脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

生きがいとしての「自分らしい居場所作り」

2024年07月12日 | かくしゃくヒント
87歳になる友人宅を約束もせず訪問しました。山と水田に囲まれた田舎です。
奥が母屋手前が友人の家です。
かれこれ10回くらいはお邪魔したことがあると思いますが、伺うたびにそのセンスの良さに最初は感嘆、続いて心が洗われるような居心地の良さに浸ります。
母屋の玄関と向かい合わせに玄関があります。

玄関からすぐの客間。

一つ一つの飾り物から目が離せません。しかもそのほとんどが自作のさまざまな刺繍の作品なのです。

右の方向に目をやると、刺繍作品をタンスにしあげてる
アンテークの人形をお茶帽子に。人物写真のような刺繍作品。

角度を変えて見るとこういう感じです。

客間の奥には台所や居間があります。
台所も季節感あふれる自作の作品を生かしたインテリアが。

女子会を楽しんでいるところをパチリ。

トイレでも素敵なしつらえを発見しました。

紫陽花が何ヶ所にもいけられていましたが、そのセンスの良さに脱帽。

高齢者にとって「認知症になりたくない」という願いは切実なものがあると思います。
実はその答えはごく簡単。私たちは以下のように言います。
「認知症になるかならないかは、生活ぶりで決まります。生活ぶりは脳の使い方という意味ですよ」
「生きがいや趣味や交遊を楽しみ、運動も欠かさない」
「変化のある楽しい生活」
「自分らしくイキイキと生きているという実感が必須」
このような生活を目指しましょう。

私たちが生きているということは、デジタル情報を担当する左脳、アナログ情報を担当する右脳、そして体を動かす運動脳からなる三頭建ての馬車が動いているということです。
三頭建ての馬車が動くためには御者が必須。状況を判断し、決断を下し、行動を起こさせる。状況変化に応じて行動を抑制するのも御者の役割です。
脳の場合だと御者の役割を担うのは前頭葉です。
時を経ると馬車が古びてくるように、私たちの脳の働きも加齢とともに低下は否めません。物忘れしたり、テキパキことが進まなかったり。これは誰にでも起きることで正常老化です。
認知症は、この道筋とは違います。日々の暮らしに生きている実感や生きたい気持ちもなくなってただただ生きている。前頭葉の出番がない日々が続くところから始まります。御者が命令を出さないなら三頭建て馬車は動きません。使わなければ馬車はだんだんと朽ちていきます。脳だと正常老化を超えて働きが悪くなっていく。それを廃用性機能低下といいます。

廃用性機能低下を起こさないようにと、上記赤字で書いたことをお話ししてあげても
「生活に追われて趣味等するゆとりがなかった」
「もともと友人はいない」
「付き合いして問題が起きたら嫌だから」
「運動は苦手または嫌い」
「もう歳だから、普通に過ごしていれば上等」
「もう歳だから、わざわざ新しいことなんかする気もない」
「もう歳だから、一通り家のことがすんだら、テレビか居眠り」
「もう歳だから、転んでも困るしなるべく外には行かない」
「もう歳だから、おしゃれも面倒くさいし外へは行かない」

まあ次々と理由が出てくること。
馬車の状態を思い浮かべてみましょう。御者の出る幕をわざわざ引いてしまっています。こういう生活を続けていると脳の老化が加速されて6年もたつと、だいたい世の中で言われる認知症になります…

確かに趣味がない人もいる。人づきあいが苦手な人もいる。運動音痴の人もいる…
でも、体がとにかく持つようになった現在、体がもつ限り脳も持たせる必要があるのです。幼い時に知育に偏るのではなく脳全体を上手に育てるということが、将来の認知症予防につながるという壮大な提言を皆さんはどう聞いてくださるでしょうか?
高齢期は喪失の時代。仕事との別れ、友人や肉親との別れ、抗いようもない能力低下。視覚や聴覚だけでなく体力や運動能力の低下。それ以上に正常老化の範疇に入るとはいえ、たまに愕然とさせられる脳の能力の衰えなど。
まず、どうしても必要なことは自己肯定力を持つということですが、それこそ乳幼児期からの育みで生まれるものです。

ところで、老年期を生きるときに、「生きがい」があることは認知症にならないための大きな力となってくれます。
そしておもしろいことに「生きがい」は、自分で決めるものですね。
他者の評価とは関係なく、自分が肯定できる自分なりの生きがい。それを持てるかどうか。ここから認知症と正常老化の決定的な差が生まれます。
高齢になって、なお家族の食事作りをしている時、「この歳になってまだ食事作りに追われるなんて」と思う人もいれば「家族の喜ぶ顔を励みにがんばる」と生きがいにできる人もいる。
自治会の清掃活動に文句がある人もいれば、道のごみ拾いを喜びにする人もいる。
皆からあきれられるほどボランティア活動に励む人もいる。
もちろん趣味やそれを通じた交遊こそ生きがいと公言する人もいる。
健康で長生きをすることに目的を絞っている人も、孫の成長が楽しみな人もいる。

話は最初に戻ります。
私の87歳の友人が、彼女の感性に彩られた居心地のいい空間に生活をしていました。この彼女らしい彼女でないと実現できない生活ぶりを続けていくことそのものが生きがいになるかもという思いはお茶をいただきながら、どんどん確信にまで高まっていきました。
そこで、言いました。
「好子さんはほんとに素敵に生てる。自分らしいこの空間。思い出の作品たち。季節感を取り入れたインテリア。これを実現するためにたくさんの心配りがいるでしょう?それが脳をイキイキさせる。ただ高いところとか重いものとか難しくなったら、工夫してご家族に甘えてね。楽しくやり続けることができれば脳は持つ!」
「あら。認知症にならずに済むのにたったそれっぽち?それでいいのなら、できると思う!」
「あのね。好子さんにはできることでも、別の人にとってはとってもハードルが高いことよ。自分
が納得のできる生きる喜びは人によって違うから」楽しい会話が続きました。
「リハビリ教室に行きはじめたので、ちょっと気を使うようになったんです」とコーディネートされた洋服やポシェットを見せてくれました。


「同じ図案を使ってしまってボケちゃったのかと気にしてました」
いえいえ。糸も生地も変えてあって全く別作品でしたよ。前頭葉全開です。



お話も楽しかったですね。豊かなひとときでした…またお邪魔させてください。
by 高槻絹子






かくしゃくヒント38-脳出血を乗り越えて、今ジャズ喫茶オーナー

2023年05月26日 | かくしゃくヒント
友人が「女性写真家が撮った馬の写真展に行きましょう」と誘ってくれました。
場所を尋ねると「JAZZ倶楽部1946」。初めて聞く店名なので、さっそくグーグルマップで検索。伊豆高原桜並木から一本奥まっているので、今まで一度も行ったことがないところです。もうそれだけで未知への探検でちょっとワクワクしてきます。

写真展も素晴らしく、白馬が躍動している写真の前で、息がはずむような気がしました。でも今日は写真展の報告ではないのです。
珈琲をいただくつもりだったのにランチもオッケーといわれて、さっそくカウンターに席を用意していただきました。
テーブルのすぐ向こうにオーナーの笑顔が。そこそこお歳のはずなのに(店名に「1946」とあるのでこれはお生まれになった年だと推理した結果ですが当たり!)醸し出す雰囲気がおしゃれで明るく、とても話しかけやすいのです。

店内を移動されるときに、ちょっとご不自由な感じがありました。
私はどういう伺い方をしたか…「ちょっと歩きにくいようですね」と単刀直入に伺った気がします。

とってもフランクに「7年前に脳出血をやったんですよ」と話し始めてくださいました。
「後遺症としては、ことばの障害というよりもちょっと呂律が回らないということと、左半身にマヒが起きて寝たきり。その病院は安全第一の方針で、リハビリもしてくれない。マヒのせいだけでなく、こんなことをしていたら筋肉がなくなってしまってこのまま動けなくなってしまうのではないかと焦ったんです。
2か月後に退院ということになったときに『自分で治して見せる』と啖呵を切って退院。後は自分でやるしかないという状況になったこともよかったのかも。今じゃあ、運転もできるし東京だって平気に往復しますよ。
退院後は湯河原に別荘があったので、そこを拠点にして、よい病院にも恵まれリハビリに励みました。動けるようになったとき熱海に行ったんです。そこで出会ったのが『ジャズ喫茶ゆしま』。100歳近いと言われる高齢女性がきりもりしているお店で、大きな刺激を受けました。
一つはもう少し元気にならなくては!という思いと、もう一つはジャズをやり残していたという思い。
学生時代に先輩に連れて行ってもらったジャズ喫茶にのめりこみ、毎日通った日々のこと。車のBGMは全部ジャズにする程好きだったこと。
もともと、僕はやりたいことは徹底してやるタイプなのに、どうしてジャズのことを置いてきたのだろうと思いましたね。
日常生活はできるようにはなっていたのですが、もっと、もっとと欲が出てきました。結局、自分で自分の体と相談しながら様々なアプローチをしてみて、ほんとにあともう少しでゴールだろうと実感できるところまで来ています。『自分でなでる』ということもやるのですが、その時ジャズのリズムがぴったりなんです!
そうしてリハビリも続けながら、ジャズ喫茶を開くためにお店を探し始めました。熱海から始まってだんだん南下して伊豆高原のこのお店と縁があって、いろいろ手を入れて開店しました。一番のこだわりは音。学生時代に通い詰めたあのジャズ喫茶の『音』を再現したいけど、今はCDでしょう。
散々こだわって(ここの説明は私の理解が及びませんでした)二組のスピーカーを設置してまあ合格だと開店したのが2020年11月」
初めて私からの質問「まあ、ちょうどコロナですね!」

