脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

仕事の後に本格的に遊ぶ①-鬼怒川ライン下り

2024年11月15日 | 前頭葉の働き
小布施からの帰途は一目散に帰ると、その日のうちに帰れることは帰れます。以前は大体とんぼ帰りでしたが、左脳優位の仕事の後は右脳の出番ということで、最近はだいたいどこかに寄って楽しんで帰ることにしています。
その計画を立てる過程も実は楽しい!
小布施町に絡めて訪問した旅の記録ブログを遡ってみました。
2023年:善光寺お朝事(前)角野栄子「魔法の文学館」(後)
2000年:ベニズワイガニの昼セリ
2018年:地獄谷野猿公園
2015年:松代探訪
2014年:冨岡製糸場
2010年:谷川岳ロープウェイ
本当はこの旅行記も読んでいただきたいと思います。自分の楽しみを自分で作って(この段階も間違いなく喜び)、毎回楽しんでいるのをわかっていただきたいのです。
そういえば、こんなところにも寄り道しました!
北海道岩見沢市の講演の後は、少女時代からの念願の氷のイグルーに泊まりに行ったのです。
2021年:北海道の旅 然別湖氷上コタン
さて今回は、行き先は割合に簡単でした。友人が鬼怒川温泉に泊まって、目の前の東武ワールドスクウェアにいったそうです。縮尺された世界遺産などがコンパクトに展示されている程度は知っていましたが、普通そんなに食指が動くところではありません。「ひとつでもいいから、本物の方がいいかなあ」と言うと「まあ、素晴らしいものだった!」「全部見られなかった。絶対もう一回行かなくては」と大絶賛です。
「体験できるものは、自分で体験して評価すべき」と考えていますから、ここには行くしかありません。
新幹線で大宮まで戻り、春日部へ。東武線特急に乗って東武ワールドスクウェア駅。幸いホテルは歩いて3分。到着は8時過ぎ。
車中で見つけた「鬼怒川ライン下り」のポスター。「そうだ!今は紅葉のハイシーズン!」
一人旅ですから、慎重に計画は立てます。用意周到に準備するのはまさに前頭葉の働きですが、状況に応じて臨機応変に対応するのも、より高次の前頭葉機能。即刻計画変更、東武ワールドスクウェアの前に鬼怒川下り!
チェックアウトは8時。
船の発着場は隣駅の鬼怒川温泉で第一便の出発は9時。まだ肉離れの影響は残っているのですが階段をものともせずさあ乗船。

船頭さんの軽妙な語りで船内は笑い声に包まれます。

飛沫避けは乗客がビニールを引き上げます。
名勝は見逃さないように、アナウンスがあります。

「今は水量が少ない。春先にもう一度ぜひ」

地層を何かに見なす箇所もたくさんありました。

いくつもの橋をくぐりました。

私は前に座っていましたが振り返ると皆さん本当にいい笑顔で船旅を楽しんでいました。
鬼怒川を下った船は、3艘ずつトラックで船着場へ運ばれます。

発着場の看板が、どこか昭和を思わせるものでした。紅葉にはちょっと早い時期でしたが、雲ひとつない晴天で気持ちよく川下りを楽しめました。いい経験でした。計画変更は大成功でした。


舟下りも何ヶ所かしています。ちょっとチェックしてみたら、時の見当識について面白いことが書いてありましたからご紹介しましょう。
「猊鼻渓舟下り(時の見当識)」


by  高槻絹子





南伊豆町 くぼやまさとる展

2024年08月23日 | 前頭葉の働き
石廊崎オーシャンパークで開催されるくぼやまさとる展のお知らせが来た時から「行きたいなあ。でもちょっと遠いなあ。それに暑いし…」とためらっていました。
そこに横浜の友人から「行きます」と連絡あり。しかも日帰りで!そのメールを見た途端「行く」という決断をしました。
決断をしたのは、あれだけためらっていた私の前頭葉。
私たちが起きている時には、前頭葉がちょっと上から四方八方に目を配りながら見守っている。そんなイメージを持ってください。今回は行きたいという気持ち、遠いという条件、酷暑と言われる状況…決断としては「行かない方がいい」。
ところが「遠くの友人が行く」という新しい状況が勃発した途端、パネルがパタパタと動いて「遠くても、途中にもう一つ目的を加えたら長距離にはならない」「暑いといっても車移動で外活動はないから、熱中症にはならない」と新しい判断がなされ、行くことになりました(笑)
判断をする時に用意周到に種々の条件を考慮する場合もあれば、臨機応変に対応できるのも前頭葉の働きです。
ともあれ、石廊崎オーシャンパークのくぼやまさとる展に行きました。

『雲海と家』

『蘇った難破船』

久保山ワールドが緻密で繊細な筆致で繰り広げられていました。久保山さんの世界観は最初に出会った時から一貫していると思うのですが、色調やデザインが変化し続けているのを見るのが楽しみです。
久保山ご夫妻からお誘いを受けて車で5分のカフェ south pointに足を延ばしました。

店の前の駐車場から見下ろした景色!

