さて、もう少し続けます
先日、TPPと医療に関しての講演を聞きに行きました。
TPPの勉強会に参加しました
TPPと医療について考える
そこでもアメリカにおいて医療や教育に営利主義が入ってきてとんでもないことになってきているという話があった。
医療に関しては今までも書いてきたとおりで、金持ちは医療を受けられるが、貧乏人は医療を受けることが難しい。医療保険に入っていても保険会社によって「かかることができる医師・病院」を決められてしまう(フリーアクセスがない)。受診した結果によっては、高額な医療費に対して保険は払わないというような話まで出てくる。
アメリカの学校教育の問題は低学力の原因が何かということに尽きる。3分の1が学校教育からかなり遅れている(高校卒業時に小学生レベル)。職場に対して対応できない人間が多すぎる…という話だが、その原因が何かということ。
1つの考えは低学力の原因は教師のやる気のなさであり、学校間で競争させることでこれを改善させたい。そのためにはやる気のない教員は辞めさせ、学校間に市場原理を導入しよう…という考えである。これはまぁ・・・ある意味極論だが(むしろ社会状況によると思うが)。
もう1つは貧困や人種差別などのため、学校教育がすべての人間に行きわたっていない。それが原因であり、市場原理を導入したらそれが加速するというものだ。これは一理も二理もあり、実際のところ学校に通えない子供が出ているのだろうとは思う。
ただ、学校に通っているものの「薬」などに手をだし、学校から離れていく学生も多いという現状はある。それを止めるのが学校の役目だろうといわれると(家族の役割だとも思うが)、市場原理を推進したいグループにも一理あるわけだ。
ただ、ここではやはり「教育」や「医療」が市場原理にあわない理由は「ものではなくて人を扱う」に尽きると思う。
昔、Blogで「日本の教育は産業時代に合わせたような」教育で、アメリカはこんなものを目指しているのだろうかと思ったりしております。
過去の日本の教育は1つの答えを全員が求め、導き出す。この全体が同じものを出せるということは・・・おそらく日本の大量生産、日本の高度経済成長を支えるものになったのではないかと思います。
アメリカの経済を支えるような、逆に今までのように個性を尊重するよりも「日本の教育」のように「言われたことを確実に実行できる」労働者が欲しいのかもしれない。まぁ、何考えているかは本当のところ読めませんがw
(過去にこんな記事も書きました)
常に死を覚悟し、一生を生きる:死ぬまでに目標を達成したいものだけど・・・
めざす教育:賛否両論だろうな
僕は何がしたいのか…を考える
教育は過去にも書いてきたように国の礎を築くもとです。別に国があって、人がいるわけではなくて人がいて国があるわけですから、最も重要なものは人です。その個々人、さまざまな能力のある人間(僕はすべての人間の才能の総量は同じと考えています:「アンフェタミン的多重知能理論:個人の考えですけどね」)が、これからの未来を作っていくわけですから、未来のために教育は重要です。
アメリカのように「チャンスをつかむ」ような国(まぁ、最近はアメリカンドリームなんてものもなくなったといわれますが)でもチャンスは平等だったわけです。教育機会を生かして、チャンスをつかんで、超一流を目指すという。そのチャンスの平等すらなくなったわけですね。
結果の平等は社会主義でしかないですが、チャンスは平等にありたいものです。
医療に関しては…人が生きていくうえで「安全」保障の一つだと思います。生存権ではないですが、生きる機会の平等を保持するものだと思っています。医療が仮に市場原理で動き始めるとどうしても「お金の切れ目が命の切れ目」になってしまいます。そして市場原理が「金のあるところに病院、医療の提供」をということになり、地域によっては医療の提供がないという結果につながりかねません。
何故って、人口密集地域はそれだけ人が来ますし、逆もまたしかりですから。まぁ、人口密集地域に立った病院の中で競争が起きて、弱肉強食で消えていくのでしょうけど。
市場原理が合わないもの、それは「人を直接扱う」分野だと思います。繰り返しますが、別に単一の製品を大量生産する工場ではないのです。それであれば「いかに安く、よいものを作るか」でよいと思いますが、生き物を安くとか作るとかはないので。
そんなことを思っています。
いつも読んでいただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。