脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

南伊豆町 くぼやまさとる展

2024年08月23日 | 前頭葉の働き
石廊崎オーシャンパークで開催されるくぼやまさとる展のお知らせが来た時から「行きたいなあ。でもちょっと遠いなあ。それに暑いし…」とためらっていました。
そこに横浜の友人から「行きます」と連絡あり。しかも日帰りで!そのメールを見た途端「行く」という決断をしました。
決断をしたのは、あれだけためらっていた私の前頭葉。
私たちが起きている時には、前頭葉がちょっと上から四方八方に目を配りながら見守っている。そんなイメージを持ってください。今回は行きたいという気持ち、遠いという条件、酷暑と言われる状況…決断としては「行かない方がいい」。
ところが「遠くの友人が行く」という新しい状況が勃発した途端、パネルがパタパタと動いて「遠くても、途中にもう一つ目的を加えたら長距離にはならない」「暑いといっても車移動で外活動はないから、熱中症にはならない」と新しい判断がなされ、行くことになりました(笑)
判断をする時に用意周到に種々の条件を考慮する場合もあれば、臨機応変に対応できるのも前頭葉の働きです。
ともあれ、石廊崎オーシャンパークのくぼやまさとる展に行きました。

『雲海と家』

『蘇った難破船』

久保山ワールドが緻密で繊細な筆致で繰り広げられていました。久保山さんの世界観は最初に出会った時から一貫していると思うのですが、色調やデザインが変化し続けているのを見るのが楽しみです。
久保山ご夫妻からお誘いを受けて車で5分のカフェ south pointに足を延ばしました。

店の前の駐車場から見下ろした景色!

どこかハワイを思わせるような店の佇まい。

玄関では「ヒリゾ浜Tシャツ」が出迎え。店内にはセレクトショップのようなおしゃれな小物がいっぱいありました。

カフェメニューも地産地消、手作りで、ヘルシーで美味しいもののオンパレード。

久保山作品のコーナー発見。久保山さんとのツーショット。友人の激写ですが、ちょっと避けられてる?かも。今度伺って見なくっちゃあ。

帰る時になって「駐車場から下にヒリゾ浜が見える」という情報が飛び込んできました。ここで入口にヒリゾ浜Tシャツが掛けてある意味を了解しました。
店内に入る前に見下ろした景色は「さすが南伊豆。変化に富んですてきだなあ」と思っただけでしたが、もう一度よーく見ると、確かにヒリゾ浜が見える!
同じ景色でも「ヒリゾ浜はどこだ!」と思ってみると細部が初めて見える。
こんな経験は他でもよくあると思うのですが、前頭葉が絡んでいることに気づいてください。
さあ、私の前頭葉はフル回転。
「思い出す」のは記憶の領域の仕事と思っている人も多いでしょうが、前頭葉が指令を出すところが始まりなのです。
小学生だった孫の希望(あ、今気づきました。もしかしたらその孫の父親、つまりわたしの長男の希望だったのかもしれません)で、早起きして車を走らせて中木へ。そこから小舟に乗ってほんの数分でヒリゾ浜に渡してもらうのです。黒潮が入り込み、流れ出ていく地形のせいか、たくさんの南の海の魚たちが泳いでいるのをスノーケルを使って楽しみました。
魚だけでなく、あのときの日差しも、海水の思いがけない冷たさも、孫の笑顔も、いろいろな会話も、お昼のおむすびも、浜が混雑していたことも生々しく思い出しました。
次に私の前頭葉はブログに記録していないかとチェックすることを決めました。
2010年8月に「おこがましくもかくしゃくヒントその5」として、脳をイキイキ使って認知症予防をするという記事を見つけました。その中にヒリゾ浜でスノーケリングと1行書いてありました。
それが前回再掲した記事です。
くぼやまさとる展に行ったことから、14年前のヒリゾ浜へのエクスカーションをまざまざ思い出しただけでなく、記事を読み返すことができその頃考えていたことまでクリアになりました。
認知症を防ぐには「変化ある楽しい生活」が不可欠だとよくお話しますが、実感。

