雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 3月16日(金) 浜岡原発裁判共同事務局会議ほか

2012年03月16日 22時05分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月16日(金) 浜岡原発裁判共同事務局会議ほか

 昨夜は仕事中に右足の膝が少し痛い。あまり脚に負担を掛けないように注意しないと。歩けなくなったら、運転して物をはこぶので仕事になりませんから。

 今日も晴れ。則子さんは、被爆者の会の大和さんの車で天竜区役所へ。1階のロビーをお借りしてパネル「原爆と人間展」を月曜日の19日から30日までおこなう準備です。

 被爆者の会西遠支部と原水爆禁止西遠平和行進実行委員会主催。

 天竜の米山さんご夫妻が準備にきてくれました。

  ☆

 ぼくは、はままつ共同法律事務所へ、浜岡裁判の原告・弁護士・西部の会共同事務局第4回会議へ。今後のことを、原告の交流会や、西部ニュース第2号など、いろいろ企画しました。

 浜岡裁判県西部ニュースの名前を「希望」と決めました。ギリシャ神話で人類の元にゼウスが送った女性パンドラがゼウスから「絶対開けるな」と命じられてもたされた箱を開けてしまい、人類にありちあらゆる災厄が降りかかる。箱の中にひとつだけ人類に残されたのが「希望」だったという。

 あるいはフランスの詩人、ルイ・アラゴンさんの詩「ストラスブール大学の歌」から

  教えるとは希望を語ること
  学ぶとは誠実を胸に刻むこと


 

 

雨宮日記 3月14日(水) 三陸沖と千葉沖で同日に2回もM6級の地震が 

2012年03月16日 21時40分21秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月14日(水) 三陸沖と千葉沖で同日に2回もM6級の地震が 

 夕方、午後6時9分に三陸沖の日本海溝の東側地下10kmでM6.8の地震があり、青森で震度4、つまみ警報(と打ってしまった)じゃない、津波警報が出ました。

 青森市などで20センチの津波でした。

  ☆

 そして夜の午後9時5分頃に、千葉県東方沖でM6.1の地震。銚子市では震度5強で、一部液状化しました。

 震源は北緯35.7度、東経140.9度の千葉県東方沖で、深度は15km。

 以前に起きた「千葉県東方沖地震」は、1987年(昭和62年)12月17日の午前11時8分におきた九十九里浜付近を資源にするM6.7の地震です。

  ☆

 ネット上では午後6時9分の三陸沖地震が、1年前の3月9日(水)11時45分頃に三陸沖でおきた地震と酷似していて、東日本で大きな地震のくる「前地震」ではないかという声もあります。

 今回の6時9分のは、北緯40.7度、東経145.2度、深さ10km。

 1年前の3月9日の震源は三陸沖の北緯38.3度、東経143.3度。深度は10km。Mは7.2。

 東日本大震災の三陸沖巨大地震は、北緯38度06.2分、東経142度51.6分。
 
 緯度1度は、kmで111kmですから今回の地震は1年前からは200kmくらい離れています。ですから、まあかなり遠いと言えるかな?

 



原発の本 肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』ちくま新書、2005年

2012年03月16日 21時24分09秒 | 原発を考える1

原発の本 肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』ちくま新書、2005年6月10日第1刷~2011年10月20日第10刷、202ページ、定価720円+消費税

 肥田舜太郎さんは広島で被曝して、現在も各地で講演しているお医者さん。鎌仲ひとみさんは、映画監督です。

 内部被曝、低線量被曝についての、いちばんわかりやすく、科学的な本だと思います。

 広島の被爆者と原爆ぶらぶら病、広島での白血病・ガンの多発、世界の核実験場・ハンフォードなどの各施設周辺の汚染と人間への影響、そして国際指針の意味と問題点、外部被曝と内部被曝の違い、核実験による放射性降下物による世界的なガンの多発の可能性、アメリカの原子力発電所周辺での女性乳がん死亡者の増加、などなど、みなさんも読んで自分で考えましょう。


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点A地点 3月14日(水)、15日(木)

2012年03月16日 05時20分54秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点A地点 3月14日(水)、15日(木)

 2012年3月14日(水)15時22分、快晴(雲は0%)、風あり、暖かい

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.047
  最大値 0.049
  最小値 0.045

