雨宮日記 2月14日(火) バレンタイン・デーに浜松市原水協総会
この数日間、今日の夜の「原水爆禁止浜松市協議会2012年度定期総会」の準備で大変でした。
ぼくの妻・雨宮則子さんは、1997年以来15年間、ずっとこの市民団体の事務局長です。事務局長と言っても、「代表権」をもった事務局長なので、実質的には「代表」です。
じつは、その1997年に交代した「前任者」は何を隠そうボクで(別に隠してませんが)、精神の病気でうつ状態になったボクから、同じ平和運動をずっとしてきた則子さんに交代したわけです。
その時からずっと、十数年間、則子さんという、きびしい「前線司令官」の下で「参謀」「秘書」として仕えてきました。
イヤではなかったですが、緊張を強いられた仕事であることは確かです。
まだ、もうすこし、続きそうです。
この数日間、今日の夜の「原水爆禁止浜松市協議会2012年度定期総会」の準備で大変でした。
ぼくの妻・雨宮則子さんは、1997年以来15年間、ずっとこの市民団体の事務局長です。事務局長と言っても、「代表権」をもった事務局長なので、実質的には「代表」です。
じつは、その1997年に交代した「前任者」は何を隠そうボクで(別に隠してませんが)、精神の病気でうつ状態になったボクから、同じ平和運動をずっとしてきた則子さんに交代したわけです。
その時からずっと、十数年間、則子さんという、きびしい「前線司令官」の下で「参謀」「秘書」として仕えてきました。
イヤではなかったですが、緊張を強いられた仕事であることは確かです。
まだ、もうすこし、続きそうです。