こちらからのつづきです。前回の地図を御参照ください。
(番号は地図の番号と符合しています。)
(3)お瀧さん(龍馬の妻)独身時代の寓居跡
三条通りのひとつ南の通り(龍馬通り)にある「酢屋」を後にして
東へ少々歩くと南北に流れる高瀬川沿いの木屋町通りに出ます。
この木屋町通りを南へ200mほど行くと左手(東側)に都会館という
飲食店が入った雑居ビルがあります。
お龍が龍馬に出会う前、この辺りに住んでいたということです。
(4)土佐藩邸跡跡
さらに200mほど南へ歩きます。
右手(西側)に現在は廃校になった立誠小学校が見えてきます。
この校舎は1928年建設ということで
文化財級の雰囲気を十分持っています。
この小学校跡のある辺り一帯が旧土佐藩邸跡だということです。
それにしても小学校の前を流れる高瀬川はとてもきれいです。
(5)龍馬終焉の地である近江屋跡
小学校跡の角の蛸薬師通りを右(西)へ曲がり100mほど行くと
広い河原町通りにぶつかります。
河原町通りを渡り、河原町通りの西側の歩道を南へ100m行くと
コンビニエンス・ストアのサークルKがあります。
ここが近江屋があった場所です。
もちろん近江屋と言えば、1867年11月15日龍馬が暗殺された場所です。
こんな土佐藩邸の目と鼻の先で遭難したのですね。
遭難の地の碑には、花が手向けられていました。
京都には、龍馬のゆかりの地はまだ他にもありますが
また別の機会にします。