もう少し書かせてください
医学部新設は必要か
今の医学教育は「老化」状態◆Vol.5
http://www.m3.com/iryoIshin/article/151308/
2012年4月17日 司会・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)
梅村 では将来、「医学部定員を減らさなければいけない」となった時に、「医師過剰感」があるのか。私の予想ですが、今の教育システムで、診断名を一個付けろと言われたら、やはり「老化」だと思うのです。戦後66年の医学教育には、そんなに大きな変化はなかった。しかし、病院が非常に高度化し、在宅死が減少した。患者の要求水準が非常に上がり、医療に対する目線が日本は特異であることを考えると、研修医まで含めて、医師の養成スタイルが、システムとして合っていない。時代に追いついていない。
だから、例えば河野先生がおっしゃるように、10年後に定員を減らさなければならないとします。全体としてはそうかもしれませんが、その時、医療現場の現場が、「非常に医師が過剰」という雰囲気になっているか。私はそこが少し疑問なのです。
――例えば、消化器専門でも、大腸内視鏡検査しかやらない先生がいたら、不足感は残る。
梅村 まず少し整理すると、専門医とプライマリ・ケア医ですが、国民世論から言えば、やはり専門医を欲している。ただ、プライマリ・ケアの必要性も、これから高齢化社会で広がってくるとなれば、専門分野を持った人がプライマリ・ケアもできる。これが多分、日本型の解決方法ではないかと。プライマリ・ケアだけのプロが、国民世論から求められるのかというと、私は少しそこは厳しいと思っているのです。時々、「いい先生紹介して」と聞かれる。肝臓がんの専門とか、カテーテルの上手な人を紹介して、となります。だから、政策というのは、もちろんあるべき姿も大事ですが、国民性として何を要求しているか、それも私たちは考えなければいけない。
矢崎 私も全く同じ考えですが、それが今の医学教育で可能かという問題があります。医学教育に関する学会などでいつも言っているのですが、医学教育の専門家は、教育のあり方とか、倫理的な問題などには熱心ですが、今、国民が求めている病院の医師不足に、医学教育がどう取り組むべきかという実践的な議論にはほとんどならない。
梅村 今、医学部は理系じゃないと入学できない。少し無茶苦茶なことを言いますが、私は文系でも理系でも入れる入り口にしたらいいと思います。それから、これは文科省に怒られるかもしれないですが、国立大学なら大学入試センター試験から抜けたっていいと思います。
――そんなにオーマルイティーにやる必要もない。
梅村 その代わり、大学の先生方にはすごい苦労をかけると思いますけど、何日も真剣に試験して、自分たちの大学が採りたい人材を合格させたらいい。
矢崎 全くおっしゃる通りです。
梅村 それぐらいの気合を入れて、先生方が、「自分の本当に採りたい生徒の答案を探す」くらいにやる。
河野 先生のおっしゃる通りです。私自身は高校時代は理数は不得意で、どちらかと言えば文系ですが、医学部、医師というのは文系ではないかと、個人的には思っているのです。物理や数学ができても仕方がないだろうと。ただ、千葉大で一時期、数学の入試をなくしたのです。要するに先生がおっしゃる文系の人たちにとっては非常に受かりやすい科目になった。そうしたら学生の学力が落ちた(笑)。
梅村 それはそう思います。
河野 それで元に戻したのです。
梅村 確かに数学の学力は問題処理能力とパラレルだという話もあるので、そこは工夫が要ります。それから、医学部の4年生が終わった時点で、ここで知識に関する国家試験をやってしまう。その上で、今の研修医レベルまでやらせるかは別ですが、5年生、6年生には医行為を認める。6年生が終わった時点で市中の病院にも出せるぐらいまでの形に持っていく。
私は、こうした医学教育改革を医学界、医療界はやるべき時期に来ていると思っています。それをせずに医師数や医学部の定員の話をしていても、埒が明かないと思うのです。臨床研修制度が今、地域の医師不足などの話と絡められ、「悪い」とされています。そうではなく、25歳、26歳というのは、私もそうでしたけど、一番物事を吸収できる時なのです。それも素直な目で。後で労働基準法の話が出てくるかもしれませんが、多少それを破っても研修する。「レジデント」という言葉は、住み込みという意味でしょう。料理人も同じで、住み込みをして修行する。
