脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

北九州便りー海と山と

2015年06月26日 | 私の右脳ライフ

outdoorの報告も。
「和布刈公園に行こうかと思ってるんだけど」と友人が。
まあ、懐かしい!
小学校の何年生だったか、遠足の目的地が和布刈公園でした。関門海峡を見下ろす、小高い山の上にある公園です。
ここからの関門橋は素晴らしい眺めだと聞いていましたから、一も二もなく大賛成。
「よろしくお願いしま~す」

幸いお天気に恵まれて、この景色!
対岸が下関市、橋の右側が東、左側が巌流島を通り抜けて玄界灘、洞海湾に続きます。

上京してわかったことは、北九州市と言っても位置がわからない人が結構いることです。
私は100万都市だからと結構自負していたのですけれど。
北九州市は福岡県の一番北東の端にある町で、早い流れで有名な関門海峡を隔てて山口県下関市に面しています。
その中でも最も狭く(600メートルしかない)流れが速いのが、この橋の下の壇ノ浦。早鞆の瀬戸ともいわれます。
平家物語の壇ノ浦の合戦の舞台ですね。だから下関に安徳天皇を祭った赤間神宮があるのです。


大きなクレーン船が橋をくぐっていきました。
ちょうど潮の流れが西向きだったようで、こんなに大きな船があっという間に橋を潜り抜けました。

そのくらい潮の流れが速いのです。海の難所と言われるのもうなずけます。

ところで、「海があるのに、電車はどうなるの?」という質問も何度も受けましたよ。
物心がついた時から、電車は普通に走ってると下関に着くものでした。そういえばトンネルは通るんですけど。
ちょっと調べてみました。この鉄道のトンネルは、関門トンネルという名前で、なんと終戦前1944年にはもう開通していたそうです。
この関門トンネルは、この関門橋のさらに西側の「大瀬戸」を通っています。
その後に国道2号線の関門(国道)トンネルが1958年に開通。車道のほかに人道もあるので、小学生だった私は母と兄と一緒に開通したトンネルを歩いて渡りました。
「ここが県境」と行ったり来たりしたことが鮮やかに思い出されます。
その他、山陽新幹線のトンネル、それに完成時東洋一だった関門橋、三つの通路がここ早鞆の瀬戸をつないでいます。

小さな和布刈神社

左の方に門司港の景色が広がりました。

「今度は皿倉山へレッツゴー」
「ケーブルに乗っていくの?まだケーブルあるの?」
友人は笑っていました。

山頂まであっという間です。

山頂にはテレビ塔が何基も建っています。

新日本三大夜景の一つですって。笛吹川フルーツ公園、奈良若草山、そして皿倉山。
確かに工場地帯の夜景がプラスされるところがユニークかもしれません。

洞海湾がかすんでいました。
若戸大橋も見え、なんだか胸がいっぱいになりました。

父母や家族、友人に育まれた私と思っていましたが、故郷に育まれたものがあることを再認識した今回の旅でした。
お付き合いくださったH丁さんご夫妻、S薗さん、K間さんありがとうございました。
女子のミニ同窓会も楽しかったです。また会いましょう!

 

 

 

 


北九州便りー美術館と博物館

2015年06月24日 | 私の右脳ライフ

ちょっとは文化的に。
出光興産創業者の出光佐三は宗像出身、北九州市にも縁がありました。東京の出光美術館のほかに門司港にも美術館があります。

ちょうど仙展開催中

仙はウイットに富んだ作品が多いですね。
外見は仕方ないとして、こんな年寄りにはなりたくない(笑)

八幡の製鉄所跡地にスペースワールドができましたが、隣接して『いのちのたび博物館」もできていました。

玄関すぐに巨大な恐竜骨格群が出現(これで有名らしいです)

エンバイラマ館と名付けられた白亜紀ゾーンは大規模なジオラマです。
臨場感ある恐竜たちの鳴き声のほかに、雷や火山の噴火が再現されるので、小さな来館者は泣いていました。