「そうなんですよ。それに僕はコーヒーにもちょっと自信があって、多分この辺で一番美味しいと思ってるくらいだけどね。最初は一日5人でもお客さんが来てくれたらいいと思って始めたものだから、特に焦りはなかったなあ。面白いものでお客さんが来てくれるようになると欲が出てくる。ちょうど手伝ってくれる人も決まってこのおいしいランチまで提供できるようになりました。
とにかくジャズ好きな人に、若いころ好きだった曲を聞いてもらって当時の記憶を呼び覚ませられたら脳が活性化するでしょう。それがやりたい」

右脳出血でかなりの後遺症を抱えて、ここまで「自力」で回復をした人を私はほとんど知りません、何人かのお顔が浮かぶだけです。

こんどは私がうかがう番です。
卒中の後遺症からここまで回復させることができた前頭葉はどうしてできあがったのか?どういう人生を送ってこられたのか?どういう前頭葉の使い方をなさってこられたのか?
一つも嫌な顔をされず、むしろイキイキと前半生を語ってくださいました。
そのお話をちょっと時系列に沿ってまとめてみます。
ご自分でデザインされた暖簾

大学の専攻は通信分野。ご両親が「堅かったので」といわれましたが、卒業後ご両親の意向を受けた選択だったのでしょうか「堅い」一流会社に勤務。ただし「3年は勤めよう」というつもりだったので3年で退職。「さあ何をやりたいか」と思ったときに浮かんだのはメーキャップアーティスト。専門学校に通って資格を取っても、思い描く仕事につながらない。次に挑戦したのは、企業勤務の時詳しくなったカメラ技術を生かしたプロカメラマンの道。ご両親の教えに沿ったかどうか聞き忘れましたが、その能力を発揮する場所として「堅い」霞が関官庁街をまず想定し、どの省庁が一番仕事があるだろうと考えた時、答えは全国に郵便局を抱える「郵政省」。詳しいお仕事の内容は伺いませんでしたが、写真作品が切手に採用されたこともおありだとか。そこから始めて霞が関の官庁にはほとんど関係ができたというのですからすごいことです。「きちんと予算付けしてもらった仕事をした」という説明もありました。
蒔絵が施されたお盆でコーヒーは提供されます。

とにかく話の中心には「自分が興味を持ったこと、やりたいことについては徹底的に追求した」という精神が感じられました。
カメラマンとしては風景が中心だといわれましたから、「日本中回られた方に聞くのは難しい質問でしょうが、どこの景色が…」と伺うと即答。
「ニセコのブナ林。春になるとブナの木の根元の雪が一足先に溶けて丸い土が見える、その景色」
そこで私が「十日町市松之山の美人林で教えてもらいました高齢化率42.3%-十日町市松之山」といったら「ニセコは規模が違う」と。オーナーの目にはニセコの広大なブナ林が見えているようでした。
「つい先日京都にも行ってみたら、ちゃんと思うような写真が撮れた」とおっしゃったので、とうぜんどこか尋ねます。
「天龍寺の奥の竹林。機材が重いけど様々に工夫して。けっこう自信がついたなあ。後は長崎にも行きたいし」
何というビビッドな心の動きでしょうか!

脳卒中は原則的に右脳か左脳かに起こります。脳卒中を起こしてしまうと、重症度は様々ですが後遺症は覚悟しなくてはいけません。後遺症も右脳か左脳の担う機能が障害されるという形で起きてきます。形の認識がおかしくなっても、ことばに障害がおきても、これは認知症ではありません。これは脳が損傷されたためにできなくなったこと、後遺症です。
認知症は脳機能全般に機能低下が起きると定義されています。
脳卒中後に脳血管性認知症になったといわれる人は、残念ながらたくさんいると思います。これは間違っています。
右脳でも左脳でも、卒中が起きてその結果後遺症が残った。卒中が起きてない方の脳は健全ですよ。でも「できないこと」はよく認識され「できる」ことには気が付かない。その結果脳卒中を起こしたのだから何もかもできない、できなくて当然だという誤解の下に、何もしない生活を半年も続けていると、病気直後には何ともなかった方の脳機能までもが、着々と低下してしまいます。ここで認知症への道が開けてしまうのです。
開業医が「脳血管性認知症は、だいたい発病後半年くらいして起きてくる」といわれるのは、実態を見ているという意味では正しく、脳機能という切り口がないのは、実体を見誤っているということになります。
脳卒中その後の後遺症という試練が降りかかってきただけでなく、認知症というさらに厳しい人生にはまり込まないようにすることは可能であるということをよく知っておいてほしいのです。
『JAZZ倶楽部1946』のオーナー麻賀進さんがその証人です。

by 高槻絹子




認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。

かくしゃくヒント38-同期会名簿確認から発見した〇本早〇さん

2022年08月22日 | かくしゃくヒント
ブーゲンビリア

戸畑高校同期会の幹事というのもおこがましいのですが、関東地区在住の女子の連絡係をやっています。
今回、これからは郵送をやめてネットを利用して連絡することは可能かどうかのお伺いを兼ねて名簿の整理をすることになりました。事務局から届いた名簿を見ると計17名。その中に初めての人が3人!今までは長いこと会ってないにしても、とにかくその人が誰かを納得したうえで手紙を出していました。もちろん誰かわからないままに事務的に手紙を出しても構わないのですが、少人数ですしちょっと私のポリシーに合いません。
私たちの高校は旧制中学が前身なので、女子は100人ほど。初めての人たちの「名」を手掛かりに卒業アルバムで確認していきました。幸いなことに重なる名前がなかったので、結婚して姓が変わったという前提でお手紙を出しました。「〇尾早〇さんですよね?」というふうに、旧姓を併記して出しました。

お返事がきました!しかも写真も添付してくれてます。
「私は、こどもさんへの読み聞かせやおもちゃの広場等々、なにかと野暮用ばかり、忙しくしています。
先日帰省した際も夫の仲間と会いましたが、一瞬誰が誰か、わかりませんでした。
私、わかりますか?すっかり、おばあさんになりました。-略‐
静岡でしたら、是非、焼津おもちゃ美術館へ足を運んでください。
私は東京おもちゃ美術館で学芸員活動もしていますので!」

さあ困りました。だって女性が二人です。でもあきらめずにジィーと眺め続けました。そうしたら手前の人の向こうになんだかお顔が見えるのです。
お願いしたデータは全部そろっていましたが、やはりうれしくて電話を掛けてしまいました。
「ごめんなさい。今からオンラインが始まるので」というお返事だったので慌てて切りました。そして社会とつながった活動的な生活を垣間見た思いがしました。
その日の夜、電話が通じました。正直に言うと、卒業後57年も会ってない。何もわからない状態で大丈夫かしらという危惧はあったと思います。まったくの杞憂!
「私はね、卒業したら家を出て、父の戦友がやっている神戸の養護施設で働きながら、保育の勉強をしてとった幼稚園教諭と保育士の資格でずっと働いたんです。
末っ子がまだ小学生の時から始まった夫の両親のお世話。介護生活は20数年かやったのよ。やりつくしたと思ってて、心残りはない。やり抜きました。もちろんその間同窓会なんか行けないでしょう?
今は自分の好きなことを楽しんでやってるの。特に退職してからは、ほんとに楽しい。けどちょっと外へ行く時間がないのね。
地元ではおもちゃの広場や子育て関係のボランティアをしてるし。(9月にも開催予定)

とにかく毎日が充実しててね。コロナがあったけれどそのせいでオンラインの講習会や相談なども増えたし、難病ネットのボランティアではロボットのオリヒメを使っての活動もしてます。 
東京おもちゃ美術館では読み聞かせとかボランティアの学芸員をしているの。しかも夫婦でやってるから、知らない人はいないのよ。
(この本は『三匹のヤギのガラガラドン』でしょ?私は我が子に読み聞かせしました)

