「日付をしっかり認識している、今日が何日かがよくわかっている」ということは、多分皆さんが考えている以上に、毎日をきちんと生活していくうえで大切なことです。
生活していくうえで基盤になることですから。
「今はいつ」「ここはどこ」が盤石なとき、「あなたは誰。私は誰」も揺らぐことはありません。
大きいので2センチほどの和三盆(秋)
生活していくうえで基盤になることですから。
「今はいつ」「ここはどこ」が盤石なとき、「あなたは誰。私は誰」も揺らぐことはありません。
大きいので2センチほどの和三盆(秋)
ところで、認知症のなりはじめを私たちは小ボケといいます。このレベルは、いわゆるボケたといわれるような行動、徘徊や不潔行為や粗暴行為などは何一つありませんからまだまだみなさんは気が付いていません。もし気が付いていても
「あれ?同じことをままた言ってる。言ってることは至極まともなんだけど…今日だけで10回は聞いたなあ…歳のせいかな?」「整理ができてない!以前のお母さんならこんなことにはならないけど…歳のせいかな?」と加齢に原因を求めてしまいます。
脳の機能で言えば、小ボケは前頭葉が年齢の許容範囲を超えて能力低下を起こしているものの、普通に言われる認知機能はまだまだ正常範囲なのです。今話したようなことは「忘れた」ではなくその場の状況判断ができないとか注意を集中したり分配したりすることが苦手になってしまっている、前頭葉機能低下の症状です。
「あれ?同じことをままた言ってる。言ってることは至極まともなんだけど…今日だけで10回は聞いたなあ…歳のせいかな?」「整理ができてない!以前のお母さんならこんなことにはならないけど…歳のせいかな?」と加齢に原因を求めてしまいます。
脳の機能で言えば、小ボケは前頭葉が年齢の許容範囲を超えて能力低下を起こしているものの、普通に言われる認知機能はまだまだ正常範囲なのです。今話したようなことは「忘れた」ではなくその場の状況判断ができないとか注意を集中したり分配したりすることが苦手になってしまっている、前頭葉機能低下の症状です。
さて、テーマの日付です。
小ボケの時にはどんなことが起きるでしょうか?
「決められた日を間違えて、会場に着いたら一人だった」
「あれ!一日勘違いしてしまってた」
「ふと考えてみると、今日は何日だったっけ」
というようなことが起きるのですが、まだ立て直すことができることが小ボケのレベル。
小ボケの時にはどんなことが起きるでしょうか?
「決められた日を間違えて、会場に着いたら一人だった」
「あれ!一日勘違いしてしまってた」
「ふと考えてみると、今日は何日だったっけ」
というようなことが起きるのですが、まだ立て直すことができることが小ボケのレベル。
10kgはあったスイカ
歳を取ったことも無関係とは言いませんが、それ以上にコロナ禍で圧倒的に外出が減った昨今、「ふと考えてみると、今日は何日だったっけ」という状況は、「脳機能が正常な」私でも起きることがあります!その時どうするでしょうか?
傍にいる人に聞いたりカレンダーや新聞に頼ることもあるかもしれませんが、だいたいは携帯を見てすぐに疑問氷解。
もし、手助けがない状況だったら?
どこか基準になる日を思い出して、そこから今日の曜日(日付に比べて曜日は7種類しかないので簡単)を考えて、正解にたどり着く。という手間を取ると思いますがどうですか?
歳を取ったことも無関係とは言いませんが、それ以上にコロナ禍で圧倒的に外出が減った昨今、「ふと考えてみると、今日は何日だったっけ」という状況は、「脳機能が正常な」私でも起きることがあります!その時どうするでしょうか?
傍にいる人に聞いたりカレンダーや新聞に頼ることもあるかもしれませんが、だいたいは携帯を見てすぐに疑問氷解。
もし、手助けがない状況だったら?
どこか基準になる日を思い出して、そこから今日の曜日(日付に比べて曜日は7種類しかないので簡単)を考えて、正解にたどり着く。という手間を取ると思いますがどうですか?
脳機能が正常から小ボケレベルでも、このように日付があいまいになることはあるのです。でもそのレベルなら自力で正確な日付にたどり着くことができます。ちょうど底なし沼のように見えるけれども、そこに竿を差したら、しっかりした手ごたえがあった。基盤がつかめた!というような感じといえば近いでしょうか。
「どこか基準になる日」というのは自分にとって「インパクトがあった/ある日」。まあ中には月一度の通院日というようなこともあるでしょうが、それは多くの場合「楽しみな日」であることが多いでしょう。
「どこか基準になる日」というのは自分にとって「インパクトがあった/ある日」。まあ中には月一度の通院日というようなこともあるでしょうが、それは多くの場合「楽しみな日」であることが多いでしょう。
楽しいことは、はっきりくっきりと記憶に刻み込まれます。実はこの時も前頭葉が関係してるのです!