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.052
  最大値 0.056
  最小値 0.049

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.050
  最大値 0.056
  最小値 0.045

 
 2012年3月15日(木)17時09分、快晴(雲量0%)、風あり、寒い
 
 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.045
  最大値 0.046
  最小値 0.044

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.043
  最大値 0.049
  最小値 0.037

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.044
  最大値 0.049
  最小値 0.037

 今日は、これまでの最低値、0.037μSv/hの値が出てきました。福島第一原発事故で放出されたセシウムは、セシウム134とセシウム137の割合が、当初は半々でした。これで計算すると、半年後には9割に、1年後には8割に、2年後には6割になります。

 

 


雨宮日記 3月13日(火) ぼくは浜松市原水協理事会へ、則子さんは新婦人の地域班へ

2012年03月15日 05時37分05秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月13日(火) ぼくは浜松市原水協理事会へ、則子さんは新婦人の地域班へ

 毎月、通常は第2火曜日の夜に、佐藤町診療所の3階の会議室をお借りして開いている「原水爆禁止浜松市協議会(浜松市原水協)」の第1回理事会に、則子事務局長が、地元の女性団体の会合と重なってしまったので、事務局次長のSさんと相談して、則子さんが欠席でも開催しました。

 この10数年間、則子さんが欠席したのは初めてだろうと、思います。

 則子さんが、いなくても運営できるということを、浜松市原水協の役員のみなさんで、実感できたのは、前進ではないでしょうか。

 則子さんが所属する新日本婦人の会浜松支部の「神無月班」の、いわば高齢お祝い会でした。

 則子さんは3年前の「還暦(60才)」を祝ってもらったようです。

 高齢を「お祝い」するのは、微妙ですね。

 遠鉄電車上島駅の近くのお豆腐屋さん「桂川」で豆腐料理を味わいながら、いろいろ話をした話をしてくれました。10年前に上島で喫茶店を始めたOさんの経営苦労のお話(ぼくたちは、この喫茶店を毎月何回も、コーヒーや紅茶を飲みに行っています)や、国民金融公庫で18才から働いたuさんの話、どれも一つの冊子にして、まとめられる内容だと思いました。

  ☆

 昨日、近くに住んでいる長女が来て「お父さん!彼氏が、お父さんの還暦祝い、したいって。わが家でどう」というので「Tくんがお祝いしてくれるなら、よろこんで」と答えました。

 

雨宮日記 3月12日(月) テレビの3・11特集を録画したのを見ました

2012年03月14日 05時26分42秒 | 雨宮日誌
k雨宮日記 3月12日(月) テレビの3・11特集を録画したのを見ました

 3月10日と11日のリアルタイムでは「雨宮日記」に書いたように、忙しかったので、テレビのよさそうな番組で、次女のIさんが録画希望とダブらない範囲で録画を撮りました。

 今日は、その中のいくつかを見ました。

 やはり、原水爆禁止運動・反核運動の教えで、いちばんひどいことをされた被害者に寄り添って、その被害者の声を聴きなさいというのが、ボクが学んだことですので、今回の「東日本大震災・福島第一原発事故」でも、地震被災者・津波被害者・原発事故被害者の声、その遺族の声を、聞き取ることが大事だと思います。

 宗教者でいうと、いまから2000年前に中東に生まれた宗教者、ナザレのイエスさんは、娼婦や障害者や下層階級の人の声に耳を傾けて、宗教の「戒律」ではなくて「愛」を唱えました。

 このイエスさんの「愛(アガペー)」とは、東北のキリスト者さん、「気仙語」復権の本を出したお医者さんの解読では「他人を大事にすること」だそうです。

 つまり「何時の敵を愛せよ」という「愛」は、エロスの性愛でも、家族愛でもなくて、「何の関係もない人」あるいは「汝の敵である人」の人権も守れと言う、ナザレのイエスさんの教えだというのです。

 ぼくは、これは納得します。

 遠藤周作さんの著書『イエスの生涯』『キリストの誕生』と近い考えだと思います。

 もっと展開していきます。

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点A地点 3月12日(月)、13日(火)

2012年03月14日 05時07分07秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点A地点 3月12日(月)、13日(火)