どこかハワイを思わせるような店の佇まい。

玄関では「ヒリゾ浜Tシャツ」が出迎え。店内にはセレクトショップのようなおしゃれな小物がいっぱいありました。

カフェメニューも地産地消、手作りで、ヘルシーで美味しいもののオンパレード。

久保山作品のコーナー発見。久保山さんとのツーショット。友人の激写ですが、ちょっと避けられてる?かも。今度伺って見なくっちゃあ。

帰る時になって「駐車場から下にヒリゾ浜が見える」という情報が飛び込んできました。ここで入口にヒリゾ浜Tシャツが掛けてある意味を了解しました。
店内に入る前に見下ろした景色は「さすが南伊豆。変化に富んですてきだなあ」と思っただけでしたが、もう一度よーく見ると、確かにヒリゾ浜が見える!
同じ景色でも「ヒリゾ浜はどこだ!」と思ってみると細部が初めて見える。
こんな経験は他でもよくあると思うのですが、前頭葉が絡んでいることに気づいてください。
さあ、私の前頭葉はフル回転。
「思い出す」のは記憶の領域の仕事と思っている人も多いでしょうが、前頭葉が指令を出すところが始まりなのです。
小学生だった孫の希望(あ、今気づきました。もしかしたらその孫の父親、つまりわたしの長男の希望だったのかもしれません)で、早起きして車を走らせて中木へ。そこから小舟に乗ってほんの数分でヒリゾ浜に渡してもらうのです。黒潮が入り込み、流れ出ていく地形のせいか、たくさんの南の海の魚たちが泳いでいるのをスノーケルを使って楽しみました。
魚だけでなく、あのときの日差しも、海水の思いがけない冷たさも、孫の笑顔も、いろいろな会話も、お昼のおむすびも、浜が混雑していたことも生々しく思い出しました。
次に私の前頭葉はブログに記録していないかとチェックすることを決めました。
2010年8月に「おこがましくもかくしゃくヒントその5」として、脳をイキイキ使って認知症予防をするという記事を見つけました。その中にヒリゾ浜でスノーケリングと1行書いてありました。
それが前回再掲した記事です。
くぼやまさとる展に行ったことから、14年前のヒリゾ浜へのエクスカーションをまざまざ思い出しただけでなく、記事を読み返すことができその頃考えていたことまでクリアになりました。
認知症を防ぐには「変化ある楽しい生活」が不可欠だとよくお話しますが、実感。

「京風すっぽん料理えんじ」の話
家から石廊崎オーシャンパークまで直行したら1時間半はかかります。
ちょうど真ん中あたり下田市白浜に「京風すっぽん料理えんじ」が今年4月開店。前回初めて行った時に急用ができて不参加だった友人を誘ってランチをすることにしました。以上、全部前頭葉の判断。
京都『たん熊』で長く修行された主人が一人で切り盛りしていらっしゃいます。柿本光男さん。you tubeで「柿エモンの一人旅」発信中です。

お部屋のしつらえに思いが感じられます。
お料理は…絶品と言っていいと思います。一味も二味も違います。

お出汁の味が素晴らしい。微妙な味や、器や盛り付けの心遣いは、作る側の前頭葉が生み出して、いただく側の前頭葉がキャッチします。
結論:
「生活するときにはいつも前頭葉が見守ってくれている(とはいえ、あまりにもルーティンだと前頭葉の見守りなしでもこなしてしまい、出番がない状態になる)」
「前頭葉の出番がある生活、つまりは変化ある楽しい生活を心がけることが認知症予防」


by 高槻絹子














夏休み自由研究-興味関心は前頭葉が決める

2024年08月05日 | 前頭葉の働き
庭に白いユリがたくさん咲きました。全部切って花瓶に投げ入れて眺めているうちに、FBでつながっているY木さんの先日の投稿のことを思い出しました。
シンテッポウユリという新しい呼び名を教えてくださった投稿です。
以下Y木さんの投稿を表にまとめてみました。
今までは、テッポウユリとタカサゴユリの差は承知していて、タカサゴユリの花には赤い筋があるものとないものがあるのだとばかり思っていました。
そうではないことがよくわかりました。しかも花に赤い筋があるかないかということだけチェックすれば、きちんと分類できるというまたとない情報でした。
我が家にたくさん咲いてくれた百合はシンテッポウユリです。
筒状花


葉が細い


花びらに赤い筋がない


興味関心があるテーマだと、情報が目に飛び込んでくるような気持になります。そして受け取ったその情報を、使ってみたくもなりますね。

興味関心のあり方はまさに十人十色。いったん関心を持てば、それを深く追求していくタイプと、淡々としているタイプ、関心が向くテーマがあれこれとあるタイプ。
私はまさに後者ですが、植物への関心は結構ある方だと思います。

いま私が持っているこのような植物への関心はどのように、育まれたのか振り返ってみましょう。
私は北九州市で生まれ、18歳で上京するまで引っ越すこともなく生活しました。当時はちょうど日本が高度成長期に差し掛かる時代で、当然北九州工地帯は隆盛を誇り、なおかつ私の家は工業地区のまさにただなかにありました。
田どころか畑もない。八幡製鉄所からでる七色の煙は繁栄の象徴だったし、ばい煙が家の中にも侵入し、洞海湾が死の海といわれるときにもどこかに繁栄とのバーター取引のようなムードを感じました。つまり生の植物に囲まれることのない暮らしぶりでした。
ヒマワリ

ただし幸いなことに、夏休みなどには父の田舎によく行きました。青空の元、水田の浮草の動きに目を見張り、五右衛門ぶろを沸かす木や草のにおいは今でも大好き、蛍を蚊帳の中に飛ばし、マクワ瓜や夏野菜を畑に採りに行きました。こうして書いていくとキラキラ輝く田舎の景色が眼前に広がります…
今のように旅が日常的でなかった時代に、旅行にも連れて行ってもらいましたが、その目的地は阿蘇、桜島、日田など自然にあふれたところだったことに気づきました。小学生の間は春になると毎年、ツクシ採りのために自動車でプチ旅行したのも印象深い思い出です。
考えたら、私に対する「教育的配慮」というようなものではなく田舎で大きくなった父が緑を求めていたのかもわかりません。ちょっと恩が足りないかなあ…
ハマユウ

母は町育ちでしたから、わざわざ出かけるほどのモティベーションはなかったかもしれませんがお花をよく活けてくれていました。花屋さんにもよく一緒に行き、そして花の名前を教えてくれるので「よく知ってるなあ」といつも感心していました。わからないときにはすぐに尋ねる姿勢は母から教えてもらったのですね。
18歳で上京した時に、通学電車からみる明治神宮やキャンパスの木々や花たちを見るたびに東京はなんと緑豊かな町!と楽しみました。
ハイビスカス

植物は好きでしたが東京時代までずっと受け身だったことに気づきます。大きな変化は茶花に興味を惹かれた時からでしょう。東京時代は「今の時期は○○を生けたいのですけど」とおっしゃりながら、花屋さんのお花が床の間に生けられていました。
静岡に転居して稽古を再開したら、東京の先生があこがれるようにおっしゃった季節の野の花が当たり前のように生けられています。
ちょっと車で出かけると、珍しい茶花(つまり自然に咲いている花)がいくらでも目に飛び込んできます。
ポケットサイズの茶花図鑑を片手に、現物を見て知る喜びを十分味わいました。(茶道では問答があるので花をめでるだけでなく名前も知っておかないといけないのです)
今はちょっとは花を植えたり、挿し木や挿し芽をしたりしています。育てるところまで来られたということです。
そうそう、ブログを書くためにちょうど句読点のようなつもりで写真を入れますが、今住んでいる伊豆高原はその写真に事欠かない環境といえるほど植生が豊かです。
富戸海岸のカンゾウ

