
小泉首相の言葉を多少の不安感なしには聞けなくなったというのがこの学習の動機である。共感した新聞の記事をまとめるという作業を行ってみた。小泉首相の言葉の特徴は単純化だ。結論だけを強調するから、ある意味では分かりやすい。
「自民党をぶっ壊す」 というのは言葉のレベルでなく実際に壊れている。いわば小泉チームの政権になっていて、小泉政権後も有力なリーダーを中心とした、この指止まれという形の政権になるだろう。ただそれだけにリーダーの資質は重要だ。
「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」 岡田民主党代表がイラク特別措置法にいう非戦闘地域の定義をたずねたのに対する答弁である。質問をはぐらかす詭弁だが、そこには相手を説得しようという意図は感じられない。首相は「どう答えようと自衛隊派遣は反対なんでしょう」と打ち切り、敵味方に分けてしまう。要するに「俺を信用しろ」と言っているに過ぎない。子供は自分が思っていることが絶対正しいとひたすらわめきたてるだけだが、大人になれば自分はこう思うが第三者はどうだろうかという思考が身につくものだ。上に立つ人が子供と同じでは困る。党内からも批判が出たが、本人は「国民に分かりやすく」と言い募った。「国民に分かりやすく」とあのように単純化したならこれほど国民を馬鹿にした言葉もない。
首相は靖国A級戦犯の合祀問題について、 「『罪を憎んで人を憎まず』とは中国の孔子の言葉だ」 と述べた。これに対する、中国文学者一海知義氏の紙上での発言はつぎの通り。
私は50数年来中国古典を読んできたが、孔子がこんなことを言っているとは知らなかった。少なくとも、信頼できる文献には見当たらない。戦後のリーダーたちに欠けているのは中国の古典文化に対する敬意である。その点戦前の首相たち、伊藤博文や犬養毅といった人々には古典的教養があり軽率な誤りはしなかった。そもそも『罪を憎んで人を憎まず』は加害者だった側が使うべき言葉なのか。首相発言は中国民衆の立場を無視している。
本文内の写真は世田谷の住宅街の庭のやまぼうし