 
 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:特記ないかぎり雨宮智彦

 2012年(平成24年)3月12日(月)15時02分、晴れ(目測雲量10%)、風少し
 
 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.044 μSv/h  
  最大値 0.049 μSv/h
  最小値 0.042 μSv/h

 21回目から30回目まで10回計測
  平均値 0.051 μSv/h
  最大値 0.054 μSv/h
  最小値 0.047 μSv/h

 20回の合計
  平均値 0.048 μSv/h
  最大値 0.054 μSv/h
  最小値 0.042 μSv/h
 
 2012年(平成24年)3月13日(火)16時22分、晴れ(目測雲量0%)、風強い、暖かい
 
 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.049 μSv/h  
  最大値 0.054 μSv/h
  最小値 0.045 μSv/h

 21回目から30回目まで10回計測
  平均値 0.044 μSv/h
  最大値 0.051 μSv/h
  最小値 0.039 μSv/h

 20回の合計
  平均値 0.046 μSv/h
  最大値 0.054 μSv/h
  最小値 0.039 μSv/h
 
 現在、自宅で計っている放射線量は、
  ① 1945年以前の本来の「自然放射能」
  ② 1945年以後、とくに1960年代の地上核実験による放射能
  ③ 1980年代のチェルノブイリ原発事故の放射能

  以上の、①から③が、3月11日以前の放射線量です。これに加えて

  ④ 福島原発事故の放射能が加わっている数値が、今計っている数値です。

  ②も、③も、④も、今はセシウム主体として、セシウム134とセシウム137の比率が半々くらい(福島原発の場合)であれば減衰率は、半年で9割に、1年で8割に、2年で6割に、です。

 自宅の毎日測定を可能な限り、おこないながら、昨年9月から10月におこなった「浜松市内のメッシュ測定」を1年後の今年秋におこなおうと思っています。

 ②と③の減衰率と放射線量は、もっと詳しく調べようと想います。

 

雨宮日記 3月11日(日) 東日本大震災から1年「浜松メモリアル行動」に参加しました

2012年03月12日 05時44分05秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月11日(日) 東日本大震災から1年「浜松メモリアル行動」に参加しました

 今日3月11日は、全国で「メモリアル行動」がおこなわれました。

 「浜岡原発はいらない浜松の会」から依頼があったので、ボお昼12時から午後3時までの署名行動と集会のあいだ、ボクと則子さんは「放射線量測定」をしました。

 「測定マニア」みたいな変な人との対話や、「東海地震はぜったいこない」と力説する変な人、いろいろ感じました。

 青年や医療関係者や女性の発言、とても感動しました。
 
 そして太鼓の音、とても自分の心の中に、響きました。

 

 

雨宮日記 3月10日(土) 「はままつ共同法律事務所」の開設10周年記念パーティ

2012年03月12日 05時02分53秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月10日(土) 「はままつ共同法律事務所」の開設10周年記念パーティ

 書き忘れましたが3月8日(木)夜、雨宮則子さんは、浜松基地自衛官人権裁判の勝訴を記憶してもらうための「メモリアル出版」が役員の一人のTさんの編集のご努力で、見事できあがったので、はままつ共同法律事務所の会議室へ、本の普及のための最後の事務局会議へ出かけました。

 則子さんもボクも、事務局や裏方の一員として、勝訴に貢献したと思います(たぶん)。

 浜松基地自衛官人権裁判を支える会 編『自衛隊員の人権は、いま』社会思想社。2012年3月10日初版第1刷発行、237ページ、定価1800円+税=1890円

 目次を紹介すると

 第1部 自衛官人権裁判に勝利を!全国集会
 第2部 空自浜松基地自衛官人権裁判
  1 浜松基地自衛官人権裁判の内容と判決の意義 
  2 浜松基地自衛官人権裁判・判決の評価と感想
  3 浜松基地自衛官人権裁判の経過と支援運動
  4 浜松基地自衛官人権裁判を支援して
 第3部 自衛官の人権確立に向けて

 則子さんも「第2部 4」で「裁判勝利への思いをひとつに」というタイトルで179~180ページに書いています。わが妻とは言えど、いい文章ですね!

