雨宮日記 6月9日(月)の8 内田樹さんの評論から、おとなと子ども
いま、以前に紹介した 本と映像の森 267 内田樹『邪悪なものの鎮め方』<文春文庫>、2014年 2014年01月13日 22時20分43秒 | 本と映像の森
を読んでいて、「大人と子ども」の部分を読んだ。
おとなとは何か、子どもとは何か。子どもとはシステムの不具合に遭遇した時に「責任者出てこい」と叫ぶだけの「被害者意識」。大人とは「そういう責任を負う仕事、ぼく、やってもいいです:と言い出せる人。
では、「浜岡原発永久停止裁判」の事務局に入っている雨宮智彦と雨宮則子さんは「子どもなのか?」「いえいえ、それは違います」(メロディーをつけて)。
つまり、ぼくたちは「責任者追求」ではないのです。「ぼくたちが責任を負います」というのが、この裁判なのです。「責任を負う」ことの1つであって、裁判がすべてではありません。
自分たちが、みんなが責任を負う社会を作れなければ、同じ事が、何度でも、いやというほど、地獄のように繰り返されます。
永劫回帰ですね。
そのことが、「左翼」とされる部分でアレ、「保守」とされる部分であれ、「右翼」とされる部分でアレ、それぞれ2つに分けられるというのは、3つの部分それぞれとも、自覚されていない場合が大多数だと思う。
それぞれの「左翼」「革新」「保守」「右翼」の異質性より、それぞれの部分を横断して共通する部分があり、つまり「左翼1」と「左翼2」より「左翼2」と「右翼2」の方が、共通性で近い場合もあるということです。
うわ、とんでもないことを書いたな。でも、これは理論ではなくて実感です。
もちろん、それは数年違えば、いろんなことが違います。状況によって一変します。たとえば、「ゴーマニズム」さんも、かなりぼくたちと接近してきましたね。反アベという角度で。「最初期ゴーマニズム」が好きだった雨宮としては喜ばしいです。初期の著書は買って、共感して読んでました。
☆
内田さんの論理では、子どもが「ここ、変だよ」と叫ぶのはだいじですが、いくら叫んでも、具体的に故障個所をどう直すかはおとなの役目です。
同じような思想が一色さんのコミック『日本沈没』で、行動できる子どもたちの姿で語られていました。どのシーンか、わかりますよね。
あの難民たちを遅う大地滑りのあと、「助けてあげる」というのでなく、子ども2人が「だいじょうぶですか?」「どこか痛いですか?」と呼びかけ始める姿に、大人立ちも行動し始めるあのシーンです。
「ぼくでよければやります」「みんなが私でいいというなら、やります」というのがボクと則子さんで苦労して確立した流儀でした。
それで、① 則子さんは、たんぽぽ保育園の園長になり、② 平行して浜松労災裁判の事務局長になり、③ 浜松市原水協の事務局長になり(それは今年まで続きました)、さらに、①②ガ終わってから、スズキ小松労災申請の事務局長になり‥‥というような生活をボクを家庭内秘書・参謀・事務局にして、35年間続けてきました。いや、続いてきましたか、か。
でも、逆に言うと、簡単に、やめたものも、いっぱいあります。則子さんにとっての、2つのブラック企業。小松労災。雨宮夫妻とYさんの関係。平和委員会。浜北里山。
つまり、続けるところと、すぐやめるところの使い分け、どっちを選ぶかという感覚が、とてもだいじです。
選択するときの基準は、論理「真理かどうか」だけではなく、「真善美楽」、「正しいか」「良いか」「「美しいか」「楽しいか」という感覚も含めた総合的な基準です。
きみはどっちがしたいの?
つまり、ナチスドイツの強制収容所から「君はそこから逃げたいの?」「君はそこにとどまって闘いたいの?」。好きな方を選べばいいんだよ、と思います。概して革新的活動化の固定した方は「そこで闘え!逃げるのはひきょうだ!」となっちゃうので、困った君なんですよ。
それは「真理:とは何の関係もない「固定観念」なんですが、そういうことを討議したことのない、あるいは討議できない人は理解できなくて、則子さんが「辞任」したときも、そういう闘う条件がなくなったので辞任したのに、「誤りだ、撤回せよ」と固執したんですよね。
「私以外やれない」なんて絶対思いません。そう思い込むと、永久に、その人が死ぬまでの義務になっちゃいますね。そんな悲惨なことはないです。
それと「勝つかどうかは、わからないけど、やってみようか」というのも、ボクときみのソフトな新しい流儀ですね。「勝利しなくてはならない」というのも固定観念ですね。
長くなりました。これは、詳しくは雨宮夫妻の自伝『青い地球とオレンジの花』で語ります。