孫守りもしてますよ。水泳もやってるし、ケーキ作りやおもちゃつくりも楽しんで、とにかく忙しくて、でかけられないの。
(同期の幕田さんの熱海起雲閣での展覧会のお誘いをしていたので)
今は自分の好きなことを楽しんでやってるの。特に退職してからは、ほんとに楽しい。けどちょっと外へ行く時間がないのね。(この話は何度も楽しそうに話してくれました)
そうそう私のハンドルネームはしゃいまま。ほんとは明るくおしゃべりだから、せめて名前はシャイに」
カヒリジンジャー蕾

私は、ワクワクしながらお話を聞きました。だって〇本早〇さんのお話からは「人生を肯定する。自分も肯定する。過去も現在も肯定する。(多分他の人も肯定する)」という通奏低音が流れていることがビシビシ伝わってくるのです。
こういう生き方ができる人は、第二の人生も、場合によっては繰り広げられることになる第三の人生すら、まずは肯定的に受け止めることができるはずです。その精神こそが認知症を防ぐ生き方に直結します。
花穂は30センチくらい。

二人ともFBをしているのですが、なかなかつなげられなくてもどかしい思いをしましたが、今朝めでたくつながりました。
「備忘録よ」といっていましたが、〇本早〇さんの記事は楽しい。子どもたちとの触れ合いがほとんどですから、頬が緩むこともしばしば。時折出てくる先輩やお仲間たちもみなさん楽し気に好きなことをやっていらっしゃる。そしてその方らしい生き方の筋が通っていらっしゃいます。
九州帰省のお話もちょうど小倉祇園の時だったとか。お囃子の音色が聞こえるようでした。国立九州博物館・太宰府、興味が似通っている。
〇本早〇さんからも、私のブログに目を通してくれた後
「貴女のブログ、少し読ませていただきました。私の求めている分野に近いところにいらっしゃる!
不思議です。きっと、すれ違っても、わからない二人があなたが旧姓をちょっと書いて下さった事で、広がったご縁。不思議です」私もそう思います!
サンゴバナ

お話を聞いてもFBの記事を読んでも、〇本早〇さんの生き方がはっきりと伝わってきます。もしかしたらけっこう大変だったかもしれない義両親のお世話すら「やり抜きました」の一言で済ませることができる強さ。
なんと肯定的な生き方でしょうか。

「昨日、おはなししてて、自分が今、ほんとに自分らしく生きていられるんだ!と、実感いたしました。時間はかかりましたが、好きな事を見つけられている今を、貴女のおかげで気付かされました」
そうですね。今幸せといえることはとっても素晴らしいことですね。
もう一つよいことがあります。このような生き方は認知症予防の王道なのです。

人が生きるということは、三頭立ての馬車を動かすようなものです。デジタルな情報処理をして仕事や勉強の時活発に働く左脳、色・形・音楽などのアナログ情報の処理、つまり趣味や遊びや人付き合いの時に欠かせない右脳、体を動かす運動の脳という働きの異なる三頭の馬がつながれた三頭立ての馬車。その馬車を動かすには、御者が不可欠です。目的を考え、見通しを立て、判断したり抑制を掛けたり。意欲を持って三頭の馬を使いこなし続ける前頭葉が必要です。前頭葉があってこそ馬車は動き続けることができるのです。前頭葉は脳の司令塔、その人らしさの源です。
ここを読んだら、〇本早〇さんはニヤッと笑うでしょう。「私大丈夫だ!」

実は私もニヤッと笑っています。この短いやり取りの中で「私のブログの『かくしゃくヒント』に書かせてくれませんか?」と申し出る自分自身の大胆さに。
エイジングライフ研究所の二段階方式では、認知症というものは誰でも持っている正常老化に加えて、脳の使い方が足りない(三頭立ての馬車が動かない)廃用性の機能低下が引き起こすものと考えています。具体的に言えば「趣味なく生きがいなく交遊も楽しまず運動もしない」生活が認知症を次第に重症化させていくのです。
生活ぶりを聞くと、脳の使い方が見えてきます。〇本早〇さんは認知症への道をたどる人と正反対の生き方、脳の使い方をしています。すばらしいことです!
久しぶりの電話の後、ラインをつなげ、FBもようやくつながりました。と書くと一行ですが、ほんとは次々と疑問のオンパレードで大変でしたよね(笑)お互いにちっともイラつかずに、つながった後いろいろわかることを期待して凌いだその過程も楽しかった。でしょう?
ブログ掲載依頼のお返事は「別にいいです。まだ、バタバタしてて、貴女のブログに辿り着いてませんが」こういう生き方も幅があってすてき。



ダリア

認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。

かくしゃくヒント37-TOMSの会

2020年01月12日 | かくしゃくヒント
私の出身校、戸畑高校の大先輩宗雪雅幸さんのご紹介です。

この写真展に、東京在住の同窓生女子会に平均年齢を上げながら参加して、東京まで行ってきました。メンバー変更のため第1回となっていますが、実質的には14回目なのです。
宗雪さんは日米貿易摩擦が大変な局面を迎えていたころ、富士写真フィルムの専務(その後、社長)を務められていたことは、伺っていました。今回もう少し詳しく知りたいと思ってネットで調べてみました。
アメリカのイーストマン・コダック社が「外国企業の参入を不公正な方法で阻んでいる」と富士写真フィルムを名指しで批判し、米国通商代表部に301条発動を求めて提訴という「事件」が起きたのが1995年5月。それに対し7月31日英文1000ページにも及ぶ「歴史の改竄」という反論書を提出しました。その陣頭指揮を執ったのが宗雪さんだったというのです。その後も積極的に意見主張を展開し、1998年1月には舞台を移したWTOで日本側の主張が全面的に認められて決着。HPを立ち上げる戦術も取り入れたり、それまでの対米戦術では例を見ない積極的な手法だったそうです。(ちなみに私の夫は、まさにその日米貿易摩擦で裁判にまでなった二輪車の案件を日本側勝訴に導きました)

TOMSの会。JCIIのホームページより抜粋。
日本のカメラ映像産業の生産・販売・技術革新・経営のトップとして常に業界を指導してきた、元キヤノン販売㈱社長・武本秀治、元㈱ニコン社長・小野茂夫、元富士フイルム㈱社長・宗雪雅幸のグループ写真展。一般財団法人 日本カメラ財団の役員であり、経団連写真同好会のメンバーでもある三人に、櫻井龍子さんを加えてその頭文字をとって「TOMSの会」と命名した。

武本さんは、毎年のテーマが「花火」です。瞬間のとらえ方が見事。色彩と構図のまとめ方がマジックのようです。
ちょうどいらっしゃった小野さん。「免許は返納したので、健康とボケ予防のためによく歩いているんです。そして目を引かれるものを写してます。去年は建物でしたが今年は祭りや雑踏での人々ですね」

1枚ずつ丁寧に説明してくださいました。

「浅草言問通りのお祭りで紙芝居をやってたのですが、終わりに演者が子供たちに質問すると、ほんとに素直に手を挙げたのですね。そうしたら感極まったように演者が泣き顔を見せて。心動かされました」なんと優しい・・・
Mr.OとMr.M

今回から参加なさった紅一点。
労働省女性局長から最高裁判事、そして去年から日本カメラ財団理事長をなさっている櫻井さん。

最高裁のお部屋からの四季の景色は圧巻でした。

窓外のかわいい雀にまで目を向けていらっしゃる感性が、うれしかったです。
さて、宗雪さん。

「やっぱりテーマがあった方がいいよね。今年は京都のパン屋さん。パンの消費量は、京都が一番、次が神戸。この2つは拮抗してるけど、ちょっと差があって岡山。
今は便利だからネットで調べておいて、京都まで行ってね。
この写真が評判がよかったんだよ。知る人ぞ知るまるき製パン所。どこもそうだけど間口が狭くて奥が深い」
「宇治のたま木亭。ここは日本一ともいわれてる。文字通り行列してるし、交通整理している人までいたんだよ」と丁寧に地図まで教えてくださって。

一番力が入ったのは「進々堂」これは私も知っていました。アンティークな机、椅子。あくまで静かな歴史を感じる、思索するための店。そんな言葉を目にしたことがあって一度は行きたいなと思っていた店です。
調べてみました。昭和5年創業。長テーブルと長椅子は、人間国宝の黒田辰秋作!
宗雪さんは京都大学ご卒業ですから、きっとお若いころにもいらっしゃったのでしょう。心を込めて説明してくださいました。

