脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

正常から認知症への移り変わり「スピードが遅すぎて怖いんです」(再掲)

2025年01月29日 | 正常から認知症への移り変わり

前記事で和田秀樹著「和田式老けないテレビの見方、ボケない新聞の読み方」を読んで「高齢者から運転を取り上げるな」という主張にはどうしても発言したくなりました。運転をテーマにした初発記事です。2008年6月ですから17年も前から主張していました。


脳の老化が加速されたとき、つまりボケ始めたら車の運転に関してはどんなことがおきるのか話してみましょう。
  「ちっとも顔を見せないんだから・・・」(人の見当識)4/29
  「♪今日もコロッケ、明日もコロッケ・・・」(料理)5/17
  「部屋で鶏でも飼わなくっちゃ」(食作法)5/22
に続く第4弾です。
今朝撮った我が家の日本アジサイたち
(花の直径は6~8センチ足らず)
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小ボケ(ほとんど男性)の付き添いの家族の方(ほとんどその妻)がよく言われることばです。
「お父さんの車に乗ってると、スピードが遅すぎて怖いんです」

他の車が50キロを超えたくらいのスピードで走っている道で、よく言えば悠然と、正確に表現すればまったく自分のことだけしか考えずに(これも正確に表現すれば、考えられずに)、30キロくらいのスピードでトロトロと運転する人がいます。もちろん以前は普通に運転ができていたのですよ。

もともと加齢とともに難しくなってくる注意集中・分配能力は、前頭葉の老化が加速されると、早い段階から影響を受けることになります。ちなみにそのために「かなひろいテスト」ができなくなるのです。

小ボケ状態になっても、運転はできるのです。それどころか中ボケの人が運転していることだってあります。
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農業を長くやってきた高齢者は、体に染み付いて体が覚えているような行動、鍬を振るう。畝を立てる。苗の植え付け。草取り。支柱の用意。収穫の手際etc
農作業そのものは上手にこなすことができます。

小ボケの主婦が、単調ではあっても家事をそれなりにこなすというのと同じです。
小ボケは家庭生活には支障を起こさないという所以です。

ついでにお話しすると、中ボケになると、その作業中に判断が必要な状態が起きたら、トラブルが起きてきます。
やたらと苗を植え替える。雑草と一緒に苗も抜いてしまう。食べごろのものを収穫できないetc

運転は、本来的には注意集中力も注意分配力も大きく要求される作業なのですが、いったん体が覚えてしまったら、実際には前頭葉を関与させずに体が覚えたレベルでの運転もできるのです。
ただし、本人は周りの状況に注意を分配させることができないので、その道路の車の流れに乗ることはとても難しくなります。自車にしか注意は向けられていませんし、手際は悪くモタモタしますから、その結果「スピードが遅すぎる」状態になるのです。

私の今までの経験では、北海道別海町の保健師さんから
「小ボケの人の運転はほんとに怖い。冬の雪道を100キロくらいで運転した人がいます!」と聞いたのが、「スピードを出しすぎて怖い」唯一のケースです。
この場合は、もちろん注意集中・分配力にも問題はおきているはずですが、それ以前の状況判断力に問題があると考えるべきでしょう。
アクセルを踏み込まないという抑制が効いていないことも考えられます。
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具体的な例を挙げておきます。 

①軽い接触事故が多くなる。
自宅の車庫入れの時にちょっとぶつける。
ことは誰にでもあることかもしれませんが、それを繰り返す。
塀や壁にちょっとぶつける。
ことは誰にでもあることかもしれませんが、ぶつかった後にバックせず、そのまま前進を続けるためにコツンと当たっただけの傷が線状になって痛手が大きくなる。
バックのときに、確認しないままにバックしてちょっとぶつけてしまうことを繰り返すこともあります。

②駐車場でのトラブル。
広い駐車場でなかなか自分の車が見つけられない。
ことは誰にでもあることかもしれませんが、一度その体験をしたら覚える工夫を普通はします。小ボケになると毎回困惑してしまうのです。
会社に出勤してまず1階に駐車し、その後ちょっと出かけて今度は2階に停めたような場合、退社時「車が無くなった」と大騒ぎ、時には警察にまで連絡したりします。

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③運転マナー。
フラッシャーが遅い。どころか出さないままに右左折をしたり車線変更をしたりします。
中央線寄りを走っているので右折の準備かと思っていると、まったく関係なかったり、逆に左折したりします。
半ドアに気づかずにそのまま走ることもあります。
駐車の時、幅寄せや縦列駐車が極端に下手になります。

④出会い頭の事故が多くなる。
四つ角でも、トロトロ出るので大事故にはなりません。
「確かにこちらを見てたのに出てきた!」と相手側が憤慨することもよくあります。

⑤道を間違える。
慣れた道を運転しているときに、どうしてこの道を選ぶのかわからないような行きかたをしたり、「アレッよくわからない」と呟きがもれたりします。
普通運転しているときは、現在の運転そのものにも注意を集中しますが、一方で、どこに何のためにどのようにして(道の選択)行くのかも同時進行的に考えています。そこがあいまいになるということです。
どこかに行くときや帰るときに、予想外の時間がかかってしまうことがよくおきるようになるのです。
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⑥事故を起こしたときの対応ができない。
万一、事故がおきたとき、特に人身事故の場合はその後の対応がとても大切になります。
怪我があるようならば、まず救急車。警察や保険屋さんや家などに連絡しなくてはいけません。
そのあたりが、まったくお手上げ状態になるのです。
いわば腰を抜かしたような状態とでもいえばいいのでしょうか。その場の状況に適切に対応する前頭葉がうまく機能していないのですから当然といえば当然ですが。

その行動を起こしているときに前頭葉はどのように関与しているのかを考えるようにしましょうね。
行動のパターンは前頭葉が働いた結果なのですから、以前と比べてどう変化したかも大切な指標です。


時の見当識は生活の基盤

2024年12月13日 | 正常から認知症への移り変わり
昨夜、友人と電話でおしゃべりしました。
「お姉さんが入院して、たまたま入った4人部屋で『毎日楽しいの』って言うのよ」
その内容は同室の人に看護師さんが質問をする「今日の日付けは?」その答え「3月かな」違うといわれたら「6月かな」「今、冬でしょう!」といわれ「ああ。そういえば確かにそうだよね」
そのやり取りがとても珍妙で聞き方によったらユーモアまで感じるということらしいのですが、ユーモアにあふれているわけではなくて、脳機能レベルが中ボケ…前頭葉機能は不合格。脳の後半領域いわゆる認知機能は30点満点のMMSEで言えば20点を切っている。
時の見当識は、ナイナイ尽くしの生活が続いて脳の老化が加速されていくときにはわからなくなる順番が決まっています。
日→曜日→年→月→季節→昼夜。
夜中に騒げば「ボケちゃった」といわれますが、昨日まで普通に生活していた人が突然夜中に騒ぐわけではなく、上のような経過をたどって皆さんが想像するような脳機能からいえば「手遅れの認知症」になっていくのです。

話せば普通ですし、家庭生活は自分でやるのですが、やることなすこと誰かの気配りが必要なレベル。
ただし、いわゆる認知症と断定できるような症状は一つもないという、実にわかりにくいレベルです。
もちろん服薬管理はできません。
「検査だから~しないでください」が守られるはずもありません。
「いなくなった」と大騒ぎされ、思いがけないところで発見される。
食事中「え!それを混ぜるの!」というようなドキッとする食べ方。
もう少し進めば、点滴を抜いたりもします。などなど
気を配らないといけないことが多発していることは病棟では気づかれているはずです。
この患者さんに対して、皆さんは「認知症」とは思わないでしょうが「今、何月かがわからない」という脳機能の状態になっている…このレベルを私たちは中ボケと呼んでいます。中ボケなら進行させないことは可能なのですよ!