たった一人の、しかも植物に絞って興味関心がどう育っていうかを振り返ってみました。
一番ベースには、生得的なものがあるに違いありませんが、環境要因も大きく関与していることが納得されます。しかも現在から過去に向かって考えた方が、より置かれた状況の影響の大きさがわかりますね。
茶道をしなかったら。茶花に恵まれない東京でしかもそれを残念に思う先生にお稽古をつけていただいたからこそ、静岡でのお稽古で目の前がぱっと開けるような気持になったのだと思います。
そういう気持ちが持てたのは、自然に恵まれない生育環境のなかで両親が植物に目が向けられるシチュエーションを作ってくれたからでしょう。
ホーリーバジル


何でも体験する方が、人生を生き抜くには有利です。前頭葉は知識の脳ではありませんから「知ってる」だけではだめで「体験する」ことでできあがっていきます。成功体験も失敗体験も自分の前頭葉を作り上げていく必要な過程。
認知症にならないためには高齢期に変化のある楽しい生活を送れるようでないといけません。自分の興味関心はどの分野にあるかと考えてみましょう。その興味関心を深める方向でも、新しい興味関心を模索することでもいい。
それが認知症予防だと知れば、意欲がわいてくると思います。だってどこで講演しても「ボケるくらいなら死んだ方がいい」という声が聞こえますから。

by 高槻絹子






料理をしながら脳の活性化

2024年07月17日 | 前頭葉の働き
ことの発端は「うちの畑で取れました」と空芯菜が届いたことです。空芯菜は夫の大好物。スーパーの棚で発見しても、お店のメニューで見つけても、ゲットの方向に突き進みます。もちろん大喜び。
友人のご好意、夫の期待に応じることにして「ちょっと丁寧に作ってあげましょう」と普段は省略している空芯菜の下拵えをする道具を引っ張り出しました。
ほんとに久しぶりだったので、ここで大失敗。
最初の一本「こんなに使いにくかったはずはないのに…」と戸惑ってしまい、試行錯誤。
実は、それほどあれこれはしませんでした。差し込む方向が間違っていただけという単純すぎる間違いで、一人だけで笑うのはもったいないですよね。
葉を取り避けた茎の中に金属棒を差し込めばいいのです。まるで空芯菜麺です。

それからニンニクスライスで香りをつけた油で炒めます。普通はオイスターソースや塩味でまとめるのですが、ちょっとこだわってみました。
ハラール認証はちみつ醤油。

これは立命館アシアパシフィック大学に在学していたイスラム圏からの留学生と地元フンドーキン醤油株式会社とのコラボでできた醤油です。
長男の会社では、日本の優れたものづくりの力を生かして、東南アジアのムスリム人口が求めている食品その他を、供給する仕組みを構築してきました。その一環としてのハラール醤油ですから大切に使っています。

最近は空港や一般のお店でも、この日本ハラール協会のハラール認証マークを目にすることが増えてきました。
丁寧な空芯菜炒め、完成!

肝心の夫の感想ですが、残念なことに「普通の方がいいなあ」ザクザク切って炒めるだけの手間要らずなんですが。
残念な結果に終わったのですが、作っている最中はあれこれ思い浮かべて楽しかったので、格別のダメージは受けませんでした。
考えてみると、食事作りは脳の活性化には有効ですね。
脳の活性化のために有効だと勧められているデュアルタスクの例として、料理作りがあげられています。その内容は「歌を歌いながら料理をする」と言うものです。
実際に料理をする人はわかると思いますが、外から見ると料理をしているとしか見えない場合でも、脳の働きから言えば、デュアルどころではなくいくつもの条件を立てては、選択を繰り返していくと言う作業が含まれています。歌は歌わなくてもいいのです。
ただし料理をすることに意義を認め、楽しみも感じながらという条件。が必要になります。喜びもなくイヤイヤやらされているというような状況では、歌を歌ってもとても脳は活性化されません。

石窯焙煎コーヒーを飲ませてくれる伊豆市戸倉グリーンポケット。ランチも美味しく最近はよく行くのです。
グリーンポケットのディル

先日行った時に「ディルの花は美味しいんです」とサラダに飾ってありました。我が家にはディルはないけど、フェンネルならある。ディルを真似てフェンネルの花をジャガイモ料理に使ってみました。ウインナの上にちょこんと乗っています。

模倣とちょっとした応用編。ジャガイモ料理を作る時、私の前頭葉は活性化していたと思います。

友人が桜島の芽ヒジキを送ってくれました。この珍しい食材を前に、私の前頭葉はちょっとふざけたがりました。

この小鉢を作ってすぐに友人に写メールを送りました。「芽ヒジキの上に、オカヒジキ」
さっそく返信。「あれれ〜ダブルヒジキだね~。
美味しそう。海が近いと少しは涼しいですか?」と会話が広がりました。

