脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

75歳以上のドライバー認知症の恐れ1万人(6/24付け日経新聞)

2017年06月29日 | 正常から認知症への移り変わり

今日の題は新聞の見出しを使っています。
記事の内容は「75歳以上の高齢ドライバーの認知機能検査を強化した改正道路交通法が施行された3月から5月末までの間に、運転免許更新時などに『認知症の恐れがある』と判定された人が11,617人(暫定値)に上る」というものでした。(6/24日経新聞)
「やっぱり…高齢者の運転は危ないものね」と反応した人がほとんどだったと思いますが、実は記事はもっと続くのです。
「改正法施行後、5月までに検査を受けたのは431,338人」ということは、認知機能検査を受けた人の2.7%ということです。
つまり、「たった、それだけ?」と私は思いましたが皆さんの感想はどうですか?
写真は楽しい動物たちのカーニバル展at伊豆高原アジサイ舎から
免許更新時に受ける人がほとんどなので、実際75歳以上の運転者は何人くらいいるのか調べてみました。
警察庁によると、2016年6月末過去最多の495万3912人。ちなみに全免許保有者に占める75歳以上の割合は6.0%ということです。20年代半ばにはマイカーブームを支えた団塊世代が75歳以上になり増加に一層拍車がかかるという情報もありました。

認知症の恐れがある高齢者が例え2.7%であったとしても、母数が大きいから、大変な数の高齢者が認知症を疑われるのに運転をしているということになります。500万人とすると135,000人ということですね。

「なぜこんなことが!」と考えられないような高齢者の運転ミスによる事故をマスコミ報道で知ると大きな不安を感じますね。
さらにそのうえに、13万人以上の認知症を疑われる高齢者が運転をしている…十分に危険な状況だということは誰でも感じることでしょう。

このブログでも何度も繰り返してきたことですが、今日私は、もっともっと注意を喚起したいと思うのです。
それは認知症をどうとらえるかということです。
認知症になったらどのようなことが運転中に起きてくるのか?

エイジングライフ研究所では、認知症の90%を占めるアルツハイマー型認知症を小ボケ(前頭葉のみ機能低下。社会生活にトラブル)中ボケ(前頭葉機能低下に加えて認知機能にも低下が始まる。家庭生活にトラブル)大ボケ(脳機能全般的な低下。世の中で認知症といわれるレベル)のように区分します。
小ボケで運転している人は多くいますし、中ボケでも運転しています。それどころか実は大ボケレベルでも運転していた例もあります。
脳機能がうまく働かなくなると、どういう運転になっていくのか詳しく書いてありますから、クリックして読んでみてください。
正常から認知症への移り変わり「スピードが遅すぎて怖いんです」

同じ期間に自主返納した人たちの数もわかりました。
自主返納は102,995件、そのうち75歳以上が半数超の56,488件だったそうです。
75歳以上で運転をしている人は約500万人。そのうちの1.1%が自主返納したことになります。
認知機能検査で不合格となった11,617人中987人が医師のアドバイスなどで免許を自主返納したことにも、記事は触れていました。母数は約43万人ですから、認知症検査を実施して自主返納者を見つけることができた割合は0.2%。
せっかく改正道路交通法にのっとって認知症検査を実施しても、認知症者の発見率が低くはありませんか?いちばん最初に私が感じた「たった、それだけ?」の感想は正しかったということになります。

認知機能検査を受けなくても本人もしくは家族が「運転するのはもうやめた方がいい」という決断を下す人が、高齢運転者の中に1.1%いたのです。
それでは、もう一つ考えてみてください。これが運転をしてもいいか、やめた方がいいかの実態を表しているでしょうか?
「どう見ても運転は無理」と周りがハラハラしているのに、免許返納に同意しない高齢者は多いものです。運転できない状態では生活そのものに大きな支障が出るという面もあり(ここは十分に検討すべき点ですが)家族は説得をあきらめるということはよく見聞きすることです。

高齢者が運転をするほど、自他ともに危険は増大するということです・・・小ボケレベルの人たちを含めると70歳代になると、だいたい30%はいます。そして80歳代で50%、90歳代になると75%というような割合で増加していきます。確かに超高齢になってなお運転を続けている人は少ないですね。
年齢相応に働いている前頭葉を持っていれば、自分の能力が運転に適しているかどうかの「判断」(これも前頭葉機能)ができますし、家族や周囲の人のアドバイスにも耳を傾けることができますから、心配し過ぎることはありません。
 
