気の毒なトウガン 沼津市足高
NHKの認知症の報道には疑問を持つことはよくありますが、考えてみれば日本の現状として、認知症の理解に問題があるという方が正確だと思います。
ただ、NHKは影響力が大きいからいつも残念に思うのです。
つい先日11月28日にも「
この世に認知症治療薬はあるのか」というタイトルで、世の通説になっていることが真実ではないことに触れました。
本当に困ったことに、日本のみならず世界的に大きな誤解が席巻しています。
この記事で触れた原因しかり。分類に至ってはとんでもないことがまかり通っています。
2017年2月に書いた記事「
ボケと認知症」を一部コピーします。
「下のグラフは10年以上前に作りましたから、古い表現ですが、これを作った時は「我が国は世界で一国だけ脳血管性痴呆が圧倒的に多く、原因不明のアルツハイマー型痴呆は幸い少ない」といわれていました。その後その割合は劇的に変化していき、今ではアルツハイマー型認知症の方が多くなっています。でも、まだ私たちのように90%を超えると主張している研究者はいません。
横道にそれますが、テレビその他のマスコミで「手術で治る認知症」とセンセーショナルに取り上げられるタイプは、上のグラフの「二次性認知症」です。慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症など、確かに劇的に治りますが、その割合の低いことに注意が必要です。詳しくは私のブログカテゴリーより「これって認知症?特殊なタイプ」をお読みください。
また、認知症者が自らの内面を語るというようなことも言われますが、それは記憶障害はありますが前頭葉機能は正常な「側頭葉性健忘」と言って認知症とは峻別すべきタイプです。最近よく取り上げられています。詳しくは私のブログカテゴリーより「側頭葉性健忘」を。
臨床的な事実ですが、認知症の本体は、もともと老化が定められている脳機能が、何らかの生活上の変化をきっかけにして、その人らしく生活することができなくなったとき(生きがい・趣味・交友・運動、何もない生活になったとき)、使われない脳機能は老化を加速し、その結果認知症としての症状が発現してくるのです。
正常な老化が進んでいくときの脳機能の衰え方と、老化が加速されているときの脳機能の衰え方には、はっきりとした差があります。
こんな単純なことになぜ 目が行かないのかというと、認知症の問題を考えるときに「脳機能」ではなく「症状」をまず見るからです。
早期発見には、症状では手遅れになるのですから目安となる数値が不可欠です。糖尿病における血糖値のように、肝臓や腎臓も重症化する前に指標がありますね。認知症では脳機能を測ることなのです。
困った症状が出ない間は「歳のせいかな?」などと見逃して、(この時脳機能検査をすればはっきり異常域なのですが)いわゆる認知症といわれる状態、セルフケアも満足にできなくなったり、徘徊、粗暴行為、妄想等の問題行動を起こすようになって「ボケちゃった」と騒ぐのです。これは回復させるには手遅れの段階と言わざるを得ません。
老化が早まっていくとき、「小ボケ」→「中ボケ」→「大ボケ」の段階を経ていきます。
「小ボケ(前頭葉機能のみ異常域)」回復容易、
「中ボケ(前頭葉機能に加え、脳の後半領域の認知機能にも障害あり)」回復可能 、
「大ボケ(脳機能全般的な大幅な機能低下)」回復困難
脳が老化を加速し始めて回復困難な大ボケになるまでは 、平均すれば6年以上はかかります。
世の中で認知症といわれる「大ボケ」になった段階では治すことはできないのです。6年間というゴールデンタイムを見逃しているのが現状です。以下は省略。
愛鷹運動公園
はなしは戻ります。
昨夜のNHKの番組に登場した方は、お二人とも「側頭葉性健忘」の方でした。脳の機能からみると、前頭葉機能が残ったまま記憶のみ障害されている状態です。
高齢者に最も多くみられるアルツハイマー型認知症は、とにかくまず最初に前頭葉機能が異常値を示します。前頭葉機能は脳の司令塔なので、イキイキと働かなくなったら、注意集中力や分配力の低下がおき、状況判断や行動の決断、発想や計画性、推理、洞察、創造、ユーモアなど発揮されなくなります。意欲低下も目立ちます。
その人らしさの源でもあるので、家族からはよく「おじいちゃんらしくない」「おばあちゃんはそんなことはしなかった」などと訴えられます。
名残の紅葉
側頭葉性健忘は、記憶障害ははっきりあるのですが前頭葉機能が維持できているところが、アルツハイマー型認知症とまったく違うのです。
昨夜の番組でも、最初に認知症と診断された後に認知症患者の相談を受けているという渡辺さんが「いろんな人に会うけど、明日どの程度残っているか。本当にどんどん消えていく」と自らの記憶障害を説明されました。このように記憶障害は間違いなくあるのですが、一方で前頭葉機能が維持されている証拠も語られました。
「認知症と診断されてもすべてできなくなるわけではない。できることで人生を作り直せたら」
「自分を自分で探そう」
「相談室での話が僕の生きがい」
「囲碁を再開したらだんだん打てるようになって5段」
認知症と診断されてショックを受けて、閉じこもり言葉も出さない状態の時でも「身体、表情で苦しい気持ちを精いっぱい出している」と妻から観察されています。見落とされがちですが、前頭葉が低下した状態ならばボーとしてしまうか、そうでなければ困惑や混乱の方向に向かうのです。
この時は診断のショックで落ち込んでしまったのですね。しばらく続いたようですが、目標が定まったら生活を改善していくことで従来の渡辺さんを取り戻すことができました。
とにかく、前頭葉機能がなければその場に応じた「相談」に乗ることはできませんから!