こういう姿勢は大切だと思います。自分なりの喜びや楽しみを、いつでも見つけようとする姿勢は、イヤイヤ歌いながらイヤイヤ料理するよりも、何倍も脳をイキイキさせてくれるのですよ。
もちろん料理に限りません!前回記事で紹介した好子さんのように居心地の良い居場所作りだって同じこと。人生をいかに肯定的に楽しめるかということだと思います。

by 高槻絹子





私の前頭葉機能について考える

2024年06月21日 | 前頭葉の働き
今日は失敗話なので、先日訪れたグリーンエルダーガーデン(オープンガーデン)のショットでいい気分になってください。


2006年6月の出来事をブログから拾ってみました。ブログを書き始めてすぐのころ、ブログは18年も続けているのです。

「新幹線の車中で本を読んでいました。最近には珍しく引き込まれるように読んでいて、ふと目をあげると、なんとホームに「熱海」の文字が!
17:32着、山側の新幹線ホームから駅を横切って、海側の伊豆急線のホームまで行かなくてはなりません。17:37発です。「ソレッ」と飛び降りて一目散に改札口へ。
そこで「アッ忘れ物!」
バッグと読みかけの本とゴミ袋をつかんでいますが、椅子のポケットに入れた書類と折りたたみ傘がない!
たぶん階段を駆け上っても発車しているだろうし、朝から出かけているので早く帰りたいし、伊豆急の発車時間は迫っている。「ヨシ」と決断して、予定の行動には修正を加えずに、伊豆急ホームへ大急ぎ。
案の定、もう電車は来ています。
車中に乗り込み、おもむろに携帯を取り出し104.
「新幹線熱海駅の電話番号をお願いします」さっそく電話を掛けました。
「今の、17:33発の上りのこだまに忘れ物をしました」
「5両目の、前から4~5番目の3人掛けの座席の通路側です」
「前の座席ポケットに、書類と紺色の折りたたみ傘を忘れました」
名前と携帯番号を名乗って、待つことしばし。
「東京駅でおろしますが、東京に行かれますか?」
「遠いし、予定がないのでしばらくは行きません。着払いで送っていただけないでしょうか?」
後日¥740余分な出費がありましたが、郵送を頼んで1件落着。
トホホな出来事でしたが、ウフフに収めることができました。車中でなければ、大笑いしたことでしょう。
皆さんは「忘れ物」=「記憶力低下」と思うかもしれません。そうではなくて、どう考えても前頭葉の注意集中・分配能力の低下です。でも、
その後の処置も、前頭葉機能を発揮しているわけですから「満更でもないか」と自己満足した話です。
夫からは「そうやって、肯定ばかりしているから失敗をするんだ。反省が足りない」といわれました。
「反省する」のは前頭葉機能です。私の前頭葉はずいぶん凸凹してるようですね」



先週ショックなことがありました。
友人のところに遊びに行った帰りに起きた事件です。広い庭先に停めてあった友人の軽トラックにぶつけてしまいました。庭から出ていく丁字路がちょっと狭いので、友人が「左に切って出た方が曲がりやすいよ」といってくれました。その言葉がストンと胸に落ちて、というか落ちすぎて、つまり注意分配力が働かなくて、道までかなり距離があったのにすぐに左にハンドルを切ってしまい、わたしの左に停まっていた軽トラックに接触。軽くコツンという感じがあってブレーキを掛けました。友人が「僕のはどうでもいいけど、ちょっとこすっちゃってるよ」といってくれたのですが、あまりにも衝撃が小さかったので「たいしたことはない」と思ってそのまま自動車を進めました。

後で見てみると、左前ドアの横幅の大部分に擦り傷が!
それでもちょっとの手入れで復活できると思ったものの、帰宅する前にディラーに寄ることにしました。

運転しながら、二重のショックを感じていました。
ひとつは事故っちゃった…
もう一つの方が、はるかに重大なショックでした。
小ボケの運転の特徴はいくつかありますが、「コツンとあてた後に、『バックしてハンドルを切りなおして前進』ができずにそのまま車を進めてしまうので、コツンとあてた傷が大きな擦り傷になってしまう」というものがあるのですが、まさにそれ!



単刀直入な発言をする夫からは「遊ぶばかりでは脳は持たない」と常々いわれていますし。私の理解では私の前頭葉は年齢相応には働いていると思っているので小ボケではないのですが…やってしまったことはまさに小ボケ…
ディラーでは、きちんと自損事故の状況説明もでき、友人にも確認もしないかったお詫びと保険で直せることも説明できました。(友人の車は修理の必要はなかったそうです!)
保険の担当者にも、停まっている車に勝手にぶつけたこと、相手の車には誰も乗っていないこと、私はほとんど衝撃を感じていないくらいなので体は大丈夫なこと。「すべて私の責任です」と正しく伝えることができました。
小ボケになるとこういう説明ができないばかりか、自分勝手な言い訳に終始したり、はたまた車を置いて逃げかえるというような事態が起こったりします。

車は、当初の私の見通しがとてもとても甘く、見た目ではドアの一番前の縁がほんのちょっとくぼんでいるかなという程度ですが、なんとドアが開かない!
「ドアが開かない」という説明を受けた時、第2の心配がちょっと消えていきました。ハンドルを切りながら徐行しながら進んでいたので、最初にコツンと当たったのではなく、こすりながら進みハンドルをちょっと深く切ったらこちらはドアの縁、トラックはちょうど荷台の角のあたり。そこではじめて抵抗を感じたのだろうと思います。
こすれている感覚は本当になかったのです。事故に強いといわれている外車だからでしょうか?もう少し小さくてかわいい車に乗りたいと思っていたのですが、もうしばらくはこのままで。



左に軽トラックが停まっているということに、注意が全く分配できなかったということは、前頭葉がうまく機能しなかったということですからそこは潔く認めましょう。ただ前回から自損事故の保険をかけ始めたのも、他ならぬ前頭葉の判断(歳を考えると小さな接触事故を起こすかもしれないと思った見通しの良さ)だったと思えば、私の前頭葉は昔から今に至るまで凸凹してますねえ。
by 高槻絹子

ブログを再開するには前頭葉が必須です

2024年04月17日 | 前頭葉の働き
ご無沙汰しています。これだけ長く投稿しなかったことは珍しいのです。
投稿が途切れる時は、理由は二つ。
一つは遊びが充実しすぎて時間が取れない。
もう一つはパソコンの不調。
今回はその二つが重なったという状況でした。楽しい方から報告を開始しますが、一旦休んだことを再開するには大きなエネルギーが必要です。ふつうの言葉でいえば「意欲」「やる気」をかき立てる必要があると言えますし、脳の働きから考えると、前頭葉がどう働くかということになります。