「京風すっぽん料理えんじ」の話
家から石廊崎オーシャンパークまで直行したら1時間半はかかります。
ちょうど真ん中あたり下田市白浜に「京風すっぽん料理えんじ」が今年4月開店。前回初めて行った時に急用ができて不参加だった友人を誘ってランチをすることにしました。以上、全部前頭葉の判断。
京都『たん熊』で長く修行された主人が一人で切り盛りしていらっしゃいます。柿本光男さん。you tubeで「柿エモンの一人旅」発信中です。

お部屋のしつらえに思いが感じられます。
お料理は…絶品と言っていいと思います。一味も二味も違います。

お出汁の味が素晴らしい。微妙な味や、器や盛り付けの心遣いは、作る側の前頭葉が生み出して、いただく側の前頭葉がキャッチします。
結論:
「生活するときにはいつも前頭葉が見守ってくれている(とはいえ、あまりにもルーティンだと前頭葉の見守りなしでもこなしてしまい、出番がない状態になる)」
「前頭葉の出番がある生活、つまりは変化ある楽しい生活を心がけることが認知症予防」


by 高槻絹子














おこがましくもかくしゃくヒントその5(再掲)

2024年08月20日 | エイジングライフ研究所から
昨日、思いがけず南伊豆ヒリゾ浜を見下ろすことになりました。(詳細は後日投稿予定)
孫と一緒に船で渡してもらったヒリゾ浜。ブログに備忘録はないかと検索したら、たった1行「南伊豆ヒリゾ浜でスノーケル」と書かれた記事がヒットしました。14年前。2010年8月27日。
読み返すと「認知症を予防するには暮らしぶりが大切。生活を楽しめる必要がある」という納得できる主張があったので再掲することにします。(投稿先が変わったせいでスタイルが崩れてしまうので少し手を入れました)
ちなみに、孫は大学生と高校3年生になっています。


以下、再掲。
「猛暑の八月でしたねえ。
この暑さにめげず孫たちとよく遊びました。それもブログの更新にさし障るほど!海へも行きましたが写真は撮れませんでした。携帯なのでうまく写せないという公式な言い訳を用意しつつ、その実は楽しさいっぱいで写真どころではないと言った方が正直なところです。
河津町菖蒲沢海岸でウミホタル観察ツアー

南伊豆ヒリゾ浜でスノーケル。(写真は2024年8月19日撮影)

南伊豆町のひまわり畑にも行きました。
動物園にも行きました(アニマルキングダム)。
ホワイトタイガーがウリですがこれはヒョウ。

首の長~いキリン 

らせん階段?ブラックバック。

立派な角。ホワイトオリックス。

たてがみも白黒縞模様!シマウマ

ホロホロチョウ。

これは???直後に右端のバッタは捕食されました。

横から見るとカメレオン。

べったり寝ているプレーリードッグ。


高齢者のお出かけ場所として、買い物や公園や美術展・演劇・映画もちろん旅行など色々と考えられますが、意外と思いつかないのが動物園や水族館。
春や秋などの気候のいい時には、動物園はお勧めです。動物はやはりかわいいものですし、童心に帰れる点も楽しめるポイントでしょう。
環境も花や樹木など整備されていますが、ただ夏や冬は過酷すぎるでしょうね。
そのような時には水族館!冷房完備で屋根があります。つまり梅雨時にも行けるところです。
ちょっと発想を変えてみることも必要ですよ。

ふれあい広場や昆虫展でも、孫たちと盛り上がりました。都会育ちの孫たちが抵抗なく遊んでくれてうれしく思いました。
アルマジロ。

 虹色のカブトムシ。

子供をそっちのけで夢中になっているお父さんが、何人もいてほほえましいやらおかしいやら。そしてその時に「あなたってボケないタイプですよ」と言ってあげたい気持に駆られました。
大人になってカブト虫に興奮できるということは
① 子ども時代に虫取り少年(の生活を楽しんだ)
② 何にでも興味や関心を持てるタイプということになります。