以下は2010年7月に投稿した記事の再掲です。
「猊鼻渓舟下り(時の見当識)」写真が恥ずかしい出来ですが…文章ともに多少修正しました。


仕事で気仙沼へ行きましたので途中下車。
岩手県一関市には厳美(がんび)渓猊鼻(げいび)渓という二つの渓谷があります。厳美渓には何度か行って、散策や名物郭公団子を楽しんだことがありますから、一度は猊鼻渓も尋ねてみたかったのです。
東北新幹線一関駅に14:13到着。大船渡線スーパードラゴンに乗り換えて、猊鼻渓駅に15:20到着。船着き場まで5分くらいでしょう。
木製の船、長い竿。たった一人の船頭さんが竿一本で船を操ります。
舟は両岸の滴るような緑の中、とろりとしたような川面を進んでいきます。
高い岩には、凌雲岩とか壮士岩・少婦岩、錦壁岩などの難しい漢字の名前が付いていて、それはそれで雰囲気をよく表していました。

渓谷の終わりのところでは舟を下りて、少し歩きます。
巨大な岩が屹立しなかなかに見ごたえがありました。そして猊鼻渓の名前のいわれにもなった「獅子の鼻」のような岩も確かに見てとれました。 (写真の中央上部)

 
 
 「癒しとエコな舟下り」がキャッチフレーズの猊鼻渓舟下りは、ほんとに一本の竿だけで船を操っていきます。その竿さばきを見ながら考えたことをお話ししましょう。

竿を水に突き刺せば、固い川底がその竿を受け止めて、一瞬止まる(かどうか知りませんが)少なくともそこからがまたスタートになる。そこからなら進むだけでなく方向も変えられる。
舟は流れるように進んでいきますが、竿さした時点がいつもいつもスタート。
「時」もとどまることはありません。
でも、その「時」に対して私たちは今日とか明日とか区切りをつけて生きていきますね。
その区切りは、時間を区切るというだけの意味ではなくて、この「今の時」に何をするか、どう生きるかということの基本設定をしているように思います。
脳の老化が加速して、中ボケになったら、信じられないくらい繰り返し「今日は何日なのか?」を尋ねるようになります。
家族は、あまりにも度重なるのでそのうちに「まったく、もう。覚えようとしないんだから!」とか「自分でカレンダー見ればいいのに!」などと叱責したりします。

竿を何度突刺しても、突き刺しても、止まってくれない。
場所を替えてもだめ、受けてくれる底がない。
このような状態になったら、船頭さんはどんなに困るでしょう。
日付を何度も確認するレベルの時は、まさにこのような状態と考えてあげると、中ボケの困惑が少し理解できるかもわかりません。
家族は「しゃべらせたら普通なんですが、やることは幼稚園児みたいなんです」と訴えます。判断して的確にしゃべっているというよりも、長年の言語体験の蓄積で適当に話していてもまあまあそれなりに会話になっているように思われているだけです。問いに対して的を得た答えを返すのはなかなか難しくなっています。

私たちも、今日の日付があいまいなことがあります。でも、落ち着いてちょっと前の出来事のあった日はいつか考えてみる。またはちょっと先の予定の日はいつか考えてみる。そのようなことをすれば今日がいつなのかすぐに行きつくことができます。
竿をさせば、ちゃんと竿の先は川底をとらえ、次に進むことができるのです。
私たちでも起こす度忘れの「時の見当識障害」と中ボケになった人たちが陥っている「時の見当識障害」は全く別物だということをわかってあげてほしいと思います。


by 高槻絹子 

東日本大震災から13年

2024年03月10日 | 正常から認知症への移り変わり
東日本大震災からもう13年…この日には2011年3月20日に書いたブログを再掲することにしています。
13年前の2011年3月10日。
3月11日の藤沢町(現一関市)講演のため、気仙沼前泊でした。
早朝に出発して、奥州市江刺区の自主的な認知症予防教室「年とらんと会」にお邪魔してから、気仙沼に向かいました。詳細はブログに書きました。(後半)
岩手県奥州市の認知症予防教室「年とらんと会」
13年前の3月10日から11日の二日間は何という時間だったでしょうか!10日は奥州市で旧交を温め楽しい時間が過ぎました。夜は気仙沼港を見下ろす気仙沼プラザホテルで友人たちとおいしいお食事と楽しい会話で時を過ごしました。翌朝藤沢町(現一関市)の講演場所へ行く車中でも、とりとめもない会話を楽しみながら「ホテルからはカーブが続く上り坂。坂の上の台地に藤沢町はあるの2024年3月10日だろう」と思ったことを、今思い出しました。
11日14時46分以降は想像もできないことが起きていることに気づくのにも何時間もかかりました。たまたま私がいたところはそれほど大きな揺れが起きなかったのです。
交通手段がなかったので、一関市の小野寺保健師さんのお宅に避難させていただき、奥州市の千葉謙さんのご尽力で自宅に帰ることができたのは1週間後。
あれほどお世話になった千葉謙さんは昨年末鬼籍に入られました…こうしてお名前を書くだけでも、あの笑顔と渋い声と何よりもいつもユーモアを忘れていなかった謙さんが胸いっぱいに広がります。
2024年3月10日。穏やかな春日でした。


以下は再掲記事です。

東日本大震災ー高齢者を認知症から守る(1)
私は、3月10日から、岩手県に行っていました。
11日の地震発生時には、岩手県藤沢町(一関市と宮城県気仙沼市の中間)で講演をしていました。
震度7と後から聞きましたが、地盤のせいか建物のせいかしゃがみこむこともなく、実際、壁にかかっている表彰額も一枚も落ちることはありませんでした。
こんな大災害とも思わず、ただ交通遮断になりましたから、そのまま一関市の小野寺保健師さんのお宅で生活をさせていただきました。ラジオの情報は聞いていたのですが、16日夜になって初めてテレビを見て、その惨状に声もなく涙が流れるばかりでした。(その後、奥州市の知人の暖かいお心づかいで、18日に花巻空港から帰宅することができました)
この避難生活に関しても報告したいことや感謝したいことは山のようにありますが、今日は、エイジングライフ研究所の原点に立ち返って認知症の発症やその予防について話したいと思います。
認知症の発症という観点からみると、今避難所にいる高齢者の方だけでなく、ご自宅にいらっしゃる方でも、大変危ない状況だと考えざるをえません。
エイジングライフ研究所は、脳機能という物差しを持って認知症を見ていきます。
通常は、症状(どんなことを言うか。どんなことをするか)から認知症を考えるのです。セルフケアに支障を起こす、徘徊、夜中に騒ぐ、粗暴行為、異食など余程困ったことをしでかさないと認知症と思われていません。
普通の高齢者が、昨日までまったく正常で、ある日突然このような状態になるでしょうか?認知症は徐々に進行するものなのです。
Sikumi
まずは脳の機能を説明しましょう。 
右脳、左脳については皆さんもよくわかっていらっしゃるでしょう。
簡単に言うと左脳は「言えばわかる」脳です。
右脳は「言葉ではうまく言えないけど、でもわかっている」時活動しています。
昔の人は「よく遊び、よく学べ」と言いましたが、遊ぶ時に効率よく働くのが右脳。学ぶ時に効率がいいのが左脳といってもいいでしょう。
わかりにくいのが前頭葉のはたらきです。
脳全体の司令塔の役割を担っています。前頭葉がその状況判断で右脳、左脳を上手にその人らしく使いながら生きていくのです。
「よく遊び、よく学べ」が右脳、左脳の説明なら、「十人十色」が前頭葉の説明に相当します。
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生きていくということは、自分らしく三頭建馬車を動かし続けるということです。
その時、それぞれの馬の元気さも大切ですが、その馬を上手に使いこなすことができる御者(前頭葉)の働きがなくては、馬車は上手に走ることができません。
前頭葉機能は広範囲にわたりますが、その中の注意集中分配力は、18歳でピークを迎え20歳代はそれを維持し、その後は加齢とともに直線的に低下していきます。年齢とともに能力低下を起こしても、それは必然であって認知症ではありません。
老化が加速していくときに、認知症への道に入ったということなのです。
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老化が加速されていくときには、まず前頭葉の老化が加速され、その後脳の後半領域の機能低下も順々に起きてきます。
そのレベルによって、認知症は三段階にわけることができます。回復が極めて困難な大ボケに至るまでには、最初のきっかけから6年以上もかかります。