心配するよりも、大切なことがあります。
認知症の正体は「趣味なく生き甲斐なく交遊も楽しまない、運動もしない」ようなナイナイ尽くしの生活が続くために、ながい時間をかけて脳が廃用性の機能低下(使わないから働きが落ちる)を起すことです。
そのことを理解して、脳の老化を加速させないように、気を付けること。心配するより脳を使った楽しい生活をつづけること。小ボケになった時に起こしやすい小さな事件を見逃さないこと。もう一度貼っておきます。
正常から認知症への移り変わり「スピードが遅すぎて怖いんです」
最終的には慣れた道を、助手席に誰かをのせて、明るいうちに運転をするというような工夫を本人の前頭葉が考え付くはずです。

国も認知症の早期発見や予防を重要視しているのですが、かんじんの前頭葉に目を向けていませんので、本当の初期を見つけることができません。その結果、誰が見ても「認知症」というレベルをその対象にせざるを得ないのです。
個々人が、脳の健康を守ることに関心を持ちつつ、楽しい生活を送らなくてはいけません。
脳は正直ですから、本当に使わなくては使ったことになりません。見せかけの名刺は役に立たない例も挙げておきます。
生涯現その2
交通事故防止のためのせっかくの改正道路交通法ですが。認知症の考え方から改正しなくては。
高速逆走、認知症が12%(1/29付け日経新聞)


かくしゃくヒント33ー「作品展の後、若返ったって言われます」

2017年06月19日 | かくしゃくヒント
伊豆高原の5月のお楽しみアートフェスティバル。
今年は友人のギャラリーで、これまた友人のフランス刺繍の作品展がありましたからワクワクしながらオープンを待ちました。案内ハガキです。「フランス刺繍に恋して60年」これがテーマです。

作者は山下好子さん。今年80歳のはずですが、とてもそのようには見えません。

繊細なフランス刺繍に出会うことがない時代ですから、作品展は大好評のうちに終了しました。刺繍もすてきでしたが、会場は刺繍の作品だけでなく、山下さんの感性で集められたアンティークの小物たちも場所を得て喜んでいました。

今日は後日談です。
電話の声が弾んでいました。
「私ね。あの作品展の後いろんな人から『若くなった』って言われるの。特に声がね、若くなったんですって。考えてみればわかる気もするのです」
(作品展にはフランス刺繍による絵画も飾られていました)

お話は続きます。
「作品展までは、お話しするといっても特別変わったこともなく淡々とした毎日だったわけですものね。作品展の後は、作品展がらみとか久しぶりの友人知人とか、そうそう昔のお弟子さんたちにもお会いしたから、どのお話にしたって楽しくて盛り上がってしまうんです」
(おしゃれなお茶帽子と指ぬきのコレクション)

私「お話の内容も楽しい話題なんでしょうけど、声そのものが溌溂とされたんじゃない?だってほんとに弾んでますよ~」
山下さん「まあ、そうでしょうか!そうだとしたらうれしいこと!」
私「声もですけど、ほんとに若々しくなった。もともとおきれいですけど、もっときれいになった。そういわれません?」
(こんなかわいい作品も)

山下さん「いえいえ。田舎のおばあさんですよ~
ですけど、アートフェスティバルの間は、人様が来てくださるしお話もしなくてはいけないので、一応失礼のないようにとお化粧もちょっとして何を着るかとかも考えたりしましたけどね。そういう余韻みたいなものは残ってるかもしれませんね」
(気が遠くなるようなカットワークの大作)

私「もともと美人さんだし、センスいいし。磨きがかかったというか。それにしてもよかったですねえ」
山下さん「そうなのです。お話があったときにはそれほどのものではないし、とか怖気づいていたんですけど、S塚さん(ギャラリー主)から『集大成です。一回まとめて皆さんに見ていただきましょうよ』と強く勧めていただいて、ほんとによかったと思ってます。いいお土産ができました」
私「そうですねぇ。確かに集大成。本誌終了ということですか。これからはステキなフロクを作るっていうのも楽しいかな。本誌よりフロクが好まれるってこともあるでしょう(笑)」
間髪入れずに。
山下さん「そうそう。最近はフロクの方が人気があって売り切れるというお話もありますね」こういうやり取りが、間髪入れずにできることが山下さんの脳が元気な証拠です。
(私に頂いたマーガレット模様のお茶帽子)