「虫取り少年」という言葉からだけでも、少年時代の日常生活が彷彿とされます。どんなに楽しく光に満ちた時代を過ごしたことでしょうね。
汗をかいて、草いきれを吸って、さまざまな工夫をして虫を捕る。種々の体験こそが前頭葉をはぐくんでいくのです。
それから飼育にも心を砕き、卵をかえしたかもしれません。もしかしたら死なせてしまったかもしれません。でもその時々の感情がまた前頭葉を育てるのです。
知識だけで、体験がなくては、豊かな健康的な脳は育たないのです。
左脳重視の生活を強いられる青白い秀才の生活と比較してみてください。
ヘラクレスオオカブト。がんばってる手。
    
ハムスター。やさしい手。

かくしゃくとして人生を送ることができる大きな条件が少年期にあると考えて下さっている人たちはどのくらいいるのでしょうか?
実は、ボケ予防はさらに幼少時から始まっているのです。
かくしゃくと言わないまでもボケない生活をするためには、そのような生活ができる脳、言い換えると人生を楽しめる脳が必要なのです。それを無理なくこなす脳は、高齢者になって突然できるものではありません。知識の左脳、感性の右脳、自分らしさの源である前頭葉。オギャーと生まれてからの環境や教育や体験のすべてが、その人の脳をはぐくんでいくからです。
もうひとつ。高齢期は正常老化にとどまっていても喪失の時代でもあります。その自分を肯定できる自己肯定感を持てることは、ボケない高齢期を過ごすためには最も重要な条件だと思います。母子関係を基礎として様々な人間関係の中で自己肯定感は培われていくのです。
ボケない人生を全うするには「脳を育てる」という発想が必要な時代になっていますね。
孫たちと一緒に楽しんだ夏休みは、私のボケ予防のみならず孫たちのボケ予防の第N歩だったに違いありません」

by 高槻絹子


補聴器に公費助成始まる

2024年08月12日 | エイジングライフ研究所から
補聴器購入に公費助成が始まったというニュースに、ひざを打つ思いです。
二段階方式では、認知症の発症は「アミロイドベータやタウタンパクが原因ではない」と考えています。
人生の後半になって起きてきた大きなできごとや生活の変化に対応しきれずに、生きる意欲を削がれてしまう高齢者がいます。生きる意欲がなくなった生活ぶりというのは、いわゆるナイナイ尽くしの生活、具体的には趣味なく交遊なく生きがいを感じることもなく、そのうえに運動もしない生活です。一日中ぼんやりと日を暮らす…
今日の写真は朝ボンヤリせずに庭に出て撮ったもの。八重のバタフライピー

これは脳機能からみれば、脳の使い方が足りないということです。
脳機能を簡単に分ければ、デジタル情報を処理する左脳、アナログ情報を処理する右脳、体の運動に特化している運動領域、そしてそれを統括してその3分野の脳を上手に使うための司令塔である前頭葉ということになりますが、ナイナイ尽くしの生活というのは、その脳全体がイキイキと使われてない状態といえます。
バタフライピー下に空蝉発見

「その機能を使わない」と私たちの身体には廃用性といわれる機能変化が起きてきます。使わない筋肉は廃用性委縮を起こします。使われていない脳は廃用性機能低下を起こします。
もともと加齢とともに、体の各所に正常老化ともいうべき変化が起きてくることは、高齢のかたなら納得されると思います。
一重のバタフライピー

もちろん脳にも正常老化があるのです。歳を取ると物忘れがひどい。仕事がテキパキできない。なにかやってるともう一つの為すべきことがおろそかになる。発想力が落ちた。若い時に比べるという冠語をつけると認めざるを得ないことが多々あります。
ところが、認知症はそのレベルが違います。前頭葉に注目した脳機能検査をすれば、正常老化か正常老化に廃用性の機能低下が加味されたものかはすぐわかります。

