雨宮日記 8月18日(日)の2 浜松の中川真弁護士の「犯罪」
つねに自分の手は「きれい」だなどとは思っていませんが、つねに「きれいにしたい」と思い、必死に努力しているのが普通のぼくたちだと思います。
ぼくや則子さんが深くかかわってきた原水禁運動の静岡県の被爆者裁判で,「浜松共同法露率事務所」の中川眞弁護士は、かなり中枢的役割を果たしたと思います。
則子さんが1997年からずっと今まで、原水爆禁止浜松市協議会(浜松市原水協)のじ夢曲調をしているので(過去形ではなくて、現在進行形です)、中川さんとは直接の会話は、ほとんどなくても、同じ分野でがんばっている同士という感じでした。
ところが、昨年末から共同法律事務所で中川さんが、いなくなって、ぼくや則子さんは「病気」だろうと、勝手に思っていました。
この夏、8月になって、8月12日に静岡県弁護士会は、中川真弁護士が「成年後見人」となった掛川市の女性の預金口座から1460万円を私的に引き出したというのです。
ぼくは、革新的活動家「性善説」には立って居ませんし、「革新的活動家は悪いことはしない」などというドグマもウソと思います。
ただ、保守だろうと革新だろうと、右翼だろうと左翼だろうと、悪いことに手を出そうというときに「歯止め」「抵抗」は必要ですね。
ぼくの場合には、やっぱり歯止めは、妻「則子さん」のたしかな存在でしょうね。
中川先生の家庭や家族構成まで知らないですが、残念ですけど、奥さんや家族や、あるいは法律事務所の同僚の存在は、犯罪のたしかな抵抗にはならなっかんでしょうか。
けっして「他者」の弾劾ではないです。自分の「点検」のように思います。
中川先生より、自分が優秀だとか、そういうふうには思えません。
ただ、思うのは、そういう「このお金を使える」と気づいた時に、どうして、相談する魂が、間近にいなかったんでしょうか?
やっぱり「先生」と呼ばれる人は、よっぽど自戒しないと、いけないんでしょうね。
20年以上、たんぽぽ保育園の保母で、最後は「園長先生」にまで、なっちゃった「則子先生」には、20年以上、「先生」には批判的な、夫の智彦くんがずっと、いっしょに旅をしていたので、「先生」に思い上がれなかったと思います。