山下さん「一泊二日で東京に遊びに行ってきたんですよ。親戚のものと。銀座に泊まって銀座シックスにも行って、ランチしようと思ったら5000円。お連れが『ちょっと…』と言って、それで少し探したら近畿大学の養殖事業があるでしょう?あの直営店みたいなお店があって、美味しかったしサービスもよくてほんとに楽しかったんですよ」
私「東京へは御用で?」
山下さん「はとバスに乗りに(笑)。スカイツリーは見るだけとか希望を言ったら国会議事堂―赤坂迎賓館ー東京駅のステーションホテルでのティータイムというコースを選んでくれて。そうそう昼食は後楽園ドームホテルの高いところのレストランでした。どこもすてきでした。国会も今あんなでしょ。よくよく説明してくださってテレビで見るところが目の前で、ちょっと感動的」
私「よかったですねえ!東京も刺激的でいいですね。たびたび行らっしゃったらいいのに」
山下さん「たびたびはね。でも私、落語に行きたいのです!」と途切れることがないように話が続きます。いかにも楽しそうに、ほとばしるように。
山下さんの脳が実に活性化されていることが、ビンビン伝わってきましたよ。
(お茶帽子の背面。ハチが飛んできてる。こんなセンスの持ち主なんです)

こういうお話もありましたよ。
「私の人生、これで上等って思えます。後悔はない。そして巡り合えた人たちに『ありがとう』って言いたいの」
私「好子さんが言いたいことはわかります。でも人生終わりそうなお話ね。ちょっと早いかなあ」と笑ったらもうひとつこのようなお話も。
山下さん「私の刺繍の先生が、90歳におなりなのですが、作品展のお知らせハガキを見てくださって『がんばってるのね』と喜んでくださって『19歳で弟子入りした好子ちゃんに。またこれで何かを作るように』と貴重な麻地を箱にいっぱい二箱も送ってくださったの。
これは使わなければ!もともと生地を見るのは大好きなんですけど、デザインが浮かんでくるんです。これならテーブルクロスができるわとか、端切れはこういうふうに使ってとか、先生のことを思い出しながら毎晩眺めました。発想が次々わいて、やらずにはいられないというような気持ちになったんです!そして洗うものは洗ってクルクル巻いて準備が整ってますよ、もう」

私は、山下好子さんとのやり取りの中で、人が自分の人生を全うするためには「これで生きている!」と実感できるものが必要なのだということを再認識したような気がします。
山下好子さんは、わさび農家の家業をちゃんとお手伝いしながら、お食事当番もこなしつつ、「よしこばぁば」とお孫さんたちに慕われながら、刺繍も教えながら、別棟でセンス良く生活していらっしゃいます。これでほんとに上等なのですよ。
それでも、やや消極的な発言が聞かれたりすることもありました。それは、やはり「この年齢ですからね」の気持ちがベースに流れていたと思います。
ようやくできあがったお礼のハガキ。郵送される前ですが、一足先にお披露目させていただきました。

この5月の作品展の後、周りの方々が「お若くなった!」となぜ口をそろえていったのか…
年齢が若くなるはずもありません。それは山下好子さんの人生に対する姿勢にちょっとした変化があったからだと思います。
生きる目標が改めて感じられたのだと思います。
山下好子さんには刺繍の世界がさらに広く深く広がっていきましたが、私たちは皆、自分で「このために生きている」ものを、見つけなおしながら生きていかなくていけません。状況が変わっていきますから、その状況に応じながら、なお目標設定ができる生き方こそ「かくしゃく」への道なのだと改めて教えられました。このような働きは、脳の中でも最も重要で、人間にしかない前頭葉が担います。イキイキとした前頭葉こそかくしゃくへの必要条件です。
電話の最後の言葉もご紹介しておきたいと思います。
「少しでも、家族のため社会のために役に立つ。時間を上手に利用して刺繍や編み物を楽しむ。
出会った人さまと楽しくね」なんていいことばでしょう。