小ボケ:「指示待ち人」
家庭生活は問題ないが社会生活がこなせない。世話役ができない。趣味をやめてしまう。無表情。
    
中ボケ:「言い訳のうまい幼稚園児}
家庭生活に支障が出てくる。話していることを聞けば変わりないが、やることは幼稚園児のようになる。
     
大ボケ:「脳の寝たきり」
セルフケアにも問題が出てくる。通常はここからをボケと思っている。
「」内は家族による、生活状態の一言表現。      
以下、きっかけの説明はその2へ

東日本大震災ー高齢者を認知症から守る(2)

上のグラフの星マーク「人生の大きな出来ごと。生活の大きな変化」の説明です。
重要なことは、そのことが起きたらだれでも老化が加速するのではないということです。そのことが起きて、その変化に適応できず、閉じこもったり何もしなくなったりしたら、いいかえるとそのことをきっかけにして三頭建の馬車が止まってしまったら老化が加速していくということなのです。その状況変化が御者の意欲をなくし、指令を出すことをやめてしまうときが認知症への第一歩なのです。

仕事一筋の人の定年退職。
息子に代を譲ったおじいさん。
嫁が来て、しゃもじを渡したおばあさん。
孫が手離れた祖父母。などなど
繰り返しますが、「そのことが起きたら」ではありません。
「その後の生活が新しく描けなくて何もしない状態になったら」前頭葉は出番を失って老化を加速していくのです。
 
「高齢者が、病気やケガで安静にしていたら、ボケてしまう」ということは世間の常識です。
「20代の若者が長期安静にしたらボケるでしょうか?」講演でこの質問をすると、皆さんは笑って
「そんなことはない」と言われます。
このことは皆さんが脳の老化曲線を承知しているということではないでしょうか。
入院した高齢者が全部ボケるわけではありません。
ボケる人は、安静にして 何もしない!
ボケない人は、リハビリに励んだり、回復するにつれて人の世話をしたり、手芸などの趣味を楽しんだりしています。

このきっかけの説明をよく理解していただきたいと思います。
「寂しさ」の下の左下の図から反時計回りです。
左下。
脳は「使ってナンボ」という正直者です。
三世代同居をしていても、孫は勉強、塾と忙しく、子どもは仕事に追われている。その結果、起きる時間も別なら食事も別。当然会話もない。一人でテレビで時間を過ごすしかない。
このような生活は、脳から見れば「ひとり暮らし」以外の何物でもありません。
楽しみや刺激の少ない生活は、前頭葉の力を発揮する場がありませんから老化を早めます。
右下。
家庭内に種々のトラブルが発生し、「何もしてやれない」とか「この先どうなることか」とか「世間さまに顔向けできない」などという状況になった時、
「お手上げ」と前頭葉が判断してしまうと、頭の中はそのことで覆われて、将来の展望も楽しみも何もキャッチすることができなくなります。
子どもの離婚騒動、サラ金、リストラ。孫の病気、非行、不登校などの心配事が相当しますが、今回の大惨事こそこの状態の最たるものといえるのではないでしょうか。
最後に右上。
「別れ」を意味しています。
これは親しい人との死別を筆頭に、友人や孫との生き別れもあります。ペットとの別れもありますし、趣味のサークルに参加できなくなるというような別れもあります。
身体の不調も「別れ」と位置付けてもいいかもしれません。
環境の急激な変化そのものも、前の環境を失ったと考えればやはり「別れ」でしょう。

「あの人がいれば、あれもできるし、これもしたい。でもあの人がいないから・・・」
「元気なら、もっと見えれば、もっと聞こえたら、何でもできるけど、思ったようにできないから、あれもできない。これもできない」
「この環境でなければ、できることがあるのに」
そう思ってしまうことは私たちには十分に理解できます。
でも、この先には
「あれもしたくない。これもしたくない」という意欲低下が待っています。

意欲は前頭葉の働きですが、前頭葉がその力を発揮する必要条件とでもいえるもので、意欲なくしては、司令塔としての前頭葉機能(状況の判断、決断、指令)は発揮できません。そうすると三頭建の馬車も止まってしまうのです。

その別れを乗り超えられずに、閉じ込もり、目標も楽しみも何も見つからない生活が続く時、馬車は留まったまま、御者も馬も動くことなく時間だけが流れていく・・・脳は老化をどんどん加速していきます。
最も危ない状況です。
今、テレビの画面で拝見する高齢者の皆さんの胸中を思う時、まさにこの喪失感のただなかにいらっしゃるだろうと思うのです。
最初は、状況の理解そのものもあまりにも受け入れ難く、現実のものとしてとらえられなかった可能性すらあります。
でも、落ち着いてくれば来るほど、そして高齢であればなおさら、事の重大さや失ったものの大きさに打ちひしがれてしまうでしょう。将来に対する展望が描けないことを責める気持ちはありません。多分私だって・・・
でも。とあえて言わせていただきます。
こんなに過酷な運命に翻弄されたのに、その先にまたボケという悲しい状況を迎えさせるわけにはいきません。
どうにか、それぞれの皆さんの馬車が再び動き始めることができるように、心を配っていかなければいけないと思うのです。
どのようにして、馬車を動かすことができるのか?その3としてまとめます。

東日本大震災ー高齢者を認知症から守る(3)

私たちの三頭建の馬車の仕組みは 仕事勉強の左脳、身体を動かす運動脳、そして趣味や遊びの右脳の三種類の仕事に特化された馬たちと、それを上手に操る御者役の前頭葉から成り立っています。
いつの時でも、三頭の馬が働いて馬車が動いている時には前頭葉は全体を見守っています。
それ以前に、動き始める時もまず前頭葉が状況を判断して一鞭をふるうところから始まるのです。
このことはとても大切なことですから、よく覚えておいてください。