 雨宮も則子さんも取り扱っていますので、リアル雨宮や、リアル則子さんをご存知の方は、ぜひ「本が欲しい」と声を掛けてください。

 リアル雨宮やリアル則子さんを知らない方は、ぜひ、このブログへ「メッセージ」か「コメント」を、送り先の住所とお名前を指定してください。郵便振替口座がありますので、郵送させていただきます。

  ☆

 こういう感激が3月8日にあったので、3月10日の「はままつ共同法律事務所開設10周年記念レセプション」は、とりわけ印象的でした。

 だって、レセプションの会場に出版した本を持ち込んで、参加者に売ったのですから。

 当日は土曜日なので、ボクは真夜中の仕事を終えた後、アルコールで無理矢理、午前6時頃、眠りに入って、開会時間に間に合うように、則子さんに午前10時半頃起こしてもらって、眠気覚ましに則子さんがわかしてくれた朝風呂に入って、ヒゲを剃って、着替えて11時半頃、遠鉄タクシーで出かけました。

 遠鉄タクシーはかなり早く来るので、11時35分ぐらいに、会場の昔の名鉄ホテル・現在の「ホテルクラウンパレス浜松」に着いてしまって、誰も来てないようなので、ロビーの喫茶コーナーで2人でコーヒーを飲みました。

 コーヒーを飲んでいるうちに、そばを弁護士のS先生や、自衛官人権裁判の原告のお父さんなど通るので、慌てて3階の会場へ移動しました。

 ☆

 雨宮夫婦と「はままつ共同法律事務所」との関係は、3回ほど、あります。
 
 1回目は、「浜松労災打ち切り撤回裁判」です。(詳しい内容は、また「雨宮夫妻回想記」で書きますね)。このときにまだ「塩沢法律事務所」だった、塩沢弁護士が加わって来たのが最初です。これは則子さんが事務局長で、ぼくはその指揮下で実務の事務局員としてがんばって、地裁敗訴、東京高裁で劇的な逆転勝訴しました。

 2回目は、昨年まで4年間続いた「航空自衛隊浜松基地自衛官人権裁判」です。ぼくたちは、2人とも事務局として、ニュースや傍聴ハガキやブログをつくる事務担当として4年間続き、静岡地裁浜松支部で勝訴、国は地裁であきらめて控訴しなかったので、地裁勝訴で終結した珍しい裁判になりました。

 3回目は、昨年から始まった「浜岡原発永久停止裁判」です。これは2人とも初めて原告になり、原告と支援組織の「県西部の会」の共同事務局として、がんばっています。

 ☆

 レセプションが始まって、いきなり、驚いたのは、事務員のAさんが歌い、弁護士のOさんがピアノ伴奏をしたことです。「歌う事務員」「ピアノ弁護士」!、すごいなあ。

 そして感銘したのは、10数年で事務所が扱ってきた案件の一覧表です。

 これは、浜松市の人権闘争の記録そのものだと思いました。

 なつかしい人たちとも、いろんな話をした、至福の時間でした。ありがとうございました。

  ☆

 ぼくは、酔っ払って、ばてて、則子さんと一緒に家に帰りましたが、不死の体力の則子さんは、夜、社会福祉法人たんぽぽ会の理事会に、東区の芳川の里まで、でかけました。

 議題は、たんぽぽ保育園の建て替え、ということでした。

  

雨宮日記 3月9日(金) 3月11日震災1年のテレビラジオ番組を聴いて、3・11行動の準備です

2012年03月10日 05時22分19秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月9日(金) 3月11日震災1年のテレビラジオ番組を聴いて、3・11行動の準備です

 3月5日(月)に浜岡原発永久停止裁判第4回口頭弁論が終わったので、やっと3・11メモリアル浜松行動の準備にかかれました。

 今週の、今日は金曜日ですが、月曜日に裁判があったなんて、なんか信じられないくらい昔の話の気がします。

 いつも則子さんと、これからすること、これから起こることを、どうする?ああする?これしない?と論議して生きているので、娘のIさんにパタンとドアを閉められます(たぶん、繊細なIさんには、親の声が、かなり大声でうるさいんでしょう)。