廃用性機能低下が起きている場合には、生活がナイナイ尽くしに変わっていった、そのターニングポイントをはっきりさせることで、本人や家族に了解してもらいます。
二段階方式を使っている保健師さんたちでも、なかなかそのきっかけにたどり着けないと嘆く人もいますが、生活が変わっていないのなら(脳の使い方に何の変化もないのなら)必ず正常老化にとどまっているものです。

検査結果を手にすれば、そのきっかけはあるに違いないのですから聞き取っていくのです。
〇本人や家族の病気や怪我。(家族の介護に手がいるようになると、その介護をしている方の生活も変わってしまう)
〇仕事を辞める。(定年退職や代替わり)
〇心配事の勃発
〇親しい人との別れ
だいたい以上にあげたようなことで、ほとんどの人はきっかけが出てくるものです。

きっかけを尋ねていてある時にふと気づきました。
「そのころから、耳が遠くなってしまって。もともと遠かったのですが、差し障るほどになってきて」家族からの情報。
「耳が遠くなったので、寄り合いに出てもよく理解できないし、失敗したら嫌だからといって寄り合いにも趣味にも出かけなくなった」家族からの情報。
「聞き返すのが相手に悪いと遠慮していると、だんだんどうでもよくなってきた」本人の述懐。
など聴力低下を訴える人がいるのに、視力低下をきっかけという人は記憶にありません。
視力は見えない自覚があって、自分の工夫が効きますが、聴力は聞こえにくいを通り越して聞こえないときには、刺激がないのと同じ!
確かに聴力低下が廃用性機能低下を起こすのも納得ですね。

行政が補聴器購入の補助をする、その実態を、一般社団法人日本補聴器販売店協会 がまとめてありました。
全国273自治体。そのうち155自治体が65歳以上。金額は10,000円から137,000円。30,000円64市町村。50,000円50市町村。
詳しくはクリックしてみてください。

厚生労働省の総計のページを見てみました。
給付(総費用額)2021年11.3兆円。2022年13.3兆円。2023年で13.8兆円!
2023年の65歳以上人口は3,623万人。
後始末に追われるお金の使い方でない方法の一つが補聴器助成かと思います。
補聴器を勧めても抵抗を示す高齢者は多いものですが、その流れの中で補聴器に対する「年寄り臭くていや」というアレルギーも改善していくのではないでしょうか?
あんまり暑いので、キクイモに日傘をさしてやりました。



by高槻絹子




夏休み自由研究-興味関心は前頭葉が決める

2024年08月05日 | 前頭葉の働き
庭に白いユリがたくさん咲きました。全部切って花瓶に投げ入れて眺めているうちに、FBでつながっているY木さんの先日の投稿のことを思い出しました。
シンテッポウユリという新しい呼び名を教えてくださった投稿です。
以下Y木さんの投稿を表にまとめてみました。
今までは、テッポウユリとタカサゴユリの差は承知していて、タカサゴユリの花には赤い筋があるものとないものがあるのだとばかり思っていました。
そうではないことがよくわかりました。しかも花に赤い筋があるかないかということだけチェックすれば、きちんと分類できるというまたとない情報でした。
我が家にたくさん咲いてくれた百合はシンテッポウユリです。
筒状花


葉が細い


花びらに赤い筋がない


興味関心があるテーマだと、情報が目に飛び込んでくるような気持になります。そして受け取ったその情報を、使ってみたくもなりますね。

興味関心のあり方はまさに十人十色。いったん関心を持てば、それを深く追求していくタイプと、淡々としているタイプ、関心が向くテーマがあれこれとあるタイプ。
私はまさに後者ですが、植物への関心は結構ある方だと思います。

いま私が持っているこのような植物への関心はどのように、育まれたのか振り返ってみましょう。
私は北九州市で生まれ、18歳で上京するまで引っ越すこともなく生活しました。当時はちょうど日本が高度成長期に差し掛かる時代で、当然北九州工地帯は隆盛を誇り、なおかつ私の家は工業地区のまさにただなかにありました。
田どころか畑もない。八幡製鉄所からでる七色の煙は繁栄の象徴だったし、ばい煙が家の中にも侵入し、洞海湾が死の海といわれるときにもどこかに繁栄とのバーター取引のようなムードを感じました。つまり生の植物に囲まれることのない暮らしぶりでした。
ヒマワリ