「馬車が動き始める時と動いている時には、御者は必ず働いている」
「何かをやろうと思う時と、やり始める時と、やっている時には前頭葉は必ず動いている」と言い換えられます。
脳の老化が加速されるのは、前頭葉が出番をなくして、何もしなくなるところから始まります。まず置かれている状況を判断しなくなる。意欲がなくなる。周りに関心が持てなくなる。
前頭葉がその状態になると、馬車を動かす三頭の馬たちはいくら元気であってもその力を発揮できない状態(小ボケ)が続き、次第に三頭の馬自体も力を落としていきます(中ボケ)。
最終段階が御者も馬も倒れてしまった状態(大ボケ)と考えるとわかりやすいかと思います。
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エイジングライフ研究所は、脳の老化が早まった場合には「脳のリハビリ」ということで、脳の元気を取り戻す指導をします。その柱は二つあります。
 ①一日一時間の散歩を。
 ②右脳を使って楽しむ時間を。
散歩
「ボケ予防のために歩いています」という方は多いですが、理由として
「歩いたら、歩く刺激が脳に行くでしょ?」と思っていることがほとんどのようです。もちろん外に出て歩けば、自然に触れ、景色や花を楽しみ、風や日差しを感じたりして五感を通じてその刺激が脳に入ることは間違いありません。
でもこれは本末転倒の考えです。
「歩く」時には、脳の運動領域が身体に対して命令を出し続けなくては歩けないのです。脳卒中で脳の運動領域に損傷を受けた人は歩けません。
一時間歩いていると脳の運動領域は一時間働いています。もちろん前頭葉もです!自覚がなくても歩くことは、間違いなく広範囲の運動領域が働くことですから、皆さんが考えるよりも脳を使うという効果がありますが。

「歩く」時には、運動領域の多くの部分が活性化されます。でも足腰に痛みのある方は、椅子に座って上半身だけの運動でもいいのです。
効果的なのは「体を動かすことで、脳を動かすことになる。そうすればボケない」という自覚です。自覚を持てば持つほど御者はその行程を大切に思って、意識的に状況の変化をキャッチしようとするとは思いませんか?
誰かに言われた結果であっても、体を動かしている時には脳が働いているのです。でも、自分で、というのは御者である前頭葉が目的をはっきり持って、「こんな時だからこそ、体のためだけではなくて、脳を動かしてボケないようにしよう」と考えると、自分の体調や周りの様子にも気を配りながら運動を始め、そして続けることになりますね。その時前頭葉が目覚めています。
そこまで考えられないのが現状でしょう。だれかが音頭をとって、避難所の高齢の方たちの運動を促す時間が実現できたらいいのです。そうしておくと、習慣化することにもつながりますし、自宅に帰られても、あるいは仮設住宅に移られても、ボケ予防としての運動の大切さを訴えやすくなります。
右脳
 
その1で説明したように、右脳でよく遊び、左脳でよく学ぶのです。
仕事や勉強は「やらねばならない」もので、趣味や遊びは「楽しくてもっとやりたい」ものですね。
形、色、音楽など右脳を使う場面からは、もっとやりたいというレベルの意欲がわいてきます。
元気をなくしている脳にとっては、右脳刺激の方が適切な理由です。
避難所のテレビ報道で、中学生の合唱に涙する方々を見ました。こういう時だからこそ、より強く胸に訴えてくるのでしょう・・・
そういうことはできても、左表にあげたような一般的な右脳刺激は皆さんのお気持ちを思うととても無理だとわかっています。
 
でも、どんな厳しい状況の時だって右脳は使えます。それは感情を行き来させるという状況を作ることです。
人とのコミュニケーションを図る時、私たちはまず「言葉を使って」と思います。
でも言葉だけでは人とのコミュニケーションは成立しません。
自販機の「ありがとうございました」はコミュニケーションでしょうか?
言葉の内容以上に、相手の表情、身振り、声の調子、高低、強弱・・・
そのような情報をもとに私たちはより深く相手の心情を知ることができますし、自分の気持ちも伝えることができます。
言葉以外のすべての情報は、右脳と前頭葉の連係プレイの下でやり取りされます。この時間は、脳の機能としては高次元で、とても脳はイキイキと活動しています。
言葉を発することなく、手を握り合っても、抱き合ってもわかりあえるのが私たちです。テレビ報道で、涙で言葉にならない方を見ながら私たちも涙を流しました。ともすればあふれそうになる涙をこらえながら言葉少なに語る人にも、涙しました。言葉の奥に隠されたその方の心情を私たちは感じることができます。
悲しい時間ですが、私たちの馬車はそんな時しっかりと進んでいるのですよ。
一人でポツンと過ごすことのできない避難所だからこそ、悲しみを訴え、気持ちを労りあい、共に涙を流していいと思います。
そして次の段階が来た時には、皆で声を掛け合い、必ず前を見て自分の馬車を自分らしく動かそうと思っていただきたいと思います。
今後、高齢者が住むことになる仮設住宅や施設も用意されていくことでしょうが、人は体があって生きていればいいというものではありません。その人らしく生き抜いていっていただくためには、その人の覚悟が要ります。

本当に前を向くことが難しい状況だと承知の上で、ボケないためになお前を見て生きていっていただきたいと切に願います。
亡くなられた方々のご冥福を祈りながら、残された方々に笑顔が浮かぶ日が来ることを信じて、今回のブログは書かせていただきました。

by 高槻絹子

笑う能力

2024年02月02日 | 正常から認知症への移り変わり
英語が得意な友人から質問が二つ届きました。
ひとつは「アメリカではアルツハイマーは「型」ではなくて病気ですね」
これについては、解説をしました。
「アルツハイマー病と型」
もうひとつはFAST(Functional Assessment Staging of Alzheimerʼs Disease)
ー主にADL(生活自立度)の程度から認知症の重症度を評価するスケールーを読んでいて生じた疑問でした。
「FAST (認知症機能評価)の7の段階に、'Loss of ability to smile' 笑う能力の喪失という項目がありますが、これはどういうことなのかしらと思っています。顔の表情はなくても周囲の人への感謝を伝えたりという人間の感情はあるからです。今年の夏に、信号機の下にしゃがみこんでいる高齢の男性がいましたが、病院に行く途中で動けなくなってしまったそうです。立ち上がりたいというので手を貸しましたら無表情でしたが「ありがとう」と言いました。
まだ歩けるくらいですから7の段階とは違いますが「ほほ笑む能力」とはどういうことなのかな、と思います。専門的には感情もないことを意味する
のでしょうか...」

質問に答える前に一つ問題提起しておきたいと思います。
「ありがとう」という感謝の感情を伝えるときに一番大切なものは、ことばではなくて心情そのものではないでしょうか。心が込められたら言葉に奥行きが生まれてくると思います。ありがとうございます。ほんとに助かった。途方に暮れていたときの心細さといったら。声を聞いたときの安堵の気持ち。それらを全部まとめて「ありがとう」の言葉に加味することが本当の意味で感謝を伝えるということだと思います。
さまざまな思い(右脳)を言葉(左脳)に加えるときに、私たちは声の高低、大小、速度、調子などを利用します。それから表情もしぐさも言葉に奥行きを与える大切なツールです。
人が人として社会生活をする時には、このようなコミュニケーションが不可欠ではないでしょうか?自販機の「ありがとうございます」からは感情はくみ取れないと思います。「無表情でしたがというところに、脳の力のなさを感じました。
ニューヨークランプミュージアム。2/1写す

もうひとつ「笑い」とは何なのかを考えてみないといけないでしょう。
昔、老年精神医学会でびっくりするような研究発表がありました。笑いに関する研究でしたが、まず笑いの定義として口角の筋肉が上方や後方に何度(忘れました)転位するというところから始まり、人形、かわいい子供の写真、おもちゃなどを提示してその反応を見るというものでした。結論は「ほとんどの刺激に反応しない。反応は例外的」というものだったと思います。
被検者すべてがMMSE10点以下。半数は測定不可だったと思います。(記憶がいい加減で申し訳ありません。とにかく二段階方式で言えば見事な大ボケレベル)
最初に感じた正直な感想は、筋肉の動きを計れば「笑い」が理解できるのかという疑問でした。
MMSEが測定不可ということになると、あ、私は失語症でない方でMMSEが0点の方を検査したことがありません。通院や相談の場に出てくることがなく、施設で全面介護を受けて生活していらっしゃるのだと思います。言語的なコミュニケーションはできないという状態で、そこに「笑い」はあるのでしょうか?
そしてMMSEが10点というと、昼夜の区別や今いるところはどうやら理解できる。見知ったものの名前が言え、オウム返しに単語や文章が言える。問われていることが視覚でも聴覚でも少しは理解できる。もちろん名前は言える。だいたいこういう能力で生活している状態です。
このように脳機能からみていくと、MMSEが10点ならば、それでも「笑い(らしきもの)」が生じる可能はありそうです。