 則子さんと、過ぎ去った過去のことを熱心に話し合った記憶が、あまりありません。

 その日のことでも、則子さんとは、あまり話をすることはなくて、話をするときは、だいたい、将来に向けて考え方の改善や、必要な手直しが必要なときだけです。

 ぼくと違って則子さんは「行動の人」、宮崎駿さんのアニメの「空飛ぶ少女」ですから、考えるより、まず行動です。ぼくみたいに、先のことや過去のことを、「あれをああすれば、こうなって」「あのときこうすれば」とか、頭の中のシミュレーションって、あまりやらないように思います、たぶん。

 ぼくは何かあるときは、自分のすることは、頭の中でつくって、こねくり回して、結局、行動する前に、かなり神経がまいってしまい「下痢」状態になったりするんですけど、則子さんは、ならないらしいです。

  ☆

 今日は、ようやく、3・11行動(お昼12時から午後3時まで3時間)のあいだじゅう、やっている「放射線量測定コーナー」の大きなパネルを書いて、来てくれた人に配布する説明チラシ(A4版、裏表2ページ)の印刷をしました。100枚。足りなかったら、コンビニでコピーすればいいでしょう。

 とにかく、実際に「ほうしゃのう測定体験」をしてもらい、自分の目で「放射線量」を体感してもらうことが大事だと思います。

 JR浜松駅前で3時間、やっています。興味のある方は、ぜひおいでください(あなたです!)。

  ☆
 
 写真は、則子さんが自宅2階(築20数年でがたがきている)のトイレに書いた紙です。つまり、不用意な使い方で、水道料金がはねあがるという警告です。赤い字は、ぼくの訂正です。


 

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点A地点 3月9日(金) 

2012年03月10日 05時09分21秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点A地点 3月9日(金)

 2012年3月9日(金)19時26分、小雨、無風、観測者雨宮智彦、記録者兼傘もち雨宮則子
  
 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.054
  最大値 0.058
  最小値 0.049

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.054
  最大値 0.059
  最小値 0.048

 11回目から30回目、20回合計
  平均値 0.054
  最大値 0.059
  最小値 0.048

 

雨宮日記 3月8日(木) 「ミツバチの日」「鯖の日」「」「国際女性デー」でした

2012年03月09日 05時08分16秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月8日(木) 「ミツバチの日」「鯖の日」「国際女性デー」でした

 「今日は何の日」というサイトを開くと「今日が何の日」か、わかります。

 今日、3月8日は「ミ(3)ツバ(8)チの日」で「さ(3)ば(8)鯖の日」なんですね。まあ、だじゃれというか、語呂合わせのレベルですが。楽しむのは、いいですね。

 「国際女性デー」は、以前は周囲では「国際婦人デー」と言っていて(今でも、そう言ってるかも)、ぼくは「婦人」という「成人した女性」または「結婚した女性」という限定した意味がいやなので「女性」という言葉を使います。

 ですから「国際女性デー」です。

 国際女性デーは、1904年(つまり、日露戦争の年)の3月8日にアメリカ・ニューよ0区で、女性労働者が女性参政権を要求しておこなったデモを起こしました。このことを1910年にデンマークのコペンハーゲンで開かれた「国際社会主義者会議」で、ドイツ社会民主党幹部で女性のクララ・ツェトキンさんが「女性の政治知的自由と男女平等のためにたたかう記念日」とするよう提唱したことから始まりました。

  ☆

 独身女性(あたりまえか)の20代終末の女性、伊藤則子さんと結婚して30数年、「絶対的」男女平等を追求してきた雨宮としては、重視すべき日です。

 かなり前に、娘に疑問を聞かれたことがあります。

 「お父さん、夫婦の愛情って、自分を相手の犠牲にして差し出すんだって、いうけど、それじゃあ、男女平等、夫婦平等じゃあないよね。「恋の奴隷」(奥村ちよさんの歌です)なんじゃないの」と言うのです。

 ぼくは答えました。

 「それは、もっともな質問です。自分を犠牲にして相手に差し出すのが一方的なら、それは確かに「相手の奴隷」になるけど、お互いが相手に差し出すなら、「平等に奴隷」で、平等に自立していることになるんじゃないかな」と答えました。

 それだけではなくて、お互いに、自分の弱さを相手に示して助けてもらう、ことも「お互い説」です。

 お互いに助け合いながら、従属もせず、支配もせず、自立した人格でいながら、同時に助け合える。

 「そういうものたちに、ぼくたちは、成りたいな」(もちろん「そういうものに 私は なりたい」という宮沢賢治さんの手帳のオマージュです)

 宮沢賢治さんの時代から半世紀、もう「私」個人の時代ではなくて、「わたしたち」「ぼくたち」が集団的主体として、どうするか決めていく時代だと、思います。

 飲みながらパソコンを打っているので、だんだん、袋小路にはまってきました。ここで、切り上げて、もう、則子さんの寝ているお布団に行き、抱きついて寝ますね。というより、抱きついて、則子さんを起こします。

 「おはよう!則子さん」

 あ、これ、いいですね。

 二人の回想録のタイトルにしようかな?