ただし幸いなことに、夏休みなどには父の田舎によく行きました。青空の元、水田の浮草の動きに目を見張り、五右衛門ぶろを沸かす木や草のにおいは今でも大好き、蛍を蚊帳の中に飛ばし、マクワ瓜や夏野菜を畑に採りに行きました。こうして書いていくとキラキラ輝く田舎の景色が眼前に広がります…
今のように旅が日常的でなかった時代に、旅行にも連れて行ってもらいましたが、その目的地は阿蘇、桜島、日田など自然にあふれたところだったことに気づきました。小学生の間は春になると毎年、ツクシ採りのために自動車でプチ旅行したのも印象深い思い出です。
考えたら、私に対する「教育的配慮」というようなものではなく田舎で大きくなった父が緑を求めていたのかもわかりません。ちょっと恩が足りないかなあ…
ハマユウ

母は町育ちでしたから、わざわざ出かけるほどのモティベーションはなかったかもしれませんがお花をよく活けてくれていました。花屋さんにもよく一緒に行き、そして花の名前を教えてくれるので「よく知ってるなあ」といつも感心していました。わからないときにはすぐに尋ねる姿勢は母から教えてもらったのですね。
18歳で上京した時に、通学電車からみる明治神宮やキャンパスの木々や花たちを見るたびに東京はなんと緑豊かな町!と楽しみました。
ハイビスカス

植物は好きでしたが東京時代までずっと受け身だったことに気づきます。大きな変化は茶花に興味を惹かれた時からでしょう。東京時代は「今の時期は○○を生けたいのですけど」とおっしゃりながら、花屋さんのお花が床の間に生けられていました。
静岡に転居して稽古を再開したら、東京の先生があこがれるようにおっしゃった季節の野の花が当たり前のように生けられています。
ちょっと車で出かけると、珍しい茶花(つまり自然に咲いている花)がいくらでも目に飛び込んできます。
ポケットサイズの茶花図鑑を片手に、現物を見て知る喜びを十分味わいました。(茶道では問答があるので花をめでるだけでなく名前も知っておかないといけないのです)
今はちょっとは花を植えたり、挿し木や挿し芽をしたりしています。育てるところまで来られたということです。
そうそう、ブログを書くためにちょうど句読点のようなつもりで写真を入れますが、今住んでいる伊豆高原はその写真に事欠かない環境といえるほど植生が豊かです。
富戸海岸のカンゾウ

たった一人の、しかも植物に絞って興味関心がどう育っていうかを振り返ってみました。
一番ベースには、生得的なものがあるに違いありませんが、環境要因も大きく関与していることが納得されます。しかも現在から過去に向かって考えた方が、より置かれた状況の影響の大きさがわかりますね。
茶道をしなかったら。茶花に恵まれない東京でしかもそれを残念に思う先生にお稽古をつけていただいたからこそ、静岡でのお稽古で目の前がぱっと開けるような気持になったのだと思います。
そういう気持ちが持てたのは、自然に恵まれない生育環境のなかで両親が植物に目が向けられるシチュエーションを作ってくれたからでしょう。
ホーリーバジル


何でも体験する方が、人生を生き抜くには有利です。前頭葉は知識の脳ではありませんから「知ってる」だけではだめで「体験する」ことでできあがっていきます。成功体験も失敗体験も自分の前頭葉を作り上げていく必要な過程。
認知症にならないためには高齢期に変化のある楽しい生活を送れるようでないといけません。自分の興味関心はどの分野にあるかと考えてみましょう。その興味関心を深める方向でも、新しい興味関心を模索することでもいい。
それが認知症予防だと知れば、意欲がわいてくると思います。だってどこで講演しても「ボケるくらいなら死んだ方がいい」という声が聞こえますから。

by 高槻絹子






ブログ村

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