当時の北九州はこんな様子だった(らしい)

ここまで歴史をさかのぼらずとも、北九州市は考古学に興味のある人には結構なフィールドらしいです。
古墳に興味を持っていたあの同級生は、もう亡くなっています。
そう思って思い起こすと何人もの同期生が鬼籍に入っていて・・・
残された時間はそんなにもないことは確かです。残された私たちは、充実した生活を楽しみましょう、それがボケ予防の近道でもありますから。


北九州便り―食欲

2015年06月24日 | 私の右脳ライフ

indoorといえば、食事かな。
昼食はとんこつラーメン。友人曰く北九州で一番おいしいお店とか。

夕食は「ふく」です。北九州では「ふぐ」って言わないんですよ。子供のころは、そんなにご馳走ではなかったような。さくどりしたふくを買ってきて、母が刺身に引いていましたから。

茶碗蒸し

から揚げ

水炊き

最後はお決まりの雑炊

夜の時間もたのしみました。
小倉駅上のリーガロイヤルホテル。最上階のバー、リーガトップです。

暮れなずむ小倉の町。アジサイ色のカクテルでおしゃれに!


北九州便り(旧伊藤伝衛門邸)

2015年06月23日 | 私の右脳ライフ

去年のNHK朝の連続ドラマ「花子とアン」。柳原白蓮が出ていましたね。
嫁ぎ先の筑豊の伊藤伝衛門邸が公開されていることを耳にしたので、「ぜひ行きたい」といったら、高校時代の友人がガイドをしてくれることになりました。
小倉駅で久しぶりの再会。早速飯塚へ車を走らせてくれます。夏のように暑い日でした。

旧伊藤伝衛門邸は長崎街道沿いにあります。

正門(入場料は300円、JAF提示で2割引き!)

立派な造作…皇族をめとるためには多大なお金が動いたようですが、屋敷も贅を凝らしたものでした。照明もすてき。
応接室。

白蓮居室

白蓮の居室は、皇族の頭上を歩くのは恐れ多いということで、屋敷唯一の2階でした。

床の間の飾り。自作、自筆の短歌「朝化粧 五月となれば 京紅の 青き光も なつかしきかな」
 
居室からの庭を眺めます。

庭から屋敷(白蓮居室)を見ると

屋敷の全体。勇壮さが伝わるでしょうか?部材も素晴らしかった…

食堂はテレビで見たような。ここの照明もシックです。

お蔵で「山本作兵衛展」開催中。世界記憶遺産に登録された炭鉱図絵です。よくもこれだけ記憶していたものだと思いました。過酷な生活ぶりが十二分に伝わってきました。

いや~。大満足でした。


半世紀ぶりに北九州に帰省

2015年06月20日 | 私の右脳ライフ

5月末に下関で心理臨床学会がありました。
下関は、私の故郷北九州市とあの関門海峡を隔てただけの隣町ですから、学会参加を名目に久しぶりに帰省を計画しました。

学会会場の国際総合センターは海峡ゆめタワーに隣接。
(昔はこんな高層ビルはありませんでしたとも)

私が選択したテーマは「慢性疼痛に対する認知行動療法」
第3世代の認知行動療法を主に学びました。「行動の変容を目的にした」第1世代。「行動とともに認知も治療対象」は第2世代。第3世代は「問題を受容してストレスを除去する」ことを目的とします。

今の瞬間にしていること、感じていることに対して、善悪の価値判断は一旦おいて、意図的に注意を向ける。そしてそれを認める。
内言であったとしても言語化することが必須要件になりますから、やや左脳に偏った療法かと思いました。時間いっぱい勉強していたので、ゆめタワーには登りません。

学会はお昼からスタートでしたから、小倉のホテルを早めに出発して関門観光を楽しみました。
門司港は、門司港レトロとして人気スポットになりかけたころにちらっと寄ったことがあります。
門司港は始発駅。