――朝から晩まで。
梅村 そう。冷たい水でカブを剥くのをやるから、あの京都の料理人が生まれるわけ。だから、医療も同じです。やはり医学部5年生、6年生、研修医の1年目、2年目というのは、一番大事な時。この4年間をお客さんで過ごすか、はっきり言えば自分でもう死ぬ気でやるかで、実は日本の医療の姿はすごく変わると思うのです。今の話はドラスチックな話かもしれませんが、先生方から見たら、どう思われますか。
矢崎 私が前々から問題だと言っているのは、入試制度と国家試験が日本は一発勝負である点。各大学で卒業試験をやり、国家試験がある。それ学生にとっても、大変なのです。例えば、医学部の4年間で知識の伝授は全部終える。そこで国家試験をやり、臨床実習の後、2年後に実地試験を行う。それを国家試験とする。あるいは国家試験の代わりに大学の卒業試験で認める。どちらかにすべきだと思います。現状では国試対策のために、臨床実習がきちんとできていなかったために、卒後に臨床研修を2年間やることになった。しかし、卒前の教育が充実すれば臨床研修は1年で済む。入学試験、国家試験と卒業試験を抜本的に変えると、もう相当の部分解決できます。
梅村 大学の先生方の仕事が忙しくなります。
河野 従来の日本の教育は、プロセスベースだった。シラバスを見ると、「何々をやること」と書いてある。だから、評価も「何をやった」となりますが、それではダメ。今、千葉大でもアウトカムベースに変えているのですが、シラバスも「何々ができる」とすべて書き換えています。評価も、試験をきちんとやらないことには仕方がない。今、どこの大学も、OSCEを3年生、4年生で実施していますが、卒業時にもう一度、OSCEをして、「できる」かどうかの評価をしっかりやる。
昔はちゃんとしたことを教えれば、できるという前提だった。「1+1=2」だった。しかし、今は「1+1」を教えても、「2」にならない学生がいる。だから、評価をプロセスベースからアウトカムベースに根本的に変えることが必要です。
そのほかにも、医学教育は相当変わりつつあります。昔で言えば、初期研修医がやっていたことを医学生がやっている。ベッドサイトの臨床実習も、見学型ではなく、徹底的に診療参加型にし、現場にどんどん出していく。学生は、朝来たらナースと接触して、ナースから情報を得る。看護記録も見る。それでまず患者さんを診て、それからオーベンに全部報告をする。こうした臨床実習は、大学だけでは無理なので、関連の研修病院、開業医の先生方も含めて、分担して実習しています。
それからもう一つ試みられているのが、屋根瓦方式の教育。5年生が4年生を、6年生が4年生を、研修医が6年生をそれぞれ教える。学生自身が、教えることによって自分の欠点が分かり、責任が出てくる。向上心へのインセンティブにもつながる。東京医科歯科大学がこうした取り組みをもう始めています。千葉大も始めるところです。すべての大学でやっているわけではありませんが、昔の私たちが受けた教育からは、かなり変わりつつある。
――臨床実習で関連病院や診療所に出るのは、5年生ですか。
河野 5年生です。開業医の先生などは非常に熱心で、「じゃ、診療時間を減らします」とまでおっしゃる。それは困るので、「普通の診療の中で教えてくださって結構です」と言いましたが。私たちが思う以上に、一般病院の勤務医、それから開業医の方々は、医師の育成に関心を持っています。だから、先生方が指摘されるように今の医学教育には問題もありますが、大学にいる人間としては、今まだ途上ですが、変わりつつあるのは確かであることを申し上げたい。
矢崎 私たち病院側からすると、医師の派遣をお願いするのは大学しかないのです。だから、大学に頑張ってほしい、体力を回復してほしい。それでエールを送っています。その際にどうすればいいかを考えた時の一つの選択肢として、モデル事業を提案しているのです。今は臨床研修で大学を離れています。また大学に戻ってくれないと、キャリアパスがない。皆が本当に「ふらふら」している。パスを踏まないで漂っている医師が、ものすごく増えており、質も心配なのです。
