雨宮日記 2月11日(土) 昔の「紀元節」今の「建国記念の日」、そして…
今日は、たぶん弥生時代に、宮崎辺りから遠征してきて奈良県の辺りを侵略・征服した天皇家初代の神武(じんむ)天皇さんが即位したという日を命じになってから「その日は紀元前660年1月1日で、今の2月11日だ」と「計算」して明治の祝日になった「紀元節」の日です。
ボクは戦後生まれなので、戦後できた「建国記念の日}(今日です)も反対と言うより、むしろ馬鹿馬鹿しいです。ボクが建国記念の日に反対なのは、それは、たぶんフツーの「左翼」の皆さんとは、まったく別の理由です。
神武天皇さんの頃の古代、浜松や東海地方の民は、近畿の民もそうですが、西日本の三種の神器(矛・鏡・玉)とは違う銅鐸を神器にしていて民です。なんで、九州から来た武装勢力の天皇家に征服された我々「銅鐸の民」が、天皇の「三種の神器」を拝まなにゃならんのですか。
天皇家の正式史書の『日本書紀』には、神武天皇さんたちが、あらゆる陰謀・奸計をつかって、仲直りの宴会の場で、相手の住民たちを切り殺したことが得意げに書いてあります。まったく懲りない連中です。
つまり『日本書紀』という公式史書は、神さま(アマテラス大神など)から地上に降りて土民を支配せよという命令を受けた天皇家は、どんな悪質な方法をとっても、それを実現することは神さまから命令されているのだという史書です。
中南米のインディオの民が、彼らを征服したコロンブスさんを拝むような話は、まったく理不尽です。
☆
今日は、起きて1階へ降りたら、則子さんが居間にいたので、そこに正座して「いつもありがとうございます」とお辞儀をしました。
キョトンとしていたので「結婚記念日です」と言いました。
そうなんですよね。なぜ「2月11日」かというと、結婚する前年の秋1978年に「じゃあ、いつ結婚式にする?」という相談をして、ちょうど1079年には2月11日が日曜日であることに気づきました。
だいたい日曜日に結婚しても、そのあと結婚記念日を忘れたら、則子さんに糾弾されるじゃないですか。それなら、今は「国民の祝日」で必ず「祝日」になるこの日なら、いいだろう、と、当時の労政会館で「会費制結婚式」をしました。黒字でした。
えーと、何回目だっけ。
則子さんがここを覗く前に、確定しておきます。
☆
歴史的な資料として、以下に、多分ボクの父や祖父は歌った(歌わされた)であろう「紀元節」の歌詞を掲載しておきます。
紀元節 作詞:高崎 正風 作曲:伊沢 修二 著作権:消滅(詞・曲)
一、
雲に聳(そび)ゆる高千穂の
高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世(おおみよ)を
仰ぐ今日こそたのしけれ
二、
海原なせる埴安(はにやす)の
池のおもより猶(なお)ひろき
めぐみの波に浴(あ)みし世を
仰ぐ今日こそたのしけれ
三、
天つひつぎの高みくら
千代よろずよに動きなき
もとい定めしそのかみを
仰ぐ今日こそたのしけれ
四、
空にかがやく日のもとの
よろずの国にたぐいなき
国のみはしらたてし世を
仰ぐ今日こそたのしけれ
明治二十六年 官報三〇三七号付録 「祝日大祭日歌詞竝楽譜」
今日は、たぶん弥生時代に、宮崎辺りから遠征してきて奈良県の辺りを侵略・征服した天皇家初代の神武(じんむ)天皇さんが即位したという日を命じになってから「その日は紀元前660年1月1日で、今の2月11日だ」と「計算」して明治の祝日になった「紀元節」の日です。
ボクは戦後生まれなので、戦後できた「建国記念の日}(今日です)も反対と言うより、むしろ馬鹿馬鹿しいです。ボクが建国記念の日に反対なのは、それは、たぶんフツーの「左翼」の皆さんとは、まったく別の理由です。
神武天皇さんの頃の古代、浜松や東海地方の民は、近畿の民もそうですが、西日本の三種の神器(矛・鏡・玉)とは違う銅鐸を神器にしていて民です。なんで、九州から来た武装勢力の天皇家に征服された我々「銅鐸の民」が、天皇の「三種の神器」を拝まなにゃならんのですか。
天皇家の正式史書の『日本書紀』には、神武天皇さんたちが、あらゆる陰謀・奸計をつかって、仲直りの宴会の場で、相手の住民たちを切り殺したことが得意げに書いてあります。まったく懲りない連中です。
つまり『日本書紀』という公式史書は、神さま(アマテラス大神など)から地上に降りて土民を支配せよという命令を受けた天皇家は、どんな悪質な方法をとっても、それを実現することは神さまから命令されているのだという史書です。
中南米のインディオの民が、彼らを征服したコロンブスさんを拝むような話は、まったく理不尽です。
☆
今日は、起きて1階へ降りたら、則子さんが居間にいたので、そこに正座して「いつもありがとうございます」とお辞儀をしました。
キョトンとしていたので「結婚記念日です」と言いました。
そうなんですよね。なぜ「2月11日」かというと、結婚する前年の秋1978年に「じゃあ、いつ結婚式にする?」という相談をして、ちょうど1079年には2月11日が日曜日であることに気づきました。
だいたい日曜日に結婚しても、そのあと結婚記念日を忘れたら、則子さんに糾弾されるじゃないですか。それなら、今は「国民の祝日」で必ず「祝日」になるこの日なら、いいだろう、と、当時の労政会館で「会費制結婚式」をしました。黒字でした。
えーと、何回目だっけ。
則子さんがここを覗く前に、確定しておきます。
☆
歴史的な資料として、以下に、多分ボクの父や祖父は歌った(歌わされた)であろう「紀元節」の歌詞を掲載しておきます。
紀元節 作詞:高崎 正風 作曲:伊沢 修二 著作権:消滅(詞・曲)
一、
雲に聳(そび)ゆる高千穂の
高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世(おおみよ)を
仰ぐ今日こそたのしけれ
二、
海原なせる埴安(はにやす)の
池のおもより猶(なお)ひろき
めぐみの波に浴(あ)みし世を
仰ぐ今日こそたのしけれ
三、
天つひつぎの高みくら
千代よろずよに動きなき
もとい定めしそのかみを
仰ぐ今日こそたのしけれ
四、
空にかがやく日のもとの
よろずの国にたぐいなき
国のみはしらたてし世を
仰ぐ今日こそたのしけれ
明治二十六年 官報三〇三七号付録 「祝日大祭日歌詞竝楽譜」