雨宮家の物 13 (写真保存)学校で作った皿(サソリ座)
中学校?高校?いつ作ったか、もう忘れましたが、その頃の美術の授業で作った物であることはたしかです。「天文マニア」であったぼくが、たぶん宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜」からとった題材だろうと思います。
「川の向う岸が俄(にわ)かに赤くなりました。楊(やなぎ)の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のように赤く光りました。
まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗(ききょう)いろのつめたそうな天をも焦(こ)がしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔(よ)ったようになってその火は燃えているのでした。
「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云(い)いました。
「蝎(さそり)の火だな。」カムパネルラが又(また)地図と首っ引きして答えました。(以下略)」
なお宮沢賢治さんなど著作権(没後50年)の切れた著作は、「青空文庫」などで読むことができます。
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「サソリ座」で思い出すのは、浜松の詩人・埋田昇二さんの作詞の合唱曲「ビキニの海は忘れない」ですが、そのなかで「サソリ座のアンタレスが赤く燃えていた」と歌われます。
日本列島からは南に低くしか見えないサソリ座ですが、赤道近くのマーシャル群島ではサソリ座のアンタレスが真上に見えるんですね。
埋田さんに聞いて見て、いま手に入りそうな本があったら「本と映像の森」で紹介します。
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このお皿、色は付いていないのが残念です。だから「赤いアンタレス」じゃないです。
一度、割れて、接着剤でくっつけました。写真保存にして、実物は「廃棄」にします。
ボクが生きているあいだに、ボクが生きた証しの紙や物は、すべて「廃棄」して、この「雨宮ブログ」だけにしないといけないんです。それは、則子さんとぼくの「約束」ですし。それに自分が死んだ時に、自分の中に持っているものだけが、自分の財産なんですね。
肩書きも、名誉も,お金も、物も、自分がいく世界へは持って行けません。持って行けないものだけが、自分がこの世界でなした成果なんですね。