新生児微笑というものがあります。生後2か月くらいまでに見られる微笑み。実は微笑みというよりは神経系が発達してきて顔の表情筋が動かせるようになっただけだと学びましたが、周りの人がその微笑みに出会うと、幸せ感にあふれてあやさずにはいられない。たしかに「笑い」のスタートはこういうメカニズムが働くのでしょう。生後3ケ月になれば、あやされたことに対しての「笑い」という反応が誕生してくる。次にその「笑い」に反応する周囲の対応でさらに「笑い」がふえてゆく。

幼児の笑いは、複雑な理解を加える必要はありません。
楽しいから、うれしいから、面白いから、美味しいから…プラス要因があればはじけるように笑います。
小学生になってくると、失敗した時の照れ笑いや恥ずかしさを笑いでカバーすることもあるでしょう。
青年期は「冷笑」も出てくると思います。
そして大人の「笑い」の複雑さ。おかしくない時や悲しい時に笑うのはいつごろからでしょうか?ここに書き連ねることは私の能力を超えています。



このように「笑い」といっても様々なレベルの「笑い」があります。
あたかも「認知症」といっても様々なレベルの「認知症」があって、どのレベルを言っているのか、そこの確認から始めないと話が通じ合わないことと同じようだと、解説を書きながらちょっと驚いています。

二段階方式では、認知症を理解するためにはその人の脳機能を知るところから始まりますから、ADLを通して重症度を知るというやり方はありません。逆に脳機能レベルによって生活遂行能力を理解するという姿勢です。つまり私はFASTは使ったことがありませんので、なにごとも勉強ですから検索してみました。『アルツハイマー病の臨床診断 神﨑 恒』より 
 
1 正常成人 主観的にも客観的にも機能障害なし 
2 正常老化 物の置き忘れ,もの忘れの訴えあり.換語困難あり.
3 境界領域 職業上の複雑な仕事ができない.熟練を要する仕事の場面では機能低下が同僚によって認められる. 新しい場所への旅行は困難
4 軽度 パーティーの計画,買い物,金銭管理など日常生活での複雑な仕事ができない 
5 中等度 TPO に合った適切な洋服を選べない.入浴させるために説得することが必要なこともある
6a やや重度 独力では服を正しい順に着られない
b 入浴に介助を要する,入浴を嫌がる
c トイレの水を流し忘れたり,拭き忘れる 
d 尿失禁
e 便失禁
7a 重度 最大限約 6 個に限定された言語機能の低下 
b 理解しうる語彙は「はい」など,ただ 1 つの単語となる 
c 歩行能力の喪失 
d 坐位保持機能の喪失 
e 笑顔の喪失
f 頭部固定不能,最終的には意識消失(混迷・昏睡)



脳機能から症状を考える、脳機能が発揮された結果としての症状という考え方からすれば、脳機能の記載がないので全く推論の域を出ませんが、いちおう脳機能が低下する順にレベルが決められていると思います。
1 正常老人2 正常老化にはほとんど差がないのではないかと思います。ただ高齢になって「物の置き忘れ,もの忘れ.換語困難」を自覚していない人はいないはずです。1 正常成人  主観的にも客観的にも機能障害なし」というのは実態を表しているものとは思えません。高齢者は「若いころとは違うなあ」と機能障害を自覚しています。ただしこれは正常老化というもので何ら問題にすべきものではないのです。それが異常レベルかどうかは、前頭葉機能検査が必須です。

3 境界領域4 軽度ここにも実はほとんど差がないのです。職業上の複雑な仕事をこなすには前頭葉の注意分配力が、熟練を要する仕事には前頭葉の注意集中力が不可欠でしょう。家庭生活でも、客人を招くとなれば①メンバー選定②献立を決める。その時は客人の年齢。嗜好。季節的、経済的な条件。その集まりの目的など配慮すべきことが目白押しで、これはもう前頭葉なしではお手上げです。さらに③料理は食材の準備、手順、盛り付け。④客人を迎えるための掃除、しつらえ。家庭生活といっても、とても高レベルの前頭葉機能が必要です。つまり3 境界領域4 軽度は前頭葉が万全に機能していない段階ということになります。
たしかに2 正常老化から3 境界領域4 軽度までは緩やかなカーブで前頭葉機能低下が進行しています。二段階方式で言えばここまでが小ボケ(の、しかも前半)

5 中等度になると、4 軽度までの緩やかな症状推移から突然階段を踏み外したように症状が重症化しています。5 中等度の症状は中ボケの後半レベルの脳機能で起きてきます。
なぜこのような記述になったのか?
FASTは介護者がADLを観察して評価する方法ですから、観察ができる施設や病院にいる認知症者は中ボケ後半より重度の人ばかりだったのではないでしょうか。そのために中ボケ前半群の症状が抜け落ちたのだと思います。こう考えると、3 境界領域4 軽度の症状も少ない人数の観察か訴えから推定したのではないかとも思えるのですが。

着衣のことが書いてあるので、重症度に沿って解説してみます。
小ボケではおしゃれだった人がおしゃれでなくなる。それから食べこぼしが目立ったり、下着がのぞいたりだらしない印象が強くなる。
中ボケになると重ね着、前後ろ、裏表などの着方をする。セーターの上からシャツを着るなど着衣の順がおかしいのは中ボケ前半でも見られる。汗をかいても脱がない。そしてようやく葬式に喪服を着ていかない状況が生まれる。
さらに進行して大ボケになると、着脱に非常に時間がかかるようになり、着衣失行も起きるので、介助せざるを得ない状態となる。
脳機能と症状をリンクさせてみていくと、着衣でも、トイレでも、風呂でも、食作法でも、見当識でもこのように脳機能の低下に沿って問題が進行していくものです。

二段階方式の区分とずれるところもありますが、認知症が6 やや重度7 重度の状態で突然生じてくるのではないことをFASTはみとめていますよね。
6 やや重度で日常生活全面介助の状態です。そしていよいよ7 重度

FASTの7 重度を読んでイメージ化してください。
身体的な状態の方が想像しやすいでしょう。
「歩行能力の喪失。坐位保持機能の喪失」これはわかりやすく言えば寝たきりということですね。寝たきりでも、お話しできる人もいますが、「最大限約 6 個に限定された言語機能の低下。 理解しうる語彙は「はい」など、ただ 1 つの単語となる」言語的なコミュニケーションは取れないということです。
その状態で「笑顔の喪失Loss of ability to smile」という条件が付けくわえられている…
たまに苦痛を表明することはあるでしょうが、笑うことすらなく無表情で寝たきりの高齢者をイメージできますか?