ニコニコ顔の友人(漁師さん)が大きな鰤を持って来てくださる。「今朝獲れ。ハラミは刺身。雄節はしゃぶしゃぶが美味しいよ」そう聞くと、捌いてあげて一緒に食べたくなります。一緒に感動の舌鼓を打ったら、当然お話に花が咲いて、お開きの時間が遅くなる。
私の前頭葉はこのような時間が大好きなので、今日はブログを書こうと決めていて書かなかったとしても「いい時間だった」と満足するのです。
鰤が大漁で、何しろ「大漁旗が上がった」と何回か聞くくらいだったので、ありがたいことに何度もブリパーティを楽しみました。たくさんの鰤ですから、お裾分けしたり食事にお呼びしたりして勿体無いようにいただきました。
このブログに「富戸定置網でブリ豊漁」と書いたのは3/20ですから、かれこれ1ヶ月豊漁が続いていることになります。
最近はYouTubeで検索すればどんなことでも教えてくれますから、真子や白子のレシピなどは、我流でやっていたところを丁寧に教えてもらって、お味が一段アップしたような気にもなって。ついでにお皿や盛り付けにも一工夫。

自分にとって楽しいことをやっている時の前頭葉は、あたかもライトがピカピカ灯っているようです。
私は料理が好きだし、人に食べてもらうことも好き。ならばこの鰤まみれの半月は至福の時だったということになります。でも魚が捌けない、料理も好きじゃあない人には、もしこういう状況になったら、難行苦行ということになりますね。
今年のボタンは一花だけ。

でも、初めて脇芽が出ました!

こういうふうに考えると、「脳のリハビリ」「認知症にならないためには」と言っても具体的には一般化しにくいということを理解してもらえるでしょうか?
その状況をどのように捉えるか、そしてそれに基づいてどのように行動していくかを決めるのが前頭葉。
この半月イキイキと生活は楽しんできたのですが、一方で「ブログが書けていない」という状況も同時発生し、だんだんに「これではいけない」と絞られてくるような感じです。
さあ。
行動の軌道修正が必要です。その時キャスティングボードを握るのも前頭葉。好きなことをやることと、なすべきことをやることとはどちらがエネルギーが必要でしょうか?特別な状況の下だとなすべきことを優先して行動を組み立てられますが。例えば、現職の社会生活を送っていると締め切りのある仕事だったら最優先して取り組むでしょう?でもそのような圧力がない第二の人生では、なかなか…
なすべきこと、それどころか、得意なこと好きなことすら「面倒くさい。どうでもいい」という気持ちになりがちです。その意欲低下こそ、認知症への近道、落とし穴なのです。
フジが咲き始めました。

庭を一巡りして花の咲き具合を確かめて、お茶を飲んだりお菓子を食べたり、今しなくてもいい棚の整理をしたり。
そして最終的に「エイヤッ」と背中を押してくれたのは「ブログ書いてないけど、体調壊していないの」という友のメール。
その心根に対して、私の前頭葉はスターターの役目を果たしてくれました。
生きていく時には、聞く、話す、読む、書くのような認知機能を発揮させる前に、その認知機能を発揮させようとする前頭葉の機能が不可欠ということを、久しぶりに実感しました。

by 高槻絹子







富戸定置網でブリ大漁

2024年03月20日 | 前頭葉の働き
ブリ大漁
今朝、このような素晴らしい動画が送られてきました。漁師さんたちの喜びや興奮が伝わってくるようで、思わず「すご〜い」と声を出しながら、繰り返し見てしまいました。
なんとお昼前、その今朝獲れブリが我が家に到着!富戸の漁師さんが届けてくださいました。下の写真は、ちょうど夕方のテレビニュースで放送されたので、その1シーンのスクリーンショットです。

ここに住んでいると、数年に一回くらいはブリを捌くこともあります。さすがブリともなると、捌くときに頭を切り落とすのに難儀します。何度か挑戦するうち、頭を残して捌く方法に到達しましたが、難しいことには変わりないのです。
今日のブリは、頭を落として、三枚おろし(片身)。中骨も切ってあり、立派な真子までも引き連れての登場でした!
「刺身だね。ブリしゃぶもいけると思う」とお届けメッセージがありました。
料理の前に計測!



重さは約5kg。頭と内臓がないのですから、多分12kgは超えるくらいの立派なブリです。検索してみると5kgを超えるとブリと呼ぶようですが、富戸の漁師さんは「7kgを超えたらブリ」といわれます。繰り返しますが、今日のブリは半身で5kgの重さですよ!



大きな頭と尾ビレはとられていて、身だけで約60cm。全長90cmはあったでしょうね。

身の厚みは30cm。ずんぐりした魚体。丸太夫というのではなかったでしょうか?
真子もきれいです。

ふた腹で500g。

料理してしまうと、大きさはわからなくなるのでどんなに見事だったかをいいたくなるのです。これでちょっと満足して、さあ捌きましょう!

血合いの色が、くすんだ赤ではなくてベージュ色に近いことに驚かされました。漁師さんだからできる締め方があるのでしょうか。
雄節。重さと大きさを測らなかったのですが、このお盆は45cm✖️27cm。

雌節。二つに切り分けるより三等分にしたくなりました。あまりにも脂がみごとだったからでしょうか。

皮を引くときに、包丁にかかる身の重みで先に進みにくいという経験を久しぶりにしました。
皮を引いた後の見事な脂。5mmと言えばちょっと大袈裟ですが、3mmでは足りない厚さです。

テレビコマーシャルで「脳は脂でできている」とか「青魚に含まれるDHAやEPAが良い」と盛んに言われています。
脳が育つ過程でDHAやEPAが必要ということと、炎症を防ぐ力がある(認知症になる原因として脳の炎症を挙げる立場があります)ということが根拠のようですが、適切な量のDHAやEPAを摂取したとしても、家に閉じこもって変化のない単調な生活を続ける、言い換えれば自分らしく前頭葉を駆使して、生きがいを感じながら楽しく変化のある生活をしないならば、認知症への道につながることは簡単に想像できるはずです。
このDHAやEPAがたっぷりのブリ。 DHAやEPAが認知症予防になるかならないかは別にして、あまりにもおいしくて、この美味しさをどう表現すればいいのか言葉を選び豊かな表情を添えて、会話が盛り上がるとき、間違いなく脳は活性化されています。
確かに脂はあるのですが、身が引き締まり、コリコリとした食感を感じるほど。醤油はもちろん(ワサビは不要)美味しい塩でもポン酢でも。
雄節の一切れはためらわれるほど大きいし、雌節は脂がきれいに層になってるのに、いくらでも食べられるのです。不思議な気持ちになりました。
夫は「今まで食べた中で一番!」この表現はどういう味かは言ってないのですが、美味しさを共感できるものでした。
刺身

