新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで

血液専門医・総合内科専門医の17年目医師が、日常生活や医療制度、趣味などに関して記載します。現在、コメント承認制です。

教育や医療が「市場原理に合わない理由」

2012-04-11 20:46:15 | 医療

さて、もう少し続けます

 

先日、TPPと医療に関しての講演を聞きに行きました。

TPPの勉強会に参加しました

TPPと医療について考える

 

そこでもアメリカにおいて医療や教育に営利主義が入ってきてとんでもないことになってきているという話があった。

医療に関しては今までも書いてきたとおりで、金持ちは医療を受けられるが、貧乏人は医療を受けることが難しい。医療保険に入っていても保険会社によって「かかることができる医師・病院」を決められてしまう(フリーアクセスがない)。受診した結果によっては、高額な医療費に対して保険は払わないというような話まで出てくる。

 

アメリカの学校教育の問題は低学力の原因が何かということに尽きる。3分の1が学校教育からかなり遅れている(高校卒業時に小学生レベル)。職場に対して対応できない人間が多すぎる…という話だが、その原因が何かということ。

1つの考えは低学力の原因は教師のやる気のなさであり、学校間で競争させることでこれを改善させたい。そのためにはやる気のない教員は辞めさせ、学校間に市場原理を導入しよう…という考えである。これはまぁ・・・ある意味極論だが(むしろ社会状況によると思うが)。

もう1つは貧困や人種差別などのため、学校教育がすべての人間に行きわたっていない。それが原因であり、市場原理を導入したらそれが加速するというものだ。これは一理も二理もあり、実際のところ学校に通えない子供が出ているのだろうとは思う。

 

ただ、学校に通っているものの「薬」などに手をだし、学校から離れていく学生も多いという現状はある。それを止めるのが学校の役目だろうといわれると(家族の役割だとも思うが)、市場原理を推進したいグループにも一理あるわけだ。

 

ただ、ここではやはり「教育」や「医療」が市場原理にあわない理由は「ものではなくて人を扱う」に尽きると思う。

 

昔、Blogで「日本の教育は産業時代に合わせたような」教育で、アメリカはこんなものを目指しているのだろうかと思ったりしております。

日本の財産は人:時代の変化に合わせた教育改革をより

過去の日本の教育は1つの答えを全員が求め、導き出す。この全体が同じものを出せるということは・・・おそらく日本の大量生産、日本の高度経済成長を支えるものになったのではないかと思います。

 

アメリカの経済を支えるような、逆に今までのように個性を尊重するよりも「日本の教育」のように「言われたことを確実に実行できる」労働者が欲しいのかもしれない。まぁ、何考えているかは本当のところ読めませんがw

(過去にこんな記事も書きました) 

常に死を覚悟し、一生を生きる:死ぬまでに目標を達成したいものだけど・・・

めざす教育:賛否両論だろうな

僕は何がしたいのか…を考える

教育は過去にも書いてきたように国の礎を築くもとです。別に国があって、人がいるわけではなくて人がいて国があるわけですから、最も重要なものは人です。その個々人、さまざまな能力のある人間(僕はすべての人間の才能の総量は同じと考えています:「アンフェタミン的多重知能理論:個人の考えですけどね」)が、これからの未来を作っていくわけですから、未来のために教育は重要です。

アメリカのように「チャンスをつかむ」ような国(まぁ、最近はアメリカンドリームなんてものもなくなったといわれますが)でもチャンスは平等だったわけです。教育機会を生かして、チャンスをつかんで、超一流を目指すという。そのチャンスの平等すらなくなったわけですね。

結果の平等は社会主義でしかないですが、チャンスは平等にありたいものです

 

医療に関しては…人が生きていくうえで「安全」保障の一つだと思います。生存権ではないですが、生きる機会の平等を保持するものだと思っています。医療が仮に市場原理で動き始めるとどうしても「お金の切れ目が命の切れ目」になってしまいます。そして市場原理が「金のあるところに病院、医療の提供」をということになり、地域によっては医療の提供がないという結果につながりかねません。

 

何故って、人口密集地域はそれだけ人が来ますし、逆もまたしかりですから。まぁ、人口密集地域に立った病院の中で競争が起きて、弱肉強食で消えていくのでしょうけど。

 

市場原理が合わないもの、それは「人を直接扱う」分野だと思います。繰り返しますが、別に単一の製品を大量生産する工場ではないのです。それであれば「いかに安く、よいものを作るか」でよいと思いますが、生き物を安くとか作るとかはないので。

 

そんなことを思っています。

 

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ADRの重要性:医療訴訟は真実よりも「医療従事者の真意」が知りたいから生じるのではないか?