話が飛びますが、私が浜松医療センター脳外科に神経心理測定担当として働き始めた時に、上司である脳外科医の金子先生が「脳は壊れてしまったらそこが担っていることができなくなります。そのできないところをはっきりさせてください」といわれ、なんと無慈悲な表現かと愕然としました。でも今は納得です。例えていえば運動野に障害が起きてマヒがある人に対して「動かす気がないから動かない」とは決して言いません。「少しでも動けるようにリハビリしましょう」と障害を前提にした励ましをします。
大脳皮質が全滅しても脳幹の機能(生命維持の中枢)が残っていたら、植物状態で生きるしかありません…植物状態は回復の可能性があるといわれますが、従前のその人のように生活ができるということはありえません。

笑うことをつかさどっている脳の領域がもう機能しなくなっているのなら、笑えません。
ここで新生児微笑にもう一度戻ってみましょう。神経系が未発達で生まれてきた赤ちゃんが2か月ごろに、笑っているわけではないのにちょうど微笑むような表情を見せるというところから周囲の働きかけがあって「笑い」が誕生してくる。その道筋を逆にたどっているのですね。二度童子という表現は言いえて妙な表現といえます。
その次の症状として「頭部固定不能」。これは首が座っていない状態の赤ちゃんと同じようなレベル。そして「混迷・昏睡」
このように認知症となって亡くなる人ももちろんいらっしゃるのですが、脳は正常老化のままで、人生にさようならする生き方を皆さんに教えてあげなくてはいけません。それは三頭立ての馬車を駆使する生き方、自分らしく生き続けることしかありません。

by 高槻絹子

年賀状で小ボケ発見

2024年01月21日 | 正常から認知症への移り変わり

「認知症になったらどうなると思いますか」とか
「どういうことをしたら、認知症になったと言いますか」と聞いてみると、実にさまざまな答えが返ってきます。
まずは「物忘れ」ということば。
「40代ともなると物忘れしない人がいないでしょう?何を忘れたら認知症と断定できますか」と重ねて聞くと
「食事をしたのに食べてないという」とか
「家を忘れて徘徊する」とか
「家族の顔も分からなくなってしまう」という最重度の結論になってしまいます。
次に出てくるのは「一人で生活できない。生活に全面的な介助が必要」という理解でしょう。
こちらは逆に
「突然、目が離せない全面介助になりますか?」
最近の近所の花たち。大寒というのに桜が咲いています。
正月千鶴桜





認知症の始まりを知る必要があります!
このブログで何度も繰り返しているように、認知症の大部分を占めるアルツハイマー型認知症は、誰にでもある前頭葉機能の正常老化が、加速されるところから始まります。そのきっかけや経過はこのブログのカテゴリー「正常から認知症へ」に譲るとして、正常老化が加速され始めたその時に起きる具体例を紹介します。
今年いただいた年賀状です。
まずは84歳の方

宛先に注目してください。我が家の地番は「1030-44」
「一〇三〇-四四」と漢数字を縦書きにするか
数字を横書きにして「1030-44」にしたり「1030」と横書き、その下に「|」を加えて「44」と書くでしょう。(カンマを付け加えることもある)
まとめてみました。赤字がいただいた賀状の表記です。並べるとそのおかしさがはっきりするでしょう。

私たちでも書き間違えは起こします。ついでに言えば、歳を重ねるごとにその頻度は増しますね。
でも「あ、間違えた!」と自覚して、次の策を考えませんか?
年賀状だから破棄する。修正液を使う。修正線で書き直す。小さな紙を貼るetc 


高齢の方が年賀状を書いただけでも素晴らしい。小さな失敗をあげつらう必要はないのに。と思う方は多いでしょう。
もう一つあげつらわせていただくと、郵便番号も間違っています…413-0232ですが113-0222。
この事件は、前頭葉が担う注意集中力および分配力がきちんと機能していない結果なのです。脳から言えば、まさにこの時が前頭葉が老化を加速し始めた時なのです。つまり認知症が始まった時!

歳上の友人から電話がありました。
「とにかく、ボケずに逝きたいの。子供達に迷惑をかけたくない。断捨離も頑張ってるし。そう思いながらちょっと心配もしてる。だっていろいろ忘れる…だんだんひどくなってる」
実はこの友人からいただいた年賀状も気がかりなものでした。

差出人に「様」がついていました。しかも夫婦連名で二人とも…まさに注意集中が逸れてしまった…毎年下さるのですがもちろん今までにないことです。書かれているのはご主人(81歳)なので
「ご主人様はおかわりないですか?お元気ですか?」と尋ねたら
「体は特に問題ないと思うけど、なんだかいつもよく寝てる…することがないとテレビ見てるかと思うと寝てるんです」

前頭葉は司令塔。先の例のように注意の集中をかけたり、分配したりする要の役割を担っています。状況を判断してどのように脳を使うか決める役割も重要な前頭葉の機能です。
指令が出なければ、脳としてすることがない。それは日常生活では居眠りという形で現れます。
ハガキと居眠り。思いがけずはっきりと前頭葉機能低下を確認できてしまいました。どのように説明をすべきか、ちょっと思いを巡らせていました。
友の言葉が続きます。
「家の片付けも済み、庭木の手入れも今までにないほどバサバサ切って当分は手入れも不要。それに寒いからすることがないと言えばないんだけど、とにかく意欲がないのよね」
そこですかさず言いました。
「ボケ始めって何だと思いますか?」
「物忘れでしょう?だって『物忘れはボケの始り』っていうでしょう?」

(ホトケノザ)
「いいえ違います。確かに世間では『物忘れはボケの始まり』って言いますが、間違ってるんです!脳の検査をすればよくわかります。記憶力に何の支障もないのに、前頭葉機能がうまく働かなくなっている人がいるんです。その人たちがボケ始め。
日常生活で一番気がつくことは(思わずここで一息入れました)意欲がなくなるのです。結果、前頭葉は脳に指令を出さないので居眠りが目立つ。同時に好奇心も無くなるので、いよいよすることもなく居眠ることになってしまいます。
居眠りは危険信号ですよ」

熱を込めて言いましたが、怪訝な感じが電話から伝わってきました。
「だって普通に話すし、日常生活は自立してるし、遠くはやめたけど近くへの運転も問題ないし(本当は問題がある)、もちろん徘徊も夜中に騒ぐこともない。この歳なら普通…」
私は言葉を飲み込みましたが
「じゃあ、あなたが年賀状の差出人に『様』をつけてしまい、それを指摘された時『歳だもの普通』と平気でいられますか?」と言いたかった。
些細なことに心を配っていないと、ボケ始めは見逃すことになります。
失敗はいいのです。失敗した時にどう対処できるか、その人らしく対処できるなら、前頭葉機能はちゃんと機能していると言うことです。これが「歳のせい」と笑って済ませていい事件。
どこまで私が感じた切迫感が伝わったか、正直言って心許ない気がしています。

by 高槻絹子










またまた認知症治療薬「レカネマブ」登場!(再掲)

2023年01月07日 | 正常から認知症への移り変わり
今朝1月7日から「認知症治療薬レカネマブがアメリカFDAで承認された」というニュースが大きく取り上げられています。以下の記事は去年9月末に掲載しましたが、再掲します。問題となる根本のところは全く同じです。

9月29日のニュースで「まあ、認知症の薬ができたんですって」とうれしくなった人は多いと思います。
私たちエイジングライフ研究所の考えを、お話しておきましょう。
結論は、本当に残念ですが「近いうちに行き詰る」といわざるを得ません。
2021年に鳴り物入りで登場した「アデュカヌマブ」。この顛末を覚えている人はどのくらいいるでしょうか。
顛末は、この記事に書いてあります。そして認知症治療薬の話題が出るたびの私見の記事へのリンクも張っていますから、関心がある方はお読みください。
エーザイの株価12,765円(2021.5)→5,266円(2022.5)(2022.5)