帰りに立ち寄った国立近代美術館工芸館、2階ロビーに置かれていた椅子がなんと黒田辰明作という偶然!
宗雪さんを「かくしゃくヒント」としてご紹介するには、ライフヒストリーをまとめて、全体を眺めてみるべきですが、今回はしていません。
ビジネスマンとして活躍なさるにあたっては、当然のことながら左脳と前頭葉の連係プレイはいかほどのものであったでしょうか!
またコダック社の301条提訴に対して、今までの日米交渉とは別次元のなすべき主張は堂々と主張するという対応は、「強い信念」なくしてはあり得ません。明確な価値基準を内に持っていらっしゃると思います。
ランチをごちそうになりながら伺った近江商人の話。蒲生氏郷に端を発する三方良しの考えを解説してくださいましたが、たぶん宗雪さんのお考えにも共通項がありそうでした。これぞ、宗雪さんの前頭葉です。

(国立近代美術館工芸館。元近衛師団司令部庁舎)
第一線を引かれて、名誉職に就かれる方は多いと思いますが、日本カメラ財団でも、ご自分の「やりたいこと」をなさった感じを受けますし、経団連写真同好会というのもいいじゃないですか。右脳なしでは写真作品はできません。
恵泉女学園の理事長もなさっていますが「この仕事は思いがけず楽しいよ。学生たちはよく話を聞いてくれるし、素直だよ。若くて元気がある」と以前に伺ったことがあります。
戸畑高校関東同窓会の幹事会の時お目にかかることが主でしたが、宗雪さんのご意見は「シンプルで前向き。柔軟で温かい。励ましが感じられる」というふうにいつも思っていました。
このエピソードも付け加えましょう。
「経堂(だったと思います)で評判の店のたい焼きが買えたから」と持ってきてくださったこともありました。その時の幹事会での何とも言えない座のなごみ方が忘れられません。
第一の人生で何をやったかということ以上に、第二の人生を生きるときにこういうふうに柔軟で、肯定的で楽しそうな生き方ができることを、私たちはかくしゃくへの道と信じています。前頭葉をはじめとして右脳を置き去りにせずフルに脳が使われているからです。

かくしゃくヒント36ー同窓会で認知症予防

2018年10月09日 | かくしゃくヒント

母校戸畑高校の天籟総総会関東支部の総会が、10月6日に無事終了しました。私はその支部長を務めています。お受けするにあたって「同窓会の意義って何だろう」と考えて、同窓会の会報「天籟」にこんなことを書きました。
「・・・同窓会は戸畑高校という共通の基盤を持った老若男女の集い。参加する人たちの思いはそれぞれですし、意味を見つけられずに参加しない人たちもいます。何ともったいないこと!同窓会は前頭葉を活性化できる認知症予防の場でもあるからです。日常生活の中で寂しさがふっとよぎることがある方、出席してみませんか?時を超えて同窓生や同期生との話が楽しめますよ。後輩たちには出会いから生まれる異業種交流も魅力的ですね。・・・」

私は認知症の予防活動をやってきました。
始まりは脳外科でした。脳が壊れた人はその場所によってどういうことができなくなるのか、あるいは治療してどの程度よくなり、どのような障害が残ったかなど脳の働きを調べる仕事をしてきました(神経心理機能テスト)。
そして前頭葉に損傷を受けた人たちは、従来用いられてきた
左脳や右脳の能力を測定する知能テストではその損傷具合が測れないことがわかり、その開発に関わりました。Photo_3
前頭葉はその人らしさの源、十人十色といわれる時のその「色」を決める脳の機能です。
上図でわかるようにどんなに優れた左脳や右脳を持っていても、それを駆使できるかどうかは御者(前頭葉)の能力次第です。左脳や右脳の機能を高次機能という言い方がありますが、それに倣えば、前頭葉機能は最高次機能といわなければいけません。
実は「ボケるくらいなら死んだ方がいい」といわれるほど怖がられているアルツハイマー型認知症は、もう治すことができな程手遅れになって診断されているだけだと皆さんはご存知ですか?
「治らない」とか「アミロイドβのせいだから」などと言われていますが、正体を説明してみましょう。
基本には脳の老化があります(若い人にはアルツハイマー型認知症はない)。
それでは、齢をとった方はみな認知症になっているか考えてみてください。お元気な方がたくさんいらっしゃる。

脳の老化のスピードが違うのです。老化が早まっていく人たちが小ボケ、中ボケそして大ボケと認知症への道を突き進む。大ボケに至るまで6年以上もかかります。
次になぜ老化が加速するかということになりますね。
人生の大きな変化や出来事をきっかけに、その変化に負けてしまって、生きがいも趣味も交遊もなく運動もしないナイナイ尽くしの生活になってしまう人たちは、脳をイキイキ使わない生活を続けることになります。使わないから老化が早まり(廃用性機能低下といいます)徐々にその人らしい生活が送れなくなっていくのです。
認知症は脳の使い方が足りないという意味での生活習慣病と考えるとよくわかると思います。

ちょっとまとめると「」内は家族による、生活状態の一言表現です。

小ボケ(御者だけ元気なく居眠り):「指示待ち人」回復容易
家庭生活は問題ないが社会生活がこなせない。世話役ができない。趣味をやめてしまう。無表情。意欲がない。
中ボケ(御者に加え、馬たちの脚も弱まった):「言い訳のうまい幼稚園児」回復可能
話していることを聞けば、変わりないがやることは幼稚園児のようになる。家庭生活に支障が出てくる。日付がわからない。服薬管理ができない。味付けが変。
大ボケ(御者も馬も横になって寝てしまっている):「脳の寝たきり」回復困難
セルフケアにも問題が出てくる。通常はここからをボケと思っている。徘徊。家族がわからなくなる。夜中に騒ぐ。食べられないものを食べる。
一足飛びに大ボケにならないということは、「正常から認知症への移り変わり」のカテゴリの中にたくさん書きました。

今回の同窓会では、私たちの考えを立証してくれるような出来事が重なりました。旧制中学8期生上木原孝志先輩が乾杯の発声をしてくださっています。88歳。
 
突然の指名にもかかわらず、堂々と壇上へ移られて、「現役時代は、もちろん仕事。退職してからもゴルフとマージャンはかなりやりました。ただこれだけ長生きをすると、仲間が集まらない。健康の秘訣は、OB会、同窓会、老人会にもれなく参加することなんですよ」と背筋を伸ばし、力のこもったお声で挨拶されました。的を得た的確な内容のご挨拶を、短い時間でピシッとお決めになりました。
大きな声で唱和するように付け加えられましたから、「乾杯」の
大きな声が会場に響きました。
上に説明した老化を加速させてしまう生き方と対極にあると思いませんか! 上木原先輩の生きがいや楽しみごとをもっと詳しく伺えなかったのは残念ですが、きっと前頭葉が「生きているという実感」を感じながら生活していらっしゃると思います。

自撮りしたことはありませんが、時間切れのため川嵜先輩と初めての自撮り。
かくしゃくヒント27-「ボケ予防に俳句を始めたよ」
2014年の総会の後に川嵜先輩のことを投稿しました。それからまた4年もたってしまいました。
「もう何年になるかなあ。(2010年だったみたいです)高槻さんの講演を聞いてから俳句を始めたんだよ。あの時老後には趣味がどうしても必要だってわかったから。それで続けてるよ。そして俳句を始めてほんとによかったと思ってる」
「それはよかったです!」スマホを広げて見せてくださったページには、写真の横に五七五がレイアウトされているすてきな作品がいくつもありました。
あとからメールで送ってくださいましたので追加します。

もしかしたら、写真クラブにも参加されているのかもしれませんね。

「英文俳句はなさらないのですか?」
「もちろんやってるよ。後から送るから」といわれました。
メール到着。
「昨日はご苦労様でした。
お約束通り俳句をメールします。9月の句会の句です。
1.glittering
 in  the  rays  of  morning  sun
   a  crape  myrtle
   キラキラと 朝日に匂う 百日紅
2.hanging  down
 a  gift  of  hot  summer
 darkish  grapes
 垂れ下がる 暑さの恵 黒葡萄
又、お会いしましょう。」
総会の席上では慌ただしくて詳しいお話は伺えなかったのですが、俳句の会からのお付き合いも広がっていらしゃるようでした。こういう生き方が大切なのです!何だかお若くなっていらっしゃるのではないかと思いました。

九州から参加してくださったT田さんからメールをいただきました。これにもうれしいことが書いてありました。 
「同じテーブルでご一緒させていただいた二期上の先輩が、高校の体育大会の時の同じ色の応援団長さんでした。25年ぶりの再会に感激いたしました。」
脳機能から考えると、この時の前頭葉はフル回転。
「あれ?もしかしたら…」から始まり、記憶を鮮明にする作業が続いたでしょうね。同じ時間を共有したことがはっきりした後は、懐かしさや応援に熱中したその時の気分までもが湧き上がってきたのではないでしょうか。25年間という時の流れが吹き飛んでしまうような感覚はありませんでしたか?応援合戦を離れた話題にも飛び火したかもわかりません。
考えてもみてください。このような脳の働きは動物にはないのです。人間たるゆえんの前頭葉のなさしめる技。脳の活性化の見本のような出来事でしたね。
今年の本部同窓会のTシャツ。福引の景品としてご寄付いただきました。

