アコンカグアの南壁
世界遺産ブームが続く日本。中でも南米アンデスの空中都市・マチュピチュの人気は高い。マチュピチュを生んだインカ文明を取り上げた、「ミイラは生きている」NHKスペシャルを興味深く見た。インカ文明についてはあまり知識が無かったが、ミイラを「生きた存在」と考えたインカでは、神に捧げる為に10~15歳程の子供を生贄にしたらしい。しかし、その場所が標高6700mの高所と言うから驚いてしまった。
番組では山の名前には触れていなかったが、アンデスでこの高度を保った山はアコンガグア(6959m)しかないだろう。アコンカグアは、アルゼンチンとチリの国境に聳える山で、アンデスはもとより南北アメリカの最高峰である。また、山の高さだけでなく、その堂々といた山容から他を圧倒する大きさが有り、昔からインカの人々にあがめられていた山の様だ。
1883年、アコンカグアの登頂が初めて試みられたが、初めてその山頂が踏まれたのは1897年1月14日で、イギリスのエドワード・フイッッツジェラルド率いる遠征隊のスイス人ガイド マティアス・ツールブリッケンによって成された。その後インドヒマラヤのトリスル1峰(7120m)が1907年に登頂され、人類が始めて7000mラインを始めて越えた。
そんな高所登山の基礎知識しかない自分にとって、およそ4~500年前のインカの人々がアンデスの高峰目指し、6700mに達したばかりか地下に深い穴を掘り、幼い子供を生贄にした事は驚く。5000m位ならばまだ納得も出来るが、この高度となるといかに高所慣れしたインカの人々とはいえ信じがたい。しかし、確かに生贄にされた現場での眼下の光景はその通りであった。
ヒマラヤでの高所順応の一般的な知識として、4000mと6000mラインの2段階が重要なステップと言われている。たとえ8000mを目指す高所クライマーでさえ例外ではなく、基本的なセオリーを踏んで山頂に達するのが常識。これを無視するならば必ず高度障害を引き起こし、登山の失敗はもちろん場合によっては順応中でさえ命を失うケースもある。しかし、このインカの生贄にされたのはまだ幼い子供で、徒歩で登ったのか担がれたのかは不明だが、確かな高所順応をしていたと見られる。その証は胃袋には食物が残っており、高所に良く適応して食欲が有った事で解る。
幼い子供ならば呼吸器系なども未発達で、肺活量も少なくて高所順応には大人と違って不向きの筈だ。しかもまともな防寒具もなければテントも無く、コンロも無いので高所では必須の多量の水分補給さえなかったと思われる。何がしかの高所順応のノウハウが有ったかもし知れないが、大人でも生死をかけた信仰行事だったと思われ、それ以上に子供の犠牲者もいただろう。そうなるとこれは純粋な登山行為とは言えないが、当時アコンカグアの初登頂が成された可能性も有る。
ヒマラヤなどの高峰では山岳信仰された話はあまり無く、チベットを除いて殆ど宗教的なな色彩は感じられない。イスラム教・キリスト教等のような一神教の文化圏とは異なり、多神教の日本の様に山も神と崇めた山岳信仰の民族は稀な様だが、ここインカでは神への熱い信仰心が有ったと言う点で興味深い。
※長文の昔の記録で恐縮ですが、お暇な方は覗いて下さい。
トリスル1峰 西壁ユーゴスラビアルート第2登 1981年10月
http://f58.aaa.livedoor.jp/~yamadori/torisul1981.html
世界遺産ブームが続く日本。中でも南米アンデスの空中都市・マチュピチュの人気は高い。マチュピチュを生んだインカ文明を取り上げた、「ミイラは生きている」NHKスペシャルを興味深く見た。インカ文明についてはあまり知識が無かったが、ミイラを「生きた存在」と考えたインカでは、神に捧げる為に10~15歳程の子供を生贄にしたらしい。しかし、その場所が標高6700mの高所と言うから驚いてしまった。
番組では山の名前には触れていなかったが、アンデスでこの高度を保った山はアコンガグア(6959m)しかないだろう。アコンカグアは、アルゼンチンとチリの国境に聳える山で、アンデスはもとより南北アメリカの最高峰である。また、山の高さだけでなく、その堂々といた山容から他を圧倒する大きさが有り、昔からインカの人々にあがめられていた山の様だ。
1883年、アコンカグアの登頂が初めて試みられたが、初めてその山頂が踏まれたのは1897年1月14日で、イギリスのエドワード・フイッッツジェラルド率いる遠征隊のスイス人ガイド マティアス・ツールブリッケンによって成された。その後インドヒマラヤのトリスル1峰(7120m)が1907年に登頂され、人類が始めて7000mラインを始めて越えた。
そんな高所登山の基礎知識しかない自分にとって、およそ4~500年前のインカの人々がアンデスの高峰目指し、6700mに達したばかりか地下に深い穴を掘り、幼い子供を生贄にした事は驚く。5000m位ならばまだ納得も出来るが、この高度となるといかに高所慣れしたインカの人々とはいえ信じがたい。しかし、確かに生贄にされた現場での眼下の光景はその通りであった。
ヒマラヤでの高所順応の一般的な知識として、4000mと6000mラインの2段階が重要なステップと言われている。たとえ8000mを目指す高所クライマーでさえ例外ではなく、基本的なセオリーを踏んで山頂に達するのが常識。これを無視するならば必ず高度障害を引き起こし、登山の失敗はもちろん場合によっては順応中でさえ命を失うケースもある。しかし、このインカの生贄にされたのはまだ幼い子供で、徒歩で登ったのか担がれたのかは不明だが、確かな高所順応をしていたと見られる。その証は胃袋には食物が残っており、高所に良く適応して食欲が有った事で解る。
幼い子供ならば呼吸器系なども未発達で、肺活量も少なくて高所順応には大人と違って不向きの筈だ。しかもまともな防寒具もなければテントも無く、コンロも無いので高所では必須の多量の水分補給さえなかったと思われる。何がしかの高所順応のノウハウが有ったかもし知れないが、大人でも生死をかけた信仰行事だったと思われ、それ以上に子供の犠牲者もいただろう。そうなるとこれは純粋な登山行為とは言えないが、当時アコンカグアの初登頂が成された可能性も有る。
ヒマラヤなどの高峰では山岳信仰された話はあまり無く、チベットを除いて殆ど宗教的なな色彩は感じられない。イスラム教・キリスト教等のような一神教の文化圏とは異なり、多神教の日本の様に山も神と崇めた山岳信仰の民族は稀な様だが、ここインカでは神への熱い信仰心が有ったと言う点で興味深い。
※長文の昔の記録で恐縮ですが、お暇な方は覗いて下さい。
トリスル1峰 西壁ユーゴスラビアルート第2登 1981年10月
http://f58.aaa.livedoor.jp/~yamadori/torisul1981.html