脳卒中の後遺症ー右脳でできること・左脳でできること

2017年06月11日 | 右脳の働き

フェイスブックは思いがけない情報が飛び込んできます。例えば「友だち(私の場合は会ったことのある知人)」が、ある記事に「いいね」をしたらそのお知らせが来るのです。自分からは多分見ないだろうし、存在も知らないページを紹介してもらうことになるわけですね。
最近の散歩道で出会った花たち。ジャカランダ

「みんなの介護」というページに三人の「友だち」が「いいね」をしていました。
これから連載される、6年前に「クモ膜下出血」に襲われたコータリさんという方のエッセイです。コータリさんは要介護5のコラムニストと紹介されています。
ざっくりと言ってしまえば、クモ膜下出血は1/3が死亡、1/3が軽いものから植物状態まで含めて後遺症ありで生存、1/3が回復(とされますが、その中に前頭葉の機能障害を残す人たちがいます)といわれます。
それは治療方法とか設備や技術という前に、どの血管がどの程度に破裂したのかという、むしろその人が生来持っていた条件によって決められるのですが。最近は未破裂動脈瘤(これが破裂するとクモ膜下出血をきたします)の予防的な処置が行き届いてきてますから、この割合は少し変わったかもしれません。
ジャガイモの花。昔ヨーロッパでは花を観賞用にするために育てたのだとか。

さて、コータリさんはずいぶん重い後遺症に襲われたようです。
「一生、目を覚まさないかもしれない」といわれたと書かれていましたから。そして急性期の大学病院、リハビリ病院で1年間の入院生活を余儀なくされて、次の転院は療養型の所といわれたそうです。胃ろうがあって、タンも喉からとって、意識水準もあやふやな状態…
ところが、ご家族がリハビリ病院を希望され、その後在宅を選択された。
ウツボグサ

実は今日のブログはそのリハビリ病院での出来事についての解説をしたいのです。
引用をさせていただきましょう。以下引用は青字。
「ボクはもちろん劣等生でなにもできない。やる気なんてない。でもスパルタなリハビリ病院に入ったので、嫌でも毎日リハビリは続く。」
この「やる気のなさ」そのものが右脳障害の後遺症というとらえ方が、本当にありません。左脳障害の方々は、失語症や利き手の障害を抱えながら、努力を続けることがほとんどです。これは良い悪いを言っているのではなく、後遺症と理解することで対応が変わるのではないかということが言いたいのです。
家族と当直の看護師さんと面会時間ギリギリまで食べて、はみがきもする。うがいもできない。どうやるのかも思い出せない。「パパ、ペッってやるんだよ」と言われても思い出せない。」
思い出せないのではありません。脳障害の後遺症としての失行です。上にあげられた例は左脳の障害で起きるとされています。
満開のシモツケソウ

その厳しいリハビリ病院から、自宅へ退院されました。ご家族の覚悟はどれほどだったか…
「左半身は麻痺が残り、歩くこと立つことはもとより寝返りも自分ではうてない。しゃべることも苦手。トイレにだって行けない。ほとんどなにもできない」
左半身のマヒということは、右脳がダメージを受けたということです。上肢のことは書かれていないということは下肢により強い後遺症があったのでしょう。そうすると右脳の後半の方がダメージが大きかったことになります。利き手でない左手が思い通りに動かなくても、利き手が動けば問題はないというだけかもわかりませんね。

「しゃべることも苦手」
ここからは二つ考えなくてはいけません。一つはマヒが喉や口の筋肉にまで及び、声を作ることが難しい(構音障害)をきたしている。これはしゃべれないと表現されますが、正確にはしゃべりにくい、ろれつが回らないので周りの人に理解してもらうのが難しい状態です。失語症ではないのです。もう一つは文字通り「しゃべれない」あたかも知らない外国語が話せないようにといえば理解しやすいかもしれません。これが失語症です。

「家族は大変だったに違いない。その頃は、申し訳ないと思う余裕もない。」
後遺症の程度や個人差にもよりますが、このような傾向は右脳障害の後遺症としてのほうがよくみうけられます。
蕾のシモツケソウ