会も終わりに近づいた時、卒業年次でテーブルが決まっているのですが、若い人たちのテーブルから若者1人が壇上に招かれました。59回生!29歳!T巣さん。
このような溌溂とした青年を見るだけでも、気持ちの良いものです。しかも同窓生ですもの、よりうれしい。
「たまたま訪問した会社に先輩がいて、その先輩から出席してみるといい」といわれてきたのですってね。
そして「いろいろな先輩がいて同窓会に来てよかった」って言ってくれました。
ほら、同窓会って異業種交流の場にもなり得ます。先輩後輩の間柄がありますから教育的配慮も効くはずです。この記事の一番最初に書いたこととちょっと重なりますよね。
前ブログに書いたように、MORI BARは総会時以外の交流の場の役を担ってくれています。どうぞ行ってみてください。居心地よさにびっくりするでしょう。
ご自分の話や同窓会へのご希望などもっともっと話をしていただけばよかったと、とても残念に思っています。また来年、同期生を誘って参加してください。
景品のワイン
若い方たちのテーブルにちょっとお邪魔しました。
MORI BARでご一緒してライン友だちになっている30年後輩48回生のS谷さんとは、「同窓生ですものね」とファーストネームで呼び合う仲。子育て奮戦中の後輩に何かしてあげられることはないかとよく思うのですが、子育てを楽しんでねと伝えること位しかないのです。
たまにかわすラインのやり取り、お会いするのはもっと稀なのですが、そのときいつも心温まってますよ。ラインで会ってる子供たちの成長も楽しみの一つです。同窓会から生まれたこういうやりとりは、まちがいなく私の前頭葉を活性化してくれているのです。

総会出席者の最年少。ミニミーちゃん。52回生のママ、T田さんに連れられて参加です。平均年齢をしっかり下げてくれましたね。はなれた席だったので、連れてきてくれるまで気がつきませんでしたが、きっとまわりの方々をプレおじいさん、プレおばあさん気分にさせてあげたことでしょう。ちょっとだけ抱かせてもらったぷくぷくした感触がまだ感じられます。

6日には天籟同窓会総会出席。翌7日には牛久シャトーカミヤでベスパブランチにマイ車両で参加ですって。(意味が分からなくてググってしまいました。ベスパはイタリアのバイクのことでした。楽しそうです)
ミニミーちゃんの脳は今から信じられないくらいの成長をしていきます。アナログ情報を処理する右脳も大切。デジタル情報を処理する左脳も大切。もちろん運動の脳も鍛えてあげましょう、一歳になる前からマイ車両に乗ってるんですからこれは大丈夫ですね!
そして何より大切なのは、たくさんの経験をさせてあげて前頭葉を育てることです。それも今から100年もつような前頭葉を。今から広がってゆくその素晴らしい可能性に乾杯。
前頭葉そのものの説明がなかなか難しいところがありますから、興味があったら右欄カテゴリーの「前頭葉の働き」を読んでみてください。
「同期会なら楽しいけど・・・」とよく聞きますが、年代層が広い同窓会しかもってない刺激も体験してみていただきたいと思います。想定外に年齢層を広げてくれたミニミーちゃん、ありがとう。

 

 


 


かくしゃくヒント35-マルチタレント奥州市千葉謙さん84歳

2018年07月17日 | かくしゃくヒント

奥州市千葉謙さんのお宅にお邪魔して、短い夏休みを満喫してきました。千葉さんのことはこのブログでも何度も触れていますが直近のを一つ。後半に千葉さんのことを書いています。
「認知症予防講演会 in 奥州市江刺区」

自作のミツバチの巣箱巣箱の全景です。

千葉さんは一言でいうと楽しい方です。
今回も開口一番の発言は「今年は天候が悪かったのか、ミツバチが来てくれないんだよ。巣箱だけでなく歓迎プレートまで用意してやってるというのに!そうか。ミツバチは字が読めないんだったか。ミツバチに字を教えてくれる学校はどこかにないかね」この調子(笑)
千葉さんの家は道からアプローチが長いのです。みごとに手入れされている畑と花壇。

門から振り返ると

門です。

手づくりの看板がウエルカム。以前伺ったときのものとつくりかえられて新しくなっていました。

看板を背にしてみると、遠く奥羽山脈が臨めます。この写真には写っていませんが、びっくりするほどの残雪が見えました。

「今年はミツバチも来なかったけど、植木屋さんもなかなか来てくれなくてね。庭中の松をボクがちょちょっと作ってやった。葉を整理して枝を誘引して、結構楽しいもんだったさ」

玄関わきにはこんな大きな松も。梯子をかけて、まるで本職の職人さんのようだったでしょうね。


心の字池の周りには松が何本もありました。

ちょっと向きを変えて。

千葉謙さんは多彩な人です。趣味は幅広く、また何をやってもすぐに玄人はだしの域に達する方なのです。書画、陶芸、木彫、お囃子もできれば歌も楽しめる。そうそう、そば打ちも名人でした。
千葉謙さんにかかると、盆栽も一味違います。
「山に行って、実生を見るとかわいくってねえ。連れて帰ってやらないわけにはいけない気持ちになっちゃって」

「それから、盆栽に仕立てたり、寄せ植えを作ったり。だいたい僕は人のまねするのは嫌いだから、自由なもんさ」
確かにいろいろな段階の作品たちが所狭しと存在を主張していました。

「寄せ植えは楽しいよ。言えば自然を写し取るようなもんだから」

都会の人で退職後畑づくりに手を染めた人たちは別ですが、農家の場合、野菜作りを「なさねばならない仕事」と思っている人は多いと思います。千葉謙さんにかかるとこうなります。
「カボチャを土手に這わせて収穫したという話をよく聞くけど、ボクくらいのプロになると、カボチャは整列させちゃうんだから。脇芽をとって、小さな竹の短冊を作ってまっすぐに誘導する。そうするといい実ができるんだよ」
「右はダークホース。左は坊ちゃんカボチャ。お互いに挨拶できるようにダークホースは右から左。坊ちゃんは左から右に進ませてる」

冗談のように聞こえますが、「15節目で…」という言葉が聞こえたような。つまり研究も実践もやったうえでの「カボチャの整列」のはずです。とにかく謙さんにかかると何だか全体的に楽しそうになってしまうのです。
掃除だって、軽やかです。写真を撮り始めた私に「3分待って」というと長靴姿で草刈り機をもって登場。前庭の芝生部分を、ほんとに3分かからずにきれいにされました。

私が泊めて頂いた客間から見えた「お田の神さま」です。ほんとにみごとに、徹底したお掃除ぶりです。ここまできれいだと、「きれいにすることが楽しい」何か、そういう気持ちがうつってくるような気がしました。
客間から西側の景色。杉の木立があってその先には手入れが行き届いたクルミ林が続いていました。

趣味らしい趣味の話に戻しましょう。
駅からの車中はゴルフの話でもちきりでした。
「昨日、稲瀬のゴルフ同好会の連中と盛岡まで行ってきてね。なんと準優勝。だいたいが現職のみんなが交流を目的としてやってるわけだから、40,50の人たちが多くてね。ボクは84歳で準優勝だから!」
「それはすごい!」
「それだけじゃなくて、実はニアピン取ったんだ」
「すご~い」
「それにね、何とドラコンもボクのものさ」
「え~ニアピンもすごいけど、ドラコンの方がもっとすご~い。盛岡まで行ってよかったですね!」

縁側の上がり框のところに小さなテーブルがあって、その上にニアピン賞とドラコン賞がお行儀よく並んでいました。もちろん苔玉も千葉謙さん作。
「いらっしゃったお客さんに自慢するつもりでここに置いてあるんでしょう」というと、
「もちろん。そうだよ」と、悪びれたり恥ずかしがったりするところはゼロです。いいですねえ。
ところで、敷地の一角にアプローチコースを作って、「草取りと思うよりグリーンの手入れと思った方がいいもの」というほど入れ込んでいたんですが、クマ出没のニュースもあってアプローチコースは中止。
そうすると、早速その一画が野菜畑になってました。

ブルーベリー園も開園。大粒のや小粒のや。ここでもきっといろいろな情報を求めて工夫されていることでしょう。

見たこともないものも置かれていました。これは何ですかと尋ねたら
「コルゲートパイプ。道の下に通したりして工事で使う。頑丈なものだから、いらないといわれて即いただき!さ」これなら山芋だってできそうでした。

