雨宮日記 6月10日(日) 都田へ古墳と神社を見に・・
本当は舞阪地域へ神社と過去の津浪災害の調査に行くから「オニギリ作ってね」と言ってあったのですが、からだが言うことを聞かず(則子さんいわく「単に飲みすぎでしょ?」)、けっきょく車で則子さんと二人で都田地域へ向かいました。曇りです。
三浦橋の南にカルガモ一家(カルガモ夫婦と生まれたばかりの小さな子どもたち)を則子さんが見ました。カルガモさん、おおぜいの子育て、大変ですね。ぼくらは2人で打ち止めでした。
家から三方原台地の上へ登り、昔の「満州街道」、今の都田テクノロードを北へ。則子さんに「なんでテクノロードなんて品もない歴史もない名前をつけるんだろうね?」って言っていたら、道路の左側に「歴史的標識」で丸太をはいで「満州道路」と書いてありました、目立ちませんね。
都田総合公園の外周を 南⇒東⇒北 と回って「見徳霊園」の駐車場に車を入れました。駐車場からすぐ北の墓地に入ってすぐ左を、草地の間の細い道を、山の上へ西へ昇っていきます。墓地と駐車場のあいだの少し広い道は西の下に降りていく道なので間違えないで下さい。
今は、墓地の中に白いハルジオン(つぼみが下がるのでヒメジオンではなく「ハル」です)がいっぱい白い絨毯のように咲いています、大きなハチ(スズメバチ?)やモンシロチョウやウスバキトンボが飛んでいます。
頂上へ到着すると、根の前が見徳(けんとく)古墳です。あとは「浜松の遺跡・神社・地名」で。
南側に横穴が空いていて、横穴の中に入ることもできます。「入れる」場合には「必ずはいる」のが雨宮智彦の憲法ですし、「火事とけんかは江戸の花、古墳と神社は浜松の花」なので、ぼくは入りました。こういう場合は則子さんは、「則子憲法」は知らないので理由はわかりませんが「必ず入りません」ね。もしかしたら、高所恐怖症に加えて、閉所恐怖症かも知れません。
ここで、則子さんの作ってくれたオニギリを1個だけ食べました。あとは家で娘に食べられてしまったようです。
墓地なので探してみると、素敵な石仏さまや、観音様があり、「大東亜戦争戦没兵士の墓」もありました。どれもあまり判読できませんが、昭和20年7月、比島、つまりフィリピンでというのもありました。
今日はここを出発点に、神社4つを回りました。「浜松の遺跡・神社・地名」で書きます。