ブリしゃぶ用の野菜

真子の煮付け


実は、料理をしながら私は懐かしい思い出に浸っていました。
「桜が咲く頃、ブリが揚がるとブリ祭りができるよ。1匹で、どんな大食漢の漁師でも30人くらいなら、みんな満腹にさせられる!」この言葉を聞いたのは、伊豆に移ってきてしばらく経った時、大船頭をなさった方の奥さんからでした。(もう亡くなられました…)
魚にあった料理法や捌き方、そのコツなどもたくさん教えていただきました。故郷北九州で母から教わったことと違うこともあって、そのような時はいつも「新鮮な魚なら」というキーワードで納得できました。
骨で出汁を取る時は、母は「生臭さが出ないように熱湯に入れる」と教えてくれましたが、ここでは「水から入れるに決まってる。そっちの方がよくエキスが出るから」と。
「カマスは丸焼きが一番!お腹がこんなに綺麗な魚はいないから」鮎とサンマ以外の魚で腑を取り出さずに焼いたことはありませんでした。
「脂の抜けたサンマは、塩水につけた後そのまま丸干しにする」と教えていただいてからは、寒くなってあがってくる痩せたサンマを心待ちにしたものです。
「綺麗に捌けても手際が悪いとダメ。手際良くするには工夫をしないとね」
海藻のとり方や食べ方も。地域と経験に根ざした知恵をたくさん授けていただきました。
最近言われるデュアルタスク。同時に二つのことをすることが認知症予防になるという主張で、例えば「料理しながら歌を歌う」ということもよく例に出されています。鼻歌まじりにブリを料理した時と、今日のように具体的にお一人の顔や言葉や、当然その時々のシーンまで思い起こして懐かしさや感謝の気持ちを募らせながら料理するのでは、根本的に脳の使い方が違います。
研究室では、思い浮かばないのかもしれませんね。


夕方のテレビで富戸定置網のブリ豊漁のニュースが流れました。味について若い漁師さんが、ニコニコしながら「おいしいです」と言っていたのはよかったです。そのシーンも確認してください。富戸定置網には、大学卒業してそのまま漁師の世界に飛び込んだ若者もいるのですが、これは特筆すべきことかもしれません。
テレビ静岡ニュース「伊東市でブリの定置網漁が活況」 

by 高槻絹子





















過ちては則、改むるに憚ること勿かれ

2024年01月02日 | 前頭葉の働き
初夢を見たわけではないのですが、今朝ふと思いついた言葉があります。
この記事の題は「あやまちてはすなわちあらたむるにはばかることなかれ」と読みます。
理由はあまりにもクリア。
年末に息子から「2023-2024季節のご挨拶」を受け取りました。年内に年賀状を書くのはちょっと気持ちが乗りにくいものですが、今年のことを報告するのは、とても自然…続けてきたるべき年の抱負を書く。
「これこれ。この方法にしよう!」
決めたら、動き始めるのは早い方だと思います。
2023年にもいくつもの楽しい出来事がありました。
旅が解禁されたので、屋久島へ。前後泊して5日間。サンカラホテル&スパでゆったりとホテルライフを楽しみました。





倉敷での姉弟会。その後兄弟で六甲有馬温泉。私には初めての有馬温泉でした。
美観地区で姉弟会

有馬温泉からの雲海

六甲高山植物園で青いケシ

7月には友人が蓼科聖光寺に誘ってくださいました。
コロナ禍のためしばらく実施できなかった久しぶりの「柴燈大護摩供と交通事故者慰霊万灯供養と交通安全夏季大法要」に参拝して、護摩焚きを拝見して火渡りの体験もさせていただけるという得難い経験でした。

我が家には二人の息子がいますが、息子を自称する若者たちもいるんです。その息子の一人が結婚したこともビッグイベントでした。


韓国に住んでいる娘(自称)が新居を求めたので韓国にも行きました。初めて夫婦一緒に訪れてから22年目。

二人とも、もともと才能に恵まれてはいるのですが努力もして、素敵な新居を構えていました。そして22年前の旅をなぞるという企画も用意してくれて、感動のひとときでした。
2002年の時の私たちの年齢に二人がなっていて、私たちはあの時想像もしなかった未踏の70代後半。20年間の重みを噛み締めました。
「この韓国行きにしよう」用意してくれていた、22年前の写真と今回の写真を取り込めば面白いものになりそう…
一年を振り返ることの楽しさに、今年もまた幸せな一年だったと感謝の心も湧いて「これからはこのシステムでいこう!」といい気持ちで作業を進めました。
そして完成。

さあ、送付しましょう。
メールのアドレスがある人にはメールで。
ラインで繋がっている人にはラインで。
グループになっていると、夢のように簡単です。
パソコンの作業とiPhoneの作業は違うので、ちょっと頭を使いました。
両方ともない人もいるので、その人たちには葉書に打ち出して。

送った後に、ワードのまま保存したことに気づき、写真の位置が動いていないかちょっと心配しました。
チェックしたら、どうも重なってしまうようですが、「まあいいかッ。2024−2025年の時は気をつけよう」と安易に考えていましたが、とうとう友人から指摘されてしまいました。
2階からの初日の出

一日二日知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいました。でも喉に骨がかかっているように気になるのです。今朝起きたら「改むるに憚ることなかれ」と心の声が聞こえました。この心の声こそ前頭葉が発しているのです。
全部やり直して、とってもいい気持ちのお正月になりました。

元旦の能登半島地震…
被災された方々を思うと、言葉がありません…
気楽な投稿をして申し訳ない気持ちが湧いてしまいます。

by 高槻絹子




「前頭葉機能」がリエゾンしてる―エカテリーナさんのライブ

2023年08月11日 | 前頭葉の働き
友人からお誘いがありました。
「備屋珈琲店のライブに行きませんか?日曜日と月曜日の15時から伊豆高原在住のエカテリーナさん(ロシア人の歌姫)がエレクトーンを弾きながら、レパートリー豊かな音楽を届けてくださる。語りも素敵なの」と聞けば喜んで行くに決まっています。
ここ2回、前頭葉機能について語ってみましたが、ライブでエカテリーナさんの歌声を聞いて、今回また別の視点から前頭葉機能について考えることになりました。