この記事をあげるにあたり、正確を期するために少し調べました。アデュカヌマブの件については国立長寿医療研究センター研究紹介コラム「認知症の新しい治療薬アデュカヌマブについて」が一番丁寧で、一般の人にもわかりやすく解説されていると思いました。
「アルツハイマー型認知症の原因がアミロイドβが溜まってできるアミロイド斑(老人斑)なら、アミロイドβにくっついて機能できなくさせる抗体を体内に入れることで、老人斑を減らすことができたら認知機能低下を抑える効果があるはず」という前提のもとに15年間追跡調査した結果、「アデュカヌマブを投与し続けた人を死後解剖した結果「抗体ははっきり上昇し、老人班は少なかった。しかし認知機能の改善はない」という結論に達したのです。

単純な私などは、アミロイドβと認知症の発症には関係がないと思ってしまいますし、アミロイド仮説は破綻したという意見も確かにありますが、研究者の立場によって、考えは違います。
発症後に薬で老人斑を減らしても認知機能低下を止められないなら、たまる前に薬を作用させれば効果があるかもしれない…
皆さんも読まれたかもしれませんが、これが「アルツハイマー型認知症にかかわりの深いアミロイドβは、発病の20~30年も前から蓄積が始まっている。予防はその早いタイミングから投与をすること」という意見につながりました。
どうやって見つける?(症状は全く出ていないわけですから、その方策として血液中のアミロイドβに測定するというアプローチもあります)
いずれにしても高価な薬を何十年も予防薬を飲み続けるのか?肝機能など体全体に対する影響はないのだろうか?
素朴な疑問を抱いてしまいます。

以下の青字部分は追記です。
日本でも承認された場合の薬価のことを考えてみましょう。

アメリカの350万円より少し低めに設定されるようですが、それでも、百万円単位にはなります。ところが、高い薬ということを正しく伝えるという姿勢よりも
「日本では公的保険診療になり、さらに高額療養費制度があるため、患者の自己負担は、70歳以上の一般所得層の場合年14万4000円が上限」
というふうに報道されてしまうのです。「つまり月1万2千円。それで認知症が防げるとしたら高くはない」というアピールのようですね。医療費は自己負担金額だけではないことを国民に訴えないのはなぜでしょうか?
認知症予防役に関してだけの疑問ではありませんが念のために書き添えます。

さて、今回のレカネマブはどこがどう違うのでしょうか?
私は薬学が専門ではありませんから、情報はネットから取り入れたものが中心だということをお断りしておきます。
アミロイドβは一種のたんぱく質。そのアミロイドβが結合した老人斑にとりついて除去する働きを持つ薬(抗体医薬)がアデュカヌマブでありレカネマブです。
レカネマブは、アデュカヌマブよりも結合状態が前の段階のアミロイドβに作用させるところがちょっと違うということらしいです。
前回問題になった治験がうまくいき、「症状悪化を抑える有効性が確認できた(言い換えると、アミロイドβを取り除いて神経細胞が壊れるのを防ぐ効果がある)」という発表だったのです。

2週間に一度の注射を1年半続け(治験段階では服薬するだけではないのですね。このまま注射ということになると病院サイドの負担も増えます)27%の進行抑制効果があったといわれています。
具体的な評価点としてはプラセボ群1.67点の低下であったのに対し、レカネマブ投与群1.22点の低下とありました。
海外ではADASという検査をよく使いますが、これは高齢になると1年で9-11点低下するとも言われていますから、ADASではないでしょう。
いろいろ調べましたが、どんな神経心理機能検査を使っているのかはわかりませんでした。
総得点がわかりませんが、たった0.45点しか低下しないということが、日常生活にはどのように反映されるのか、私には想像できません…
例えば、エイジングライフ研究所が用いるMMSEは30点満点のテストですが、+3点以上なら改善、-3点以下なら悪化と評価します。生活上起きてくるはっきりとした変化を、家族や本人が見つけることができるからです。

今日の発表を冷静に評価していると思われた記事を紹介しておきましょう。
1.機能低下の抑制ができることは良い。
2.回復させる薬ではない。
3.無症状の早期患者をどう判定するか。
4.薬価が高いため起きてくる高額医療費の問題。
それ以前に言いたいことがあります。
アミロイドβと認知症には関係がないとしたら…研究者の努力も開発費用も本当にもったいなく悲しいことですね。
by 高槻絹子





認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。






「今日は何日だったっけ?」

2022年08月30日 | 正常から認知症への移り変わり
「日付をしっかり認識している、今日が何日かがよくわかっている」ということは、多分皆さんが考えている以上に、毎日をきちんと生活していくうえで大切なことです。
生活していくうえで基盤になることですから。
「今はいつ」「ここはどこ」が盤石なとき、「あなたは誰。私は誰」も揺らぐことはありません。
大きいので2センチほどの和三盆(秋)

ところで、認知症のなりはじめを私たちは小ボケといいます。このレベルは、いわゆるボケたといわれるような行動、徘徊や不潔行為や粗暴行為などは何一つありませんからまだまだみなさんは気が付いていません。もし気が付いていても
「あれ?同じことをままた言ってる。言ってることは至極まともなんだけど…今日だけで10回は聞いたなあ…歳のせいかな?」「整理ができてない!以前のお母さんならこんなことにはならないけど…歳のせいかな?」と加齢に原因を求めてしまいます。
脳の機能で言えば、小ボケは前頭葉が年齢の許容範囲を超えて能力低下を起こしているものの、普通に言われる認知機能はまだまだ正常範囲なのです。今話したようなことは「忘れた」ではなくその場の状況判断ができないとか注意を集中したり分配したりすることが苦手になってしまっている、前頭葉機能低下の症状です。

さて、テーマの日付です。
小ボケの時にはどんなことが起きるでしょうか?
「決められた日を間違えて、会場に着いたら一人だった」
「あれ!一日勘違いしてしまってた」
「ふと考えてみると、今日は何日だったっけ」
というようなことが起きるのですが、まだ立て直すことができることが小ボケのレベル。
10kgはあったスイカ

歳を取ったことも無関係とは言いませんが、それ以上にコロナ禍で圧倒的に外出が減った昨今、「ふと考えてみると、今日は何日だったっけ」という状況は、「脳機能が正常な」私でも起きることがあります!その時どうするでしょうか?
傍にいる人に聞いたりカレンダーや新聞に頼ることもあるかもしれませんが、だいたいは携帯を見てすぐに疑問氷解。
もし、手助けがない状況だったら?
どこか基準になる日を思い出して、そこから今日の曜日(日付に比べて曜日は7種類しかないので簡単)を考えて、正解にたどり着く。という手間を取ると思いますがどうですか?
脳機能が正常から小ボケレベルでも、このように日付があいまいになることはあるのです。でもそのレベルなら自力で正確な日付にたどり着くことができます。ちょうど底なし沼のように見えるけれども、そこに竿を差したら、しっかりした手ごたえがあった。基盤がつかめた!というような感じといえば近いでしょうか。

「どこか基準になる日」というのは自分にとって「インパクトがあった/ある日」。まあ中には月一度の通院日というようなこともあるでしょうが、それは多くの場合「楽しみな日」であることが多いでしょう。
楽しいことは、はっきりくっきりと記憶に刻み込まれます。実はこの時も前頭葉が関係してるのです!

