雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州古代史 木簡の「石田」と「磐田」

2012年02月28日 16時26分00秒 | 遠州古代史
遠州古代史 木簡の「石田」と「磐田」

 木簡学会編『木簡から古代がみえる』岩波新書、2010年、p69に長屋王邸宅から出土した木簡に「遠江」「石田」と書いた木簡があると書いてありました。

 平城京木簡にも「遠江国」「石田郡」があるそうです。

 調べてみると、天平10年の「駿河国正税帳」の「遠江国使磐田郡散事大湯坐部小国」とあるのが「磐田郡」の始めのようです。

 石田=磐田となるようですが、問題は、天竜川西岸の現在の浜松市東区に「下石田町(しもいしだちょう)」「上石田町(かみいしだちょう)」があることです。

 この「石田町」と天竜川東岸の「磐田」との関係はあるのでしょうか。ないのでしょうか。

 古代の天竜川は今の流路ではなく、三方原台地寄りを流れていたので、「石田町」と「磐田」は感覚的に近くなります。

 磐田の人たちがここに移動していて、天竜川の渡しを支配していたという「分家」説はどうでしょうか。
 
 浜松市の東区版広報にはこう書かれていますが、洪水のあるところがすべて「石田」にはならないでしょうと思います。

 「古くには上石田と下石田を併せて石田郷と呼んでいました。この地域は、天竜川の氾らんが3年に一度は必ずあった、と言われるほど洪水の多い地帯でした。洪水によって、田畑に砂利が流れ込み、石だらけの田んぼになったことから、「石田」とつけられた説があります。上石田の上は北の意味、下石田の下は南の意味です。
 石田には「石田の渡し」の呼称があり、かつては船着場があったようです。平安時代末期の僧、西行法師の絵詞にも「遠江石田天竜の渡にかかりつきて、船渡りたれば…」と記されています。
 現在流通元町になっている一部も、かつては下石田町でした。江戸時代の「元禄高帳」によると、当時の上石田村、下石田村は長上郡下で五本の指に入るほどの大きな村でした。」

 北九州の「壱岐」島にも「石田郡」がありますね。壱岐の石田郡には洪水があるでしょうか。

 全国に「石田」は、いっぱいあるようです。

なお「石」=「岩」の例は、九州の王「筑紫国造磐井」(日本書紀)=「筑紫君石井」(古事記)でも同じです。

 古代の岩石信仰からすると「磐井」「石井」は、神聖な「石」信仰とだいじな「水」信仰が組み合わさった聖なる名前と言うことになるでしょうか。

 同じような例は、浜松でも現浜北区の「岩水寺(がんすいじ)」にあります。

  ☆

 このブログでも、昨年3月30日に以下のように掲載しました。

 「震災・くらし情報 過去の地震 1 霊亀元年(715年)「遠江国地震」

 過去の地震について調べ始めました。
 
 日本国の正史の2番目である『続日本紀』によれば、西暦715年(霊亀元年)の5月25日に「遠江国地震」とあります。

 原文は漢文ですが、以下のように書いています。

 「遠江国地震。山崩壅麁玉河。水為之不流。経数十日。潰、没敷智。長下。石田三郡民家百七十余区。并損苗。」

 訳してみると「遠江国で地震。山香崩れ、あら玉川をふさいだ。数十日を経て、決壊して、敷地郡・長下郡・石田郡の三郡の民家170余区が水没し、苗をダだめにした」


地震ニュース 2月28日(火)午前4時32分 沖縄で地震

2012年02月28日 05時00分56秒 | 地震・津浪・防災

地震ニュース 2月28日(火)午前4時32分 沖縄で地震

 28日午前4時32分ごろ、沖縄で地震がありました。南部の渡嘉敷、座間味両村で震度3です。気象庁によると、震源地は沖縄本島近海で、震源の深さは約50キロ、マグニチュードは5.6です。

 沖縄というと「地震のない島」という間違ったイメージがあるようです。

 奄美諸島から沖縄列島の東側には琉球海溝があるので、当然、巨大地震が起きる可能性は高いと思います。

 ある科学者の説で、「2010年2月に最大震度5弱を観測した沖縄本島近海地震が、東日本大震災の発生を示す予兆だったと推測される」とも。

 沖縄本島近海地震は、震源地を那覇の東南東約100キロ、震源の深さを37キロとするマグニチュード7・4の強い地震で、糸満市では震度5弱を記録しました。

 1771年には、石垣島で80mを超える日本国内最大の津波が発生しています。

 今日の地震が「西日本大地震」の予兆でないと、いいのですが。