 



浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 3月7日(水)、8日(木)

2012年03月09日 04時58分23秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 3月7日(水)、8日(木)

 3月6日(月)は欠測です。

 2012年3月7日(水)13時25分、くもり、無風
 
 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.048 μSv/h  
  最大値 0.053 μSv/h 
  最小値 0.044 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.049 μSv/h 
  最大値 0.052 μSv/h 
  最小値 0.047 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計
  平均値 0.048 μSv/h 
  最大値 0.053 μSv/h 
  最小値 0.044
 μSv/h 
 2012年3月8日(木)20時17分、くもり、無風

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.047 μSv/h 
  最大値 0.051 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.053 μSv/h 
  最大値 0.058 μSv/h 
  最小値 0.048 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計
  平均値 0.050 μSv/h 
  最大値 0.058 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 


原発を考える 2 「原子炉立地指針」の奇怪な条項「非居住地域」「低人口地帯」を読んで

2012年03月08日 21時45分39秒 | 原発を考える2

原発を考える 2  「原子炉立地指針」の奇怪な条項を読んで

 原子力安全委員会が昭和39年(1964年)5月27日に決定したのが「原子炉立地指針及びその適用に関する判断の目安について」です。以下、全文を引用します。全文を読むのがめんどうくさい人は、一番下へ飛んでください。

 ☆

原子炉立地審査指針およびその適用に関する判断のめやすについて

  (原子力委員会は39年5月27日,原子炉立地審査指針およびその適用に関する判断のめやすについて次のとおり決定した。)

 本委員会は,昭和33年4月原子炉安全基準専門部会を設け,原子炉施設の安全性について科学技術的基準の制定をはかってきたところ,昭和38年11月2日同部会から陸上に定置する原子炉に対する立地基準の前段階としての原子炉立地審査指針に関する報告書の提出を受けた。本委員会は,同報告書を検討の上,別紙1のとおり原子炉立地審査指針を定めるとともに,当該指針を適用する際に必要な放射線量等に関する暫定的な判断のめやすを別紙2のとおり定める。

〔別紙1〕
 原子炉立地審査指針この指針は,原子炉安全専門審査会が,陸上に定置する原子炉の設置に先立って行なう安全審査の際,万一の事故に関連して,その立地条件の適否を判断するためのものである。

1.基本的考え方
1.1 原則的立地条件
 原子炉は,どこに設置されるにしても,事故を起さないように設計,建設,運転および保管を行なわなければならないことは当然のことであるが,なお万一の事故に備えて,公衆の安全を確保するためには,原則的に次のような立地条件が必要である。

(1) 大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが,将来においてもあるとは考えられないこと,また,災害を拡大するような事象も少ないこと。

(2) 原子炉は,その安全防護施設との関連において十分に公衆から離れていること。

(3) 原子炉の敷地は,その周辺も含め,必要に応じ公衆に対して適切な措置を講じうる環境にあること。

1.2 基本的目標
 万一の事故時にも,公衆の安全を確保し,かつ原子力開発の健全な発展をはかることを方針として,この指針によって達成しようとする基本的目標は次の3つである。

 a 敷地周辺の事象,原子炉の特性安全防護施設等を考慮し,技術的見地からみて,最悪の場合には起るかもしれないと考えられる重大な事故(以下「重大事故」という。)の発生を仮定しても,周辺の公衆に放射線障害を与えないこと。

 b さらに,重大事故を超えるような技術的見地からは起るとは考えられない事故(以下「仮想事故」という。)(例えば,重大事故を想定する際には効果を期待した安全防護施設のうちのいくつかが動作しないと仮想し,それに相当する放射性物質の放散を仮想するもの)の発生を仮想しても,周辺の公衆に著しい放射線災害を与えないこと。

