雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

古代史ニュース 2012年6月 最古の戸籍が福岡県太宰府市で出土

2012年06月16日 06時18分57秒 | 古代史ニュース

古代史ニュース 2012年6月 最古の戸籍が福岡県太宰府市で出土

 これまで古代日本で最古の戸籍は、西暦701年、つまり8世紀初頭の奈良・東大寺正倉院の文書「筑前国嶋郡川辺里戸籍」とされてきました。

 つまり福岡県の戸籍が天皇家の本拠地・奈良の平城京から出土していたわけです。これは福岡県から出土したのではありません。
 
 それが太宰府政庁跡の北西1.2kmの「国分松本遺跡」で戸籍木簡が出土しました。

 今回の7世紀末の「最古の戸籍」というのは同じ「嶋」で「嶋評」「川辺里」です。

 701年に「評」から「郡」に変更されたとされているので、701年以前です。そして「進大弐」という冠位名が出てくるので、685年以後、という解釈です。

 木簡には「兵士」「戸主建部身麻呂」「丁女(成人の女性)」「老女」などが書かれています。非常に、興味深いです。

 これについての解釈は、また別途書きたいと思います。

 一案ですが、日本の古代国家では、各地方のたとえば現地の「郡衙」には木簡に書かれた「戸籍」を原本として保管して、中央(8世紀には奈良・平城京)では木簡の戸籍を書写した「紙」の戸籍で管理したのでは、ないでしょうか?
 
 でないと、奈良の正倉院に、福岡の「嶋評」の戸籍があることが理解できません。


 


雨宮日記 6月15日(金) 13才の男の子と話したいよ

2012年06月16日 05時58分37秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 6月15日(金) 13才の男の子と話したいよ

 わが家と遠鉄電車曳馬駅のあいだにある10階建てのマンションから、キミは飛び降りました。たぶん、自死なんでしょうか。

 キミは、曳馬中学校で午後「いのち」の特別授業を受けました。どんな授業だったの?

 そのあとキミは、先生に「数学の宿題を持ってきなさい」と言われて、学校から家に帰り、体操服のままで、家にカバンを置いて、屋上に上り…

 ☆

 学校が悪いのでもないし、家庭が悪いのでもないと思います。学校も、家庭も、社会も、何かにがんじがらめにされて、身動きが取れなくて、自由な選択もないのでしょう。

 13才のキミに「学校は行っても良いし、行かなくてもいいよ」「学校へ行かない生き方もあるんだよ」「人生は自由なんだよ」「キミの中の魂の判断で決めていいんだよ」と、誰かが教えてあげられたら…と思います。

 いろいろな自殺対策プログラムを読むと、どうも「自殺は悪です」「生きなければいけない」みたいな押しつけが感じられて、雨宮家で作ってきた「自分で決めよう」「自分たちで決めよう」「生きたいか死にたいか、自分で決めよう」というのと、かなり違います。

 ウソっぽい「マニュアル」教育は逆効果ではないでしょうか。

 でも、キミを救えなかったぼくたち浜松市民は、どうすればいいのかな?

 やはり、率直にいろいろな人と、いろいろな話をしたいと思います。

 13才で「不登校」になったけど、今はふつうに働いている次女のIさんとも、あのころのことを聞きたいです。

 原水爆禁止運動が核兵器の被害者であるヒバクシャから話を聞くことが原点であるように、原発反対運動が福島の人々の声を聞くことが原点であるように、生徒のいのちを守る運動もやはり、生徒の生の声を聞くことから始められないかな、と思います。