アシビの固いつぼみ。
相談を受ける側の高橋さんも側頭葉性健忘という珍しい組み合わせでした。
高橋さんは市役所を退職して学童保育の手伝いを2年間されましたが、認知症になってそれもやめたところで渡辺さんとの面談の機会があったということでした。
「子供たちの名前を覚えられないのがつらい」と最初に記憶障害の訴えから始まります。
自分の日記を見て「こんなに書いてあるとは思わなかった」また
「妻のやさしさに触れた。人の痛みが分かった」を読んで妻が「こんなことを書いていた!」と驚くと「俺も」とまったく記憶にない様子。以上思い出せないのは記憶障害。その深い内容は前頭葉機能があればこそ書けたものなのですよ。
ミツマタの堅いつぼみ。
「MCIといわれて悩んだ。全然状況がわからないしすごい勉強になる。いい話が聞けて良かった」
最初は、このように渡辺さんの言葉に感謝できても、落ち込みからは回復できなかったようですが、繰り返しお話を聞くうちに3か月後には料理の手伝いをするようになり、渡辺さんの勧めで、相談員になろうかというところまで意欲的になれました。
前頭葉が機能していると、その人らしく深く考えることができ、状況の判断も十分に可能です。記憶障害とともに生きるという困難さは変わらなくても、納得できたらその人らしく次に進むことは、できるのです。前頭葉の力があるのですから。
名残のアザミ。
なぜこんなことになったかというと
1.認知症の定義の筆頭に記憶力障害があげられている(これは国際的に!)。
2.重度認知症しか出会うことがない認知症の専門医が、側頭葉性健忘の人に出会ったとき、これこそが(見たこともない)認知症の初期段階に違いないと誤解した。
3.オーストラリアの政府高官で側頭葉性健忘になったクリスティーン・ブライデンさんが、認知症と誤診され、にもかかわらず豊かな内面生活(まさに前頭葉の世界)を発信し、世界中を驚かせた。
どうしても、この側頭葉性健忘を認知症と誤って診断する誤解を解きたくて何度もこのブログで書いています。
「
世界アルツハイマー大会」
ブログのカテゴリー「側頭葉性健忘」の欄には50例くらい具体例を挙げていますので、もっと知りたい方はお読みください。
ホトケノザ発見。もう!
番組の最後に、専門家がまとめを話されました。
「老人ホームの居室に慣れ親しんだ家具や植物があると、主体性の感覚があがり、幸福度や活動性があがる」こういうことを問題にする状態では、前頭葉がその場に応じた判断をなしながら、臨機応変に「相談」に応じることはちょっと無理だと思いますよ。
「海馬じゃない大脳基底核や小脳で記憶された身体的記憶は残るもの」これだけ専門的に説明されると、恐れ入ってしまいますが「身に付いたことはできる」ということなのです。ただしそれを発揮する判断は前頭葉がしますから、トンチンカンなことになってしまいがちです。
農家を続けてきた人は、認知症がかなり進む(中ボケ)までは鍬は上手に使えますが、昨日植え付けた苗を今日植え替えたりするのです。
お米はとげますが、水加減がおかしかったり、大量に炊いたりします。
こういうことも言われていました。聞き間違えではないと思います。
「優しくすると身体の方に残る。感情は残る」
そして結論。
「その人らしく生きていくことは、認知症になってもできる」
サヤエンドウの花
本当でしょうか?前頭葉機能がうまく働かなくなっても?前頭葉こそその人らしさの源となるものなのですが。
ごく普通のアルツハイマー型認知症の方を介護された方に聞きたいです。
昼夜がわからなくなり、徘徊の恐れが常にあって、家族すらわからない、セルフケアもおぼつかなくなってもその人らしく生きられているのでしょうか?
そしてもうひとつ。ここにあげた症状は一夜にしてなるものではなく10年近くかかってようやく発現してくるもの…ならばその前に、小ボケ中ボケのレベルで生活改善という手を打って、そのレベルにさせないということこそ私たちの願いであると思います。