雨宮日記 6月27日(金)の2 則子さんは夜勤に行き、ぼくは久しぶりにショパンピアノ協奏曲1を聞く
今日は、午後、浜岡原発パンフの第2回編集委員会でした。4時で終わり、帰りかきこやに寄って、少し夕食の材料を買い、自宅に戻りました。
則子さんは僕が家へ帰ったときにはすでに夜勤で出かけていました。過酷な夜勤です。
Mさんが、明日の、東京への原発行動へのバス参加に、わが家のハンドマイクを貸してというので「いつでも取りに来て」と言って、貸しました。
父の夕食を準備して、いっしょに食べて、あとは自分の時間です。
「平和年表」を創りながら、雨宮ブログを書いています。
それにしても、「デビルマンレデイ」や「オカルト」を書きながら思ったのは、オカルトにしろ神にしろ、自我にしろ、一筋縄ではいかない。何重ものしばりがかかかった複雑な存在だということですね。
弁証法でいう「あれでもあり、これでもある」、「AでもありBでもある」という摩訶不思議な現象です。
それが実在です。
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それにしても、ぼくは論理だけではとっくに命亡くしていて、音楽や美術やイメージでなんとか生き延びています。
イメージの中には当然、則子さんの肉体やリアルな言葉も含みます。