「家に帰ってからのリハビリは試行錯誤。毎日毎日繰り返す。スプーンを手に口にもっていくことができない。手が止まる。「あれ?どうやるんだっけ?」。本当にわからなくなる。それを家族がボクの手の下に手を添えて上にあげる。ボクのスプーンを持った手が口もとまで行きやっと食べることができる。何度かはそれを覚えていて食べることができるが、なんかの拍子にまた忘れる。するとまた手を添えてくれる。何千回やったことだろう。残念ながら自分では覚えていないのだけど、そうやってようやく食べることを思い出す。一事が万事そうである。何千回、何万回の繰り返しでようやくできるようになる。」
これは失行の状態を、後遺症を抱えた人の立場で語っていらっしゃると思います。前にも書きましたがこのようなタイプの後遺症は左脳障害から来るといわれています。
ところが。
「でも、こうして書くことはそんな訓練もなく割と早いうちからできた。いまの自分が思っていることをそのときに書く。」
スプーンや歯ブラシの使い方がわからないほどのひどい後遺症をもちながら「書く」ことはできるのです。「しゃべることは苦手」というのが構音障害だとすると(もう少し情報が必要です)失語症はないことになります。コータリさんは右脳障害を主に考えたほうが、理解してあげやすいかもしれません。
このようなアプローチは、本当に目にすることが少ないです。研究や学会発表を業務の一環にしているようなところだったら、右脳や左脳やたまには前頭葉機能についても、分析していることがありますが、やはりあくまでも少数派でしょうね。
「できないこと」の原因をもう少し知ってあげる、それが脳機能障害による致し方ないものか、気分的なものなのかを見分けるということですが、そうすることでリハビリの効果は上がるものだと思います。
ベニガクアジサイ

「失行」がなぜ起きているのかの説明が不足していますが、これから読み進めていくうちにもう少し的確な推理ができるかもしれません。

 


6月の右脳訓練ー1泊2日東京の旅

2017年06月08日 | 私の右脳ライフ

今回の上京はお楽しみごとです。目的のひとつは日本橋コレド室町にあるTOHOシネマズ日本橋で映画「花戦さ」を見ること。
長男が池坊を習っているので、この映画のお知らせが来ていました。大学後輩のFBにも上げられていたし、内容にも興味がある。そのうえ上映開始の6月3日に東京にいるというタイミングの良さ。

東京駅八重洲北口からさあ、歩き始めます。もちろんネットで調べましたが歩くのが一番のようです。普通なら中央通りを日本橋から三越前まで歩くのですが、ちょっとだけ道を変えて行ってみることにしました。日銀前を通ります。
日銀は工事中でしたが、道を隔てて重厚な石造りの建物が迫ってきます。

考えたら、たった1ブロック先なら何度も通っていますが、この道は歩いたことがなく、全く初めてなのです。

「館本井三」右から書かれています。ということは、はるか戦前に建てられたはず。ウィキぺデイアで調べたところ、いろいろ面白いことがわかりました。
関東大震災で壊れたものを1929年に再建。現在の耐震基準の2倍の強度といわれています。建築様式は新古典主義様式。レンガ造りの三菱一号館と全く違うところが面白い。GHQが置かれたところだったんですね。
このビルの中央通りに面した方からなら、三井記念美術館がありますから何度も行ったことがありますが、この向きからみるのは初めてです。
三井といえば、越後屋。三越もこの通りに面した入口はこんなにおしゃれでした!

東京駅到着が12:16で映画の開演が12:40ですから、ゆっくり写真を撮ってる時間はなかったのですが、日本じゃないような雰囲気に惹かれてついついシャッターをおしてしまいました。
TOHOシネマズ日本橋があるコレド宝町が見えてきました。

映画を見終わったら、今度は高島屋で友人と待ち合わせです。日本橋を通って銀座方面に地下鉄一駅分を歩きます。

高島屋もなかなか重厚感があります。

出会った友人が「今日は壺中居の細川さんの展覧会に行きたいのでつきあってね」といいました。
壺中居!まあ、懐かしい…学生時代に両親と一緒に一度だけ行ったことがあります…

