長くご無沙汰しました。
ブログが滞る時は大体遊び過ぎていることが多いのです。あちらこちらと「右脳訓練」に励みましたがその報告はまたにします。
伊豆高原のJガーデンはもうすっかり夏の気配
今朝、遠くの友人から電話がありました。
「前にお話ししたお友達のことなんだけど…」声に元気がありません。
「私が体調を壊して、ここ3~4か月、音沙汰なしの状態だったんですけど…」
「さきほど、お電話してみたら…私のことがわからないの…1週間か10日に一度は文通してたのに…」
「私のことがはっきりわからないまま、楽しそうにお話だけは続いたのだけど…」
もう10年近くも前、散歩の途中に知り合って、意気投合。
お互いの家をたずねあって、おしゃべりしたりお茶を楽しんだりしていた、一人暮らしのお友達のこと。そろそろ80歳とのことです。
ちょっとお歳とはいえ、かくしゃくたる生活ぶりに、「こういうふうに生きたいな」と思ったことがあるとも言ってました。
水泳や卓球などのスポーツサークルにも参加し、手芸や俳句も楽しみ、料理も堪能。
庭には花を育てるコーナーと、野菜を育てるコーナーがあり、できたものは惜しげもなく通りすがりの方たちにあげては、一緒に収穫を喜んで。
手紙を書くことはいとわないどころが楽しみの一つだったそうです。私の友人とも会えない期間が長くなると文通を楽しんでいたそうです。イキイキ生活が目に見えるようですね。
それが数年前、ちょっとした事故をきっかけにして車に乗ることをやめたのです。
当然、スポーツ教室には行かれなくなりました。俳句教室も。
一人暮らしですから、身の回りの生活はもちろん自力でなさっていましたし、園芸作業も続けていらっしゃったそうですが、なんとなく毎日は過ごしていても、イキイキとした生活には程遠い状態です。
次第に「なんとなく変」と私の友人が気づきはじめました。同じことを言われたり、生活ぶりがちょっと雑だったり。以前なら必ず「こうしただろう」というときに「そうしない」。
それでも、「お話しは普通だし、お手紙も相変わらずいただくの」
脳を使わなくなると、もともと老化する宿命を持っている脳の老化が加速されます。その時、最初に老化が加速されるのが前頭葉です。
生活の変化をきっかけにしてイキイキした生活がなくなって、まだ普通の認知機能は正常域でも前頭葉が老化を早めてしまっている状態を「小ボケ」と私たちは言いますが、その期間は大体3年です。
「小ボケの症状1」として2013年10月にブログに書いた例の、前半部分はこのお友達のことです。
この時には、前頭葉の働きが大きく低下していることがわかります。はっきりとした小ボケのレベルですね。
運転をやめて3年は経っていたころのようです。
脳機能のお話しを続けましょう。
前頭葉だけがうまく機能できなくなる期間(小ボケ)が過ぎると、次には中ボケの段階に入ります。
中ボケは、通常の認知機能(世の中の認知機能検査はここだけを測ります)にまで老化加速の影響が及んできて、うまく働けなくなっている状態です。
生活の実態は、あたかも幼稚園児のレベルになります。それなのに、「普通にしゃべる」ことが認知症の特徴といえるでしょう。
話していることを聞くのではなく、やっていることをよく見ることが、その人の脳機能を知る近道です。
それはバカにするためではなく、脳機能がうまく働かなくなって困っている状態をできるだけ正確に理解するためのことなのです。
そしてこの中ボケの期間も、だいたい2~3年続きます。
2013年10月に小ボケ下限にあった脳機能は、そのまま進んでいけば1年半以上たっている現在では、当然中ボケになっているだろうということは覚悟しなくてはいけません。
その後、膝の痛みが出たりしたこともあり(と、言うことは園芸作業や散歩などの運動もできなくなったということです)、脳の衰えはさらに加速されたこともわかりました。ここから類推すると中ボケの下限まで来ていてもおかしくはないということになります。
友人が元気なく報告してきた電話の内容は、ちょっと胸がいたくなるようなものでした。
「あんまりびっくりして、共通の友人に電話したの。そのAさんの話だと(ここでちょっと涙声)
『先日、”お魚を拾ったからおすそわけ”って持ってきてくれたんだけど、それがもう腐ってしまっていてすごい臭いだったの。話をよく聞いてみたら、歩いていたら小川に魚がいたので、いったん帰宅してまた取りに行って持ってきてくださったということらしいの。
危ないから、川に物を取りに行ったらいけないことと、おなかを壊すから落ちてるものを拾ったらいけないってよくよくお話ししたんだけど。私も一人で暮らせるかどうかと心配でたまらない気持になってたところなの。着ているものもいくらなんでも…という感じだったし』っていわれたんです」
友人からの電話の最初は、「私の友人のことがわからない」でした。
「人の見当識」に支障が起きるのは大ボケになってからですが、あまり会うこともない友人ということで百歩譲って中ボケの下限。
味覚に関しては、「食べ物でないものを食べる」というのが大ボケの指標です。
腐った魚を認識できないのは、厳しく考えれば大ボケですが、これも百歩譲って中ボケの下限としましょう。
「いずれにしても、一人で暮らせるレベルの脳機能はもうないのよ」という私の言葉に、友人は息をのんでいました。
最大限の努力をして維持が精いっぱいでしょう。一人暮らしで、お子さんがないそうですがどういう生活改善を図ることができるか、大きな疑問ですね。
早く見つけて手を打たなければ!このことは、認知症でも、他の病気でも同じなんですよ…
この方の分かれ道は運転をやめたときにあると思います。
この高齢社会ですから、運転をやめるときがいつか来るかもしれません。
注意すべきは「運転をやめること」がそのまま「生活が大きく変わって、ナイナイ尽くしの生活」に直結しないようにするということです。
とっても簡単なようで、結構難しいことかもしれませんが、「何かを捨てるときには、何かをつかんでから」と100歳でお元気だった杉本良さんが教えてくださったことを、皆さんにも声を大にしてお伝えしたいと思います。
「かくしゃくヒント13ー 一つ捨てて、一つ持つ」
「かくしゃくヒント13- 一つ捨てて、一つ持つ(続)」