だから、私たちは、医師たちには全部大学に戻ってほしいと考えています。大学が、しっかりとしたキャリアパスを作って、私たち病院に医師を派遣してくれればいい。要するに大学が回復してくれない限り、我々は成り立っていかない。だから、大学を批判してつぶすのではなく、大学を魅力あるものにするには、求心力を増す必要があります。さもなければ、病院にとっても、卒業生も不幸だと思うのです。
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昔から…というよりもBlogを始める前、CBTの始まるときからずっと書いているのですけど(学生時代、CBTの試行は僕たち新臨床研修制度組からです)、CBTをやるのだったらどこの大学でも臨床研修をできるようにするべきだ。しかも、研修医に準じてある程度の医療行為を実施できるようにする
そんなことは学生時代から言っていた(というか、国対委員の会議でも、東医体の評議委員会の打ち上げでも、そんなこと言ってもだれも相手にしてくれませんでしたけど(/_;))
そうでないとおかしいんですよ。あの試験の意義が良くわからないから。国が臨床実習をできるかどうか判断する試験であれば、どこの病院に行ってもよいわけで、ある地度の医療行為も実施できると国が認めるべき試験のはず。
あと、どうでもいいですが僕も医師は理系というよりは文系だと思っています。僕自身も文系ですよ。小中高の全ての先生が「お前は文系だろう!」というと思いますw
人間関係の構築が重要ですし、検査をする前に患者の話を聞き、身体所見を取るところで多くの疾患は診断確定ですからね。その診断確率をいかに上げるかのために検査があるわけで・・・。
あとは昔はちゃんと教えれば…と書いていますが、申し訳ありませんが覚えることが増えたと思っていただきたいものです。先生方の時代と比較したら、覚えることが増えすぎた。むしろ先生方に自分の専門分野以外の事もすべてわかりますかと聞きたい。
あとは専門医を持ったプライマリケア医ではなく、プライマリケアができる専門医ということですが・・・・専門医がプライマリケアをある程度できるというのは無理ではないですがアップデートは難しいと思います。専門医のところには専門の患者さんが来ているので、使わない知識を膨れ上げさせるのは難しいです。
専門医にプライマリケアを診させる…というのであれば、少なくともそこは専門病院ではなくてプライマリケアだと思います。プライマリケアの中に専門性があるのだと。そうでなくては回らないです。僕は大学病院で自分のできる範囲ではプライマリケア的なこともしていましたが
プライマリケア医がある程度の専門性を持つことは不可能ではないと思います。むしろ、そのほうが現実的ですが(救急の先生の中に、○○が得意という方がいますよね。僕の知っている先生方の中には・・・救急部に所属していて・・・サブスペシャリティとして消化器内科、消化器外科、脳外科、産婦人科・・・などなど)
研修医2年間を含めた4年間が大事だとは思いますが、それで日本の医療が変わる…というのはオーバーかと。重要ですよ研修制度。僕は今の制度は悪いとは思いません。ただ、研修医の自主性にかなり影響を受けるというのは確かですね。その為できる医師はすごくできて、全然ダメな医師もできてしまうかもしれませんが。
笑い話ですけど、一緒に研修していた医師が電話かけてきて、「すぐに部屋に来てほしい」と言ってきたので、何かあったかと部屋に駆けつけたらゲームしていて「もうすぐクリアなんだ。一緒に見ていってくれ」と言われて、苦笑したことがありますw
しかも見ていたら、ラスボスじゃなかったので病院に帰りましたw
彼は彼の考えがあり、自分に関係のない研修をしているなら遊んでいますということみたいでしたが・・・・。専門の診療科は変えて活躍してらっしゃるらしい・・・とか。役に立ったのか研修は?
まぁ、どのような教育体制を作っていくにしても今の医師数、医局の状態(教育体制)では厳しいのではなかろうかと思っています
いつも読んでいただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。