元々は斎藤真知子さんの「第37回音の宝石箱(二胡の演奏会)」に行って、二胡の大きさの違いやオクターブの差で受ける印象が全く違う…当たり前のことですが、実際に耳で聞いてその比較ができたことが面白くて、身近な生活のなかで前頭葉機能が発揮された具体的なシーンを改めて「比較」してみたのでした。
「比較」の先には「選択」「決断」「軌道修正」と続きます。私たちの生活は、小さい事柄であってもこれらの段階の繰り返しで成り立ってることから、話はポーンと飛んで、小ボケ(前頭葉機能だけがうまく機能できていない状態)の人たちの生活指導の具体的状況をまとめてみました。前頭葉機能が日常生活の中でどのように働くかを並べて、前頭葉機能の理解をしていただくためでした。そして今日は前頭葉を理解してもらう別の切り口でお話してみます。

前頭葉機能が「脳の司令塔」という表現はとても適切です。
人柄の違いを表すときによく言われる「十人十色」ということばがありますね。この色の違いは、前頭葉の違いそのものから生まれるということはどうでしょうか?想像できますか?

以前勤務していた病院で短い間対応した患者さんのことを思い出します。職業は結構有名な歌手です。
事故の後、前頭葉だけにダメージを受けた状態でした。運動麻痺はないし、通常使われる知能検査では合格。つまり左脳は効いているので普通に話したり読んだり書いたりはできるし、右脳も問題がないので着衣食事入浴トイレなど日常生活上にも何の支障もありません。
ただ何かちょっと変…なのです。
私が脳の機能検査をしている時のエピソード。
腕時計を見せて名前を言ってもらう時に「Watch(とても正確な発音)」と答えたので「そうですね。英語で言うとウオッチ(日本式発音)ですね。日本語では…」と言いかけたら「No,no!ウオッチじゃなくてWatch」と言うのです。テスト最中ですよ。やりとりとしていくら正しくても、状況判断は間違っているとしか思えません。こういうシーンが何度も繰り返されました。

脳リハビリの一環として、持ち歌を歌ってもらいました。あの時の衝撃は前頭葉機能を考える時にはいつも蘇ってきます。
音程もリズムも正確。もちろん歌詞も間違えてない。なのに、その人らしさが全然ないのです。
昭和の時代の話ですから、歌手にはそれぞれ持ち歌があって、歌を聞くと歌っている歌手が見えてくるものでした。たとえ、その歌手が他の歌手の持ち歌を歌ったとしても、その歌っている人は誰であるかは当然のようにわかるものでした。
歌詞でもメロディでもなく、歌手の持っている個性が全面に出てくる。これは歌だけでなく、楽器演奏でもプロになるとその人らしさが表現できるものだと思います。むしろそのレベルに達さなければ、どんなに正確に演奏できてもプロとは言えない…

歌に戻って、こういうことを考え始めると、ボーカロイドは避けて通れません。初音ミクの歌を聞いたときに、いかにも作られたものという感じで「まあ、お遊びとしてもすごい時代になってきたものだ!」というのが正直な感想でした。
ところが、美空ひばりが「新曲」を歌うという、AIを駆使したプロジェクトが展開され、その過程も詳しくNHKで放映されましたからご存じの方も多いでしょう。賛否両論。コアなファンは涙を流し、ある人はこれは冒涜だと怒りました。
開発者たちは本当に真摯に「美空ひばりの声」を追求し、結局のところ正確な「声」を再現できても「歌」の再現にはさらなるいくつものステップが必要だということを強調していました。
「歌」を再生するためには、音源としては「歌声」ではなく「話し言葉」の方が適切ということにも興味を惹かれました。「歌声」には多くの美空ひばりさんの技術というかテクニックというか、その時その時にどうしても表現したい、彼女にしか出せない揺らぎがあるのでしょう。その揺らぎを生むのがまさに前頭葉!だから再現には気の遠くなるようなステップが必要だということですね。このプロジェクトは検索してみたら2019年のことでした。

さてエカテリーナさんの歌に戻りましょう。
一曲目の歌声を聞いたときに、「この歌声には秘められた人生がある。多分どうしようもない状況を切り抜けてきたというような…」
二曲目「You raise me up」の後、「皆さんに助けられました」という語り(見事な日本語です)を聞いたとき、「私の感じたものは多分間違っていない」と思いました。
45分間のライブは、バラエティに富んだもので、演じているエカテリーナさんも聞いている私たちも、それこそあっという間の充実した時間を過ごしたのです。
「3か月のつもりで始めたこのライブが、もう2年を超えているのは、すばらしいこと。人とのご縁としか思えません」というようなお話もありました。

エカテリーナさんの「歌声」からはテクニックというより生きてきた人生の悲しみや喜びがにじみ出てくるようでした、
そのことそのものにも感動し、実はそれをキャッチできた私の前頭葉にも、ねぎらいの言葉をかけてやりたくなりました。前頭葉は実際に生活して、その行動や感想を通じて自分で評価して、初めてその経験を自分のものにすることができるものですから。長く生きてきたかいがあったとちょっと思ったのです。
by 高槻絹子








「比較」から「選択・決断」へ―前頭葉機能は脳の司令塔

2023年08月07日 | 前頭葉の働き
前回のブログ「日常生活での『比較』で前頭葉機能を活性化」に対して「音の宝石箱」を主宰してしらっしゃる斎藤真知子先生からコメントをいただきました。
文末の一文「普通に暮らしていても、ちょっと立ち止まって物事の違いに関心を持つことは、次の行動を考えることにもつながり間違いなく前頭葉の活性化になると思います」に対して「音の宝石箱の楽器紹介シリーズが正にそれだと思いました!どうしてもピアノと比較してしまうのですが、それで良いんですね! 」と。(今日はニューヨークランプミュージアムと近所の花をあげています)

