4月4日)

本堂の手前にサクラが咲いています。修善寺桜はすっかり葉桜になっていました。外国人観光客が多かったですね。


お寺の次は三島大社。(4月5日)
一度、三島大社の枝垂れ桜が見たかった…三島大社は池とサクラの取り合わせにひとしおの風情を感じました。

以前にお参りした時には亀を沢山見かけましたが、まだ寒いのでしょうか。水鳥たちが泳いでいました。

ボンボリが祭り気分を盛り上げます。屋台も見物客もうるさいようですが、これもまた、待ちわびた春の花見の景色ですね。

本殿の右にサクラの大木が。もし、右直前にあれば「左近の桜で」はないか!と思いつきました。
でも、あれ?右?そこで帰宅後復習してみました。たまには左脳訓練もします(笑)

京都紫宸殿では儀式の時、紫宸殿に向かって右に植えてある桜樹のところに左近衛府の陣を敷いたそうです。だから「左近の桜」。
もっと詳しく調べると、紫宸殿の東側に左近衛府を敷く決まりがあったそうです。紫宸殿は南面しているわけですから、紫宸殿の中から見ると東側は左になる。そこに桜樹が植えてあった。ということでした。
つまり紫宸殿の中の天皇から見ると左側に「左近の桜」があって、全然おかしくないわけですね。ふーん。

多分この三島大社本殿右前のサクラは「左近の桜」の伝統を踏まえているのではないでしょうか?発見の喜びは前頭葉を元気にします。
ちなみに西側に右近衛府を置いたそうです。そこには橘が植えてあって「右近の橘」。
橘は常緑、桜は落葉樹。ここにも何かの意味があるのかもしれませんね。

南面している本堂へ向かう参道に直行している歩道で、本堂を背にして見つけた標識。
標識の上が南の方角ですから、確かに左側が東でした。
ついでにおまけの鹿園。楽しかったです!


4月の右脳訓練ー桜狩り

2016年04月06日 | 私の右脳ライフ

毎年、サクラを大切に思う心がつのってきているようです。そわそわとした1週間が過ぎました。
私のうちの前には、地元で「城ケ崎のサクラ」と言われる並木が続いています。今年は色づきが遅くて、やきもきしましたが、3/31に所要で上京する日の朝、「ほころび始めた!」と思った状態が、翌4/1に帰宅したらもう5分咲きくらい。4/6の今日はもうちりはじめ…明日は風雨が激しいという天気予報…それならば、と慌てて友人と桜狩りへ行きました。
サクラはたしかに潔い花ですねえ。出発の前に玄関先で。

ベニバナトキワマンサク越しのちょっと可憐なサクラはワカキノサクラ(稚木桜)です。

牧野富太郎がもっとも愛したという説明文に惹かれて高知から連れ帰った桜です。今年はたくさん花を付けました。
今年といえば、今年の伊豆高原さくら並木は見ごたえがある景色が展開されました。
アスファルトで覆われた根本が痛々しいようですが、けなげにたくさんの花を見せてくれました。

いっぽう、東伊豆町稲取クロスカントリーコースのサクラたちは自然の中で見るからにノビノビしています。天気にも恵まれて、青空に映えた桜色は緑色の木々のバックがあって、いっそうその可憐さが引き立てられていました。素晴らしいの一言でした。

この見事なサクラたちには、去年初めて出会ったのです。車で行けばほんの20分のところなのに、友人に教えてもらうまでは全く知りませんでした。知らないということは悲しいことですねえ。
自分らしくイキイキと生きることが認知症予防ということも、前頭葉を中心に脳機能の面から考えると簡単に説明できることです。まったく多くの方々に知っていただきたいことです。

側のゴルフ場には大島サクラの大木が。

そのまま、西伊豆最福寺の「最福寺しだれ」を訪ねました。
西伊豆ですから、駿河湾の向こうに富士山を望むことができます。そこにこの最福寺しだれが前景を彩るのです。
うまく富士山が写真に写りませんでしたから、そこは想像力で(笑)

去年、池坊が「日本花逍遥100選」を全国から認定しました。その1か所になったのです。その話をするとご住職が認定書を持ってきて、見せてくださいました。
「認定を受けてびっくりしました。この寺の石垣は1590年代に作られたという記録があって、結構古い寺ではありますが。桜は江戸時代に近所の山から檀家さんが見つけて移植してくれたもので、盛りの時は対岸の清水からピンクに見えたというんですけども、なかなか大きくさせられなくて…」と気さくにお話ししてくださいました。

しだれ桜の八重は珍しく、日本で4番目に見つけられたと案内板にありました。そして平成13年に新品種ということで「伊豆最福寺しだれ」と名付けられたそうです。

蕾はピンク、満開の時は白、そしてまたピンクに色づいて散るというサクラです。一緒に行った友人は「今までは大島桜が一番好きだったけれど、今日からは伊豆最福寺しだれに変更!可憐な乙女の風情が何ともいえない」と大絶賛。

今日はなかなか充実したさくら巡りができました。
「今年のさくらが満喫できた」という楽しさや嬉しさは、確かに齢とともに大きくなっていくことを実感しています。


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