 c なお,仮想事故の場合にも,国民遺伝線量に対する影響が十分に小さいこと。

2.立地審査の指針
 立地条件の適否を判断する際には,上記の基本的目標を達成するため,少なくとも次の3条件が満されていることを確認しなければならない。

2.1 原子炉の周囲は,原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること。
 ここにいう「ある距離の範囲」としては,重大事故の場合,もし,その距離だけ離れた地点に人がいつづけるならば,その人に放射線障害を与えるかもしれないと判断される距離までの範囲をとるものとし,「非居住区域」とは,公衆が原則として居住しない区域をいうものとする。

2.2 原子炉からある距離の範囲内であって,非居住区域の外側の地帯は,低人口地帯であること。
 甲状腺(成人)に対して 300レム
 ここにいう「ある距離の範囲」としては,仮想事故の場合,何らの措置も講じなければ,その範囲内にいる公衆に著しい放射線災害を与えるかもしれないと判断される範囲をとるものとし,「低人口地帯」とは,著しい放射線災害を与えないために,適切な措置を講じうる環境にある地帯(例えば,人口密度の低い地帯)をいうものとする。

2.3 原子炉敷地は,人口密集地帯からある距離だけ離れていること。
 ここにいう「ある距離」としては,仮想事故の場合,全身被ばく線量の積算値が,国民遺伝線量の見地から十分受け入れられる程度に小さい値になるような距離をとるものとする。

3.適用範囲
 この指針は,熱出力1万kW以上の原子炉の立地審査に適用するものとし,1万kW未満の場合においては,この指針を参考として立地審査を行なうものとする。

〔別紙2]
 原子炉立地審査指針を適用する際に必要な暫定的な判断のめやすこの判断のめやすは,原子炉安全専門審査会が,陸上に定置する原子炉の安全審査を行なうに当り,別紙1の指針を適用する際に使用するためのものである。


1. 指針2.1にいう「ある距離の範囲」を判断するためのめやすとして,次の線量を用いること。
 甲状腺(小児)に対して 150レム
 全身に対して 25レム

2. 指針2.2にいう「ある距離の範囲」を判断するためのおよそのめやすとして,次の線量を考えること。
 全身に対して 25レム

3. 指針2.3にいう「ある距離だけ離れていること」を判断するためのめやすとして,外国の例(例えば200万人レム)を参考とすること。

付  記

 (i) 上記めやすは,現時点における放射線の影響に関する知識,事故時における原子炉からの放射性物質の放散の型と種類およびこの種の諸外国における例等を比較検討して,行政的見地から定めたものであるが,とくに放射線の生体効果,国民遺伝線量等については,まだ明確でない点もあるので,今後ともわが国におけるこの方面の研究の促進をはかり,世界のすう勢をも考慮して再検討を行なうこととする。


 (ii) 上記めやすは,実際に原子炉事故が生じた場合にとられる緊急時の措置に関連するめやす(例えば飲食物制限,退避措置等のための線量等)とは異なった考え方のものに定めたものである。


 (iii) 上記めやすは,原子炉の設置に表立って行なう安全審査の際,万一の事故に関連して,その立地条件の適否を判断するためのものであって,原子炉の平常運転時における公衆に対する放射線障害の防止に関連しての判断の基準は,核原料物質,核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(昭和32年法律第166号)および同法律に基づく総理府令ならびに科学技術庁告示に規定している。


 (iv) 上記めやすのうち1および2は,通常のウラン燃料の原子炉を対象として考えたものである。甲状腺および全身以外のものが障害の見地から重要となる場合には,別途考慮することが必要である。

 ☆

 まず以下の点が大事ですね。

 「(1) 大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが,将来においてもあるとは考えられないこと,また,災害を拡大するような事象も少ないこと。
(2) 原子炉は,その安全防護施設との関連において十分に公衆から離れていること。
(3) 原子炉の敷地は,その周辺も含め,必要に応じ公衆に対して適切な措置を講じうる環境にあること。」