記憶が鮮明に刻み込まれるには条件があります。
その状況をきちんと判断しておくというのが大前提です。それから「起きた/起きること」に上の空でなく意識的に注意を振り向けること。自分にとって大切なことや楽しいと思われることの方が注意を集中しやすいでしょう?だから、大切なことや楽しいことのほうが深く印象的に刻み込まれます。
コロナ禍での三密回避の生活の推奨は、認知症予防には大きな悪影響を与えるということは何度も主張しています。
習慣化していた散歩にもいかないということは、運動の脳の出番を失くしてしまいます。
趣味のサークルの自主規制は、楽しみがなくなるという単純なことだけでなく、サークルの主題である活動(作品制作、歌、運動などなど)に関する場所だけでなく、対人的な場面で働く脳機能が動かなくなります。対人場面というのは、「話を聞かなくてはいけない」同時に「言葉以外に付け加えられている感情的な情報をキャッチしなくてはいけない」もちろんそのうえで「自分の話すことを考えておかなくてはいけない」実に脳全体の機能を要求されることでもあります。そのとき、一連のこの活動を滞りなく進めるために、中核を務めるのは前頭葉機能です。
このように大切な前頭葉の出番がなくなる状況は、そのまま廃用性の機能低下につながることになります。前頭葉が元気をなくしてしまうのですね。
手作りチョコアイス

そしてまた日付に戻りますが、楽しみのない変化のない生活をしていると
「今日が何日か揺らいだ時に、基準になるべき日がない」
「今日が何日かどうでもよくなる」
日付がわからなくなったとき、どんな方法であっても自分で正答にたどり着くことができれば、それは小ボケにとどまっている状態を意味します。
中ボケになると、自力で解決しようとしなくなります。そして何度も何度も周りの人に尋ねます。それなのに、どうしても今日の日付がわからなくなっていくのです。
ついでにお話しすると、まず今日の日付がわからなくって、その次には何月かわからなくなって、さらに季節までもがわからなくなります。ここまでが中ボケ。
そのあとに、夜中に騒ぐという大ボケの症状に至るのです。

今日の結論です。
今日の日付がわかるというところから始まる「時の見当識」をゆるがせにしないためには、変化のある楽しい暮らしが不可欠であるということでした。
楽しみのある暮らしは積極的に求めないと、手に入りません。

ピーチネクター

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一関高専・10億円・認知症早期発見

2022年08月11日 | 正常から認知症への移り変わり
「高専DCON」という言葉を知っていますか?
高専生が技術とディープラーニング(深層学習)を組み合わせた作品と事業計画を競う「ディープラーニングコンテト」のことを指します。
今年は3回目、参加校は41校。
勝ち上がった10チームがプレゼンして、ベンチャーキャピタリストが、作品の技術的評価と企業評価額を決めるという興味深い企画です。
今年の優勝校が、一関高専。その企業評価額が10億円!
(保険会社を介在させるというアイデアが高評価だったようですが、この面はまた専門の方の評価にお任せすることにします)
企業評価額から感動してしまいましたが、実は作品のテーマこそが感動されるべきものです。
ニューヨークランプミュージアムのひまわり畑

まだ10代の若者たちが選んだテーマが「認知症の早期発見」よくぞ若者が「認知症」に目を向けたものです。
このブログでたびたび主張しているように認知症を早期発見して重症化を防ぐことは、将来の日本のために必須、喫緊のテーマです。
将来の日本で、この若者たちがイキイキと生きていくためには不可欠のテーマによく目が向いてくれたものと思います。

作品の説明です。朝日新聞記事より
認知症を予防、早期発見する機器だ。認知症の特徴である、すり足歩行や、歩行時のふらつきに着目。足の裏にかかる圧力を測るインソール型センサーを靴に入れ、動きを感知できる加速度センサーをのせたスマホも持ち歩く。二つのセンサーから得られるデータを深層学習で解析。認知症かどうかを割り出すしくみ」

着眼点も素晴らしいし、最新技術でそれを企業化まで持っていったことも素晴らしい。
と感嘆しながら、一抹の違和感に襲われました。
エイジングライフ研究所がいう認知症の真の初期は、前頭葉機能のみが年齢相応にきちんと機能できない状態です。前頭葉機能も体の他の器官と同様に、加齢と共にその能力を落としていきます(正常老化)が、加齢だけでは説明できないような能力低下が見られる時こそ、認知症への扉が開かれたと解釈すべき状態です。
この時、いわゆる認知機能検査(脳の後半領域の検査で世界で最も権威あると言われているWAISをはじめ長谷川式、MMSEなどすべて)は正常範囲内!
つまり認知症の初期段階は、脳機能から見ると前頭葉機能障害というべきものですが、研究レベルや専門家の間では前頭葉機能に対する理解はまだまだ深まっていません。

ところが世の中の人たちは、この段階の高齢者を注意深く観察すれば「ちょっとだけど何か変」とか「今までのお母さんではないみたい」という感想を持つことができます。
いくつか例を挙げてみましょう。
・意欲がなく居眠りが目立つ。
・言われなければ何もしない。
・同時に三つ以上のことが処理できない。
・同じことを繰り返しいう。
・感動がない。
・発想が湧かず計画が立たない。

「えっ!認知症って、徘徊したり夜中に騒いだり、家族もわからなくなるんじゃあないの」
「認知症になったら、日常生活は介護されないと無理でしょう」と思った人もたくさんいるでしょう。
現状では、このような認知症が進んだ重度の段階が「認知症」と言われることがほとんどですから、仕方ありませんね。でもこの段階で判明しても手遅れ…だからこそ早期発見が大切なのです!

「ここに挙げられた症状は歳を取ったら誰にでもあること」と思った人も一面正しいです。なぜならこの生活実態は前頭葉が関与して起きているので、前述したように前頭葉には正常老化という性質がありますから、誰にでも起きてくることではあります。
実は、認知症の最早期、前頭葉が正常老化を超えて機能低下が起きていると決めるには、機能検査が必須です。観察だけでなく働きを調べたうえで、決めるのです。

そのほかにも訴えられます。
・動作がモタモタする。
・姿勢が前屈み。
・歩くときに小股、すり足。
(ただし「足を上げて」「大きく」など声かけをすれば、腿も上がるし歩幅も大きくなるところが気質的な病気と違うところです)
これらの症状は前頭葉機能低下が正常範囲内であれば訴えられることはありませんから、世の中の人が前頭葉の機能低下を、具体的にキャッチしやすい症状と言えますね。

この辺りが私の感じた違和感の正体だったと思います。
歩行から認知症の初期段階を見つけることは可能です。それを簡便な方法でチェックできるとしたら、これは光明。
ここからが問題点。
そもそも「認知症の初期」をどう捉えているのでしょうか?
「歩行から認知症初期の兆候がはっきりしました」と専門医を受診したとしましょう。
いわゆる認知症と言われる症状が一つもない。訴えられる症状は加齢で説明のつくものばかり。いくら早期とは言え、…とドクターの困惑される顔が目に浮かびます。
念のために行った脳の後半領域を測るだけの認知症のテストでも合格してしまう…

認知症の早期ということでMCI(軽度認知障害)
をターゲットにしているのではないかと思うのですが、このMCIも曲者です。
厚労省のサイトです。ご参考までに。


いわゆる認知症と言われるような症状をきたす前の段階。確かにありそうで納得できる気になりますが、記憶の障害を主にしていることをはじめ、その他の症状に関しても客観的な指標は示されていないのです。

せっかくの一関高専が挙げることが期待されているこの成果を、具体的に認知症の早期発見に結び付けるためには、認知症を脳機能から見るという視点が不可欠だと思います。
この快挙をきっかけに、議論が高まることを期待します。




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http://health.blogmura.com/bokeboshi/ranking_out.html