旧門司三井倶楽部はバラが満開

旧大阪商船ビル

旧門司税関

大連航路の駅舎

内部は博物館

バナナのたたき売りは門司港が発祥の地。私が子供のころは高価なものでした。

連絡船に乗って巌流島へ。所要時間は10分足らず。

島には武蔵と小次郎の決闘シーンがありました。
中国人の若者が、楽しんでいました。お仕着せでない、自分たちが楽しいと思う旅をしていることに安心しました。

小次郎びいきかな?小次郎神社

また連絡船を使って下関市唐戸市場(港)に移動です。ほんの5分ほど。


東南アジアの市場の雰囲気がありますね。父はここまで買い物に来ていました。


昼食は市場のお寿司

赤間神宮。小学生の時家族で遊びに来たことがあります。

隣が春帆楼(日清講和条約締結の場所。今はホテル)

日清講和条約の立役者 伊藤博文と陸奥宗徳像

門司港だけにレトロな建物があるのではありません。
学会会場へ急いでいたら、旧下関英国領事館が現れました。領事館として国内最古で国の重要文化財だとか。
 

旧秋田商会。大正4年築の西日本初の鉄筋コンクリート造で屋上には日本庭園や茶室もあるユニークな建物。

トイレ!

以上の写真は、あくまでも学会に行く前、午前中の足跡です(笑)
北九州便りは続きます。

 


悲しいこと・・・手遅れのボケのお知らせがありました

2015年06月19日 | 正常から認知症への移り変わり

長くご無沙汰しました。
ブログが滞る時は大体遊び過ぎていることが多いのです。あちらこちらと「右脳訓練」に励みましたがその報告はまたにします。

伊豆高原のJガーデンはもうすっかり夏の気配

今朝、遠くの友人から電話がありました。
「前にお話ししたお友達のことなんだけど…」声に元気がありません。
「私が体調を壊して、ここ3~4か月、音沙汰なしの状態だったんですけど…」
「さきほど、お電話してみたら…私のことがわからないの…1週間か10日に一度は文通してたのに…」
「私のことがはっきりわからないまま、楽しそうにお話だけは続いたのだけど…」

もう10年近くも前、散歩の途中に知り合って、意気投合。
お互いの家をたずねあって、おしゃべりしたりお茶を楽しんだりしていた、一人暮らしのお友達のこと。そろそろ80歳とのことです。

ちょっとお歳とはいえ、かくしゃくたる生活ぶりに、「こういうふうに生きたいな」と思ったことがあるとも言ってました。
水泳や卓球などのスポーツサークルにも参加し、手芸や俳句も楽しみ、料理も堪能。
庭には花を育てるコーナーと、野菜を育てるコーナーがあり、できたものは惜しげもなく通りすがりの方たちにあげては、一緒に収穫を喜んで。
手紙を書くことはいとわないどころが楽しみの一つだったそうです。私の友人とも会えない期間が長くなると文通を楽しんでいたそうです。イキイキ生活が目に見えるようですね。

それが数年前、ちょっとした事故をきっかけにして車に乗ることをやめたのです。
当然、スポーツ教室には行かれなくなりました。俳句教室も。
一人暮らしですから、身の回りの生活はもちろん自力でなさっていましたし、園芸作業も続けていらっしゃったそうですが、なんとなく毎日は過ごしていても、イキイキとした生活には程遠い状態です。
次第に「なんとなく変」と私の友人が気づきはじめました。同じことを言われたり、生活ぶりがちょっと雑だったり。以前なら必ず「こうしただろう」というときに「そうしない」。
それでも、「お話しは普通だし、お手紙も相変わらずいただくの」

 

脳を使わなくなると、もともと老化する宿命を持っている脳の老化が加速されます。その時、最初に老化が加速されるのが前頭葉です。
生活の変化をきっかけにしてイキイキした生活がなくなって、まだ普通の認知機能は正常域でも前頭葉が老化を早めてしまっている状態を「小ボケ」と私たちは言いますが、その期間は大体3年です。