今日は千葉さんのマルチタレントぶりを家の中に限ってお伝えしましたが、本当のマルチな活躍は社会活動の部分にあります。
「朝は4時半に起きるのさ。暑いこともあるけど、ボクは昼からはだいたい用事で出かけるから、家のことは朝のうちにすまさないと」
昼からは、公的なことに引っ張りだこのようです。佐野向としとらんと会の仲間の世話、自治会のこと、老人会のこと、お寺の総代としての活動、地区振興会の会長さんもされてましたね。とにかく電話がよくかかってきます。この下のブログでその片鱗は伺えると思います。
「かくしゃくヒントー裏の山にいます」
「佐野向はまとまりがいい、とか仲がいいとか、活動が活発とか言われるんだよ。もともと密なつながりのある地域だったけど、としとらんと会ももう12年もやってるし。花いっぱいという掛け声をかけ続けたおかげで、ここは花がたくさんある地域になったよ」
確かに、道に設けられた花壇だけでなく、家の入り口や畑の一部にもお花があることは、車を走らせたら誰でも気が付くと思います。
この古タイヤ利用の花壇も、千葉謙さんの声掛けですって!道のそこここに置かれていました。


かくしゃくヒント34-「公務員時代は変わり者と言われ続けました」

2017年11月28日 | かくしゃくヒント

久し振りの「かくしゃくヒント」です。
北九州市若松区にある響灘緑地グリーンパークのバラ園技術顧問 小林博司さん。81歳。この「グリーンパークローズ」は小林さんが育種されたのですって。


バラが新品種と認められるには、気の遠くなるような過程があると聞いたことがあります。
たまたま出来上がるようなものではないのだそうですよ。まず、自分の作りたいバラが鮮やかにイメージされているはずです。(それだけで豊かな右脳の証明ですが)花びらの形、色、そして数。葉も色や艶や大きさ。香りだって関係あるかもわかりません。そのイメージがあるから努力が続けられるのでしょう。

入口で「ローズフェアが終わったばかりで」と申し訳なさそうに言われたのですが、とんでもない!立派に咲いていました。

一つずつ近寄って確かめます。写真家秋山正太郎さんは霧吹きで水滴を付けてバラを撮影したそうですが、朝方の小雨が撮影効果をあげてくれます。

グラデーションのある花もきれいに咲いています。

清楚な白。

伊豆の踊子を発見しました。よく病気に弱いと耳にしますが株そのものが元気で葉もつやつやしていました。

そこに、小林さん登場。この腕が小林さん。

ここから会話が始まりました。
「もう、50年近くなるかな。家を建てて庭がちょっとばかりできたので花でいっぱいにしようと思ったんです。そこでバラ。植えてみると今度はきれいに咲かせたい。それであちらこちらのバラ園に行っては研究したんです。広島にも行きましたよ。
ところが何も教えてくれない!そこでどうやったかというとゴミ捨て場に行って、袋を見るわけですよ。肥料や薬やそれを表にして研究しました」と笑いながらお話が弾みます。
実は平成27年から3年にわたって「バラの育て方講座」を開かれたそうで、その記念誌を見せてくださいました。

この記念誌で、小林さんのお人柄がもっともっと迫ってきました。
「バラを育て出して多くの人たちとの出会いが有り共に勉強して来ました。平成27年から始めて育て方講座で出会った皆さんとの3年。多くの感動を戴き大変心豊かに過ごすことが出来ました。これからも皆さんとの出会いを大切にし共に楽しい人生を過ごしていきたいと思っています」この巻頭言で一番迫ってきたのは「共に楽しい人生を過ごしていきたい」というところです。そう、人生は楽しくなくっちゃあ!
受講生の皆さんのページもありました。

皆さんのコメントからは楽しかった教室の様子が伝わってきました。そして皆さんがさらに一層のバラ好きになられた様子も。受講して仲間ができて楽しいと書かれている方が何人もいらっしゃいました。
どんな教室だったのかは、裏表紙の言葉が象徴的に語ってくれます。
「あなたと過ごした時間は私達の宝物です」
小林さんのお宅の写真も発見しましたよ。すごい!

話は小林さんとの会話に戻ります。響灘緑地のオープンは1992年だそうですが、バラ園のオープンは聞きそびれてしまいました。
「ここにバラ園ができることになった時に、実は若松区役所に勤めていた関係で『バラやってるんだから、ちょっと行ってやってこい』と言われてここに来たんですけど。それからずーと。定年になっても結局、来続けています」
私「秋バラはけなげに咲いて好きなんですが、ここのバラたちはとっても元気ですねえ。株も元気で花も多い」
「秋バラを咲かせるのは簡単、簡単。夏の手入れひとつ。株を元気にしてやっておくとちゃんと咲きます。ここのバラたちは元気でしょう」と先に立って案内してくださって、グリーンパークローズのところに連れて行ってくれたのです。

実はここへは中学校の同級生の岩男さんが連れて行ってくれました。先日フェイスブックで「友だち」になっていましたが、会うのは55年ぶり。ちゃんと分かり合えるだろうかとちょっと心配でしたが、運転席の笑顔を見てほんの少し時間がかかりましたがもちろんわかりました。面影は半世紀たってもちゃんと感じられるものだと感動しました。
笑顔のお二人。岩男さんも海外から帰国後は地域の皆さんとカラオケを楽しんだり介護予防の体操教室に行ったり、サイクリングが趣味です。先日もしまなみ海道までサイクリングに行ったんですって。(フェイスブック情報)

こういうイキイキとした笑顔を見ていると、私達はほとんど同時に「認知症にはなりそうもないなあ」と思うものです。イキイキとした表情は、その人の前頭葉が元気がいいことの証明です。
前頭葉が「何をして楽しもうか」とワクワクしているんです。

ちょっとためらいもあったのですが、思い切って伺ってみました。
私「公務員時代、変り者って言われたでしょ?」
「ああ、そうだよ」とこともなげに言われて言葉は続きました。
「公務員って、だいたい新しいことをやったり挑戦してみたりってしないんだよね。ボクは人と同じ事やるより、何か工夫して独自のことがやりたい方だったからね。それに組合もやったし、『やめます』って言おうかと思うことも何度もあったけど、仲間がね~『小林さんにやめられたら困る』って言ってくれた。ま、いずれにしても変わった公務員だったことは間違いないけど。何度も変わってるって言われたよ(笑)」

認知症への近道は「生きがいも趣味も交遊もなく、運動もしない」つまり脳を使わないナイナイ尽くしの生活をすることなのです。ナイナイ尽くしの生活は、もともと持っている脳の老化を加速させます。

逆に、認知症の予防は、いかに脳を使うかということにかかっています。そうすることで脳の老化はなだらかになり、年齢に比べてより若い脳機能を保つことができるのです。その状態を「かくしゃく」と言いますね
自分らしく、楽しく、仲間と一緒に。
小林さんの生き方は、お手本のように脳の元気を保つ生き方でした。とっても嬉しかったです。





かくしゃくヒント33ー「作品展の後、若返ったって言われます」

2017年06月19日 | かくしゃくヒント
伊豆高原の5月のお楽しみアートフェスティバル。
今年は友人のギャラリーで、これまた友人のフランス刺繍の作品展がありましたからワクワクしながらオープンを待ちました。案内ハガキです。「フランス刺繍に恋して60年」これがテーマです。

作者は山下好子さん。今年80歳のはずですが、とてもそのようには見えません。

繊細なフランス刺繍に出会うことがない時代ですから、作品展は大好評のうちに終了しました。刺繍もすてきでしたが、会場は刺繍の作品だけでなく、山下さんの感性で集められたアンティークの小物たちも場所を得て喜んでいました。

今日は後日談です。
電話の声が弾んでいました。
「私ね。あの作品展の後いろんな人から『若くなった』って言われるの。特に声がね、若くなったんですって。考えてみればわかる気もするのです」
(作品展にはフランス刺繍による絵画も飾られていました)

お話は続きます。
「作品展までは、お話しするといっても特別変わったこともなく淡々とした毎日だったわけですものね。作品展の後は、作品展がらみとか久しぶりの友人知人とか、そうそう昔のお弟子さんたちにもお会いしたから、どのお話にしたって楽しくて盛り上がってしまうんです」
(おしゃれなお茶帽子と指ぬきのコレクション)

私「お話の内容も楽しい話題なんでしょうけど、声そのものが溌溂とされたんじゃない?だってほんとに弾んでますよ~」
山下さん「まあ、そうでしょうか!そうだとしたらうれしいこと!」
私「声もですけど、ほんとに若々しくなった。もともとおきれいですけど、もっときれいになった。そういわれません?」
(こんなかわいい作品も)