そのとき、「壺中居」の由来と店の看板は会津八一書と教わりました。その看板を階段踊り場に見つけました。まあ、よく覚えているものですね。
今日の展覧会は細川護熙展。政治家という色合いはとても薄く、芸術家ですね。陶芸と書。茶碗はとても整っています(100万円くらいです)。香合とかぐい飲みの方が楽しいような。書は茶掛けになるような作品が多く、軽やかでした。会場に細川さんがいらっしゃって、穏やかに歓談なさっていました。

その後、高校同期の毛利隆雄さんの「古稀&バーテンダー50周年祝賀会」出席のために帝国ホテルへいきました。このパーティ出席に合わせて、いろんな予定をくっつけたのが今度の東京への旅。
宴会場ロビーに「池坊(花戦さ)」と「帝国ホテル」がコラボした作品が迎えてくれたのには驚きました。古典的な印象を強く表現しながら、花はすべて洋花の蘭。金屏風の前に違和感なく見事です。
伝統というものは、新しいものをどのように加えていくのかが継続の要なのでしょうね。

毛利隆雄さんのパーティは、帝国ホテルの一番広い宴会場で開催されました。

王さんと毛利さん。私の息子たちと一緒に。

息子のところで。お利口モカちゃん。

5月に加わった新しい家族に会うことも大きな目的でした。ティカッププードル ってホントに小さいです。かわいいりんちゃん!

翌日は井ノ頭線沿線の旅。午前中、一人暮らしの友人を訪ね、午後から浜田山で入院中の友人のお見舞いをしました。

渋谷駅の岡本太郎「明日の神話 550×3300cmの大きなものです。
「太陽の塔」とこの「明日の神話」が岡本太郎の代表作といわれているそうです。「明日の神話」は1969年に制作された作品だそうですが、私が結婚のため東京を離れたのが大阪万博開催の1970年でした。「ああ、あの頃」と自分のライフイベントと絡めて考えると、急に過去が身近になりますね。
メキシコで行方不明になっていた作品が見つけられ渋谷駅に設置されたのは2008年。つい最近のようですがもう10年近くになるのですね。時のたつのは早いけど、今回の2日間の東京での時間は変化に富んで充実していました。

 


MORI'S W CELEBRATION PARTY

2017年06月05日 | 私の右脳ライフ

高校同期生の毛利隆雄さんのお祝いパーティがありました。古稀のお祝いとバーテンダ―として50年のダブル祝宴。
華やかなパーティでした。帝国ホテル本館2階孔雀の間。入口の祝い花は、各界から贈られていました。

毛利さんは「世界のモーリ」といわれるほどのバーテンダーです。オリジナルカクテルで世界大会に参戦(ということは国内を勝ち抜いて)その味で世界一になったこともあり、毛利さんがステァするモーリマティーニは世界中にファンがいるのです。
もう一つ「仏の毛利」とも言われ、後輩を育てることにも定評があります。
「バーテンダーに出会ったら、『毛利』の名前を出したら、サービスがよくなるかもね」と笑って話してくれたこともありました。

祝辞の筆頭は小説家の北方謙三さん。乾杯の発声は王監督。
500人だか600人だかの規模でしたから、大型スクリーンが2面ありました。
伝説の毛利マティーニ。いつも思いますが、マティーニを作っているときの毛利さんはほんとに楽しそうです。

京都祇園一力の芸妓さんの舞。同席した息子が「一番上の格式で舞ってくれているよ」と教えてくれました。

やはり同期の書家、幕田魁心さん(幕田魁心さん―仏政府から勲三等叙勲で記念個展)上海から駆けつけて檀上でパフォーマンスを見せてくれました。

作品を紹介しましょう。この「気力」は王監督の座右の銘だと、幕田さんと王監督のトークの中で説明がありました。

毛利さんと幕田さんが、帝国ホテル孔雀の間のステージでトークを繰り広げている!仲の良いお二人ですね。高校生のころのまま…

毛利さんの座右の銘は「感謝」。この幕田さんとのやりとりで「人や、人との出会い」を何よりも大切にする毛利さんの生き方が際立ってきたような気がしたのは私だけではなかったと思います。


幕田魁心さんは本名隆さん、毛利隆雄さんと「隆」が重なります。
そこから発想された幕田範之さん(幕田さんご子息)作成の「双隆」と名づけられた小冊子をいただきました。