記憶が鮮明に刻み込まれるには条件があります。
その状況をきちんと判断しておくというのが大前提です。それから「起きた/起きること」に上の空でなく意識的に注意を振り向けること。自分にとって大切なことや楽しいと思われることの方が注意を集中しやすいでしょう?だから、大切なことや楽しいことのほうが深く印象的に刻み込まれます。
記憶が鮮明に刻み込まれるには条件があります。
その状況をきちんと判断しておくというのが大前提です。それから「起きた/起きること」に上の空でなく意識的に注意を振り向けること。自分にとって大切なことや楽しいと思われることの方が注意を集中しやすいでしょう?だから、大切なことや楽しいことのほうが深く印象的に刻み込まれます。
コロナ禍での三密回避の生活の推奨は、認知症予防には大きな悪影響を与えるということは何度も主張しています。
習慣化していた散歩にもいかないということは、運動の脳の出番を失くしてしまいます。
趣味のサークルの自主規制は、楽しみがなくなるという単純なことだけでなく、サークルの主題である活動(作品制作、歌、運動などなど)に関する場所だけでなく、対人的な場面で働く脳機能が動かなくなります。対人場面というのは、「話を聞かなくてはいけない」同時に「言葉以外に付け加えられている感情的な情報をキャッチしなくてはいけない」もちろんそのうえで「自分の話すことを考えておかなくてはいけない」実に脳全体の機能を要求されることでもあります。そのとき、一連のこの活動を滞りなく進めるために、中核を務めるのは前頭葉機能です。
このように大切な前頭葉の出番がなくなる状況は、そのまま廃用性の機能低下につながることになります。前頭葉が元気をなくしてしまうのですね。
手作りチョコアイス
そしてまた日付に戻りますが、楽しみのない変化のない生活をしていると
「今日が何日か揺らいだ時に、基準になるべき日がない」
「今日が何日かどうでもよくなる」
習慣化していた散歩にもいかないということは、運動の脳の出番を失くしてしまいます。
趣味のサークルの自主規制は、楽しみがなくなるという単純なことだけでなく、サークルの主題である活動(作品制作、歌、運動などなど)に関する場所だけでなく、対人的な場面で働く脳機能が動かなくなります。対人場面というのは、「話を聞かなくてはいけない」同時に「言葉以外に付け加えられている感情的な情報をキャッチしなくてはいけない」もちろんそのうえで「自分の話すことを考えておかなくてはいけない」実に脳全体の機能を要求されることでもあります。そのとき、一連のこの活動を滞りなく進めるために、中核を務めるのは前頭葉機能です。
このように大切な前頭葉の出番がなくなる状況は、そのまま廃用性の機能低下につながることになります。前頭葉が元気をなくしてしまうのですね。
手作りチョコアイス
そしてまた日付に戻りますが、楽しみのない変化のない生活をしていると
「今日が何日か揺らいだ時に、基準になるべき日がない」
「今日が何日かどうでもよくなる」
日付がわからなくなったとき、どんな方法であっても自分で正答にたどり着くことができれば、それは小ボケにとどまっている状態を意味します。
中ボケになると、自力で解決しようとしなくなります。そして何度も何度も周りの人に尋ねます。それなのに、どうしても今日の日付がわからなくなっていくのです。
ついでにお話しすると、まず今日の日付がわからなくって、その次には何月かわからなくなって、さらに季節までもがわからなくなります。ここまでが中ボケ。
そのあとに、夜中に騒ぐという大ボケの症状に至るのです。
今日の結論です。
今日の日付がわかるというところから始まる「時の見当識」をゆるがせにしないためには、変化のある楽しい暮らしが不可欠であるということでした。
楽しみのある暮らしは積極的に求めないと、手に入りません。
中ボケになると、自力で解決しようとしなくなります。そして何度も何度も周りの人に尋ねます。それなのに、どうしても今日の日付がわからなくなっていくのです。
ついでにお話しすると、まず今日の日付がわからなくって、その次には何月かわからなくなって、さらに季節までもがわからなくなります。ここまでが中ボケ。
そのあとに、夜中に騒ぐという大ボケの症状に至るのです。
今日の結論です。
今日の日付がわかるというところから始まる「時の見当識」をゆるがせにしないためには、変化のある楽しい暮らしが不可欠であるということでした。
楽しみのある暮らしは積極的に求めないと、手に入りません。
ピーチネクター
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