雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 6月27日(金)の2 則子さんは夜勤に行き、ぼくは久しぶりにショパンピアノ協奏曲1を聞く

2014年06月27日 19時38分24秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 6月27日(金)の2 則子さんは夜勤に行き、ぼくは久しぶりにショパンピアノ協奏曲1を聞く

 今日は、午後、浜岡原発パンフの第2回編集委員会でした。4時で終わり、帰りかきこやに寄って、少し夕食の材料を買い、自宅に戻りました。

 則子さんは僕が家へ帰ったときにはすでに夜勤で出かけていました。過酷な夜勤です。

 Mさんが、明日の、東京への原発行動へのバス参加に、わが家のハンドマイクを貸してというので「いつでも取りに来て」と言って、貸しました。

 父の夕食を準備して、いっしょに食べて、あとは自分の時間です。

 「平和年表」を創りながら、雨宮ブログを書いています。

 それにしても、「デビルマンレデイ」や「オカルト」を書きながら思ったのは、オカルトにしろ神にしろ、自我にしろ、一筋縄ではいかない。何重ものしばりがかかかった複雑な存在だということですね。

 弁証法でいう「あれでもあり、これでもある」、「AでもありBでもある」という摩訶不思議な現象です。

 それが実在です。

   ☆

 それにしても、ぼくは論理だけではとっくに命亡くしていて、音楽や美術やイメージでなんとか生き延びています。

 イメージの中には当然、則子さんの肉体やリアルな言葉も含みます。


本と映像の森 305 『中日新聞 6月27日(金)』(30)面記事「消えない狂気の記憶」

2014年06月27日 19時23分22秒 | 本と映像の森

本と映像の森 305 『中日新聞 6月27日(金)』(30)面記事「消えない狂気の記憶」

 「本と映像の森 304」で「光の牢獄」という概念を紹介しました。 

 ちょうど今日の『中日新聞』でオウム真理教などの「カルト」批判連載が載っていたので紹介します。

 つまり、ジャーナリストの藤倉さんは「カルト教団」の特徴を 

 ① 1人の教組・代表を絶対視する

 ② 信者の心を支配して反社会的行為をさせる

 ③ 高額な寄付を強要する

 ④ 地獄に落ちるなどと脅かして容易に脱会させない

 などとしています。

 記事はもう一つ、「親切ないい火とがやっている」という印象をあげています。

 実は、これは「カルト宗教」にとどまらず「宗教一般」に共通する指標ではないかという疑問があります。

 いまイラク北部で広がっている「イスラム国」の行動に対して「あれは宗教一般の特徴ではない」という宗教界の反撃が極めて弱いように思います。少なくとも、マスコミ面に現れてきません。欠点です。

 宗教界からの、とくにイスラムからの猛反撃を望みます。

 


雨宮日記 6月27日(金)の1 公明党代表が集団的自衛権行使容認を表明ー戦後史の転換点

2014年06月27日 19時06分14秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 6月27日(金)の1 公明党代表が集団的自衛権行使容認を表明ー戦後史の転換点

 報道に寄れば26日夜、公明党代表の山口代表が、憲法解釈を変更し、閣議決定で集団的自衛権行進を容認すると表明しました。

 これは、まさに憲法の平和主義を、憲法そのものを変えることナシに、国民の承認もなしに、国会の承認もなしに、閣議だけで変えてしまう、まさに「クーデター的な」暴挙です。

 もちろん「軍事クーデター」そのものではありませんが。それくらいの異常な暴挙です。

 感覚的に言うなら、これで戦後は終わり、戦前が始まるのだ、という感じでしょうか。

 こういう異常な状況に、自分の行動は今まで通りのノーマルな行動と言うわけにはいきませんね。

 つまり『何をなすべきか』あるいは『何から始めるべきか』ということですね。則子さんと、じっくり話したいと思います。