 「小ボケの症状1」として2013年10月にブログに書いた例の、前半部分はこのお友達のことです。
この時には、前頭葉の働きが大きく低下していることがわかります。はっきりとした小ボケのレベルですね。
運転をやめて3年は経っていたころのようです。

脳機能のお話しを続けましょう。
前頭葉だけがうまく機能できなくなる期間(小ボケ)が過ぎると、次には中ボケの段階に入ります。
中ボケは、通常の認知機能(世の中の認知機能検査はここだけを測ります)にまで老化加速の影響が及んできて、うまく働けなくなっている状態です。

生活の実態は、あたかも幼稚園児のレベルになります。それなのに、「普通にしゃべる」ことが認知症の特徴といえるでしょう。
話していることを聞くのではなく、やっていることをよく見ることが、その人の脳機能を知る近道です。
それはバカにするためではなく、脳機能がうまく働かなくなって困っている状態をできるだけ正確に理解するためのことなのです。
そしてこの中ボケの期間も、だいたい2~3年続きます。

2013年10月に小ボケ下限にあった脳機能は、そのまま進んでいけば1年半以上たっている現在では、当然中ボケになっているだろうということは覚悟しなくてはいけません。

その後、膝の痛みが出たりしたこともあり(と、言うことは園芸作業や散歩などの運動もできなくなったということです)、脳の衰えはさらに加速されたこともわかりました。ここから類推すると中ボケの下限まで来ていてもおかしくはないということになります。

友人が元気なく報告してきた電話の内容は、ちょっと胸がいたくなるようなものでした。
「あんまりびっくりして、共通の友人に電話したの。そのAさんの話だと(ここでちょっと涙声)
『先日、”お魚を拾ったからおすそわけ”って持ってきてくれたんだけど、それがもう腐ってしまっていてすごい臭いだったの。話をよく聞いてみたら、歩いていたら小川に魚がいたので、いったん帰宅してまた取りに行って持ってきてくださったということらしいの。
危ないから、川に物を取りに行ったらいけないことと、おなかを壊すから落ちてるものを拾ったらいけないってよくよくお話ししたんだけど。私も一人で暮らせるかどうかと心配でたまらない気持になってたところなの。着ているものもいくらなんでも…という感じだったし』っていわれたんです」



友人からの電話の最初は、「私の友人のことがわからない」でした。
「人の見当識」に支障が起きるのは大ボケになってからですが、あまり会うこともない友人ということで百歩譲って中ボケの下限。
味覚に関しては、「食べ物でないものを食べる」というのが大ボケの指標です。
腐った魚を認識できないのは、厳しく考えれば大ボケですが、これも百歩譲って中ボケの下限としましょう。

「いずれにしても、一人で暮らせるレベルの脳機能はもうないのよ」という私の言葉に、友人は息をのんでいました。
最大限の努力をして維持が精いっぱいでしょう。一人暮らしで、お子さんがないそうですがどういう生活改善を図ることができるか、大きな疑問ですね。

早く見つけて手を打たなければ!このことは、認知症でも、他の病気でも同じなんですよ…
この方の分かれ道は運転をやめたときにあると思います。

 この高齢社会ですから、運転をやめるときがいつか来るかもしれません。

注意すべきは「運転をやめること」がそのまま「生活が大きく変わって、ナイナイ尽くしの生活」に直結しないようにするということです。
とっても簡単なようで、結構難しいことかもしれませんが、「何かを捨てるときには、何かをつかんでから」と100歳でお元気だった杉本良さんが教えてくださったことを、皆さんにも声を大にしてお伝えしたいと思います。

「かくしゃくヒント13ー 一つ捨てて、一つ持つ」
「かくしゃくヒント13- 一つ捨てて、一つ持つ(続)」


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