馬渕一丁目9番にある弁天公園
公園と言うより町内のちょっとした広場と言った方がいいのかもしれません。
人影もなく、日当たりも悪そうで、あまり活用されているようすもなく
どちらかと言うと森閑とした風景です。
それになんといっても、
このあたりは静岡駅からも比較的近いのに区画整理の手はとどかず、
狭く屈曲したあぜ道のなごりのごとくの旧態依然とした趣で
線路(東海道線)を挟んだ北側の真っ直ぐな整然とした町並みとは
対照がきわだっています。

そんな印象から、ともすれば見過ごされてしまうのですが
ここにはちょっとした歴史があることを
東京在住の友人から教えてもらいました。
ここの現在の所在地表記は「駿河区馬渕一丁目」ですが
その昔は「*馬淵村」(1889年の市町村制度発足で「有度郡大里村馬淵」)でした。
その馬淵村当時の1880年代、ここには下魚町(現:常磐町二丁目)の宝台院(浄土宗 金米山 宝台院)所有の住宅があり
(当時は弁天池があり、敷地ももっと広かったようだ)
そこに父親の転勤で静岡に来た上田敏の一家が住んでいたとのことです。
旧制中学1年までのおよそ6年ほどの短い期間とはいえ
多感な年代のころですから
静岡は彼にとって忘れ難い地のひとつではと思われます。
もしかしたら、Karl Busse の“ 山のあなた”の名訳なども
静岡から見える山々に思いをはせながらなされたのでは
などと考えるのも楽しいものです。
*
1889年「有度郡大里村馬淵」 (市町村制度発足)
1929年「静岡市馬淵」 (静岡市に合併)
1932年「馬淵町一丁目」 (町名整理で町名変更)
1962年「馬淵一丁目」 (住居表示により町名変更)
2003年「馬渕一丁目」 (静清合併に伴う地名変更に便乗して新字体(略字体)に変更か)
公園と言うより町内のちょっとした広場と言った方がいいのかもしれません。
人影もなく、日当たりも悪そうで、あまり活用されているようすもなく
どちらかと言うと森閑とした風景です。
それになんといっても、
このあたりは静岡駅からも比較的近いのに区画整理の手はとどかず、
狭く屈曲したあぜ道のなごりのごとくの旧態依然とした趣で
線路(東海道線)を挟んだ北側の真っ直ぐな整然とした町並みとは
対照がきわだっています。

そんな印象から、ともすれば見過ごされてしまうのですが
ここにはちょっとした歴史があることを
東京在住の友人から教えてもらいました。
ここの現在の所在地表記は「駿河区馬渕一丁目」ですが
その昔は「*馬淵村」(1889年の市町村制度発足で「有度郡大里村馬淵」)でした。
その馬淵村当時の1880年代、ここには下魚町(現:常磐町二丁目)の宝台院(浄土宗 金米山 宝台院)所有の住宅があり
(当時は弁天池があり、敷地ももっと広かったようだ)
そこに父親の転勤で静岡に来た上田敏の一家が住んでいたとのことです。
旧制中学1年までのおよそ6年ほどの短い期間とはいえ
多感な年代のころですから
静岡は彼にとって忘れ難い地のひとつではと思われます。
もしかしたら、Karl Busse の“ 山のあなた”の名訳なども
静岡から見える山々に思いをはせながらなされたのでは
などと考えるのも楽しいものです。
*
1889年「有度郡大里村馬淵」 (市町村制度発足)
1929年「静岡市馬淵」 (静岡市に合併)
1932年「馬淵町一丁目」 (町名整理で町名変更)
1962年「馬淵一丁目」 (住居表示により町名変更)
2003年「馬渕一丁目」 (静清合併に伴う地名変更に便乗して新字体(略字体)に変更か)
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