2012-04-11 20:02:15 | 医療

こんばんは

 

今日の雨で結構桜が散ってしまいましたね。夜桜を見上げながら少しさみしく思いました。

 

さて、本日は医療事故に関して思うことを書いてみたいと思います。

とりあえず、こちらの記事から。

 

 関節炎治療の際の感染が原因で死亡したとして、川棚町の女性(当時68歳)の遺族3人が慰謝料など約4100万円を長崎川棚医療センターを運営する国立病院機構など2病院に求める訴訟を地裁佐世保支部に起こしていたことが分かった。提訴は3月19日付。
 訴状によると、女性は10年6月16日、同センターで右ひざへヒアルロン酸注射を受けた際、医師が滅菌手袋を使用せずに素手で注射したため、黄色ブドウ球菌で感染した。その後、痛みで、町内の整形外科を受診。細菌感染の疑いは指摘されたが、痛み止めの処方だけだった。女性は同24日、敗血症による多発性胃潰瘍で死亡した。
 原告側の代理人は「女性は高齢で糖尿病を患い、感染が非常に懸念されるのに、処置が不適切だった」と主張している。
 同センターは「訴状の内容を検討し、対応したい」。整形外科側は「コメントしない」としている。
 
-----------------------------------------
この記事に関して、滅菌手袋を使用しなかったから感染したかどうかはわかりません。僕も先日職場の人の膝の水を抜きましたが、滅菌手袋は使用しませんでした。まぁ、消毒して、普通の手袋はしましたが。敗血症による多発胃潰瘍と書かれると少し違和感がありますが、いずれにせよ感染症が原因で死亡したということだと思います。
 
高齢で糖尿病を患い感染が懸念される患者で、しかも右ひざの痛みが処置の後に生じたというのであれば因果関係はありそうだと思います。まぁ、それが滅菌手袋の使用の有無で生じたかはわかりませんし、一定の確率で合併症は生じます。それを考えると…という説明をされたかもしれませんが、患者さん側は納得できないところがあるのだと思います。・・・まぁ、むしろ僕なら町内の整形外科の方が気になりますが・・・(汗
 
まぁ、それは今日の本題ではないのです。
 
 
 
 
このような医療訴訟はなぜ生じるのだろうかと思ったりします。
 
基本はよく言われている「真実を明らかにしたい」というもの。あとは「過失だと思うから慰謝料が欲しい」というのもあると思います。
 
 
ただ、裁判では勝ち負けしかでてこない。お互いがお互いを認めないという前提で「戦い」ます。
 
患者さん側としては「真実を明らかにしたい」というのもあるかもしれませんが、患者さんが人としての敬意を払われ、起きたことに対しての相手の真意が知りたいというのもあるのではないでしょうか。
 
僕は真実を明らかにしたい…という気持ちがないとは思いません。もちろん、それはあると思います。
 
ただ、患者さん側として納得がいかないから、起きたことに対して医療側がどう思っているかわからないから、「怒り」に任せて訴訟という手段をとっているのだと思います。
 
 
過去にもADR(裁判外紛争処理)の話を何回か書きましたが、そういう意味でADRは非常に重要だと思います裁判ではどちらかが勝ち、どちらかが負ける「Win-Lose」の関係でしかなくなります。この患者さんの遺族もきっと慰謝料が欲しいというわけではなく(慰謝料が欲しくないわけでもないと思いますが)、話し合いに納得がいかないから訴訟をしている。
 
医療側は患者が亡くなったにもかかわらず患者に敬意を払っていない(ように思われる)。相手は患者に対して、患者の死に対してどのように考えているのだろうか
 
そこが知りたいのではないかと思うのです。
 
 
ADRはこの「Win-Lose」ではなくて、お互いの要求が通る「Win-Win」に近い結果を導き出せる可能性があります。妥協しろと言っているつもりはないです。お互いの真意がわからなければ、訴訟になるに決まっている。
 
 
あくまでお互いの真意を理解するのが目的であれば、話し合う過程で「どこに問題があったか」が判明し、それによって「システムの改善」「患者さんサイドの理解されたという、敬意を払われたという気持ち」「双方の納得のいく慰謝料」「無駄な時間(分かり合うのが目的なら)、裁判費用の節約」「病院側のイメージダウンの回避」につながるのだと思います。
 
裁判ではお互いは敵同士であり、真意を理解することはできないと思う。
 

ちなみに過去にADRに関して書いてみたのはこちら。

ADR=患者のクレームに対する相談窓口?

 

僕はそう思っています(まぁ、時々・・・本当に狙って医療訴訟を起こそうとする方もいるみたいですが)。

 

 

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