山下さん「いえいえ。田舎のおばあさんですよ~
ですけど、アートフェスティバルの間は、人様が来てくださるしお話もしなくてはいけないので、一応失礼のないようにとお化粧もちょっとして何を着るかとかも考えたりしましたけどね。そういう余韻みたいなものは残ってるかもしれませんね」
(気が遠くなるようなカットワークの大作)

私「もともと美人さんだし、センスいいし。磨きがかかったというか。それにしてもよかったですねえ」
山下さん「そうなのです。お話があったときにはそれほどのものではないし、とか怖気づいていたんですけど、S塚さん(ギャラリー主)から『集大成です。一回まとめて皆さんに見ていただきましょうよ』と強く勧めていただいて、ほんとによかったと思ってます。いいお土産ができました」
私「そうですねぇ。確かに集大成。本誌終了ということですか。これからはステキなフロクを作るっていうのも楽しいかな。本誌よりフロクが好まれるってこともあるでしょう(笑)」
間髪入れずに。
山下さん「そうそう。最近はフロクの方が人気があって売り切れるというお話もありますね」こういうやり取りが、間髪入れずにできることが山下さんの脳が元気な証拠です。
(私に頂いたマーガレット模様のお茶帽子)

山下さん「一泊二日で東京に遊びに行ってきたんですよ。親戚のものと。銀座に泊まって銀座シックスにも行って、ランチしようと思ったら5000円。お連れが『ちょっと…』と言って、それで少し探したら近畿大学の養殖事業があるでしょう?あの直営店みたいなお店があって、美味しかったしサービスもよくてほんとに楽しかったんですよ」
私「東京へは御用で?」
山下さん「はとバスに乗りに(笑)。スカイツリーは見るだけとか希望を言ったら国会議事堂―赤坂迎賓館ー東京駅のステーションホテルでのティータイムというコースを選んでくれて。そうそう昼食は後楽園ドームホテルの高いところのレストランでした。どこもすてきでした。国会も今あんなでしょ。よくよく説明してくださってテレビで見るところが目の前で、ちょっと感動的」
私「よかったですねえ!東京も刺激的でいいですね。たびたび行らっしゃったらいいのに」
山下さん「たびたびはね。でも私、落語に行きたいのです!」と途切れることがないように話が続きます。いかにも楽しそうに、ほとばしるように。
山下さんの脳が実に活性化されていることが、ビンビン伝わってきましたよ。
(お茶帽子の背面。ハチが飛んできてる。こんなセンスの持ち主なんです)

こういうお話もありましたよ。
「私の人生、これで上等って思えます。後悔はない。そして巡り合えた人たちに『ありがとう』って言いたいの」
私「好子さんが言いたいことはわかります。でも人生終わりそうなお話ね。ちょっと早いかなあ」と笑ったらもうひとつこのようなお話も。
山下さん「私の刺繍の先生が、90歳におなりなのですが、作品展のお知らせハガキを見てくださって『がんばってるのね』と喜んでくださって『19歳で弟子入りした好子ちゃんに。またこれで何かを作るように』と貴重な麻地を箱にいっぱい二箱も送ってくださったの。
これは使わなければ!もともと生地を見るのは大好きなんですけど、デザインが浮かんでくるんです。これならテーブルクロスができるわとか、端切れはこういうふうに使ってとか、先生のことを思い出しながら毎晩眺めました。発想が次々わいて、やらずにはいられないというような気持ちになったんです!そして洗うものは洗ってクルクル巻いて準備が整ってますよ、もう」

私は、山下好子さんとのやり取りの中で、人が自分の人生を全うするためには「これで生きている!」と実感できるものが必要なのだということを再認識したような気がします。
山下好子さんは、わさび農家の家業をちゃんとお手伝いしながら、お食事当番もこなしつつ、「よしこばぁば」とお孫さんたちに慕われながら、刺繍も教えながら、別棟でセンス良く生活していらっしゃいます。これでほんとに上等なのですよ。
それでも、やや消極的な発言が聞かれたりすることもありました。それは、やはり「この年齢ですからね」の気持ちがベースに流れていたと思います。
ようやくできあがったお礼のハガキ。郵送される前ですが、一足先にお披露目させていただきました。

この5月の作品展の後、周りの方々が「お若くなった!」となぜ口をそろえていったのか…
年齢が若くなるはずもありません。それは山下好子さんの人生に対する姿勢にちょっとした変化があったからだと思います。
生きる目標が改めて感じられたのだと思います。
山下好子さんには刺繍の世界がさらに広く深く広がっていきましたが、私たちは皆、自分で「このために生きている」ものを、見つけなおしながら生きていかなくていけません。状況が変わっていきますから、その状況に応じながら、なお目標設定ができる生き方こそ「かくしゃく」への道なのだと改めて教えられました。このような働きは、脳の中でも最も重要で、人間にしかない前頭葉が担います。イキイキとした前頭葉こそかくしゃくへの必要条件です。
電話の最後の言葉もご紹介しておきたいと思います。
「少しでも、家族のため社会のために役に立つ。時間を上手に利用して刺繍や編み物を楽しむ。
出会った人さまと楽しくね」なんていいことばでしょう。


かくしゃくヒント32-楽しく生きる辻 博さん

2017年05月25日 | かくしゃくヒント

かくしゃくヒントに登場いただく方々には2種類あって、お付き合いをけっこう長くしていて生き方をよく知っている方と、今日お会いして「この方なら!」と私の中で太鼓判を押した方なのですが、今日ご紹介するのは後者。
お会いしていた時間は30分にも満たなかったかもわかりません。
今年の伊豆高原アートフェスティバルに参加されている辻博さん。

お顔の後ろ、長押の上に飾られているのは、もちろん自作の絵。制作方法がユニークで型紙を切って紙に置き、接着剤を塗り、そこに金属片を撒く。後で型紙を外すことにより型紙通りに金属片が残るというような方法らしいです。(私は駐車に手間取っていたため説明の途中から入室させていただきました)辻さんからご連絡いただきましたので追記、訂正します。「これはね、僕が考えて職人さんに作らせたものなのです。内子町で和紙を使った新商品開発を狙って、フランス人デザイナーを招聘してて、というのもフランスでは額縁に箔をおく技法があるからですけどね、その情報を基にして考えて職人さんに作ってもらったんです。だから作ったのは僕ではなく職人さん」はい、わかりました。
とにかく、「自分で工夫して他にないものを表現したい」という意図を持っていらっしゃることはよくわかりました。
「和紙の料紙を作る技法に箔を置いたり砂子を撒いたりしますね」とおはなししたのですが、それとは別に全く独自に考えられたことがわかりました。確かにこの技法はデザインされた型紙をおくのですからね。

「あ、一村」というと「よくわかりましたね。奄美に行った記念。でも僕の奄美」
大室山とさくらの里も、箔を置くとこんなモダンな仕上がりになります。モダンな琳派!

他にも何枚も水彩画が飾られていました。その中でも、この題がすてきで、見つけた友人は大喜び。

「Shall we dance」
「ススキじゃだめで、どうしてもシャル・ウィ・ダンスじゃないといけないんです」題の一ひねりまでもが作品ということですよね。

これは「大室山の山焼き」ですが、この独自性に満足なさってるのでしょうね、題には特別のひねりはなかったような気がします。

独自性といえば、門柱に掲げられていたアートフェスティバルの旗。
会場を示す看板は決められていて、みなさんNo.の所だけ変えてあとは共通したものが配布されます。
本当に道を知らせるための看板を手づくりしている会場は、見たことがありますが、この旗はそれとはちょっと違いますね。あくまで自分らしくアートフェスティバルに参加する姿勢の表れのような気がしました。そしてもうひとつの底流は、多分「楽しくなくっちゃあ。自分らしく楽しみたい」ということだったのではないでしょうか。

定年を迎えてのち伊豆高原で住まれている方はたくさんいらっしゃるようです。辻さんも2年半前までは、香川県高松市に住んでいらっしゃったそうです。

「最初にアートフェスティバルに出会ったときに、ここで住むのだからこれで人間関係を作ろうと思った。あんまりべたべたしてないで、でも仲良くできる距離で」うなずきながらお話を聞いています。心の中では「齢をとるほど、密な人間関係が欲しくなる傾向もあるのだけど」とか思っていました。
「ところが、こうして家を開けてお迎えすると、結構たくさんの方がいらっしゃってくれるんですよね。そして『何が専門ですか?』とか聞かれるんですけど…」「答えは何かしら」と耳をそばだてる私に飛び込んできた言葉は
「『え?(絵と掛詞)』って答えるんですよ」思わずお顔を見てしまいました。

その後も、ユーモア満載のお話が次々と。まじめなお顔をして(お仕事をなさっていた時にはきっとこのようなお顔だったんでしょうね)出てくる言葉や事件の面白いこと。みんなで大笑いです。今でも高松時代の友人たちとの交遊は続けていらっしゃるとのことでした。