毛利さんのカクテル、幕田さんの書。どう考えても豊かな右脳がベースになくてはお二人の結果は生まれなかったでしょう。そのうえの努力。そんなことを考えているうちに、ムクムクと「同じ戸畑高校、同期生」という思いが湧いてきて…何だか、うれしいものですね。

もう一枚「双隆」から

毛利さん、おめでとうございます。
幕田さん、ありがとうございます。
私たちの母校、戸畑高校は家族的なんでしょうか?今回のパーティでも九州から上京してきた同窓生が何人もいたのですよ。毛利さんのお店に行っても戸畑高校の同窓生によく会います。それは毛利さんが歓迎してくれるからですが、お酒を楽しむだけでなく柔らかい人間関係や癒しも満たされるのでしょうね。
それにしても毛利さんのお人柄が随所に見られたパーティでした。
「毛利会」の名札を付けて、立ち働いていらっしゃった方たちの多かったこと。(その方たちは毛利さんの薫陶を受けた方だと思います)
そして関わっていらっしゃる方たちが、うれしそうなこと。
左のバーテンダーの方がカクテルを作って下ったのですが、楽しそうでしょう?

撮ってくださる方がいて、こんな記念写真もパチリ。毛利さんと王監督、それに私の息子たちです。


5月の備忘録

2017年06月03日 | 私の右脳ライフ

今年の5月には、いつもの年にもましてきれいな花たちに出会った気がします。アップ済のものもありますが備忘録として。
まずは番外編として。友人が乗ってきたこの車は子どもにも人気がありますが、実は大人の男性が近寄ってきて見物している人の間で「これは50ccじゃなくて55ccだよ」とか「3輪車!後ろが1輪なんだ」という人へ「構造的に2輪にはできない。なぜならば~」とレクチャーが始まったりして盛り上がりました。この車の正体に関心ある人はかくしゃくヒント―遊び心いっぱい(正と続)を読んでみてください。

珍しいものの続き。パパイヤが雌雄異株とは知りませんでした!「四季不知(しきしらず)」at伊東市富戸
雌花の方が高いところについています。

これが雄花。パパイヤの香りがします。

クレオメは温泉熱で栽培中のパパイアとマンゴーの害虫対策ですって。

「四季不知」はブーゲンビリアの鉢植えも作っています。

タイで植え付けられ、この「四季不知」で育て上げられたブーゲンビリアが伊東市の「おもてなし」の一画に取り上げられ松川沿いに植え付けられたそうですから、そのうちに伊東市を代表する花になるはずです。
富戸といえば、Jガーデン。着々と進化中の5月のJガーデンです。

塔の屋上に、スカイテラスができました。少年二人!

見下ろすと。

さあ、花たち。温室にはアラマンダが満開。

バーべキューガーデン横のネムノキ

ジャングル風呂のクロトン

テニスコートには鮮やかなブーゲンビリアが。富戸は戸外で冬が越せるのです。5月から咲き始めて、6月に入った今は満開になりました。

まったくJガーデンに行くと、ここはどこ?の世界に入り込めますよ。オープンスタジオ前のドラえもんもびっくりしていました。

一碧湖の丁子草群落。これは天然記念物ですって。

一株の様子です。

紫の花を続けて。ラベンダー

紫蘭

紫の花は、松川湖に近い「奥ノ坊」の庭の花でした。

もうひとつおまけのムラサキ。アリウム・ギガンチウム。

例年のことで月並みですが、心惹かれるバラもありました。アカオローズハーブガーデン。

ウエディングガーデン

楚々としたバラもいい。

バラと惹き立てあって。カンパニュラ。

ジギタリスやニゲラも花盛りでした。

アリストロメリアも周りになじんでノビノビしています。私の庭では「増えすぎ!」って言われていますけど。


5月といえば母の日。今年のカーネーションは記録しておかなければいけません。「色水を吸わせたの」という人がいましたが、それなら一色になりますよね?まだオランダ本国でしか栽培されていないそうですが、その栽培方法はわかりませんでした。

人工的で、違和感を感じそうなものですが、色彩がやさしいので実物は本当にロマンティック。

少女の気分になりました。






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