前ブログをアップしてから「言葉足らずで我田引水かなあ」と思っていたのですが、具体的な例でお話しする方が、読者の方がそれぞれご自分に引きつけて考えてくださるということを感じさせていただいて、感謝です。
ここしばらく前頭葉のことを考えていました。
世の中は前頭葉機能の理解が、不思議なほど、進んでいないような気がします。「研究」ということになると、客観的とかエビデンスとかが要求されるので、どうしても細かく条件を詰めていく必要があります。そのやり方だと私の印象としては「木を見て森を見ず」だとしか思えないのです。前頭葉機能はまさに「森」。

前頭葉機能というのは、左脳後半領域「読み・書き・計算」、右脳後半領域「形や音の模写」などのいわゆる認知機能といわれるものとか、「体を動かす」ことなどの機能を「どう使うかを決める機能」を担っています。脳を動かす指令を出すところ、脳の司令塔なのです。
どうしても複雑になるに決まっています。

指令を出すためには、
①脳後半領域から受け取った刺激の内容の理解が正確である必要がある。(注意集中力に欠けると、上の空状態になって理解が浅いまたは間違える)
②今、自分が置かれている状況の理解が正しくできている。
③そのうえで、見通しを立ててどうすべきかシミュレーションをする。
④その次に「決断」という段階になる。
⑤決断の結果を脳の後半領域に指令する。
⑥もしもそれが間違いだと認識したら(それも前頭葉の働き)修正する。

細かく書いてしまいましたが、仕事上必ず決断が求められるとすぐ想像できる現役の世代だけでなく、第2の人生といわれる状況でも日常生活はこういう些細なことの決断で成り立っていると思いませんか?

閑話休題。
小ボケというのは、認知症の本当の始まりの段階です。誰にでもある前頭葉機能の正常老化に加えて、無為な生活の継続による異常な老化の加速(廃用性機能低下)が生じて、前頭葉機能だけがうまく働かなくなった状態なのです。通常行われる認知機能検査では正常域となるために専門家の間ではむしろ理解されていないというレベルの人たちです。
小ボケの人たちに対する生活指導の時、「定期的な運動の他、右脳中心の変化ある楽しい生活を工夫しましょう」という一般的な脳リハビリの他に「『何かを決める』状況をできるだけ多く作ってください」といいます。これは小ボケのレベル特有の指導です。中ボケレベルでも難しい課題ですし、大ボケではとても決断できる能力は備わっていません。

小ボケになると、決断に必須の注意分配力がうまく機能しませんが、その前段階の注意集中力や意欲も極端に低下しています。決断を求めると「どっちでもいい」「面倒」「任せる」という反応が返ってくることがほとんどです。
具体的に言うと
①「おやつは何にしますか?」
→「うーん…別に」「何でもいい」「太るからいらない(袋菓子のつまみ食いはしているのに)」
②「夕食は何が食べたい?」
→「何でもいい(作ってくれるだけでありがたいor作るのはあなたの仕事!」
③同じ服ばかり着るので「着替えたら?」
→「今更おしゃれしなくても」「何でもいい」「歳とるとあまり汚れない」
④久しぶりに外出に誘おうと「行きたいところはない?」
→「面倒くさい」「この暑い(寒い)のに」「外出は後で疲れる」
⑤居眠りばかりするので「何かやったら?」
→「後で」「今日は調子が悪い」「歳とると言うのは…」と言い訳を並べ立てる。


会話としては成り立っていることがわかっていただけますか?そばからみると何も問題はないような問答ですよね。
浅い状況判断は、多分習慣的なものとして残っているので、それなりの反応ができるのですが、誘っている側の真意が伝わっていません。だから小ボケの人のお世話をしている人は、やり場のない怒りに近いじれったさを感じることが多いのですが。
この状況を脳機能からみるとまさに脳の司令塔が万全に働いていない。
最初に書いた前頭葉の働き①~③が動いていませんよね?こういうふうに理解することは、その人を理解するうえで最も大切な近道だと思います。


前頭葉が元気がなくなっている状態で「比較」して「決断」を求めることはとても難しい課題です。簡単にしてあげる近道は「具体化」してあげることです。
①「スイカと水ようかんとどっちがいい?」より簡単にするなら現物を見せて選んでもらう。
②「今日は魚でいいかな?脂ののった○○の塩焼きか、さっぱりと白身の○○の煮つけ。」少しエピソードを足して選択をしてもらう。
または、スーパーに誘って売り場で見て決める。
③二枚出して、どちらかを選んでもらう。決まったら認めてほめる(最初の二枚は、どちらを選んでもほめられるものを用意しておく)。
④具体的に、「あそこのカフェでお茶を飲むのと、少し遠出して○○に行ってみるのとどっちがいい?」
⑤「パズルやってみる?オセロの相手をしてもいいよ。どっちがいい?」

言葉のレベルで「比較」するのではなく、より具体的にイメージできる状態を作ってあげる、その究極は目の前にある現物を比較して選択できるような状況を作ってあげることが一番簡単です。
それでも、まず上の空ではなくじっくり見てもらう、そのうえでシミュレーションまでいかなくとも、せめて好悪をはっきり感じて決めてもらう。こういうときに、とてもプリミティブですが前頭葉は動き始めます。小ボケは前頭葉が居眠っているようなものですから、こうして揺り動かしましょう。
最終的には前頭葉は、その人そのものなのです。十人十色といわれるときのその「色」が前頭葉です。何を選択し、何に感動し、何を作り上げるか、究極のところ何のために生きるのか…すべて前頭葉が決めていきます。そしてその前頭葉はどのように生きてきたかによって「その人らしく」できあがっていきます。
教えられただけではなく、実際に自分が行動して自分なりの評価も行って自分の色が深まっていくのです。
だから、認知症の第一段階、前頭葉機能だけが低下した小ボケの段階では自覚としては「自分らしくない」、そばの人の評価としては「○○さんらしくない」といわれることになります。
カテゴリー「前頭葉の働き」にはたくさんの症例をあげてあります。お暇なときには読んでみて、前頭葉機能と認知症の本当の始まりの状態を知ってほしいと思います。

by 高槻絹子




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