 独自性の追求と、ユーモアとか対人親和性とかは結構相反する働きのように思います。両方持っていらっしゃる辻さんは、それだけでかくしゃく候補生です。絵はお好きだったそうですが、本格的に始められたのは定年後。積極的な考え方もすばらしいです。

奥さまが高松で収集なさった讃岐漆器も紹介されていました。

私は讃岐漆器のことは全く知りませんでした。
「讃岐高松藩は松平家ですから」と奥さまが解説してくださいました。「彫漆(ちょうしつ)、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、象谷塗、後藤塗と5種類あって、後藤塗りは本当に日常使いするものです。確かに高価ですけども長く使えることを考えると安いものとも言えますね」とやさしく穏やかに解説して下さる雰囲気は、やはり確立された生き方を感じました。この讃岐漆器の製法は、その五つ全てが国の伝統工芸品の指定を受けているものだということも教えてくださいました。
コマ塗のお皿に讃岐名産和三盆が。もちろんおふるまいしてくださいました。横のぐい飲みは薄い薄い仕上がりで感覚的には10gという感じです。うす張りのガラス器くらいの薄さでした。

「主人が気に入って、毎晩これで晩酌を楽しんでいます」何だかそのシーンが目に見えるようです。
塗りのお重箱に入っていた手作りお料理の数々には思わず笑みがこぼれます。

こんなに見事なきんま塗りの作品も見せていただきました。

センスの良い生き方はもちろん脳の健康にはとてもいいものです。センス良く生きるためには右脳の感性と前頭葉の連携プレイが必須ですから。
人と仲良く楽しく過ごす時間は、センス良い暮らしとは無関係のようですが、脳機能から言うとやはり右脳(言語外のコミュニケーションのすべて。表情・身振り・声の調子などの表出も受け取り)の出番なのです。交遊は右脳と前頭葉の連携プレイです。
同時通訳-コミュニケーションには右脳が必要です
両方兼ね備えている方にはなかなかお目にかかることがありません。
辻様
これからも、伊豆高原の生活を満喫なさって下さいね。
「言われなくても、そのつもり!」って聞こえました。

 

 




かくしゃくヒント31-彫刻家 重岡建治先生

2017年01月11日 | かくしゃくヒント

今日の「伊東市自然歴史案内人」講座は、重岡建治先生のアトリエ訪問でした。
毎年5月に伊豆高原一帯で開かれる、アートフェスティバルの発起人のおひとりですから、期間中は毎年アトリエをオープンにされます。その他にも何度かお会いしたり、作品を拝見したりしています。ずーと作品もお人柄も魅力的だと思っていました。

東日本大震災で全村避難の福島県飯舘村。そこから注文の作品(小さいサイズの見本)を傍らにおいて今日のお話が始まりました。

「飯舘村に道の駅ができるんですって。結構交通量の多い道ですから需要はあると見込まれてるんですけど」
2012の夏に南相馬市に行く途中通った飯舘村の緑にあふれる道が目に浮かびます。南相馬市便り
村長さんが素晴らしい人で、その道の駅では飯舘村の産物は売れない。ならば、支援してくれている土地の産物を売ろう。そしてそこに子供たちが遊べる彫刻公園を作ろう!と。思いつきがいいでしょう。その考えに賛同してこの作品を飯舘村のために作ってます。彫刻はそこでどう見えるかで全く違ってきますから、もちろん現地にも足を運びましたよ」
目がキラキラとして、とても今年80歳におなりとは思えません。


「これは、若いころに作った具象的な作品ですけど、気仙沼の港にあったんです。大震災の後、台座から転がり落ちていたので、今は預かってます。整備が終わったら気仙沼に帰る作品」
こういうふうに説明される時、先生が作品を見る目がとてもやさしく、そしてその作品の向こうに気仙沼の人たちの顔があって、その人たちまで見つめていらっしゃるような気にさせられます。
重岡アトリエのシンボルみたいです。「どこにもいかず、ここにあるものです」とおっしゃいましたから。

「ボクのは触れてもらう作品です。触ってもらったところはこんなに木肌がつややかになってるでしょ。ちょっと抽象的な作品のようですけど、目が悪い人たちにもわかってもらうために肩から腕のつながりなんかはとても正確に表現してます」

これが上半身。肩から腕。そうですね、目をつぶって触っても確かに人体と感じるでしょうね。膝に置いた手の部分がつやつや。

下半身。「長い間生きてきた木(「楠がいちばん好き」とおっしゃいました)を使いますから、やっぱりその木から新しく生まれ出たということを表現したくて、だんだん木そのものから作り上げるようになりました。下部を見てください」

お話は幅広い分野にわたります。
「ボクは彫刻って総合芸術だと思いますね。木が扱えないといけないし、その道具の手入れも。木彫の時はそれでいいですが、ブロンズにするためには新しい素材の生かし方も勉強。芯には鉄骨を組んでるし、大きい作品は地面を深く掘って型を差し込んでブロンズを流し込み、その後引き上げて設置。業者がやるのですが、知っておかなくてはね。4メートル以上だと安全のために計算も必要なんです」
 
「できるだけ薄く作るんです」と作品を裏返して説明してくださいました。イタリア留学時代に貧乏で材料代を節約するために細く薄く作った秘話まで披露されました。
「ジャコメッティはボクも好きですが、あれほど細く作るのは、彼もきっとお金がなかったに違いない」と笑っておっしゃいました。ふ~ん。
「イタリアや奈良の大仏様は、型をミツロウで作る作り方です。そこにブロンズを流し込むとロウなので溶けて簡便なんですが、金属の固まり方が違ってくるんですね。それに大きくはできないから、大仏さんのお顔のように継ぎ目ができてくる」


制作途中のフクロウ。材はサクラだそうですが、横のハトもサクラで作られた作品。
「50年たつと、サクラは酸化されてこんな濃い色になります。この色になって初めて、どのくらいノミを細かく使ったかがわかるようになります」
よくよく拝見したら、細かく彫られたところは1ミリにも満たないくらいでしたよ。

一般的なデザインはもちろん大切なのでしょうが、「木の持っている特徴を生かしてやりたい」という姿勢が強く伝わってきました。

これは椅子のデザインですが、周りはクスノキ、中はカエデと言われたと思います。色がすばらしいと。

先生は最初は仏像を彫る仏師に弟子入りされたそうです。徒弟制度の厳しさを語るエピソードはたくさんおありでしょうが、さらりと流し「教えていただいたことは、結局すべて身に付いた。そういうことができた最後の時代だったようです」と、言われました。
かくしゃく100歳の調査の時に感じた、人生に起きることに対しポジティブな受け止め方をするという 傾向が同じなんですね!

初期の仏像

手前は、最近の作品で「今、仏像を作るとこのようになります」。実は仏像が外れて分骨用のカプセルが組み込まれています。
「形がシャープになってきて、もう一つは『つながる』 とか『つなげる』とかを意識しています。実際にそうした方が強度も出てくるんです。子供たちがぶら下がっても、乗っても大丈夫なように作ってます」

もう一点、制作の秘密を教えてくださいました。大理石の作品です。

豊かな胸の表現が印象的な、抽象的な女体ですね。 
「この大理石は厚みが15センチくらいしかない。豊かな胸を表現するための工夫として、本来出ている腹部を彫ってへこませてみたんです。これから後の作品はへこますというか、えぐるというか。そこからむしろ豊かさを表すようになりました」

確かにこれだけの厚みしかないのです。

今まで何度も拝見してきた重岡作品ですが、これほど丁寧に説明していただくと見え方が変わってきます。
そして何より、重岡先生の人間愛とでもいえそうな、暖かさややさしさがその「言葉」からも伝わってきました。もちろんどの作品からも同じような印象がひたひたと押し寄せてくるのですけれど、こちらは「右脳」 がキャッチしています。
物事を理解するときに「言葉」は内容を深める働きをするものです。

玄関に入る前庭にこんなに大きな材が。庭にもアトリエの中にもたくさんの巨木がありました。乾燥を待っている巨木たちです。
重岡先生はキラキラした少年のような目でお話しされました。
あの目で、この巨木たちに対峙して、また魅力的な作品ができあがるのでしょう。
「作品を作り上げるのは、才能ではなく、コツコツ何万回もノミを打ち続ける根気だと思います。最近は手が言うことを聞かなくなってしまって。でも電動の道具があるそうだから」こういうことを言われる時も、深刻な雰囲気ではなくむしろニコニコ しながらおっしゃいます。

アトリエにお邪魔した2時間。心が震えました。そしてこういう深い生き方もまたかくしゃくへのパスポートに違いないと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 


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