 そして、

 「立地条件の適否を判断する際には,上記の基本的目標を達成するため,少なくとも次の3条件が満されていることを確認しなければならない。

2.1 原子炉の周囲は,原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること。
 ここにいう「ある距離の範囲」としては,重大事故の場合,もし,その距離だけ離れた地点に人がいつづけるならば,その人に放射線障害を与えるかもしれないと判断される距離までの範囲をとるものとし,「非居住区域」とは,公衆が原則として居住しない区域をいうものとする。

2.2 原子炉からある距離の範囲内であって,非居住区域の外側の地帯は,低人口地帯であること。
 甲状腺(成人)に対して 300レム
 ここにいう「ある距離の範囲」としては,仮想事故の場合,何らの措置も講じなければ,その範囲内にいる公衆に著しい放射線災害を与えるかもしれないと判断される範囲をとるものとし,「低人口地帯」とは,著しい放射線災害を与えないために,適切な措置を講じうる環境にある地帯(例えば,人口密度の低い地帯)をいうものとする。

2.3 原子炉敷地は,人口密集地帯からある距離だけ離れていること。
 ここにいう「ある距離」としては,仮想事故の場合,全身被ばく線量の積算値が,国民遺伝線量の見地から十分受け入れられる程度に小さい値になるような距離をとるものとする。」

 この「2.1」「2.2」「2.3」の条件を厳守する限りでは、日本列島に原発を作る余地は「日本語的」にはまったくないと思うのですが。

 浜岡原発からどれくらいの距離が「非居住区域」なのでしょうか?

 考えられる論理的解釈は、一つしかありません。その後の文章「「ある距離の範囲」としては,重大事故の場合,もし,その距離だけ離れた地点に人がいつづけるならば,その人に放射線障害を与えるかもしれないと判断される距離までの範囲をとるものとし」という「ある距離」を浜岡原発といちばん間近な民家の間にとることです。

 それしかないでしょう?

 事故がぜったい起こらないと強弁していれば、そういう言葉の詐欺も可能になりますね。

 「ある距離の範囲」が実際にどのあたりなのかは、調べてみます。中電に聞いて見ましょうか。

 もう一つ「低人口地帯」とは何か、ですが、たぶん今の日本の原発の周辺をいうのだと思います。それは指針にある「300レム」(300レムはシーベルトで100分の1ですから3シーベルトで広島原爆の1キロちょっとの距離で「半数死亡」です)のときに「何らの措置も講じなければ,その範囲内にいる公衆に著しい放射線災害を与えるかもしれないと判断される範囲をとるものとし,「低人口地帯」とは,著しい放射線災害を与えないために,適切な措置を講じうる環境にある地帯(例えば,人口密度の低い地帯)をいうものとする」。

 「仮想事故」とは言ってるけど、ここでちゃんと「300レム」事故への「適切な措置」を装丁しているじゃないですか。

 こわい話です。


 


雨宮日記 3月7日(水) 一ヶ月ぶりに給油、夜は則子さんとドライブ

2012年03月08日 05時42分46秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月7日(水) 一ヶ月ぶりに給油、夜は則子さんとドライブ

 マイカー(スズキ・アルト)のガソリンが最低限に近づいてきたので、給油に行きました。昨年12月末で閉じた上島の個人スタンドから、新津町の、自宅からの距離はあまり変わらないスタンドに変えました。

 前回は2月10日に給油しました。21.9リットル、単価142円、3110円

 今回は、24.85リットル、単価153円、3802円です。単価、すこし上がっていますね。

 1ヶ月に1回の給油ですんでいるのは、自宅と1キロちょっとの職場の往復と、ほとんど中区内の近場の運転ですんでいるからです。

 昨年8月までは、週に何回も浜北の里山へ通っていたので、給油は1ヶ月に何回もしていました。

  ☆

 夜は、則子さんと、ボランティアで毎週している無料配送の仕事で、いっしょにドライブしました。毎週、1時間半くらいのドライブですが、則子さんとじっくり話のできる貴重な機会です。

 家に居るときは、お互い、家事やらなんやらで、あんまりじっくり話はしませんし。

 じっくり話をすると、次女のIさんが、うるさいのか、ドアを閉めにきますし。

 じゃあ、ひそひそ、寝物語にしようかな、と想っても、お互い、睡眠時間は真逆で、反対だし。

 今日は、浜岡原発労働者・嶋橋さんの白血病労災認定と、福島県民の被爆線量との比較の話をたっぷりしました。